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第三章『身代わり王 』
第五十話 神の御業
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あらためてトエラーはエタと向き合う。
二人を比べてみるといかにも屈強そうなトエラーと小柄で貧弱なエタは対照的だった。
「この水攻め、どのような意図があるのだ?」
「このアラッタの掟が蓄積であることはすでにご承知かと思われます」
「うむ」
もちろんトエラーは知らない。
彼の仕事の大部分は失敗した場合に責任を取ることである。
「アラッタとその魔物は主に熱を蓄積することで成長します。そこに大量の水を加えればどうなるでしょうか」
「湯に水を加えれば……冷めるな」
「はい。アラッタの温泉、蓄積しているであろう熱、魔物、それらの温度は一気に低下し、活動に支障が出るはずです」
これこそ、エタが見つけたアラッタの攻略法。
そのために大規模な工事が必要だったのだ。
「しかし、この水量で足りるのか? 確かにアラッタは水で満たされたが、水を掻きだせばそれで元通りではないか?」
「おそらくそれはできません。アラッタの掟が蓄積であるからです」
「つまり……良いものだけでなく、悪影響のあるものでも蓄積してしまうと?」
「はい。ご明察の通り、それこそがアラッタの弱点です」
例えば、水瓶は飲み水を溜めることができる。しかし一度水が濁ればたちまち人が飲める水ではなくなってしまう。
負債をため込んでしまう。
そして掟を核とするがゆえにその負債を帳消しにするためには新しく良いものをため込むしかないのだ。
「お前のやりたいことはわかった。それが効果的だったことも認めよう。しかし……」
ここからが正念場だとエタは覚悟した。
この策の最大の問題は成功率でもなく、必要な時間でもない。
「あまりにも不敬でないかね?」
信仰である。
「おっしゃることはわかります」
「いや、わかっているようには見えん。水攻め、すなわち洪水とはエンリル神の御業である。それを人が使っていいわけなかろう」
数千年後の世界、それこそ戦国時代などにおいて水攻めは規模が大きく、頻繁には行われないものの、立派な戦術の一つである。
だがメソポタミアにおいて、洪水とは天災ではなく、神意、すなわち神々が定めた運命である。
それを利用、ましてや人為的に発生させるなど神にあだなすに等しい行為である。
ミミエル、ターハ、ラバサル、そしてラッザ。
皆怯えていたのは神々の怒りに触れないかということ。神々への叛逆だと疑われないかということ。
だからこそ、予言を利用して弁明しなければならない。
「お忘れですか。予言の内容を」
「覚えているとも。川の岸辺に魚がいる。魚は虫、苔、石を食べる。その向こうには神の池があり、木々の中に一際大きい木がある。魚に餌を与え、木の器をつくり、池の水を汲み、神々に捧げれば、アラッタの力は弱まり、エンリルの加護により我々は勝利を得るだろう」
トエラーは一言一句たがわずに暗唱した。
不安故に、何度も繰り返し読み込んでいたのだ。
「おそらくですが、魚はアラッタの魔物です。虫や石、魚のエサは熱や木の器を指しています。池の水とは川の流れをせき止めること」
エタが用意した予言なので当然だが、トエラーからすると予言は水攻めのことを示唆しているようにしか思えなかった。
実のところエタは当初アラッタの魔物が熱を食べているとは思わなかったので、細かな意味合いが実際とは異なっているがそれには誰も気づかなかった。
「そして重要なのはエンリル神の加護という部分です」
「どういう意味だ?」
「お忘れですか? これはイシュタル神殿の予言です」
思わずトエラーは唸っていた。
イシュタル神殿の予言なら、イシュタル神の加護であるべきだ。
それが何故エンリル神の加護になっているのか。
「これこそが水攻めをするべき証拠です。イシュタル様は洪水の権能を持ちませんが、エンリル様は嵐と洪水の神です。エンリル様の加護があると予言に記されているのですから、水攻めを行うべきなのです」
もちろん、これらはエタが水攻めを正当化するための方便として予言を利用しただけだが、面と向かい合ったトエラーにはエタの言葉はまさに神の祝福のごとく響いたのだった。
二人を比べてみるといかにも屈強そうなトエラーと小柄で貧弱なエタは対照的だった。
「この水攻め、どのような意図があるのだ?」
「このアラッタの掟が蓄積であることはすでにご承知かと思われます」
「うむ」
もちろんトエラーは知らない。
彼の仕事の大部分は失敗した場合に責任を取ることである。
「アラッタとその魔物は主に熱を蓄積することで成長します。そこに大量の水を加えればどうなるでしょうか」
「湯に水を加えれば……冷めるな」
「はい。アラッタの温泉、蓄積しているであろう熱、魔物、それらの温度は一気に低下し、活動に支障が出るはずです」
これこそ、エタが見つけたアラッタの攻略法。
そのために大規模な工事が必要だったのだ。
「しかし、この水量で足りるのか? 確かにアラッタは水で満たされたが、水を掻きだせばそれで元通りではないか?」
「おそらくそれはできません。アラッタの掟が蓄積であるからです」
「つまり……良いものだけでなく、悪影響のあるものでも蓄積してしまうと?」
「はい。ご明察の通り、それこそがアラッタの弱点です」
例えば、水瓶は飲み水を溜めることができる。しかし一度水が濁ればたちまち人が飲める水ではなくなってしまう。
負債をため込んでしまう。
そして掟を核とするがゆえにその負債を帳消しにするためには新しく良いものをため込むしかないのだ。
「お前のやりたいことはわかった。それが効果的だったことも認めよう。しかし……」
ここからが正念場だとエタは覚悟した。
この策の最大の問題は成功率でもなく、必要な時間でもない。
「あまりにも不敬でないかね?」
信仰である。
「おっしゃることはわかります」
「いや、わかっているようには見えん。水攻め、すなわち洪水とはエンリル神の御業である。それを人が使っていいわけなかろう」
数千年後の世界、それこそ戦国時代などにおいて水攻めは規模が大きく、頻繁には行われないものの、立派な戦術の一つである。
だがメソポタミアにおいて、洪水とは天災ではなく、神意、すなわち神々が定めた運命である。
それを利用、ましてや人為的に発生させるなど神にあだなすに等しい行為である。
ミミエル、ターハ、ラバサル、そしてラッザ。
皆怯えていたのは神々の怒りに触れないかということ。神々への叛逆だと疑われないかということ。
だからこそ、予言を利用して弁明しなければならない。
「お忘れですか。予言の内容を」
「覚えているとも。川の岸辺に魚がいる。魚は虫、苔、石を食べる。その向こうには神の池があり、木々の中に一際大きい木がある。魚に餌を与え、木の器をつくり、池の水を汲み、神々に捧げれば、アラッタの力は弱まり、エンリルの加護により我々は勝利を得るだろう」
トエラーは一言一句たがわずに暗唱した。
不安故に、何度も繰り返し読み込んでいたのだ。
「おそらくですが、魚はアラッタの魔物です。虫や石、魚のエサは熱や木の器を指しています。池の水とは川の流れをせき止めること」
エタが用意した予言なので当然だが、トエラーからすると予言は水攻めのことを示唆しているようにしか思えなかった。
実のところエタは当初アラッタの魔物が熱を食べているとは思わなかったので、細かな意味合いが実際とは異なっているがそれには誰も気づかなかった。
「そして重要なのはエンリル神の加護という部分です」
「どういう意味だ?」
「お忘れですか? これはイシュタル神殿の予言です」
思わずトエラーは唸っていた。
イシュタル神殿の予言なら、イシュタル神の加護であるべきだ。
それが何故エンリル神の加護になっているのか。
「これこそが水攻めをするべき証拠です。イシュタル様は洪水の権能を持ちませんが、エンリル様は嵐と洪水の神です。エンリル様の加護があると予言に記されているのですから、水攻めを行うべきなのです」
もちろん、これらはエタが水攻めを正当化するための方便として予言を利用しただけだが、面と向かい合ったトエラーにはエタの言葉はまさに神の祝福のごとく響いたのだった。
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