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第一章 迷宮へと挑む
第五十四話 報い
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再びエタの脳内を吹き荒れる暴風。
しかし今度は離さない。見ず知らずのはずの誰かの小さな手が、添えられているから。
まるで時を何十倍にも引き延ばされた不思議な感覚を味わいながら、エタは祝詞を読み上げる。
「淡水と知恵を司る偉大なるエンキ神に希う」
自身が信仰するタンムズではなく、アトラハシスが信仰するエンキに向けた祈り。それは自然と口からこぼれていた。
今まさに迫っている搾取の魔人も目に入らない。
「諸人に救いを与えるために、搾取の檻から解き放つために。英知を砕かせたまえ!」
口の端から、目の端から、決して少なくない血を流しながら、突きノミを渾身の力を込めて粘土板に突き刺した。
ただの砂を突き刺すようにあまりにも軽く、ノミは粘土板を貫通し、そのまま粘土板は粉々に砕け散った。
「ぎ、ああああああ!」
搾取の魔人が頭を抑えながら、叫ぶ。
振り回していた蔓は枯れ、腕は皮と骨だけになったように干からびていた。
誰が見てもわかる。もはや完全に力を失っていた。
戦う意欲すら失い、這いながらそれでも往生際悪く出口に向かおうとする。だが満身創痍ながらも勝者としての気力に満ちたターハとラバサルが立ち塞がった。
「おいおい。ここまで来て逃げるなんてそりゃねえだろ」
「報いを受けるときだ」
蟻の顔が恐怖に染まる。少なくとも二人にはそう見えた。
「た、頼む。見逃してくれ! 俺が悪いんじゃない! 俺だってこんなことはしたくなかったんだ! お前たちを傷つけるつもりなんかなかった!」
弱っているにもかかわらず今まででもっとも流暢に会話していた。あるいは魔人としての力が弱ったからこそハマームの部分が強く出ているのかもしれない。
地面に額をこすりつけ、醜い命乞いをする搾取の魔人に対して、二人は構えを解く。
その気配を察した搾取の魔人は薄ら笑う。
「勘違いすんなよ。お前を裁くべきなのはあたしらじゃねえ」
顔を上げた魔人が後ろを振り向くと、幽鬼のように槌を構えるミミエルがいた。彼女はぽつぽつと語りだす。
「ねえ。あんた、エタを襲おうとしたとき止まったわよね。何が見えたの?」
その質問は搾取の魔人にとって恐怖を呼び起こすものだったらしい。びくりと震え、声を絞り出す。
「み、見えてねえ! 何も見てねえ!」
「あっそ。じゃあ……死になさい」
槌を振りあげる。それを見た魔人はすぐに釈明する。
「み、見えた! 確かに、ガキが、ガキがたくさんいた! 確か、俺のギルドにいたガキだ!」
ミミエルはぎゅっと大槌に力を込める。その光景を彼女も見えていたのか。
「そう。なら、名前、憶えてる? 誰でもいいの。覚えてる?」
「えっと、それは……覚えてない……でも仕方ねえんだ! 悪気があったわけじゃない! 最初は傷つけるつもりじゃなかった! それにガキなんかいくらでもいる! いちいちそんなこと気にしていられねえだろ!? 俺だって一歩間違えればあいつらと同じように迷宮でくたばるだけだった! だから努力したんだ! それで、ようやくギルドの長に、俺は、俺はア!」
ミミエルの顔が怒りと悲しみが混じる顔になった。
そのまま、叫ぶ。
「悪気があろうとなかろうと、どれだけあんたがひどい過去を持っていようと、あんたがどれだけ努力していようと……それが他人を傷つけていい理由にはならないのよ!」
槌が振り下ろされ、今度こそ搾取の魔人は絶命した。魔人の肉体はどろどろとした粘土に変わり、地面に広がっていく。
かつて神々は粘土から人作ったという。今では人が粘土に戻るようなことはないが、人の身から外れてしまった魔人は人として死ぬことはないのだろう。
しかし今度は離さない。見ず知らずのはずの誰かの小さな手が、添えられているから。
まるで時を何十倍にも引き延ばされた不思議な感覚を味わいながら、エタは祝詞を読み上げる。
「淡水と知恵を司る偉大なるエンキ神に希う」
自身が信仰するタンムズではなく、アトラハシスが信仰するエンキに向けた祈り。それは自然と口からこぼれていた。
今まさに迫っている搾取の魔人も目に入らない。
「諸人に救いを与えるために、搾取の檻から解き放つために。英知を砕かせたまえ!」
口の端から、目の端から、決して少なくない血を流しながら、突きノミを渾身の力を込めて粘土板に突き刺した。
ただの砂を突き刺すようにあまりにも軽く、ノミは粘土板を貫通し、そのまま粘土板は粉々に砕け散った。
「ぎ、ああああああ!」
搾取の魔人が頭を抑えながら、叫ぶ。
振り回していた蔓は枯れ、腕は皮と骨だけになったように干からびていた。
誰が見てもわかる。もはや完全に力を失っていた。
戦う意欲すら失い、這いながらそれでも往生際悪く出口に向かおうとする。だが満身創痍ながらも勝者としての気力に満ちたターハとラバサルが立ち塞がった。
「おいおい。ここまで来て逃げるなんてそりゃねえだろ」
「報いを受けるときだ」
蟻の顔が恐怖に染まる。少なくとも二人にはそう見えた。
「た、頼む。見逃してくれ! 俺が悪いんじゃない! 俺だってこんなことはしたくなかったんだ! お前たちを傷つけるつもりなんかなかった!」
弱っているにもかかわらず今まででもっとも流暢に会話していた。あるいは魔人としての力が弱ったからこそハマームの部分が強く出ているのかもしれない。
地面に額をこすりつけ、醜い命乞いをする搾取の魔人に対して、二人は構えを解く。
その気配を察した搾取の魔人は薄ら笑う。
「勘違いすんなよ。お前を裁くべきなのはあたしらじゃねえ」
顔を上げた魔人が後ろを振り向くと、幽鬼のように槌を構えるミミエルがいた。彼女はぽつぽつと語りだす。
「ねえ。あんた、エタを襲おうとしたとき止まったわよね。何が見えたの?」
その質問は搾取の魔人にとって恐怖を呼び起こすものだったらしい。びくりと震え、声を絞り出す。
「み、見えてねえ! 何も見てねえ!」
「あっそ。じゃあ……死になさい」
槌を振りあげる。それを見た魔人はすぐに釈明する。
「み、見えた! 確かに、ガキが、ガキがたくさんいた! 確か、俺のギルドにいたガキだ!」
ミミエルはぎゅっと大槌に力を込める。その光景を彼女も見えていたのか。
「そう。なら、名前、憶えてる? 誰でもいいの。覚えてる?」
「えっと、それは……覚えてない……でも仕方ねえんだ! 悪気があったわけじゃない! 最初は傷つけるつもりじゃなかった! それにガキなんかいくらでもいる! いちいちそんなこと気にしていられねえだろ!? 俺だって一歩間違えればあいつらと同じように迷宮でくたばるだけだった! だから努力したんだ! それで、ようやくギルドの長に、俺は、俺はア!」
ミミエルの顔が怒りと悲しみが混じる顔になった。
そのまま、叫ぶ。
「悪気があろうとなかろうと、どれだけあんたがひどい過去を持っていようと、あんたがどれだけ努力していようと……それが他人を傷つけていい理由にはならないのよ!」
槌が振り下ろされ、今度こそ搾取の魔人は絶命した。魔人の肉体はどろどろとした粘土に変わり、地面に広がっていく。
かつて神々は粘土から人作ったという。今では人が粘土に戻るようなことはないが、人の身から外れてしまった魔人は人として死ぬことはないのだろう。
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