【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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薬花

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 温室に辿り着くと、カトレアは花の影に隠れてうずくまった。

 結局、政もままならず、王族であるが故に立場を狙われ利用される。同情を越えて、いっそ惨めだ。
 今までであれば跳ね除け、拒絶するだけで済んできたことが、最早自分の力では到底かなわない域に達している。

 周りは見抜いていたのだ。イーデンも、ジャックも、暗殺の下手人ですらも、お前は王位に相応しないのだと。だからカトレアを軽んじる節があった。諸国の若君たちも婚姻関係を結びたがり、代わり権力を振るおうと打算した。
 雲に阻まれ、寒々しい空気を漂わせる温室の中で、カトレアは一人身を固くしていた。

 しばらく視界を閉ざしていると、背中に風を感じ、カトレアは顔を上げた。入口に、冷ややかな眼差しのジャックが立っていた。

「……この期に及んで、また皮肉を言いに来たの?」

 乱れた髪を力なく払い立ち上がると、ジャックは温室に足を踏み入れてきた。今まで一度たりとも、中に立ち入ろうとしなかったのに。

「自分で選んでおいて、何を言っている。俺はお前の護衛が仕事だ。一人にしたらいつ襲われるか」
「任務にはあくまで真面目なのね。感心したわ」
「皮肉を返せるくらいなら、まだ問題ないようだな」

 微笑するジャックを見上げ、カトレアは目をしばたたかせる。彼なりに気遣っているのだろうか。

「少しは主を敬う気持ちが芽生えたようね。ところで、おまえは花に興味はないのでしょう? なのに何故、花言葉を知っていたの?」

 ジャックは、ああ、と大したことでもないように答えた。

「知り合いに花の世話をしている奴がいて、そいつの所にいる時にたまたま花言葉の本を読んだんだ。暇つぶしで得た知識さ。それに、女にくっついて繁々と花を眺める男なんてそうそういないだろ」
「レイはよく一緒に花を眺めるわよ」
「それは、花を眺めるお前を眺めてるんだよ」

 依然として、口の利き方は主に対するものではない。むしろ下等に見られている印象を受けるが、今はそれよりもレイのことで胸が痛んだ。

「……レイは、わたしに忠誠を誓いながら、結局はイーデンの言いなりなのよ」
「だろうな。さしずめ、忠犬といったところか」

 余所者のジャックから見ても、レイはそう映るのだろう。彼を不憫に思うと同時に、カトレアはふと、自分のやりきれなさをレイへの同情にすり替えているような気がした。
 結局、自分が最も嫌悪する感情をレイにも抱いていたのか。自嘲気味に口元を歪める。

 カトレアは温室の一角にある、冬咲きの花の群れに歩んでいった。ジャックも後に続く。
 様々な背丈の花の中から、眼下に並べられた鉢植えを指した。ほんのり薄紫色に色づいた三角の花形の中央に、色濃い花弁が冠のように集まっている。

「この花の名は、リカステ。蘭の一種で、かつて薬花の祖と呼ばれたリカステ妃にまつわる花よ」
「どこかで見た形だと思ったら、この国の紋章になった花か。どうりでな」

 意外と花に関心があるようだ。カトレアは不思議に思いながらうなずく。

「そう。英雄ウィルとリカステ妃は事実上政略結婚だったらしいけれど、仲睦まじい夫婦だったというわ。その証に、ウィルはリカステ妃の名と同じ花を紋章にしたのね。その伝統を受け継ぐように、コルデホーザの王族の娘たちは蘭の名を与えられるの。そう、おまえがなじった名よ」

 今更ながら名を侮辱された怒りが蘇る。しれっとやり過ごされるかと思いきや、ジャックは憮然とした表情で弁解してきた。

「俺は、あくまで花言葉に合わないと言いたかったんだ。伝統のある名前を傷つけるつもりはなかった」
「……前半は釈然としないけど、おまえの言いたいことは分かったわ」

 多少なりとも悪気を感じているのが伝わり、一旦話を切る。ジャックは隣に並ぶと静かに口を開いた。

「俺は、ここに立ち入るのをためらっていたんだ。温室に向かう時のお前は、花に救いを求めているような気がしてな」

 虚を突かれ、声もなくジャックを見つめる。そのように自分は映っていたのか。

「評判通りの高飛車な女だと思っていたが、実際はそうでもないらしい。ここでなら言えるだろ? お前の話を聞いてみたい」

 思ってもみなかった問いかけに、カトレアはかろうじて苦笑を浮かべる。

「それが、主に対する聞き方……? たかが傭兵上がりのくせに、生意気だわ」

 押し出した言葉は弱々しく、ジャックは眉ひとつ動かさない。どういう風の吹き回しだろう。

「その傭兵上がりを選んだのはお前だろう。いつまでも花だけがお友達のままでいたいのか?」

 つくづく、しゃくに障る言葉を浴びせる男だ。それらのほとんどが的を射ているから尚更である。
 しかし今、自分の話に耳を傾けてくれるのはこの男しかいない。カトレアはゆっくりと、胸の内を紐解いた。

「……お母様は十数年前、ある新種の薬花の研究をしていた。それはお祖父様の病を治すためで、そのために交友関係のあった、ヴェルダのアルベール王の弟君から希少な花の種をいただいたというわ。
 それはコウジアという花で、花茎に宿る甘い汁が病に効くと伝えられていた。だけど正しい生育方法が伝えられなかったため、宿った汁は薬にならず、交配したものを実験用の鼠に投与したことで、有毒な気体が発生してしまった」

 それにより母をはじめ、薬花の扱いに長けた『薬花師やっかし』数名が命を落とした。研究所は母の死の直後取り壊され、正妃の突然の死は国内外に多大な影響を及ぼした。

「コルデホーザでは、薬花師の育成に力を注ぎ、かつては各地に薬花師がいたの。花に薬の価値を付加した薬花を扱う者たちは、身分の垣根を超え一気に富を得たというわ。だけどお母様の死をきっかけに、お父様はこの国から一切の薬花を排除し、薬花師の資格も剥奪した。行き場を失った彼らを受け入れたのが、南のラランジャだった」

 コルデホーザの南東に位置するラランジャ地方は、君主はおらず、元は英雄ウィルの出身でもある原住民の一族が治めている。彼らは亡命した薬花師を慮り、保護すると共に、ヴェルダに援助を要請したのだ。

「そこから先は、俺も知っている。元々ヴェルダに要因があって険悪になっていた矢先のことだ。建国の祖ゆかりの地を隣国に奪われまいと思ったんだろうな、お前の父君は」

 カトレアはうつむき、湿り気を帯びた地面に目を落とした。

「そうよ。お父様は、わたしが不自由なく育つよう配慮してくれたわ。けれど、わたしはお父様が憎い。確かに薬花はお母様を奪った。でも……花たちには、何の罪もないのよ!」

 語気を強めたカトレアに、ジャックがわずかにたじろぐ。カトレアはジャックが聞き手であることもお構いなしに訴えた。

「お父様も、イーデンたちも、ヴェルダのせいでお母様が亡くなったと思っているわ。だけど、コウジアを正しく育てられたなら、素晴らしい薬花が咲いたはずよ! きっと、ラランジャに逃れた薬花師たちも、そう思っているわ……!」

 母の死が訪れた時、カトレアは六歳だった。薬花関連の書物は軒並み処分されており、イーデンたちの目をかいくぐりながら庭師や王宮の医師たちに話を聞き、知識を得た。それでもかつて手腕を振るっていた薬花師には遠く及ばない。

「イーデンの言う通り、コルデホーザとヴェルダの因縁は強く根付いてしまった。そんな風に心を歪めてしまう人間にこそ、花は……薬花は必要なのよ」

 花は愛らしく、ひたむきな美しさでどんな人間の心も和ませる。そこに治癒の力を備えた薬花は、ただ愛でるだけでない、先人たちの努力と尊さの結晶なのだ。

 こんなにも自分の思いを吐露したのは初めてのことで、カトレアは力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。ドレスに土や泥が纏わりついても今はどうでも良かった。

 すぐ横でリカステの花が顔を向けている。春に新芽を植え、夏は熱を避け風通しの良い場所に移し、乾燥しやすい秋はたっぷり水を与え、大切に育ててきた花だ。

 遠い昔、花に一生を捧げたリカステ妃のように奥ゆかしく、凛として咲く花。カトレアは手を伸ばし、そっと花びらに触れた。

「物言わぬ花は美しい。誰もが花のようにひたむきに生きることが出来たなら、どんなに良いかしら」

 花は問う。お前はどう在りたいのかと。それはリカステ妃からの問いかけにも思えた。ジャックを仰ぐと、彼は隣に腰を落とし、同じようにして花を眺めた。

「花のように……か。言葉の通り、温室育ちのお姫様の理想論だな」

 かっとなり、カトレアはジャックに反発しようとしたが、手を上げずとも触れ合うような距離にいるため身動きが出来ない。黒々とした瞳は揺らぐことなくこちらを見据えている。

「何のためらいもなく男を平手打ちするくせに、内面は感傷的なものだな。なぐさめが欲しいか?」

 黙って話を聞いてくれたかと思えば、この言いようだ。憤然として立ち上がるとジャックもそれにならう。

「なぐさめ? そんなものはいらないわ。わたしは……わたしは」

 後に続くのは、やはり理想論ばかりだ。かといって、この男から同情されるのはもっとしゃくだ。せめてもと、尊大に振る舞う。

「なら、おまえは今までの話を聞いて、わたしに何をしてくれるというの? わたしの騎士なら、なぐさめ以上のものがあるでしょう?」

 戦を終結させ、薬花を再びこの国にもたらすことがカトレアの願いだ。
 そこまで導いて欲しいとは言わない。一緒に考え、行動を共にしてくれる人間が欲しいのだ。今一番それに適うのは、目の前の皮肉屋な騎士だった。

 ジャックは何と捉えたのか、ふいにカトレアの腰を引き寄せ土に汚れた手を取った。あまりにも突然のことに、カトレアは緋色の瞳を大きく見開いた。
 触れられた箇所から、全身に熱が広がる。心臓の音が外に聞こえそうなほど膨らんでいく。カトレアは何とか逃れようと身をよじるが、ジャックは不敵な笑みをたたえたままびくともしない。

「おまえ、これは一体何の真似なの!?」

 空いている左手で胸元を掴むと、ますます顔が至近距離に近づく。黒目の中に頬を熟れさせた自分が映り、苛立ちと羞恥がないまぜになる。

 ジャックはカトレアの指先や爪に入り込んだ土を丁寧に拭い、取り除いていく。骨ばった太い指がカトレアの白い手を這い、身体の内側がざわざわと落ち着かなくなる。

「自分から言っておいて、何をためらっている。俺がこの王宮に来た日も、衣裳部屋で俺の目を忍んで、あの優男と『お戯れ』をしていただろう?」

 思いがけない言葉に、カトレアは耳まで赤く染まるのを感じた。レイとのやりとりを見られていたのだ。

「あれは違うわ! おまえにはそのように映っただけのことよ!」

 王女直属の騎士は結局、カトレアのお手つきになるのだと揶揄する声がいくらでも溢れている。だがカトレアとレイの間には周囲が驚くほどに何もなかった。ゆくゆくは伴侶となる間柄であっても、口づけすら交わしたこともないのだ。

「だろうな。そうでなければ、こんな風にあからさまな動揺をしたりしない」

 からかうような口調とは裏腹に、カトレアの手を扱う指先はあくまで丁寧だ。その感触がかえってこそばゆく、それでいて自ら振り払う気になれない。

 息を詰め睨みつけていると、ジャックは手の甲に唇を落とした。声を失うカトレアを見つめてから、満足したように解放した。すかさず平手を打とうとするとものの見事に手首を掴まれ、込められた力の強さに顔をしかめる。ジャックも無表情となった。

「とにかく。周りが囁き交わす蘭姫というのは、ほとんどが虚言のようだな。面白い」

 最後に笑みを付け加え、ジャックは入口で待っていると言い残し踵を返した。カトレアは痛みが残る手首を押さえながら腹立たしさをぶちまけた。

「おまえなんか、いつでも首を切ることが出来るのよ! 自分の身が惜しければ、せいぜいわたしに尽くすことね! 覚えておきなさい……!」

 ジャックは振り向きもせず、片手をひらひらさせて入口の方へ去っていった。完全に負け惜しみを口にしているのが悔しく、カトレアは地団駄を踏んだ。ただ静観している花たちを見渡し、重いため息をつく。

 思いままならない願望。まるで考えの読めないジャック。引き寄せられた時の体温と唇の感触、目と鼻の先にまで接したあの瞳。火照った頬を冷ますように、頭を激しく左右に振った。

 翻弄されながらも、胸の内で積もり積もっていたものを、あの男が聞いてくれたのは事実だ。

 漠然とした願いがおぼろげながら輪郭を成した後に思うのは、ラランジャに亡命した薬花師たちのことだった。
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