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第四章 天命
第十九話 川中の戦い
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油膜に乗って軍勢は進む。
砂煙ではなく、水しぶきが跳ねる。行軍の音は地響きではなく、豪雨のような水音。
戦場とは思えないが、間違いなくここは修羅の巷だった。
天の牡牛は油膜には乗れていない。おそらく体重が重すぎるせいでカロッサの掟でも浮かせることができなかったのだろう。
水かさは天の牡牛の膝をわずかに濡らす程度だったが、もとより流れの速いイディグナに足を取られて思うように進めないようだった。
それに対してカロッサの掟は水の流れに乗らない性質があったため、自由に水上を動き回ることができていた。
めいめいの武器で天の牡牛の足を打つ。
それに対して天の牡牛は鬱陶しそうに足を打ち払う。軽く振るっただけで一軍を掃討する力がある。
間一髪のところでそれを躱す冒険者たち。
その余波で大波が打ち寄せるが、水に浮く掟のおかげで溺れるものはいなさそうだ。
地震の掟は使えないとはいえ、依然として圧倒的な肉体性能差がある。だがそれでも戦いは成立している。
ここで天の牡牛に致命的な一撃を与えられず、上陸されては再び岩が降り、地面に大穴があく惨劇が待っている。
だがそれは人間側の事情に過ぎない。
戦いとは、お互いの事情と意地の押し合いでもある。
ぶしゅう、と天の牡牛から鼻息が吹き出す。
それと同時にまるで無人の野を行くように力強く足を踏み出す。川の中では不利と見たのか、ウルクの市民たちを無視して川を渡り切る覚悟を決めたようだ。
それはトエラーたちにとって最も恐れていた事態だ。強引にでも突っ切られるのが一番厄介なのだ。
あるいは最初から全軍で、川で待ち伏せしていればこのまま押し切れるだけの戦力があったのかもしれない。
だがそれはもはやかなわない。
故に、止められない。
だから。
敵の最も弱い部分を攻める。
「どうやらわたくしたちの出番のようですね」
「ええ。行きましょう」
エタとシュメール、ラマトと『怒れる仮面』。
それらの構成員は、軍全体の左翼、敵の右側に布陣していた。
少し前。
エタはラマトとシュメールの面々にトエラーと同じ説明をした。天の牡牛の……弱点について。
「天の牡牛は見た限り、掟を使う時に一度も右後ろ足を振り上げていません」
「それは、ある意味当然なのでは? 基本的に敵であるわたくしたちは前にいるわけですから」
「いいえ、ラマトさん。天の牡牛が岩を飛ばす場合は左右どちらかの前足。岩山を作り上げる場合は必ず左後ろ足を使います」
「……気づきませんでした。いえ、というかあれだけ離れていても、しかも戦いながら見えるのですか?」
「あたし、目はいいのよ。エタから頼まれて天の牡牛を観察してたの」
淡々としたミミエルの口調が虚勢ではない真実味を感じさせた。
「なるほど。では、その右後ろ足にどのような意味が?」
「推測になりますが……おそらく右後ろ足に迷宮の核があるのではないでしょうか」
「核が……右足に?」
ラマトは驚いていたがそれはミミエルやシャルラも同様だった。
天の牡牛は迷宮だが見た目だけなら牛の姿をしている。だから迷宮の核も生物にとって重要な部位、例えば頭や心臓にあると思っていた……いや、思い込んでいた。
「はい。おそらく、右腰か右の太もも……その証拠に天の牡牛は右後ろ足を攻撃されると特に過敏に反応するようです」
これは奇襲を仕掛けた部隊からの証言を照らし合わせて熟考した結論だった。
ラマトは難しい顔をしていたが、ふっと笑顔になった。『怒れる仮面』という名前のギルド長にはふさわしくない花のような笑顔だった。
「迷宮の核に触れ迷宮を攻略する……冒険者にとって当たり前のことのはずが、敵の強大さに見誤っていたのは我々のようですね。これが難攻不落と言われる迷宮を攻略したエタリッツさんの洞察力ですか。驚くばかりです」
「ありがとうございます。ですが問題なのは……」
「ええ。どうやって動く迷宮である天の牡牛の右足までたどり着くかということですね」
砂煙ではなく、水しぶきが跳ねる。行軍の音は地響きではなく、豪雨のような水音。
戦場とは思えないが、間違いなくここは修羅の巷だった。
天の牡牛は油膜には乗れていない。おそらく体重が重すぎるせいでカロッサの掟でも浮かせることができなかったのだろう。
水かさは天の牡牛の膝をわずかに濡らす程度だったが、もとより流れの速いイディグナに足を取られて思うように進めないようだった。
それに対してカロッサの掟は水の流れに乗らない性質があったため、自由に水上を動き回ることができていた。
めいめいの武器で天の牡牛の足を打つ。
それに対して天の牡牛は鬱陶しそうに足を打ち払う。軽く振るっただけで一軍を掃討する力がある。
間一髪のところでそれを躱す冒険者たち。
その余波で大波が打ち寄せるが、水に浮く掟のおかげで溺れるものはいなさそうだ。
地震の掟は使えないとはいえ、依然として圧倒的な肉体性能差がある。だがそれでも戦いは成立している。
ここで天の牡牛に致命的な一撃を与えられず、上陸されては再び岩が降り、地面に大穴があく惨劇が待っている。
だがそれは人間側の事情に過ぎない。
戦いとは、お互いの事情と意地の押し合いでもある。
ぶしゅう、と天の牡牛から鼻息が吹き出す。
それと同時にまるで無人の野を行くように力強く足を踏み出す。川の中では不利と見たのか、ウルクの市民たちを無視して川を渡り切る覚悟を決めたようだ。
それはトエラーたちにとって最も恐れていた事態だ。強引にでも突っ切られるのが一番厄介なのだ。
あるいは最初から全軍で、川で待ち伏せしていればこのまま押し切れるだけの戦力があったのかもしれない。
だがそれはもはやかなわない。
故に、止められない。
だから。
敵の最も弱い部分を攻める。
「どうやらわたくしたちの出番のようですね」
「ええ。行きましょう」
エタとシュメール、ラマトと『怒れる仮面』。
それらの構成員は、軍全体の左翼、敵の右側に布陣していた。
少し前。
エタはラマトとシュメールの面々にトエラーと同じ説明をした。天の牡牛の……弱点について。
「天の牡牛は見た限り、掟を使う時に一度も右後ろ足を振り上げていません」
「それは、ある意味当然なのでは? 基本的に敵であるわたくしたちは前にいるわけですから」
「いいえ、ラマトさん。天の牡牛が岩を飛ばす場合は左右どちらかの前足。岩山を作り上げる場合は必ず左後ろ足を使います」
「……気づきませんでした。いえ、というかあれだけ離れていても、しかも戦いながら見えるのですか?」
「あたし、目はいいのよ。エタから頼まれて天の牡牛を観察してたの」
淡々としたミミエルの口調が虚勢ではない真実味を感じさせた。
「なるほど。では、その右後ろ足にどのような意味が?」
「推測になりますが……おそらく右後ろ足に迷宮の核があるのではないでしょうか」
「核が……右足に?」
ラマトは驚いていたがそれはミミエルやシャルラも同様だった。
天の牡牛は迷宮だが見た目だけなら牛の姿をしている。だから迷宮の核も生物にとって重要な部位、例えば頭や心臓にあると思っていた……いや、思い込んでいた。
「はい。おそらく、右腰か右の太もも……その証拠に天の牡牛は右後ろ足を攻撃されると特に過敏に反応するようです」
これは奇襲を仕掛けた部隊からの証言を照らし合わせて熟考した結論だった。
ラマトは難しい顔をしていたが、ふっと笑顔になった。『怒れる仮面』という名前のギルド長にはふさわしくない花のような笑顔だった。
「迷宮の核に触れ迷宮を攻略する……冒険者にとって当たり前のことのはずが、敵の強大さに見誤っていたのは我々のようですね。これが難攻不落と言われる迷宮を攻略したエタリッツさんの洞察力ですか。驚くばかりです」
「ありがとうございます。ですが問題なのは……」
「ええ。どうやって動く迷宮である天の牡牛の右足までたどり着くかということですね」
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