薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

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第三章

1.好きなもの

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セヴランに会ったらどんな顔をすればいいのだろう。ずっとそのことを考えていたら答えが出ないまま外が明るくなっていた。早朝に少しだけうとうとしたが、短い夢をいくつも見て目が覚めてしまった。



 都合よく解釈すれば、アルエットのことを好きだということになる。もしセヴランが婚約者でもう結婚も控えている、それくらいの関係ならばキスをすることなど何の違和感もないのだが。



「まだ会ったばかりなのに……お互いのことを何も知らないのに……」



 ――キス。



 その前に色々と済ませておかなければいけないことがあるのではないだろうか。せめてアルエットをどう思っているのか教えてくれなければ、このもやもやとした心は晴れない。



「でも、もし好きだと言われても……私たちだけで将来を決めるなんてできない」



 そう言ってしまってから、顔が熱くなった。

 それは、はっきりとセヴランを好きだと認めているようなものだったからだ。それに将来などと思考が飛躍し過ぎて失笑ものだ。



「セヴランのことが好き……」



 誰か想いを寄せるのは生まれて初めてのことだ。



 これまでアルエットは腫れもの扱いされてきた。舞踏会では義理で踊ってくれる親族はいたが、みな彼女の顔を見ようともしなかった。優しい言葉をかけてくれる者もいたが、それがすべて社交辞令だと気づいてからアルエットの瞳が輝くことは一度もなかった。

 セヴランに会うまでは――



 だがミスダールにいられるのはあと一か月くらいだろう。暦を見れば今月には姉の挙式が行なわれるはずだ。そうすればまた王城に戻される予定になっている。



 迎えなんて来なければいい。このまま穏やかな毎日が続けばいいのに。



 アルエットは唇を噛んだ。



 セヴランの方もいつまでもここで療養というわけにはいかないだろう。いつか彼も自分の国へ帰ってしまう。仮に好意を持ってくれたとしても、それはここにいる間だけの話ではないのだろうか。世の中には軽い遊びのような感覚で際どい関係をもつ男女がいると聞いたことがある。



(そうよね。私みたいにつまらない人間を好きになってくれるはず……ない)



 もし、本当に好きでいてくれても、結婚の権限を持つ父が二人のことを認めてくれるわけがない。せめてセヴランがどこの国のどういう立場の人間なのかわかれば、あるいは可能性がないわけではないのだが。



 いろいろなことを考えすぎて長いため息をついた。すべてが自分の憶測で、ここで考えてもどれも答えが出ないものばかりだ、自身の気持ち以外は。



「詮索はしない約束だけど……」



 どうにかしてセヴランのことを知る方法はないだろうか。



「そうだわ」



 クローゼットの中から薄桃色のデイドレスを取り出し、着替えながら一つだけひらめいた。





                   ※





「俺の好きな食べ物?」



 図書館のそばの公園で待ち合せたアルエットは、そう聞き返したセヴランにうなずいてみせた。



「そう。お互いのことは詮索しない決まり事。だけど、それくらいの質問なら国益には関係ないわよね?」



「それは……そうだが」



 怪訝そうな顔をされたので別の手を考えなければならないかと思ったが、予想に反してセヴランは次の瞬間ふっと笑みを零した。



「ではリエルの好きなものも話してくれるわけだ?」



「ええ。それぞれ好きなものを答えるの。あ、無理ならパスしてもいいわ」



 もしかしたらその回答の中にセヴランの本当の姿を知るヒントがあるかもしれない。アルエットはそう考えたのだ。



「わかった。では今日は図書館はやめて湖に行こう。ボートがあるんだ」



「湖?」



「そう。あそこなら誰にも聞かれたくない内緒話もできる」



 そうセヴランが言った通り、広い湖には誰の姿も見えなかった。おまけにボートに乗ってしまえば、そこは誰の手も及ばない。



「こわいか?」



 揺れるボートのへりにしっかりと掴まっているのを指摘されて、アルエットは顔を赤らめた。

 湖面には青い空と白い雲が鏡のように映っていて、眩暈がしそうだ。



「初めて乗ったの。セヴランと一緒だから、こわくないわ」



「無理しなくていい。じゃあ気がまぎれるように早速質問に答えようか。俺の好きな食べ物はサンドイッチだ」



 意外な答えだった。上流貴族なら質のいい肉料理か、あるいはその土地ならではの特別な料理が出てくるかと想像していたからだ。



「パンも穀物によって味も食感も違うし、間に挟む食材もさまざまだ。時間がない時もしっかりと食べることができるし優秀な料理だ」



「な、なるほど……」



「リエルの好きな食べ物は?」



「私は……ベリーのタルト。誕生日に母が作ってくれた、とびきり甘くておいしいの」



 王族が厨房に立つなどプライドがないのかと第一王妃からは嫌味を言われていたらしいが、それでも娘の誕生日には母親が作ったケーキを贈るというのが母の家に代々伝わる習わしだったようで、そこは譲らなかったという。



「母親の手料理か。それはおいしいだろうな」



 ボートを漕ぎながらセヴランが微笑んだ。

 約束通りそれ以上は聞いてこないところに優しさを感じる一方で、アルエットは彼の内面を探ろうとしていることに罪悪感が生まれる。



「じゃ、じゃあ、好きな季節は?」



「秋。一番天気が安定している」



「私も秋が好き。庭にリスが遊びに来るの。その子たちの為に木の実を集めるのが楽しい」



 好きな場所、風景、時間、色、動物……さまざまな質問をし合ったが、セヴランの住んでいる国や立場を特定できる回答は一切なかった。そういう約束で質問をしたのだから当然と言えば当然なのだが、当てが外れてしまって肩を落とす。



「リエル、本当は俺に聞きたいことがあるんじゃないのか?」



 次にどんな質問をしようかと考えていると、静かな声がまっすぐに届いて、アルエットはぎゅっと胸を鷲掴みにされた気分だった。



「そ、それは……」



 言葉に詰まり、黙り込んでいると冷たい風が吹きつけてきて、アルエットは軽く身震いする。見上げればさきほどまでの青空は遠くへ行ってしまって、暗い雲が強い風に乗って進んできていた。



「雨が降りそうだな」



 そうセヴランが呟いた途端、アルエットの鼻先にぽつんと冷たいものが当たった。



「まあ、本当だわ。も、もう戻らないとね」



 これで質問の意図をはぐらかすことができる。これ以上質問を重ねてもセヴランがうっかり身上を明かすような軽い人間でないことだけはわかった。何もわからないのは少し残念ではあったが仕方ない。



「戻るより、向こう岸に行った方が近いな」



「えっ」



 アルエットは振り返って反対側の岸を見た。小さな桟橋があり、どうやら彼はそこを目指すようだった。



 セヴランが力強くボートを漕いでいる間にも雨粒はどんどん大きくなり、数も増えて、向こう岸に着く頃にはすっかり頭から濡れてしまっていた。



「こちらにロッジがある」



 セヴランに手を引かれて急ぎ足で林の中に向かうと、綺麗に整備された開けた土地と丸太で出来た山小屋が建っているのが見えた。雨をしのげる場所を見つけてアルエットはホッとした。



「セヴラン。大丈夫?」



 ロッジの中は暖かいとはいえなかったが、雨風から守られているだけで随分と違う。髪の毛先から雫が垂れてそれを指で梳いてからアルエットはそう尋ねた。



「何が?」



「急に寒くなったし、雨で濡れてしまったから、痛むんじゃないかと思って」



 濡れ光る黒髪の隙間から覗く眼帯を見つめてアルエットは顔を曇らせた。セヴランのことを知りたいがために質問を繰り返してしまったが、体が冷えるとひどい頭痛がするというのを思い出したのだ。質問などせずに図書館にでも行っていればこんなことにならなかったはずだ。

 申しわけなさで胸がいっぱいになる。



「何か拭くものを……あ、タオルがあるわ」



 急いで部屋の中を見回すと、火の気のない暖炉とこじんまりとしたテーブルにソファ、そして簡素なベッドがあり、そのベッドの上に畳まれたタオルが何枚か置いてあった。



 アルエットはそれを手にするとセヴランの濡れた髪を拭こうと腕を上げた。



「リエルだってこんなに冷たいのに」



 そう言ってセヴランはアルエットを抱き締めた。

 冷え切った耳朶に温かなセヴランの吐息がかかり、落ちる低音の声が鼓膜を震わせて、アルエットの鼓動が大きく跳ねた。互いの服も指先も濡れているのに、密着している部分から熱くなっていくような錯覚に陥る。



 アルエットの心臓の動きに合わせるかのように、雨脚が強くなってきた。





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