276 / 293
第四章 天命
第十八話 流れの速い河
しおりを挟む
天の牡牛を迎え撃つ準備は直ちに進められた。
本当にウルクの興亡の瀬戸際であるのだから誰もが必死だ。睡眠すらとらずに作業するものも多かった。
エタとしては逃亡兵が出るのではないかと危惧していたが、それはほとんどなかった。
敗戦ののちに軍が瓦解するというのはよくある話なので意外だった。話を聞くと、ウルクに残っている家族の安否を気遣っている人が多かった。
あるいは、この土壇場になって誰もが危機感を共有し始めたのかもしれない。口先でもなく、絵物語でもなく、現実にウルクは今まさに滅びようとしているのだと。
だからこそ、エタも一つの危険を冒すことを決めた。
命を担保にしたのだ。
もしも天の牡牛が川に入っても掟を使えるのであれば、あるいはもう一つの仮説が間違っているのならば、死罪でも構わないと。
トエラーはエタの予想に納得してくれたのだが、実務を行っていた人間はなかなか納得してくれなかったため、こういう方法を取ったのだ。
無論、シュメールの面々には伝えていない。もしも伝えていれば今すぐにでもエタを拉致監禁する……というのは冗談だが、契約を反故にしようとしただろう。
太陽が真上に差し掛かろうとする時間に。
それはやってきた。
ずしんと、振動が響くたびに、大きく、近づいてくる。
もう何度も感じたそれだが、慣れることはない。
天の牡牛は目視できる距離に近づいていた。
「いよいよね」
ミミエルがぽつりとつぶやく。
エタたちを含め、残りの全戦力はイディグナの対岸で待機している。
天の牡牛はいよいよ川に差し掛かる。わずかに速度を落とし、どこか逡巡するような様子でイディグナに前足をつけ、さらに後ろ足まで水に浸かる。
恐るべきはその巨体だ。川に入っても胴体が水にぬれることはない。
「いまだ! 攻撃開始!」
疲労困憊であるはずのトエラーが号令をかける。
まずアタブの強弓が天の牡牛の眉間めがけて放たれる。風を切り裂いた弓は天の牡牛の顔に命中したが、それだけではひるみすらしない。
だが。
「反撃してこない。やはり、川の中では掟は使えない!」
歓声が上がる。
あれだけ手を焼いた投石が一切ない。明らかに無防備であった。
「ごほ、では私の出番ですね」
カロッサがそう呟き携帯粘土板から自らの掟を取り出す。
とても大きな、カロッサの胸ほど、太さは腹より三回りは大きな水瓶だった。
それを自分のギルド『紅の絆』の冒険者たちと協力して川に流し込む。
水瓶の中身は油だ。
その油は水面に染みわたり、光を反射する膜を作っていく。
「ごほ、では……足を踏み出しましょうか」
とん、とカロッサは水面に立った。
「ごほ、これが私の掟、『水面に浮かぶ』油。どうぞ皆様、存分に戦ってください」
うおおおお、と今日一番の歓声が上がる。
当たり前だが人間は泳ぎながら戦えるほど器用ではない。
そのため川に入った天の牡牛と戦うためには対岸から飛び道具を用いるしかないと思われたのだが……この掟の存在により川の中にいる天の牡牛へ近接攻撃が可能になった。
とはいえこの掟の効果時間を過ぎれば川底に沈んでいく。
綱渡りであることに違いはなかった。
本当にウルクの興亡の瀬戸際であるのだから誰もが必死だ。睡眠すらとらずに作業するものも多かった。
エタとしては逃亡兵が出るのではないかと危惧していたが、それはほとんどなかった。
敗戦ののちに軍が瓦解するというのはよくある話なので意外だった。話を聞くと、ウルクに残っている家族の安否を気遣っている人が多かった。
あるいは、この土壇場になって誰もが危機感を共有し始めたのかもしれない。口先でもなく、絵物語でもなく、現実にウルクは今まさに滅びようとしているのだと。
だからこそ、エタも一つの危険を冒すことを決めた。
命を担保にしたのだ。
もしも天の牡牛が川に入っても掟を使えるのであれば、あるいはもう一つの仮説が間違っているのならば、死罪でも構わないと。
トエラーはエタの予想に納得してくれたのだが、実務を行っていた人間はなかなか納得してくれなかったため、こういう方法を取ったのだ。
無論、シュメールの面々には伝えていない。もしも伝えていれば今すぐにでもエタを拉致監禁する……というのは冗談だが、契約を反故にしようとしただろう。
太陽が真上に差し掛かろうとする時間に。
それはやってきた。
ずしんと、振動が響くたびに、大きく、近づいてくる。
もう何度も感じたそれだが、慣れることはない。
天の牡牛は目視できる距離に近づいていた。
「いよいよね」
ミミエルがぽつりとつぶやく。
エタたちを含め、残りの全戦力はイディグナの対岸で待機している。
天の牡牛はいよいよ川に差し掛かる。わずかに速度を落とし、どこか逡巡するような様子でイディグナに前足をつけ、さらに後ろ足まで水に浸かる。
恐るべきはその巨体だ。川に入っても胴体が水にぬれることはない。
「いまだ! 攻撃開始!」
疲労困憊であるはずのトエラーが号令をかける。
まずアタブの強弓が天の牡牛の眉間めがけて放たれる。風を切り裂いた弓は天の牡牛の顔に命中したが、それだけではひるみすらしない。
だが。
「反撃してこない。やはり、川の中では掟は使えない!」
歓声が上がる。
あれだけ手を焼いた投石が一切ない。明らかに無防備であった。
「ごほ、では私の出番ですね」
カロッサがそう呟き携帯粘土板から自らの掟を取り出す。
とても大きな、カロッサの胸ほど、太さは腹より三回りは大きな水瓶だった。
それを自分のギルド『紅の絆』の冒険者たちと協力して川に流し込む。
水瓶の中身は油だ。
その油は水面に染みわたり、光を反射する膜を作っていく。
「ごほ、では……足を踏み出しましょうか」
とん、とカロッサは水面に立った。
「ごほ、これが私の掟、『水面に浮かぶ』油。どうぞ皆様、存分に戦ってください」
うおおおお、と今日一番の歓声が上がる。
当たり前だが人間は泳ぎながら戦えるほど器用ではない。
そのため川に入った天の牡牛と戦うためには対岸から飛び道具を用いるしかないと思われたのだが……この掟の存在により川の中にいる天の牡牛へ近接攻撃が可能になった。
とはいえこの掟の効果時間を過ぎれば川底に沈んでいく。
綱渡りであることに違いはなかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説


だってお義姉様が
砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。
ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると……
他サイトでも掲載中。


主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。

(完結)私より妹を優先する夫
青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。
ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。
ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

(完結)王家の血筋の令嬢は路上で孤児のように倒れる
青空一夏
恋愛
父親が亡くなってから実の母と妹に虐げられてきた主人公。冬の雪が舞い落ちる日に、仕事を探してこいと言われて当てもなく歩き回るうちに路上に倒れてしまう。そこから、はじめる意外な展開。
ハッピーエンド。ショートショートなので、あまり入り組んでいない設定です。ご都合主義。
Hotランキング21位(10/28 60,362pt 12:18時点)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる