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第二章 岩山の試練
第十四話 酒の味
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迷宮内を清掃してから四日後。
酒の湧く泉の近くの小屋……かつてギルド長の住まいだったそこに集まったエタたちは固唾をのみながら黄金色に透き通る液体を眺めていた。
「今までは濁っていましたけど……これはええ、美しいと思います。飲み物にこんな感想を抱くのは妙ですけど……」
ザムグは今までの酒とはあまりの違いに恐れすら感じているようだった。
「いや、僕もこれは美しいと思うよ。それに香りもいい」
「しかしよう。いろいろ手入れしてたった四日だぜ? こんな早く成果が出るもんか?」
ターハは粗野な見た目に反して素朴だが正しい疑問をこぼすことが多い。彼女は全員の思いを代弁していた。成果が出すぎると人は不安になるものなのだ。
不安を押し切って酒の入った土器に手を伸ばしたのはラバサルだ。
「見た目や香りがどうだろうが重要なのは味だ」
そう言い切ってぐいっと酒杯をあおる。
「む……」
普段から仏頂面のラバサルが唸ると何かよからぬことが起こっているのではないかと不安になる。
だが。
「これは……旨いな。立派なシカルだ。わしが飲んだ中で一番かもしれん」
一気に歓声が上がる。
そうせずにこっそりと立ち去ろうとしたターハだったがミミエルにがっしりと肩を掴まれた。
「あーら? どこへ行こうとしてるのかしら? お・ば・さ・ん?」
「い、いやあ、ちょっとな? 用事を思い出してな?」
「酒を盗み出す用事かしら?」
うっと言葉に詰まる。
これほど褒めたたえられた酒の味が気になるのは当然だが、エタとしては容認できない。
「すみませんが売りに出すためには試飲してもらわないといけないのでこれ以上飲まれるわけには……」
「なんだよう! ラバサルのおっさんは飲んだじゃないか!」
「それはまあ、早い者勝ちということで……」
ずるいぞー、と駄々をこねるターハをあやすように言葉をつなぐ。
「ただ、きちんとこれまで通り働いていただけるならいずれターハさんにこのお酒を提供できる機会もあるかと……」
そう聞いた途端ターハはころりと態度を変え、今日も勤労にいそしもう、などと言いだし始めた。
数日前からやり始めている小麦の手入れは飽きが見え始めていたが、しばらく続けても文句は言われそうになかった。
「あ、そうだ。ザムグ。ちょっと聞きたいことがあるから残ってくれる?」
「はい。構いませんよ」
他に誰もいなくなった小屋でザムグとエタは向かい合う。
「聞きたいことって何ですか?」
ザムグに問われるとエタは悩ましい顔をした。
「聞きたいことじゃなくて……報告しないといけないことかな」
それに思い当たることのあったザムグもまた、表情を引き締めた。
「俺らの両親のことですか?」
「うん。君に言われて僕とラバサルさんが調べて直接会いに行ったんだけど……」
「俺たちはもうこの家の子じゃないとか言われたんでしょう?」
エタはザムグの切ない表情に胸が締め付けられそうになった。
両親からも、姉からも愛されて育ったと自信をもって断言できるエタにとって家族からごみのように捨てられる感情は想像さえできない。
言葉をかけられずに黙ってしまっているとザムグは寂しそうに、でも少しだけ嬉しそうに笑った。
「俺にとって両親は大事な人でした。いえ、今でもそうです。けど、病気になったニントルを神殿に預けろと言ったことは許せません」
「それは君が迷宮を探索することになった理由?」
「いえ、それも関係しているかもしれませんけど一番は父親の借金です。そのせいでニントルは神殿で診てもらうことさえできなかったわけです」
数千年前のメソポタミアにおいて医者という職業は存在せず、主に神官が病人を治療する職業だった。もちろん効果のほどは推して知るべし。
このメソポタミアでもまだ医者や薬というものはほぼ普及していない。
「でも感謝はしているんです。あの人たちのおかげでみんなに会えました」
「カルムやディスカールに?」
「二人もそうですけど、エタさんたちにも。俺は恵まれています。こんなにもいい人たちが俺を助けてくれました。この恩は本当に返しきれません」
「そんな大げさにならなくても……」
「なりますよ。俺はエタさんのおかげで本当の意味で人生を歩めたと思っています。きっとエンリル神のお導きです」
二対の角冠をかたどった神印を手で包む。
ザムグはエンリル神の信徒らしい。
天候と王権を司るエンリル様から授かった掟なら『明日の天気を知る』掟になるのも頷ける。
「ありがとう。それなら、頼りにしてもいいかな」
「もちろんです。いくらでも頼ってください」
二人、お互いに笑いあう。
絆や信頼というものがそこにはあった。
「あ、言い忘れてたけど……」
「はい? なんですかエタさん」
「君の友達だっけ。以前ここにいたけど別の場所に移ったっていう子となら連絡が取れたけど……会ってみる?」
「あいつと? そうですね。時間があれば会ってみたいです」
かつての旧友との再会。
それに胸を躍らせたザムグ、ほほえましい気持ちだったエタ。
しかしこれが予想もしない事件の始まりになるのだった。
酒の湧く泉の近くの小屋……かつてギルド長の住まいだったそこに集まったエタたちは固唾をのみながら黄金色に透き通る液体を眺めていた。
「今までは濁っていましたけど……これはええ、美しいと思います。飲み物にこんな感想を抱くのは妙ですけど……」
ザムグは今までの酒とはあまりの違いに恐れすら感じているようだった。
「いや、僕もこれは美しいと思うよ。それに香りもいい」
「しかしよう。いろいろ手入れしてたった四日だぜ? こんな早く成果が出るもんか?」
ターハは粗野な見た目に反して素朴だが正しい疑問をこぼすことが多い。彼女は全員の思いを代弁していた。成果が出すぎると人は不安になるものなのだ。
不安を押し切って酒の入った土器に手を伸ばしたのはラバサルだ。
「見た目や香りがどうだろうが重要なのは味だ」
そう言い切ってぐいっと酒杯をあおる。
「む……」
普段から仏頂面のラバサルが唸ると何かよからぬことが起こっているのではないかと不安になる。
だが。
「これは……旨いな。立派なシカルだ。わしが飲んだ中で一番かもしれん」
一気に歓声が上がる。
そうせずにこっそりと立ち去ろうとしたターハだったがミミエルにがっしりと肩を掴まれた。
「あーら? どこへ行こうとしてるのかしら? お・ば・さ・ん?」
「い、いやあ、ちょっとな? 用事を思い出してな?」
「酒を盗み出す用事かしら?」
うっと言葉に詰まる。
これほど褒めたたえられた酒の味が気になるのは当然だが、エタとしては容認できない。
「すみませんが売りに出すためには試飲してもらわないといけないのでこれ以上飲まれるわけには……」
「なんだよう! ラバサルのおっさんは飲んだじゃないか!」
「それはまあ、早い者勝ちということで……」
ずるいぞー、と駄々をこねるターハをあやすように言葉をつなぐ。
「ただ、きちんとこれまで通り働いていただけるならいずれターハさんにこのお酒を提供できる機会もあるかと……」
そう聞いた途端ターハはころりと態度を変え、今日も勤労にいそしもう、などと言いだし始めた。
数日前からやり始めている小麦の手入れは飽きが見え始めていたが、しばらく続けても文句は言われそうになかった。
「あ、そうだ。ザムグ。ちょっと聞きたいことがあるから残ってくれる?」
「はい。構いませんよ」
他に誰もいなくなった小屋でザムグとエタは向かい合う。
「聞きたいことって何ですか?」
ザムグに問われるとエタは悩ましい顔をした。
「聞きたいことじゃなくて……報告しないといけないことかな」
それに思い当たることのあったザムグもまた、表情を引き締めた。
「俺らの両親のことですか?」
「うん。君に言われて僕とラバサルさんが調べて直接会いに行ったんだけど……」
「俺たちはもうこの家の子じゃないとか言われたんでしょう?」
エタはザムグの切ない表情に胸が締め付けられそうになった。
両親からも、姉からも愛されて育ったと自信をもって断言できるエタにとって家族からごみのように捨てられる感情は想像さえできない。
言葉をかけられずに黙ってしまっているとザムグは寂しそうに、でも少しだけ嬉しそうに笑った。
「俺にとって両親は大事な人でした。いえ、今でもそうです。けど、病気になったニントルを神殿に預けろと言ったことは許せません」
「それは君が迷宮を探索することになった理由?」
「いえ、それも関係しているかもしれませんけど一番は父親の借金です。そのせいでニントルは神殿で診てもらうことさえできなかったわけです」
数千年前のメソポタミアにおいて医者という職業は存在せず、主に神官が病人を治療する職業だった。もちろん効果のほどは推して知るべし。
このメソポタミアでもまだ医者や薬というものはほぼ普及していない。
「でも感謝はしているんです。あの人たちのおかげでみんなに会えました」
「カルムやディスカールに?」
「二人もそうですけど、エタさんたちにも。俺は恵まれています。こんなにもいい人たちが俺を助けてくれました。この恩は本当に返しきれません」
「そんな大げさにならなくても……」
「なりますよ。俺はエタさんのおかげで本当の意味で人生を歩めたと思っています。きっとエンリル神のお導きです」
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ザムグはエンリル神の信徒らしい。
天候と王権を司るエンリル様から授かった掟なら『明日の天気を知る』掟になるのも頷ける。
「ありがとう。それなら、頼りにしてもいいかな」
「もちろんです。いくらでも頼ってください」
二人、お互いに笑いあう。
絆や信頼というものがそこにはあった。
「あ、言い忘れてたけど……」
「はい? なんですかエタさん」
「君の友達だっけ。以前ここにいたけど別の場所に移ったっていう子となら連絡が取れたけど……会ってみる?」
「あいつと? そうですね。時間があれば会ってみたいです」
かつての旧友との再会。
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しかしこれが予想もしない事件の始まりになるのだった。
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