薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

文字の大きさ
上 下
5 / 42
第一章

4.隻眼の青年

しおりを挟む


「もう、どうして……」



 今まで耐えてきたことすべてを放棄したくなって、アルエットは泣き出した。



 泣いて、泣いて、泣き止んでも、すぐにまた涙が溢れてくる。体の中のすべての水分が涙に変わってしまったのではないかと思うほど涙が止まらない。



「……何を泣いている?」



 ふいに植え込みの陰から緋色の外套を着た一人の青年が現れて、アルエットはびくっと肩を震わせて顔を上げた。

 

 見たことのない青年だ。あまり人の顔を見ないアルエットでも毎回夜会には参加させられているから、そこに招待されたことのある貴族なら覚えている。



 ミスダールに入れるのは限られた身分の者だけなので、覚えがないということはエグマリンではない別の国の人間なのだろう。



 身なりもきちんと整えられていて、漆黒の髪は月影を落としたような静謐な輝きがあった。だが、一番に目を引いたのは長い前髪に垣間見えた黒革の眼帯だった。



 左目は神秘的な瑠璃色をしているのに、すっぽりと右目を隠している眼帯には無言の威圧感があり、アルエットの体がすくむ。



「なんだ、子どもかと思ったら……」



 青年の眉が微かに持ち上がる。どうやら呆れているらしかった。



「あ……っ」



 アルエットは咄嗟に俯いて髪の毛をぎゅっと一つの束にして掴む。



「髪がどうかしたのか?」



「……わ、私の髪は見る人を不快にするので……」



 サリアン王家には輝かしい金髪の人間しかいないというのに、アルエットの髪はくすんで汚い色をしている、人前では色が目立たないようにきっちり結ぶようにとデルフィーヌに言われていたのを思い出したのだ。



 目の前の青年が何者であろうと、初対面の相手に悪い印象を持たれたくなかった。



「だから泣いていたのか?」



 青年はかまわずに近づいてくる。どうやらアルエットのことを知らないようだ。やはり他国の人間か、王城には上がらないような貴族のどちらかだろう。



「いえ。その……リボンをなくしてしまって……」



 そう言うと、青年は「あれか?」とアルエットの頭上を指さした。



「え?」



 そろそろと顔を上げ、彼の綺麗な長い指の指し示す方へ目を向けると、木の枝の高い所に探していたものが引っかかっていた。



「あ! あんなところに!」



 見つかったのはいいが、到底手が届く高さにない。青年が手を伸ばしても無理だろうとアルエットが再び目の端に涙を滲ませた時、彼が木に登り始めた。



「え? え……っ?」



 落ちたら危ない――



 思わず口元に手を当てアルエットがハラハラしている間にも、青年は高い所まであっという間に登っていった。

 破れないよう器用に枝からリボンを外した彼は、それを手にして一気に芝生へ飛び降りる。緋色の外套がふわりと翼のように翻って、アルエットはぽかんと青年の姿に魅入ってしまった。



「よほど大切なものなのだな」



 青年がリボンを差し出してきたので、ハッと我に返って手を伸ばす。



「泣きやんでよかった」



 なんでもなさそうに言って吸い込まれそうな澄んだ瞳を細め、青年が口の端をわずかに上げたのでアルエットは思わず顔を赤らめた。



(子どもと間違われるくらい大声で泣いたりして、私ったらみっともないわ)



「ありがとうございます」



 リボンをぎゅっと胸に抱き込んでアルエットは頭を下げた。



「これは母の形見で……。私がこの世にいてもいいんだってお守りです。これがなくなったら本当に私は独りぼっちになるところでした。あの、泣いていたことは誰にも言わないでくださいますか?」



 王女が一人で泣いていたなど、それこそ大衆紙が面白がって記事にしそうなことだ。



「ミスダールでは互いの秘密を詮索しない。国益に関わることもあるからな」



 ここでの暗黙のルールのようなものだ。アルエットも知っているのでハッとして神妙に頷いた。



「すみません。本当にありがとうございました」



 にこりと笑いかけると、青年はじっとアルエットを見つめてきた。



「な、なにか?」



「俺が怖くないのか?」



 その低い声は凄まれれば恐ろしいものなのかもしれない。だが心にしっとりと響く青年の声はアルエットを落ち着かせてくれた。



「最初は、その……ごめんなさい。怖い人かと。でも困っているところを助けてくれて、初めて会った私の心配をしてくれた人は、いい人です」



 眉根を下げて微笑むと、青年は何かを言いかけた口をつぐんでしまった。



「それでは。失礼します」



 ぺこりと頭を下げてアルエットは逃げるようにその場を離れた。



 本当はもう少し青年と話がしてみたかった。だが今まで同じ年頃の異性と二人きりで話をしたこともなく、気の利いた話題を提供できるとは到底思えない。



 つまらない人間だと思われるのが怖かった。青年があまりにも凛としていてアルエットは彼の隣に立つ自信がなかった。



(それに、きっとリボン一つで大泣きする変な女だと思われたかも……)



 紳士的に振る舞ってくれたのも、貴族としては当たり前の対応だったと言える。心の中では早く立ち去りたいと思っていたかもしれない。



(やっぱり私は一人でいるべきなのかも……)



 屋敷に帰ってきたアルエットは、もう足がくたくたになってしまってベッドに倒れ込んですぐに眠ってしまった。

 





 目が覚めた時にはもう日が昇っていて、アルエットは驚いた。夢を見ることもなくぐっすり眠れたのはここへきて初めてかもしれない。



「体を動かさないとだめね」



 久しぶりに体を動かしたせいで、足や腕が痛い。



「今日はゆっくり本でも読んで……」



 そう言ってデイドレスに着替えようとして、ふと目線が机の上に向く。そこには空色のリボンしか置かれていない。おまけに服も昨日のドレスのままで、軽く混乱する。



「ああ。私ったら、芝生に座り込んだ時に本をそこに置いてきてしまったんだわ」



 しかも帰宅してから一度も目が覚めなかったとは、信じられない。



 昨夜の天気はどうだっただろうか。外に置いたままで、もし本を汚してしまったらとんでもないことだ。



 アルエットは一人で身支度を整えると、用意されていたサンドイッチを今までにない勢いで口にし、あわてて別荘を飛び出した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る

新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます! ※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!! 契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。 ※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。 ※R要素の話には「※」マークを付けています。 ※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。 ※他サイト様でも公開しています

悪役令嬢の追放エンド………修道院が無いじゃない!(はっ!?ここを楽園にしましょう♪

naturalsoft
ファンタジー
シオン・アクエリアス公爵令嬢は転生者であった。そして、同じく転生者であるヒロインに負けて、北方にある辺境の国内で1番厳しいと呼ばれる修道院へ送られる事となった。 「きぃーーーー!!!!!私は負けておりませんわ!イベントの強制力に負けたのですわ!覚えてらっしゃいーーーー!!!!!」 そして、目的地まで運ばれて着いてみると……… 「はて?修道院がありませんわ?」 why!? えっ、領主が修道院や孤児院が無いのにあると言って、不正に補助金を着服しているって? どこの現代社会でもある不正をしてんのよーーーーー!!!!!! ※ジャンルをファンタジーに変更しました。

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

処理中です...