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episode3 傷をたどれば
episode3-4
しおりを挟む大学四年になり、待遇は契約社員だけれど、図書館への就職が内定した。
暑い夏、やっとリクルートスーツを脱ぐことができた。
「家で内定祝いしてくれるって言ってて」
付き合い始めた去年の夏もそうだったけれど、知哉さんには帰省する実家がないから、自分もなんとなく親元に帰らなくなっていた。土日もだいたい知哉さんと過ごしている。平日、急に午後の講義が休講になった時、ちょっと帰ったりはしている。
「たまには実家に帰りなよ」と、「俺に気を使わないで」と言われるけれど、「この前、平日に帰ったよ」とだけ報告していた。
「そうなんだ。俺もお祝いしないとね。実家にはいつ帰るの?」
「今度の土日」
「うん、わかった」
日帰りではなく泊まるということだ。この夏は、お盆にも一泊している。
「廉の就職祝いで行ったレストラン、おいしかったから、今度行かない? 内定祝い」
「うん、ありがとう」
三月の中旬に、知哉さんは北嶋に会った。一緒に行かないかと言われたけれど、大学の用事で忙しいふりをして断った。
今は八月の終わりだから、北嶋は社会人になって五ヶ月が過ぎたわけだ。楽しく働いているだろうか。
ポケットでスマホが震えた。
「あ、ちょうど母親から。土曜日、何時に来るかって」
メールには、何を食べたいか、とも書いてある。
「早く会いたくて仕方ないんだろうね」
「うん……」
一般的な若者がするような否定はせず、素直にうなずいた。家族がうるさく何かを言ってくることが少し煩わしいだなんて、幸せなことなのだ。知哉さんは長いことひとりきりなのだから。
返信をして待ち受け画面に戻ると、高校生の自分が斜陽を読んでいる。北嶋が描いた絵だ。北嶋の中では、もちろんこのことも忘れ去られているのだけれど。
* * *
新宿で乗り換え、千葉方面へ向かう。車窓から見える景色が段々と懐かしくなってくる。
勤務先として決まった図書館は都内だから、今のひとり暮らしをしている家から通うほうが便利だ。けれど、一度だけ知哉さんに言われた。北嶋に再会した日だ。自分が卒業したら、うちの家族にきちんと話して一緒に住みたいと。知哉さんは今でもそう思っているのだろうか。
男の人と付き合っていると、家族には話せていない。つい二週間ほど前にお盆で帰省した時、話そうかと少し思ったけれど、やはり話せなかった。おそらく今日も話せない。
「あれ、峰?」
地元の駅で降りると声をかけられた。高二、高三の時のクラスメイトだ。
「あ、中田」
「久しぶりだな」
中田も家へ帰るところなのだろうか、行く方向が同じで、一緒に歩くことになった。大学の話や、同級生の話、就職の話なんかをしていたが、ふと中田が言った。
「なんか、峰に会ったら、急に花火のこと思い出した」
花火……。忘れられない夏の日。
「覚えてない? 高二の時の。先生に見つかって怒られたじゃん?」
「ああ、そうだっけ」
「峰って、あんまりそういうイベントに参加しなかったから、あの日峰も来てて珍しいなって思ったから、なんか覚えてる」
「そう」
「誰がやろうって言い出したんだっけ」
中田は首をひねって、夏の青空の下、記憶を辿っている。
――覚えていないのか。北嶋のこと。
「さすがに高三の時は、誰もやろうって言い出さなかったな」
北嶋がいたら、やろうって言ったかもしれない。
「じゃあ、俺こっちだから。またな」
眩しい太陽の下、中田は去って行ったけれど、同じ太陽なのに、同じ海がそこにあるのに、もう青春などという言葉が似合う年ではないと気付かされる。
北嶋と一緒だったら、一気に青春のあの日に戻れるのだろうか。
――峰セレクト、聴きたい。
もし、同じ台詞を繰り返されても、あの日の自分はいない。北嶋にとって自分は、ただ『兄貴の恋人』。
* * *
母親の作った料理がたくさん並ぶ食卓。来年、妹が大学受験だから、多少は家の中がぴりぴりとしているみたいだけれど、幸せな家族の夕げだ。
「私の合格祝いはレストランがいいー」
「レストラン?」
「友達がこの間、イタリアンレストランに家族で行ったんだって。おいしかったってー」
「たまにはそういうのもいいかもね。母さんも大変だろうし」
知哉さんが内定祝いにレストランへ行こうと言ってたっけ。嬉しそうに娘のわがままを聞いている父親を見ていて思った。こういうのが家族なんだなと。
何かしてもらうことをいつも遠慮してしまうけれど、明日、戻ったら、「この間言ってたレストラン、連れてって」と、知哉さんに言おうと思った。
そう、北嶋は自分のことを覚えていないのだから、もし三人で会うことがあっても、知哉さんの弟として接して、ただただ知哉さんの恋人でいようと、何故だかこの時、決心した。
――いつか、知哉さんの家族になろう。
寝る前に、実家に置いたままの高校の卒業アルバムが目についた。ちょうどベッドに寝た時に見えるところに置いてあったからだ。
そっと手を伸ばしかけてやめた。
ページを開いても、そこには北嶋はいないから。好きだった人が、卒業前に転校すると、こういう気持ちなのだ。
卒業をテーマに歌われている流行りの曲が、当時から共感できなかった。たいていが、『卒業アルバムの君は』とか言っているからだ。『卒業アルバムの君』が笑っていようと静かにこっちを見ていようと、どう表現されてもぴんと来ない。そこに居さえしないのだ。自分の高校生活に本当に存在したのか、それすら疑わしくなる。夢だったのではないかと。
現に、北嶋のことを忘れていた同級生。あの夏、北嶋は本当に堤防に腰かけていたっけ。夜風に吹かれて少し振り向いて笑ったっけ。
いっそ卒業アルバムなんかいらない。
こんなふうにもやもやするのも、今回の帰省で最後にしよう。
アルバムを本棚から抜いて、背表紙が奥になるようにひっくり返して戻した。
――忘れたい。
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