薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

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第七章

1.子守唄

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「あの……この辺りで若い女性を見かけませんでしたか? こんな感じの服装で、髪は金色なんですけど……」

 アルエットは勇気を出して、座り込んでいる男に声をかけてみた。



「あんた、この辺じゃ見かけない顔だな」

 深酒をしているのか赤ら顔をした男は、無遠慮にじろじろと見つめてきた。



「あ……私は、エグマリンの……」

 そこまで言って口をつぐむ。クライノート帝国とエグマリン国が戦争をしていたことくらい誰でも知っているだろう。だが敗けた国の王族の顛末については、どこまでこちらの国民に伝わっているのか。



「ああ。戦で土地が荒れて逃げ出してきたうちの一人か」



 正体を怪しむ様子もなく返されて、アルエットはホッとする。



「あっちの飯屋にいるかもしれないぜ」



「ありがとうございます」

 男に一礼して、教えられた建物に真っ直ぐ向かう。何か食べられるものがあるなら、ミレイユはそれを探してこちらに来たのかもしれない。



 石やレンガを積み上げた外壁は古ぼけて、いたるところに蔦が這っている。格子の入った窓は掃除がされていないのか、埃だらけで中の様子は判然としない。ただぼんやりとランプの明かりは見えたので営業はしているらしい。



 アルエットは深呼吸を一つすると、扉の取っ手を思い切って引いた。

 途端に中にいた客の視線が彼女に集中する。煙草の煙で淀んだ空気と鼻をつく饐えた匂いに思わず扉を閉めそうになってしまった。客層は男ばかりで、その目はうろんだ。昼から飲酒することはおかしなことではないが、ただならぬ雰囲気にアルエットは怖気づく。



 一般の客が食事をするところではない――

 それでも庶民の暮らしを直に見たことがなかったので、偏見はよくないと思い直し、震える足を精一杯踏み出す。



「あの……」



「おい。もう一杯エールをくれよ」

 蚊の鳴くような声は背後からのダミ声にかき消された。驚いて後ろを振り仰げば、さきほどの大男が立っている。



「なんだ。金がない奴に出す酒はねえって言ったろ」

 酒瓶の並んだ棚のあるカウンターの中から男がこちらに向かって、「しっしっ」と手で払う仕草をしてきた。



「こいつが代わりに払うからさ。仕事口探してるらしいから、誰か買ってやってくれよ」

 ぎゅっと肩を掴まれて、アルエットは身をすくめた。



「な、何を言って……」



「見てくれも悪くないし、高く買ってくれよな」

 酒臭い息を吹きかけられ、アルエットは男から顔を背ける。



「へえ、じゃあ俺が出してやろうか」

 客の一人が下卑た笑いを浮かべると、周囲にいた男たちがゲラゲラと笑い声をあげる。



「ち、ちが……」

 ミレイユを探しにきただけなのに。彼女の姿はここにはないようだ。おそらく大男に騙されたのだろう。

 本当の身分を明かすか――だがそれを証明するものはない。逃げ出そうにも背後は塞がれているし、他に扉はなさそうだ。



 さきほど発言した男が席を立ち、アルエットは瞳を潤ませた。



「待て」

 カウンターの奥の席から響いた声に、その場が静まる。



「その女、俺が買わせてもらう」

 おもむろにズボンのポケットから出した布袋が、重い音を立ててカウンターの上に置かれた。



「こんなに……い、いいんですか?」

 中身を確認した店員の男が呆気にとられた様子で尋ねる。



「かまわない。空いている部屋はどこだ?」



「あ……一番奥の、右側の部屋が」



「夕刻まで使わせてもらう。安い酒なら酔って寝られるかと思ったが、まったく効き目がない。女でも抱いてひと眠りする」

 黒髪の男はそう言って、隣の椅子に掛けてあった上着を無造作に掴むと席を立った。



「よかったな、お嬢ちゃん」

 大男がにやにやと笑いながら肩から手を離す。



 アルエットは青ざめたまま、唇を噛んで彼を睨んだ。



「そんな怖い顔するなって。そっちも金に困ってるんだろ」

 どうやらエグマリンから逃げてきて生活に困っている人間だと本気で思っているらしい。



「来い」

 ハッと気づいた時には、目の前にやってきた男に手首を掴まれ、抵抗むなしく二階へ連れていかれる。そこはいくつか部屋があり宿屋も兼ねているらしいことがわかる、おそらく旅人が宿泊する以外の目的も含めて。



「私、人を探しに来ただけなの……」

 部屋の中は一階よりもいくぶんましな空気だったが、黴臭く、湿っぽかった。

 

 背後で鍵をかける無情な音が響く。



「まっとうな人間ならこんな所に寄りつかないものだ。もっとましな嘘をつくんだな」

 男は手にしていた濃紺の上着をばさりとサイドテーブルに投げると、アルエットの腕を引いてベッドにそのまま押し倒した。



「嘘じゃないわ。早く探しに行かないと、何かあってからじゃ遅いの」



「自分の心配はしないんだな」

 青灰色の薄い色素の瞳はアルエットの心を覗き込むように近づいてきた。



 慌てて彼を押しのけようと両手でその体を突っぱねる。シャツ一枚を隔てた胸筋は鍛えているのか硬く引き締まっていてびくともしない。



「いや……っ」



「俺が眠れるまで付き合ってくれれば、後は好きにしていい。金が欲しいならいくらでもくれてやる」

 ワンピースの胸元のボタンをはずされ、アルエットは足をばたばたさせるがまったくひるむ様子がなかった。



「お願い、やめて! 私、好きな人がいるの……っ」



「それで?」

 男は眉ひとつ動かさずボタンを外していく。コルセットをはずされたらもう素肌を隠すものはなくなってしまう。



 フェザンではない異性に体を暴かれるのは絶望以外の何ものでもない。



「むしろ俺に抱かれることを光栄に思うんだな」

 人差し指でおとがいを掬われ、アルエットはかぶりを振ってそれを払った。かぶっていた頭巾がはずれて薄桃色の髪が露わになる。



「あ、あなたはただ眠りたいだけなんでしょう? だったらこんなことをしなくても私があなたを眠らせてあげる!」

 昼間から眠りたいというのは普通の考えではないが、どうやら男はそこにこだわっているようにアルエットには感じられたので、思い切ってそう言うと彼の手が止まった。



「俺を眠らせる? どうやって?」



「その……子守唄、とか」

 おずおずと返答すると、一拍おいて男が笑いだした。



「子守唄? 俺が何歳に見える? 気は確かか?」

 矢継ぎ早に質問が飛んできてアルエットはあわあわと唇を動かす。



「も、もし、何をしても眠れなかったら、その時は……」



「その時は――おとなしく俺に従え」

 馬乗りになっていた男がアルエットの隣に体をずらして横になったので、アルエットは急いで起き上がる。



「お前を枕にする」

 あわよくば逃げ出そうと思っていたのに、心を読んだかのようにすぐにアルエットの膝の上に頭を乗せてきた。横を向いているので表情はよくわからない。



 それでも少しは状況が変わったと期待したかった。これで本当に彼が眠ってくれれば、ここから逃げられる。



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