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第二章 岩山の試練
第四話 道案内
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ギルド長の家に向かい、初めてエタの顔を見たザムグの第一印象はこんな子供が何の用だろう、だった。エタの方が年上ではあるのだが、わざわざこんな場末の迷宮に来る理由がわからなかった。
ちなみにエタの方もザムグを見て似たようなことを考えていた。
「初めましてシュメールという企業に勤めているエタリッツです」
「ザムグです。『雨の大牛』に所属しています」
挨拶を交わすとザムグから何をすればいいのか聞かれたエタは迷宮を探索してほしいと要請した。そんなことはギルド長から伝えられていると思っていたのだ。
ようやく事態を飲み込めてきたザムグは酒の湧く泉がある洞窟を案内し始めた。
迷宮の近くに来たエタはひどい臭いに顔をしかめそうになった。
夏に生魚を放置し続けたような腐敗臭。今日はもう何も食べ物を見たくなくなるほど気分が悪くなりそうだった。
「ひどい臭いでしょう? 俺たちはもう慣れましたけど」
「……そうだね。ちょっとここに入るのは気が引けるかな」
下手に否定するのは彼の誇りを傷つけるような気がしたエタは正直な感想を口にした。
「鼻をつまんでいて構いませんよ。道中の危険は俺が排除しますから」
ザムグは自分の胸ほどの高さの杖を携帯粘土板から取り出した。
おそらくこれが彼の掟だろう。
エタの視線に気づいたザムグはちょっとばつが悪そうに説明した。
「俺の掟はたいしたことありません。『明日の天気を知る』、それだけです。しかも的中率はそんなに高くありません」
悔しそうな、不甲斐なさそうな表情だった。戦いや冒険に向いてない掟を持った気持ちはエタにもよくわかった。
もっとも、エタよりはまだましだ。
「僕は戦いの才能がからきしないからね。頼りにしてるよ」
右前足が奇妙にねじ曲がったネズミが固い地面を這いまわる。明らかに腐敗しきった体ながら、俊敏な動きだった。
ただでさえ的の小さいそれは簡単に捉えられなかっただろう。
しかしザムグは洞窟の中に落ちていた小石を投げると、ぱっとネズミは石が落ちた場所の逆側に逃げる。
それを予測していたザムグは逃げ出した方角の地面を杖で払った。
ほとんど単純作業のように腐敗したネズミを打ち倒した。
しかしある意味真の戦いはこれからだった。
腐敗したネズミから飛び散った体液は洞窟内に充満する臭いよりさらにすさまじい刺激臭をまき散らした。
鼻をつまんでいるエタでさえひどい臭いのめまいがしそうになる。
「終わりましたよ……って、何してるんですか?」
ザムグが振り返ると目に入ったのはネズミの死体から目を逸らし、松明を落とさないようにうずくまるのを我慢しているエタだった。
「あ……いや、その、僕は血が苦手で……」
「そうなんですか?」
さっきの戦いの才能がないという言葉を謙遜か何かだと思っていたザムグは驚いていたと同時に、少しエタに親しみを感じていた。
「ここの迷宮ではそれほど危険な魔物は現れませんから。いざとなったら逃げましょう」
そう言ったザムグだったが、運が良かったのか、迷宮の奥まで苦労することなくたどり着いた。
やはりそこも腐乱臭がひどかったが、わずかながら果物の甘い臭いも漂っていた。
地面を見ると濁った泉の中に青白い石が沈殿していた。この石が迷宮の核なのだろう。
以前まだらの森で見た核とは比べ物にならないほど小さかったが、妖しい輝きを放っていた。
「ここの泉の水が酒になっています。でも、水を汲みすぎるとしばらく酒がとれなくなるのでほどほどにしないといけません」
なるほど、と頷きながら携帯粘土板にメモを取る。
エタはかなり速記が得意でしかも要点を上手くまとめることができる。この辺りも書記官に推薦された理由の一つでもある。
「あの……エタリッツさんは……」
「エタでいいよ」
「わかりました。エタさんはここに酒を買いに来たんですか?」
「そうだね。正確には購入の仲介だけど」
実のところエタの目的はそれだけではないのだが、そう簡単にザムグを信頼して秘密を打ち明けるわけにはいかなかった。
「じゃあ、俺たちにもその金は入りますか?」
悲壮感を隠した懇願。
この短い時間で彼らの境遇を察したエタは少なからずザムグに共感しており、助けになりたいとも思っていた。一方で助けるべき人間とそうでない人間をきっちり区分けする冷酷さも併せ持っている。
(やっぱりミミエルを連れてこなくてよかった)
彼女なら何としても助けようとしただろう。
だがこの程度の不幸はウルクのどこにでも溢れている。そのすべてを救うことなどできはしない。
「申し訳ないけれどダンジョンの探索権はギルド長にあるし、君たちの等級だと最低賃金しか払われないと思う」
「払われたことありませんよ。そんなもの……」
エタは家賃や食事代から天引きされているのだろうと推測し、それは正しかった。
「あいつは酒を買いあさったり、挙句の果てにはよその町の商人と揉めたりしてるのになんで俺たちだばっかり苦労しなきゃいけないんだ」
ザムグの思わずこぼした愚痴にぴくりと反応した。
「ザムグ君。その話、少し詳しく聞かせてくれる?」
ザムグから見たエタは蛇のように目を細めていた。
ちなみにエタの方もザムグを見て似たようなことを考えていた。
「初めましてシュメールという企業に勤めているエタリッツです」
「ザムグです。『雨の大牛』に所属しています」
挨拶を交わすとザムグから何をすればいいのか聞かれたエタは迷宮を探索してほしいと要請した。そんなことはギルド長から伝えられていると思っていたのだ。
ようやく事態を飲み込めてきたザムグは酒の湧く泉がある洞窟を案内し始めた。
迷宮の近くに来たエタはひどい臭いに顔をしかめそうになった。
夏に生魚を放置し続けたような腐敗臭。今日はもう何も食べ物を見たくなくなるほど気分が悪くなりそうだった。
「ひどい臭いでしょう? 俺たちはもう慣れましたけど」
「……そうだね。ちょっとここに入るのは気が引けるかな」
下手に否定するのは彼の誇りを傷つけるような気がしたエタは正直な感想を口にした。
「鼻をつまんでいて構いませんよ。道中の危険は俺が排除しますから」
ザムグは自分の胸ほどの高さの杖を携帯粘土板から取り出した。
おそらくこれが彼の掟だろう。
エタの視線に気づいたザムグはちょっとばつが悪そうに説明した。
「俺の掟はたいしたことありません。『明日の天気を知る』、それだけです。しかも的中率はそんなに高くありません」
悔しそうな、不甲斐なさそうな表情だった。戦いや冒険に向いてない掟を持った気持ちはエタにもよくわかった。
もっとも、エタよりはまだましだ。
「僕は戦いの才能がからきしないからね。頼りにしてるよ」
右前足が奇妙にねじ曲がったネズミが固い地面を這いまわる。明らかに腐敗しきった体ながら、俊敏な動きだった。
ただでさえ的の小さいそれは簡単に捉えられなかっただろう。
しかしザムグは洞窟の中に落ちていた小石を投げると、ぱっとネズミは石が落ちた場所の逆側に逃げる。
それを予測していたザムグは逃げ出した方角の地面を杖で払った。
ほとんど単純作業のように腐敗したネズミを打ち倒した。
しかしある意味真の戦いはこれからだった。
腐敗したネズミから飛び散った体液は洞窟内に充満する臭いよりさらにすさまじい刺激臭をまき散らした。
鼻をつまんでいるエタでさえひどい臭いのめまいがしそうになる。
「終わりましたよ……って、何してるんですか?」
ザムグが振り返ると目に入ったのはネズミの死体から目を逸らし、松明を落とさないようにうずくまるのを我慢しているエタだった。
「あ……いや、その、僕は血が苦手で……」
「そうなんですか?」
さっきの戦いの才能がないという言葉を謙遜か何かだと思っていたザムグは驚いていたと同時に、少しエタに親しみを感じていた。
「ここの迷宮ではそれほど危険な魔物は現れませんから。いざとなったら逃げましょう」
そう言ったザムグだったが、運が良かったのか、迷宮の奥まで苦労することなくたどり着いた。
やはりそこも腐乱臭がひどかったが、わずかながら果物の甘い臭いも漂っていた。
地面を見ると濁った泉の中に青白い石が沈殿していた。この石が迷宮の核なのだろう。
以前まだらの森で見た核とは比べ物にならないほど小さかったが、妖しい輝きを放っていた。
「ここの泉の水が酒になっています。でも、水を汲みすぎるとしばらく酒がとれなくなるのでほどほどにしないといけません」
なるほど、と頷きながら携帯粘土板にメモを取る。
エタはかなり速記が得意でしかも要点を上手くまとめることができる。この辺りも書記官に推薦された理由の一つでもある。
「あの……エタリッツさんは……」
「エタでいいよ」
「わかりました。エタさんはここに酒を買いに来たんですか?」
「そうだね。正確には購入の仲介だけど」
実のところエタの目的はそれだけではないのだが、そう簡単にザムグを信頼して秘密を打ち明けるわけにはいかなかった。
「じゃあ、俺たちにもその金は入りますか?」
悲壮感を隠した懇願。
この短い時間で彼らの境遇を察したエタは少なからずザムグに共感しており、助けになりたいとも思っていた。一方で助けるべき人間とそうでない人間をきっちり区分けする冷酷さも併せ持っている。
(やっぱりミミエルを連れてこなくてよかった)
彼女なら何としても助けようとしただろう。
だがこの程度の不幸はウルクのどこにでも溢れている。そのすべてを救うことなどできはしない。
「申し訳ないけれどダンジョンの探索権はギルド長にあるし、君たちの等級だと最低賃金しか払われないと思う」
「払われたことありませんよ。そんなもの……」
エタは家賃や食事代から天引きされているのだろうと推測し、それは正しかった。
「あいつは酒を買いあさったり、挙句の果てにはよその町の商人と揉めたりしてるのになんで俺たちだばっかり苦労しなきゃいけないんだ」
ザムグの思わずこぼした愚痴にぴくりと反応した。
「ザムグ君。その話、少し詳しく聞かせてくれる?」
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