【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

文字の大きさ
上 下
12 / 43
暗殺完了

しおりを挟む
「……飼い犬に手を噛まれる、そんな気分か?」

 のぼせは嘘のように引いていき、凍てつく恐怖が訪れる。わずかでも身動きしようものなら、柔らかな首筋は断ち切られるだろう。ジャックの双眸は宵闇のごとく冴え冴えとしていた。

「暗殺者が紛れ込む可能性がありながら、諸国からわざわざ騎士の志願者を募り、ふるいにかけた。その中から騎士を選べば、安全だと思っていたんだろう?」

 口調は変わらず飄々としているが、声音には温度がない。カトレアは不規則な呼吸しか出来ず、次の言葉を待った。

「そう見せかけて、全く別の方法で硝子の欠片が混じった。お前はまんまと、それを拾い上げてしまったという訳だ」

 この男は、何を言いたいのだ? 自ら志願したのではなく、逆に誰かから呼ばれたというのか。

「蘭姫はその名の通り、麗しい容姿で男共の視線を寄せ集め、それを当然のごとく浴びてきた。だから、自分にはなびかない男が気に食わない。そのくせ、意味ありげに見つめられると自尊心が刺激される」

 わざと気を引いて騎士にさせたとでも言いたいのか? その時からずっと、凶刃を向けるのを心待ちにしていたというのか。
 目で訴えると、ジャックは鼻で笑った。その笑みは侮蔑ではなく、憐みに近かった。

「こうも簡単に術中にはまってしまうとはな。お前は、何故自分が狙われているのか分かっているのか? お前を殺して一番得するのは、誰だと思う?」

 ふいに、生誕の宴の日から、今日までの一連の出来事が、脳裏に目まぐるしく蘇った。

 カトレアの暗殺は、争いの火種に過ぎないのだ。そしてその罪を是が非でもヴェルダのせいにしたい。
 隣国を悪に陥れ、自国を操り、頂に立ちたい者。暗殺を企てた者の正体を悟り、カトレアは虚無感に包まれた。
 きっと、彼はレイをカトレアの側仕えにすると宣言した時から、野心を抱いていたのだ。

 ジャックが短剣を首元から離した。カトレアは暗殺者と化した騎士を跳ね除ける気力もなく、絨毯の上に崩れた。

「イーデンが……ずっと、根回ししていたのね。おまえも、結局は、イーデンに雇われた身だった……」

 答えはなかった。命乞いをするように見上げるが、ジャックの瞳には吸い込まれるような力はなく、暗雲が立ち込めていた。

「思えば、おまえはいつも、つまらなさそうにしていたわね。あらゆる人間を見下して、馬鹿にして。そんなおまえでも、王宮の人間よりずっと、わたしの考えを理解してくれると思っていた。けれど、それも見込み違いだったようね」

 せめてもと王女として振る舞うが、この男はもう、カトレアの騎士ではない。

「おまえのような男に触れられたと思うだけで、汚らわしさに吐き気がする。そうやって、何もかもをぞんざいにして生きてきたのでしょう? そんなおまえに、ここで殺されて、たまるものか……!」

 歯をくいしばり、猛然と牙を剥く。頭上に短剣を構えた男と、座り込んでしまった自分とでは明らかに相手に分がある。やみくもに飛びかかっても、一振りで息の根を止められるだろう。切り抜けるのは至難の業だ。

 何を言っても結局、自分は理想を振りかざしているだけの憐れな存在なのか。歯がゆさに視界がにじんだ。

 だがここで何もせずにいても、これ幸いととどめを刺されるだけだ。どうにか不意を突いて、隣の部屋にいるレイに助けを求めよう。カトレアは拳で涙を振り払った。

「御託はもういいか?」

 ジャックが短剣をちらつかせる。カトレアは息を吸うと、ひと思いに短剣を持つ腕に全身で掴みかかった。予想外だったのかジャックが一瞬ひるむ。隙をついて、思い切り腕に噛みついた。

「くそ……っ!」

 繰り出された左腕で、カトレアは首元を強打され寝台の脇に突き飛ばされた。背中に激痛が走り顔をしかめると、ジャックはすかさず間合いを詰め短剣を繰り出してきた。
 終わりだ――強く視界を閉ざす。目尻から涙が飛び散った。

 甲高い金属音がした。おそるおそる目を開けると、短剣は胸元の布を貫いたのみで、ロケットの細工に刃先が挟まっていた。それでもカトレアは戦意を喪失したまま身動き出来ずにいた。

「……お前は、悪運が強い」

 短剣が胸元から離れる。見上げると、ジャックの瞳から鋭さが消えていた。

「もし、暗殺者が俺でなく別の奴だったら、お前は今ここで命を落としていただろう」

 言葉の真意が分からず、カトレアは裂けた胸元に垂らしたロケットを握りしめ、ジャックを見つめる。今となっては騎士でも何でもなく、遠い他人に映った。

「だが何にせよ、お前には死んだことになってもらう」

 どういう意味か問い質したかったが、身体を強く打った衝撃で上手く声が出ない。ジャックはひとりでに説明を始めた。

「表向きには、己の立場を憂慮したお前が、王宮の裏手にある滝底に身を投げたことにする。ーデンには自害に見せかけ、俺がお前を暗殺したことにしよう。どうだ」

 いずれにせよ、世間から蘭姫カトレアは抹殺されるということか。この身がたとえ生き長らえても、王位継承者がその座を明け渡せば、イーデンの野望に拍車がかかる。

「……そんなの、本当に死んだも同然じゃない」

 何とか言葉を押し出すと、ジャックはだろうな、とうなずく。

「その代わり、お前は自由だ。どこに行って、何をしてもお咎めはない。正体さえ知られなければな」

 あくまで淡々としたジャックの一言が、カトレアの胸を突いた。四方八方から絡み付いていた糸を切られ、不思議と身体が軽くなった気がしたのだ。

 レイや王宮の数少ない味方は、カトレアの死を嘆き悲しむだろう。だがラランジャへ行くにしても、既に死んだ身であれば話は違ってくる。休戦中のヴェルダへ行くことすら不可能ではなくなる。

 王宮での暮らしも、温室の花たちもかなぐり捨てる代わりに、自身を解き放てるのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...