8 / 10
誕生日プレゼント
しおりを挟む
この夏休みに、特にこれといった予定があるわけではなかった。高校の課題をこなし、栞の家の図書室で本を読み、カメラを発見してからは、それを片手に気が向くままに散歩することも多かった。もちろん、昼間は暑いので(私は寒いより暑いほうが嫌いだ)、まだましといえる麻や夕方などの時間帯に外に出た。朝日が昇るか昇らないかという協会の時間帯の空気は、思いのほか、好きだということを発見した。ただ、夕方のほうが個人的にはもっと好ましかったが。蒸し暑いとはいえ、日が沈んでいく様は、とても心を惹かれた。昔から私は、夕日に照らされてつくられた光と影、その混じり合いそうで混じり合わない様子が好きなのだった。
そのうちに、フィルムカメラか一眼レフでも撮影してみたいという欲が出てきた。どのくらいの値段なのだろうと思って、試しに駅近くの電気屋で見てみると、購入するにはそこそこの勇気と覚悟が必要な値段だったので、ひとまずやめたが。
そんな風に、思いのほか穏やかだが充実した夏休みを送っているうちに、私の誕生日がやってきた。
その日は、栞の家に行く予定だった。彼女のプレゼントはなんだろう、と考えながら、簡単に出かける支度をした。
お昼の少し前、部屋を出ると、玄関でバタンという音がした。父も母も今日は仕事だ、ということは、朝早くなぜか慌てて出ていった姉が帰ってきたのだろうか。
そう考えていると、すぐにばたばたと階段を上ってくる音がした。「水穂?」
「なに?」
姉が会談の最後の一段のところで立ち止まって、私たちは向き合った。私も背が高いほうではあるが、一段の差があって、やっと、姉と私は同じ目線になる。
「よかった、まだ出かけてなくて。今日出かけるって言ってたから、もう行っちゃったかと思った」
姉は家までも走ってきたのか、頬を上気させている。
「今から出かけるところだけど」
「ああ、そうなのね。ちょっとだけ大丈夫?
別に栞とは、何時と約束していたわけではなかったので、そう告げると、姉はほっとしたような顔をして、後ろ手で持っていたものを差し出して、笑顔で言った。
「お誕生日おめでとう、水穂」
目の前に差し出されたのは、青いリボンがかけられた白い箱だった。
「あ、ありがとう」
受け取って、この場で開けるかどうかちょっと迷った。が、どうせ開けなくても気になってしまうことや、姉からのプレゼントに感情を乱されることだろうことはわかりきっていたので、早く終わらせたほうが良いと思い、姉の目も気にはなったが、この場で箱を挙げることにした。
青いリボンをほどき、箱のふたを開けた。その瞬間、私は姉の前にもかかわらず、凍り付きそうになった。
「これ…」
それは一眼レフカメラだった。私が気になって、電気屋で見た製品だった。
「最近、水穂、また写真を撮り始めたでしょう」
姉の声がするが、私は顔を挙げられない。平静を装うふりで精いっぱいだ。私の目はというと、一眼レフに釘付けになっている。
「この前、偶然、駅前で水穂を見かけて、声をかけようと思ったんだけど、水穂がその一眼レフをじっと見つめてるのに気づいて。私、水穂の撮る写真が好きだったから、私としても、手法を変えて撮った水穂の写真を見てみたいなって」
何を言っているの?
言おうと思ったことは、しかし、何にも言えなかった。
私が撮った写真を、今でも見せてもらえると思っているのだろうか。
また同じだ、と思った。また私の聖域が侵されていく。
姉にその意識はないに違いない。だからこそ厄介なのだった。そんな姉を疎ましく思い、と同時に、彼女を心の底ではまだ敬愛しているから、私は少しも動けない。人形のように。
だが――
「いらない」
姉がくれたカメラは、二つもいらない。与えられるだけ、奪われるだけの私は、もう嫌だ。
え、という姉の言葉が聞こえた気がした。しかし、私は構わず、言葉の勢いに任せて、一眼レフの入った箱を突き返した。
「私の撮った写真が好きだなんて、もう二度と言わないで」
姉の手が、箱を持つ私の手に触れた。その手は厚いくらいだった。走ってきたせいだろう。だが一方で、私の興奮は高まり、代わりに指先は冷たくなっていく。
「水穂」
顔を挙げられない。が、触れた指先から彼女の感情が流れ込んでくる気がして、ぞっとした。熱が伝わるように、私が姉に浸食され、私が私でなくなっていくみたいな気がして。
いつだってそうだった。私は姉の影だった。外に出れば、光に浸食されて無個性になる。それもこれもみんな、姉が私を抱き込んでいて、ぐいぐいと笑顔で締め上げるからだ。
その両手から私は愛情も物理的なものも与えられてきたけれど、一方で、私からすべてを奪っていくのもその両手だった。
私だって、真幌という人間から、何かを奪ったって、いいじゃないか?
「それでも…カメラは、受け取ってくれないかな」
姉の手が箱を私のほうへ押し返してきて、急に私は恐怖にかられた。
私はもう、姉に浸食されたくないんだ。逆に私が姉を――
私もまた、その箱を思い切り姉のほうへ押し返した。私が佐原真幌という人間だったらよかったのに、と頭の隅で考えながら。そして、私はただ、とにかく、今すぐ栞のもとへ行きたいと思った。
あ、という声を聴くとともに、急に、自分の両手の先に何も感じなくなったことに気づいた。ものすごく嫌な音がした。
顔を挙げて目を開くと、そこには誰もいなかった。
「え……」
そして、階段下には、無防備に倒れた姉の姿と、そのそばには中身が飛び出た白い箱が落ちていた。
そのうちに、フィルムカメラか一眼レフでも撮影してみたいという欲が出てきた。どのくらいの値段なのだろうと思って、試しに駅近くの電気屋で見てみると、購入するにはそこそこの勇気と覚悟が必要な値段だったので、ひとまずやめたが。
そんな風に、思いのほか穏やかだが充実した夏休みを送っているうちに、私の誕生日がやってきた。
その日は、栞の家に行く予定だった。彼女のプレゼントはなんだろう、と考えながら、簡単に出かける支度をした。
お昼の少し前、部屋を出ると、玄関でバタンという音がした。父も母も今日は仕事だ、ということは、朝早くなぜか慌てて出ていった姉が帰ってきたのだろうか。
そう考えていると、すぐにばたばたと階段を上ってくる音がした。「水穂?」
「なに?」
姉が会談の最後の一段のところで立ち止まって、私たちは向き合った。私も背が高いほうではあるが、一段の差があって、やっと、姉と私は同じ目線になる。
「よかった、まだ出かけてなくて。今日出かけるって言ってたから、もう行っちゃったかと思った」
姉は家までも走ってきたのか、頬を上気させている。
「今から出かけるところだけど」
「ああ、そうなのね。ちょっとだけ大丈夫?
別に栞とは、何時と約束していたわけではなかったので、そう告げると、姉はほっとしたような顔をして、後ろ手で持っていたものを差し出して、笑顔で言った。
「お誕生日おめでとう、水穂」
目の前に差し出されたのは、青いリボンがかけられた白い箱だった。
「あ、ありがとう」
受け取って、この場で開けるかどうかちょっと迷った。が、どうせ開けなくても気になってしまうことや、姉からのプレゼントに感情を乱されることだろうことはわかりきっていたので、早く終わらせたほうが良いと思い、姉の目も気にはなったが、この場で箱を挙げることにした。
青いリボンをほどき、箱のふたを開けた。その瞬間、私は姉の前にもかかわらず、凍り付きそうになった。
「これ…」
それは一眼レフカメラだった。私が気になって、電気屋で見た製品だった。
「最近、水穂、また写真を撮り始めたでしょう」
姉の声がするが、私は顔を挙げられない。平静を装うふりで精いっぱいだ。私の目はというと、一眼レフに釘付けになっている。
「この前、偶然、駅前で水穂を見かけて、声をかけようと思ったんだけど、水穂がその一眼レフをじっと見つめてるのに気づいて。私、水穂の撮る写真が好きだったから、私としても、手法を変えて撮った水穂の写真を見てみたいなって」
何を言っているの?
言おうと思ったことは、しかし、何にも言えなかった。
私が撮った写真を、今でも見せてもらえると思っているのだろうか。
また同じだ、と思った。また私の聖域が侵されていく。
姉にその意識はないに違いない。だからこそ厄介なのだった。そんな姉を疎ましく思い、と同時に、彼女を心の底ではまだ敬愛しているから、私は少しも動けない。人形のように。
だが――
「いらない」
姉がくれたカメラは、二つもいらない。与えられるだけ、奪われるだけの私は、もう嫌だ。
え、という姉の言葉が聞こえた気がした。しかし、私は構わず、言葉の勢いに任せて、一眼レフの入った箱を突き返した。
「私の撮った写真が好きだなんて、もう二度と言わないで」
姉の手が、箱を持つ私の手に触れた。その手は厚いくらいだった。走ってきたせいだろう。だが一方で、私の興奮は高まり、代わりに指先は冷たくなっていく。
「水穂」
顔を挙げられない。が、触れた指先から彼女の感情が流れ込んでくる気がして、ぞっとした。熱が伝わるように、私が姉に浸食され、私が私でなくなっていくみたいな気がして。
いつだってそうだった。私は姉の影だった。外に出れば、光に浸食されて無個性になる。それもこれもみんな、姉が私を抱き込んでいて、ぐいぐいと笑顔で締め上げるからだ。
その両手から私は愛情も物理的なものも与えられてきたけれど、一方で、私からすべてを奪っていくのもその両手だった。
私だって、真幌という人間から、何かを奪ったって、いいじゃないか?
「それでも…カメラは、受け取ってくれないかな」
姉の手が箱を私のほうへ押し返してきて、急に私は恐怖にかられた。
私はもう、姉に浸食されたくないんだ。逆に私が姉を――
私もまた、その箱を思い切り姉のほうへ押し返した。私が佐原真幌という人間だったらよかったのに、と頭の隅で考えながら。そして、私はただ、とにかく、今すぐ栞のもとへ行きたいと思った。
あ、という声を聴くとともに、急に、自分の両手の先に何も感じなくなったことに気づいた。ものすごく嫌な音がした。
顔を挙げて目を開くと、そこには誰もいなかった。
「え……」
そして、階段下には、無防備に倒れた姉の姿と、そのそばには中身が飛び出た白い箱が落ちていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
夫の心がわからない
キムラましゅろう
恋愛
マリー・ルゥにはわからない。
夫の心がわからない。
初夜で意識を失い、当日の記憶も失っている自分を、体調がまだ万全ではないからと別邸に押しとどめる夫の心がわからない。
本邸には昔から側に置く女性と住んでいるらしいのに、マリー・ルゥに愛を告げる夫の心がサッパリわからない。
というかまず、昼夜逆転してしまっている自分の自堕落な(翻訳業のせいだけど)生活リズムを改善したいマリー・ルゥ18歳の春。
※性描写はありませんが、ヒロインが職業柄とポンコツさ故にエチィワードを口にします。
下品が苦手な方はそっ閉じを推奨いたします。
いつもながらのご都合主義、誤字脱字パラダイスでございます。
(許してチョンマゲ←)
小説家になろうさんにも時差投稿します。
その男、人の人生を狂わせるので注意が必要
いちごみるく
現代文学
「あいつに関わると、人生が狂わされる」
「密室で二人きりになるのが禁止になった」
「関わった人みんな好きになる…」
こんな伝説を残した男が、ある中学にいた。
見知らぬ小グレ集団、警察官、幼馴染の年上、担任教師、部活の後輩に顧問まで……
関わる人すべてを夢中にさせ、頭の中を自分のことで支配させてしまう。
無意識に人を惹き込むその少年を、人は魔性の男と呼ぶ。
そんな彼に関わった人たちがどのように人生を壊していくのか……
地位や年齢、性別は関係ない。
抱える悩みや劣等感を少し刺激されるだけで、人の人生は呆気なく崩れていく。
色んな人物が、ある一人の男によって人生をジワジワと壊していく様子をリアルに描いた物語。
嫉妬、自己顕示欲、愛情不足、孤立、虚言……
現代に溢れる人間の醜い部分を自覚する者と自覚せずに目を背ける者…。
彼らの運命は、主人公・醍醐隼に翻弄される中で確実に分かれていく。
※なお、筆者の拙作『あんなに堅物だった俺を、解してくれたお前の腕が』に出てくる人物たちがこの作品でもメインになります。ご興味があれば、そちらも是非!
※長い作品ですが、1話が300〜1500字程度です。少しずつ読んで頂くことも可能です!
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
春を売る少年
凪司工房
現代文学
少年は男娼をして生計を立てていた。ある時、彼を買った紳士は少年に服と住処を与え、自分の屋敷に住まわせる。
何故そんなことをしたのか? 一体彼が買った「少年の春」とは何なのか? 疑問を抱いたまま日々を過ごし、やがて彼はある回答に至るのだが。
これは少年たちの春を巡る大人のファンタジー作品。
パリ15区の恋人
碧井夢夏
現代文学
付き合い始めて4か月。
実家暮らしの二人はまだ相手のことを深く知らない。
そんな時、休みが合ってパリに旅行をすることに。
文学が好きな彼女と建築が好きな彼。
芸術の都、花の都に降り立って過ごす数日間。
彼女には彼に言えない秘密があった。
全編2万字の中編小説です。
※表紙や挿絵はMidjourneyで出力しました。
シュウシン
UNKNOWM
現代文学
ある日寝ると記憶が飛んでいて名前も思い出せない。記憶が飛んだ先は、、、少ない情報の中で今起きてることの原因を探す。読む時に意識するのは
始めと終わり。
最後には、全てがつながる。
ヨンデミテネ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる