16 / 42
第五章
1.宣戦布告
しおりを挟む
ミスダールから戻り、改めて父の口から婚約の件を伝えられた。心に刺さるような痛みを感じながらアルエットは黙って頷くしかなかった。
デルフィーヌが嫁いで不在になった分、つらく当たられる機会が減ったのはありがたい。ただ、そのほかは以前と変わらぬ暮らしで、あいかわらず王妃の命令で孤独な日々を送っていた。
「婚約が決まったのがそんなに嬉しいの? それともグラウンケ侯爵閣下に気に入られるためにめかし込んだつもりかしら?」
王妃はアルエットを見て鼻で笑ったが、そんなつもりは一切なかったので戸惑う。ミスダールにいて髪の毛を下ろすのことが当たり前のようになっていたので、おそらくそれを指摘されたのだろう。他には特に何も意識して綺麗に見せようとしていないのだが、下手に小細工をしてもすぐに見抜かれるだけだからやめておきなさいとまで言われてしまった。
むしろ気に入られなくて、嫌われた方が気持ちは楽だ。
結婚式の日取りが決められ、アルエットとグラウンケ侯爵の婚約が公に明かされた。書類にサインをしてサリアン王家とグラウンケ侯爵家の結びつきが強くなったことで、国庫の一部を軍事力増強に充てることになった。
地方領主たちからは「天候不良で農作物が不作続きなのに納税だけは変わらない。苦しんでいる領民が多いのに、そこに予算を割かないとはどういうことだ」と不満が上がったが、王家に睨まれればさらに窮地に立たされるため、主張はすぐに立ち消えてしまうというのが実情だった。
婚約披露の晩餐会でグラウンケ侯爵を目の当たりにしたアルエットは、その冷淡な瞳に震えた。壮年の将軍は暗い色の礼装でも隠し切れないほどの筋肉質な体でアルエットの腰に手を回すと、音楽の始まった大広間でダンスのリードを取る。
「軍事力を高めるために王家とのつながりが欲しいだけだったが、愉しみが増えたな」
無理やり体を押しつけながら侯爵は、ねっとりとした視線で彼女の全身を舐め回すように観察する。
「地味で陰気な小娘だと聞いていたのだが、噂は当てにならんな。艶のある女の匂いがする。私好みに躾けてやるから、それまでおとなしくしていることだ」
威圧的な口調で凄まれ、アルエットは唇をきゅっと噛んだ。
本来ならば王女に向けていい言葉ではない。婚約者でなければ不敬罪で訴えてもいいところだが、きっとアルエットが何を言っても無駄だろう。
(声を上げても……届かない)
ミスダールでは聞いてくれる人がいた。寄り添ってくれる人がいた。力を貸してくれる人がいた。
だが、ここではやはり孤独なのだ。味方は一人もいない。
それから刻一刻と挙式の日が近づいてくる。心はセヴランのものだと決めているが、結婚して夫婦生活があまりにも耐えられないほどひどいものだったら、その心さえ砕けてしまわないだろうか。
憂鬱な毎日を送っていると、にわかに城内がざわつくようになった。「領土」、「帝国」、「戦争」といった不穏な言葉が使用人の間からも漏れ聞こえる。
(帝国って、クライノート帝国のこと?)
不安に思っていると、アルエットは父に呼び出された。
「クライノート帝国が我が国に宣戦布告してきた。領土の一部を渡すと言ったが一国丸ごと属国へ降れと言う。この国は私の物だ、誰かに所有されるなど虫唾が走る。グラウンケ侯爵には戦に赴いてもらう故、お前との挙式は延期することになった」
「そうですか……。ですが、帝国軍とまともに戦って勝ち目はあるのでしょうか?」
ぽつりと漏らすと、父が苛立ったように玉座のひじ掛けを拳でたたきつけた。アルエットはびくっと肩をすくめる。
「お前に何がわかる! 軍力は数ではない、戦略さえあれば少数精鋭で勝てるものだ。お前は黙ってみていろ!」
「も、申し訳ありませんでした……」
何度も頭を下げてアルエットは玉座の間を退室した。
それから間もなく国境付近で戦争が始まった。サリアン国王は絶対に帝国軍を追い払っていやると息巻いていたが、戦況は思わしくなく、拠点の陥落、多数の兵士の訃報が毎日のように届いた。
「まさかここまで攻めてくることなんてないわよね」
そんなメイドたちの会話を不安に思いながら聞いていたが、数週間後、それは残酷な現実となって訪れる。
デルフィーヌが嫁いだという公爵領も攻め落とされ、城は火の海に沈んだとの報告を受けた王妃は泣き崩れた。
――ああ、ミスダールにいた頃に戻りたい。
この世からいなくなってしまいたいと冬には思っていた。だが、セヴランとの約束を果たすまではここに留まっていたい。
降伏を進言した家臣もいたようだが、すでに意固地になっていた国王はそれをまったく聞き入れる様子はなかった。すでに帝国は王都のすぐ近くまで進軍してきているというのに。
デルフィーヌが嫁いで不在になった分、つらく当たられる機会が減ったのはありがたい。ただ、そのほかは以前と変わらぬ暮らしで、あいかわらず王妃の命令で孤独な日々を送っていた。
「婚約が決まったのがそんなに嬉しいの? それともグラウンケ侯爵閣下に気に入られるためにめかし込んだつもりかしら?」
王妃はアルエットを見て鼻で笑ったが、そんなつもりは一切なかったので戸惑う。ミスダールにいて髪の毛を下ろすのことが当たり前のようになっていたので、おそらくそれを指摘されたのだろう。他には特に何も意識して綺麗に見せようとしていないのだが、下手に小細工をしてもすぐに見抜かれるだけだからやめておきなさいとまで言われてしまった。
むしろ気に入られなくて、嫌われた方が気持ちは楽だ。
結婚式の日取りが決められ、アルエットとグラウンケ侯爵の婚約が公に明かされた。書類にサインをしてサリアン王家とグラウンケ侯爵家の結びつきが強くなったことで、国庫の一部を軍事力増強に充てることになった。
地方領主たちからは「天候不良で農作物が不作続きなのに納税だけは変わらない。苦しんでいる領民が多いのに、そこに予算を割かないとはどういうことだ」と不満が上がったが、王家に睨まれればさらに窮地に立たされるため、主張はすぐに立ち消えてしまうというのが実情だった。
婚約披露の晩餐会でグラウンケ侯爵を目の当たりにしたアルエットは、その冷淡な瞳に震えた。壮年の将軍は暗い色の礼装でも隠し切れないほどの筋肉質な体でアルエットの腰に手を回すと、音楽の始まった大広間でダンスのリードを取る。
「軍事力を高めるために王家とのつながりが欲しいだけだったが、愉しみが増えたな」
無理やり体を押しつけながら侯爵は、ねっとりとした視線で彼女の全身を舐め回すように観察する。
「地味で陰気な小娘だと聞いていたのだが、噂は当てにならんな。艶のある女の匂いがする。私好みに躾けてやるから、それまでおとなしくしていることだ」
威圧的な口調で凄まれ、アルエットは唇をきゅっと噛んだ。
本来ならば王女に向けていい言葉ではない。婚約者でなければ不敬罪で訴えてもいいところだが、きっとアルエットが何を言っても無駄だろう。
(声を上げても……届かない)
ミスダールでは聞いてくれる人がいた。寄り添ってくれる人がいた。力を貸してくれる人がいた。
だが、ここではやはり孤独なのだ。味方は一人もいない。
それから刻一刻と挙式の日が近づいてくる。心はセヴランのものだと決めているが、結婚して夫婦生活があまりにも耐えられないほどひどいものだったら、その心さえ砕けてしまわないだろうか。
憂鬱な毎日を送っていると、にわかに城内がざわつくようになった。「領土」、「帝国」、「戦争」といった不穏な言葉が使用人の間からも漏れ聞こえる。
(帝国って、クライノート帝国のこと?)
不安に思っていると、アルエットは父に呼び出された。
「クライノート帝国が我が国に宣戦布告してきた。領土の一部を渡すと言ったが一国丸ごと属国へ降れと言う。この国は私の物だ、誰かに所有されるなど虫唾が走る。グラウンケ侯爵には戦に赴いてもらう故、お前との挙式は延期することになった」
「そうですか……。ですが、帝国軍とまともに戦って勝ち目はあるのでしょうか?」
ぽつりと漏らすと、父が苛立ったように玉座のひじ掛けを拳でたたきつけた。アルエットはびくっと肩をすくめる。
「お前に何がわかる! 軍力は数ではない、戦略さえあれば少数精鋭で勝てるものだ。お前は黙ってみていろ!」
「も、申し訳ありませんでした……」
何度も頭を下げてアルエットは玉座の間を退室した。
それから間もなく国境付近で戦争が始まった。サリアン国王は絶対に帝国軍を追い払っていやると息巻いていたが、戦況は思わしくなく、拠点の陥落、多数の兵士の訃報が毎日のように届いた。
「まさかここまで攻めてくることなんてないわよね」
そんなメイドたちの会話を不安に思いながら聞いていたが、数週間後、それは残酷な現実となって訪れる。
デルフィーヌが嫁いだという公爵領も攻め落とされ、城は火の海に沈んだとの報告を受けた王妃は泣き崩れた。
――ああ、ミスダールにいた頃に戻りたい。
この世からいなくなってしまいたいと冬には思っていた。だが、セヴランとの約束を果たすまではここに留まっていたい。
降伏を進言した家臣もいたようだが、すでに意固地になっていた国王はそれをまったく聞き入れる様子はなかった。すでに帝国は王都のすぐ近くまで進軍してきているというのに。
0
お気に入りに追加
474
あなたにおすすめの小説
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
悪役令嬢の追放エンド………修道院が無いじゃない!(はっ!?ここを楽園にしましょう♪
naturalsoft
ファンタジー
シオン・アクエリアス公爵令嬢は転生者であった。そして、同じく転生者であるヒロインに負けて、北方にある辺境の国内で1番厳しいと呼ばれる修道院へ送られる事となった。
「きぃーーーー!!!!!私は負けておりませんわ!イベントの強制力に負けたのですわ!覚えてらっしゃいーーーー!!!!!」
そして、目的地まで運ばれて着いてみると………
「はて?修道院がありませんわ?」
why!?
えっ、領主が修道院や孤児院が無いのにあると言って、不正に補助金を着服しているって?
どこの現代社会でもある不正をしてんのよーーーーー!!!!!!
※ジャンルをファンタジーに変更しました。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる