12 / 304
第一章 迷宮へと挑む
第九話 企業と責任
しおりを挟む
アトラハシスに語った通り、エタは企業を訪れた。
もちろん一介の学生でしかないエタにそう立派なコネがあるはずもなく、数少ない知人であるシャルラの父親、リムズが経営する傭兵派遣企業ニスキツルに頼るしかなかった。
「へえ。意外と儲かってるねえ」
ターハが口笛を吹きながらニスキツルの事務所を批評する。幾何学模様が施された絨毯や、宝石のちりばめられた調度品を眺めての発言だった。
「確かにそうだが、わしはどうにも落ち着かねえな」
ラバサルの発言もなんとなく理解できる。
ここは冒険者ギルドとは違い、何もかもが統率され、画一的だった。服装、仕草、挨拶などウルクの市民にとって身分を証明する証があまりにも均一に揃っていた。
末端の社員にまで教育が行き届いているのだろう。自由と夢をよしとする冒険者とは真逆の様式だった。
「ようこそ。お越しくださいました。どうぞ、社長がお待ちです」
出迎えてくれたのはシャルラだった。
シャルラは正式な社員ではないものの、父親の仕事を手伝っているらしく、実戦経験も、実務経験も豊富だ。事務所にいる間は完全に社員としての態度を維持するつもりらしかった。
「では、失礼します」
部屋の中には帽子をかぶり、豊かなあごひげを蓄えた男性がいた。服はきっちりと着込んでおり、首から下げた三日月の神印が彼の信仰する神はナンナ神であることを示していた。
「初めまして。リムズだ。エタリッツ君。君の話は娘から聞いているよ。もっとも、今は自慢話をできる状況ではないようだがね」
挑発するような口調にエタは動じなかったが、ラバサルとターハは体を固くする気配があった。二人とも他人のために怒れる人なのだろう。
「はい。リムズ様にお時間を取らせて申し訳ありません。まずはこちらをご覧ください」
持参した粘土板を差し出した。計画の草稿だ。
リムズは指先で文字をなぞるように確認していたが、呆れたように吐き捨てた。
「話にならないな。迷宮、まだらの森の攻略に我が社の助力を要請する? そのために準備をしろ? あそこは灰の巨人というギルドが優先探索権を得ている。迷宮を攻略、踏破せずとも十分な利益が見込めるせいで灰の巨人は排他的な性質を持っている。おかげで他ギルドとの交流すらろくにないはずだ」
「ですが、必ず数日のうちに灰の巨人は他のギルドや企業に協力を要請します。それに便乗していただけませんか」
「ならその根拠を述べたまえ。この計画書にはそれがない」
エタの計画の弱点は実のところ計画を他人に説明できないという点である。
なにしろこの計画は誰がやってもうまくいくのだ。この時点でリムズに知られればエタの知らないところで勝手に計画を進められる恐れがある。残念ながらエタはリムズという人間を信用できていない。
「いいかね。ウルクにおける企業はギルドと違い、必ず初期費用をねん出した出資者がいる。企業の取締役は出資者と社員に責任を持って仕事に携わらなければならない。私とてこの立場が必ずしも安泰というわけではない。準備しろと簡単に言うが傭兵を派遣するには移動費用、食費、ありとあらゆる物事に金がかかる」
「ならその金をわしが担保するとしたらどうだ」
ラバサルは自分の携帯粘土板を差し出してみせた。
ちなみにこのメソポタミアに通貨というものは存在しない。すべて粘土板に記された数字で経済が回っている。
「ほう。ラバサル殿はエタリッツ君の計画にそれほど魅力を感じていると?」
実のところラバサルにも計画の説明はしていない。それでも信用してくれると言ってくれたことには感謝してもしきれない。
「ああ。わしはこいつに賭けると決めた」
かつてはそれなりに名の知れた冒険者だったラバサルの言葉を軽んじることはできなかったのか、無理にこちらの口を割らせようとはしなかった。
「……迷宮を踏破した場合の報酬は?」
「迷宮の優先探索権は迷宮を踏破した集団か個人、その次が発見した人です。灰の巨人はまだ迷宮を発見しただけです。つまり踏破した集団がいれば、優先探索権はそこが最も高くなる。僕が迷宮を踏破した場合、優先探索権をあなた方に売却します。売却の条件はこちらに」
新たに粘土板を提出し、リムズはそれをしげしげと眺めた。
「結構。契約を締結しよう。我々企業にとって契約と法律は最も遵守するべきものだ」
あっさりと掌を返したリムズは粘土板に指を押し当て、契約を結んだことを確認した。
そして三人の間の空気がわずかに弛緩した。これで一山超えたことになる。
「だがもちろん灰の巨人が何も言わなければラバサル殿は大量の借金を抱えることになる。そうはさせるないでくれたまえ」
そう軽く脅してリムズはくるりと後ろを向いた。
暗に退席を促す警告だった。
それに従い、全員で部屋を辞したのち、事務所からも出た。するとすぐにシャルラは謝罪した。
「ごめんねエタ。あなたが大変な時なのにあまり力になってあげられなくて……」
「ううん。リムズさんを紹介してくれただけでもすごくありがたいよ」
先ほどまでの社員としての冷厳な態度ではなく、友人としてのシャルラに戻ってくれたことにエタはほっとしていた。
「それならいいけど……まだらの森の攻略には私も参加するわ。止めないでね」
エタの表情から次の言葉を察したのか釘をさしてくる。この辺りは少し父親に似ているなあ、と心の中で苦笑した。
「それで、次はどうするの?」
「そうだね。まずは僕が灰の巨人に潜入するよ。確かめなくちゃいけないことがあるから」
全員から一斉に不安気な視線を送られてしまった。
もちろん一介の学生でしかないエタにそう立派なコネがあるはずもなく、数少ない知人であるシャルラの父親、リムズが経営する傭兵派遣企業ニスキツルに頼るしかなかった。
「へえ。意外と儲かってるねえ」
ターハが口笛を吹きながらニスキツルの事務所を批評する。幾何学模様が施された絨毯や、宝石のちりばめられた調度品を眺めての発言だった。
「確かにそうだが、わしはどうにも落ち着かねえな」
ラバサルの発言もなんとなく理解できる。
ここは冒険者ギルドとは違い、何もかもが統率され、画一的だった。服装、仕草、挨拶などウルクの市民にとって身分を証明する証があまりにも均一に揃っていた。
末端の社員にまで教育が行き届いているのだろう。自由と夢をよしとする冒険者とは真逆の様式だった。
「ようこそ。お越しくださいました。どうぞ、社長がお待ちです」
出迎えてくれたのはシャルラだった。
シャルラは正式な社員ではないものの、父親の仕事を手伝っているらしく、実戦経験も、実務経験も豊富だ。事務所にいる間は完全に社員としての態度を維持するつもりらしかった。
「では、失礼します」
部屋の中には帽子をかぶり、豊かなあごひげを蓄えた男性がいた。服はきっちりと着込んでおり、首から下げた三日月の神印が彼の信仰する神はナンナ神であることを示していた。
「初めまして。リムズだ。エタリッツ君。君の話は娘から聞いているよ。もっとも、今は自慢話をできる状況ではないようだがね」
挑発するような口調にエタは動じなかったが、ラバサルとターハは体を固くする気配があった。二人とも他人のために怒れる人なのだろう。
「はい。リムズ様にお時間を取らせて申し訳ありません。まずはこちらをご覧ください」
持参した粘土板を差し出した。計画の草稿だ。
リムズは指先で文字をなぞるように確認していたが、呆れたように吐き捨てた。
「話にならないな。迷宮、まだらの森の攻略に我が社の助力を要請する? そのために準備をしろ? あそこは灰の巨人というギルドが優先探索権を得ている。迷宮を攻略、踏破せずとも十分な利益が見込めるせいで灰の巨人は排他的な性質を持っている。おかげで他ギルドとの交流すらろくにないはずだ」
「ですが、必ず数日のうちに灰の巨人は他のギルドや企業に協力を要請します。それに便乗していただけませんか」
「ならその根拠を述べたまえ。この計画書にはそれがない」
エタの計画の弱点は実のところ計画を他人に説明できないという点である。
なにしろこの計画は誰がやってもうまくいくのだ。この時点でリムズに知られればエタの知らないところで勝手に計画を進められる恐れがある。残念ながらエタはリムズという人間を信用できていない。
「いいかね。ウルクにおける企業はギルドと違い、必ず初期費用をねん出した出資者がいる。企業の取締役は出資者と社員に責任を持って仕事に携わらなければならない。私とてこの立場が必ずしも安泰というわけではない。準備しろと簡単に言うが傭兵を派遣するには移動費用、食費、ありとあらゆる物事に金がかかる」
「ならその金をわしが担保するとしたらどうだ」
ラバサルは自分の携帯粘土板を差し出してみせた。
ちなみにこのメソポタミアに通貨というものは存在しない。すべて粘土板に記された数字で経済が回っている。
「ほう。ラバサル殿はエタリッツ君の計画にそれほど魅力を感じていると?」
実のところラバサルにも計画の説明はしていない。それでも信用してくれると言ってくれたことには感謝してもしきれない。
「ああ。わしはこいつに賭けると決めた」
かつてはそれなりに名の知れた冒険者だったラバサルの言葉を軽んじることはできなかったのか、無理にこちらの口を割らせようとはしなかった。
「……迷宮を踏破した場合の報酬は?」
「迷宮の優先探索権は迷宮を踏破した集団か個人、その次が発見した人です。灰の巨人はまだ迷宮を発見しただけです。つまり踏破した集団がいれば、優先探索権はそこが最も高くなる。僕が迷宮を踏破した場合、優先探索権をあなた方に売却します。売却の条件はこちらに」
新たに粘土板を提出し、リムズはそれをしげしげと眺めた。
「結構。契約を締結しよう。我々企業にとって契約と法律は最も遵守するべきものだ」
あっさりと掌を返したリムズは粘土板に指を押し当て、契約を結んだことを確認した。
そして三人の間の空気がわずかに弛緩した。これで一山超えたことになる。
「だがもちろん灰の巨人が何も言わなければラバサル殿は大量の借金を抱えることになる。そうはさせるないでくれたまえ」
そう軽く脅してリムズはくるりと後ろを向いた。
暗に退席を促す警告だった。
それに従い、全員で部屋を辞したのち、事務所からも出た。するとすぐにシャルラは謝罪した。
「ごめんねエタ。あなたが大変な時なのにあまり力になってあげられなくて……」
「ううん。リムズさんを紹介してくれただけでもすごくありがたいよ」
先ほどまでの社員としての冷厳な態度ではなく、友人としてのシャルラに戻ってくれたことにエタはほっとしていた。
「それならいいけど……まだらの森の攻略には私も参加するわ。止めないでね」
エタの表情から次の言葉を察したのか釘をさしてくる。この辺りは少し父親に似ているなあ、と心の中で苦笑した。
「それで、次はどうするの?」
「そうだね。まずは僕が灰の巨人に潜入するよ。確かめなくちゃいけないことがあるから」
全員から一斉に不安気な視線を送られてしまった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

仰っている意味が分かりません
水姫
ファンタジー
お兄様が何故か王位を継ぐ気満々なのですけれど、何を仰っているのでしょうか?
常識知らずの迷惑な兄と次代の王のやり取りです。
※過去に投稿したものを手直し後再度投稿しています。

もしかして寝てる間にざまぁしました?
ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。
内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。
しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。
私、寝てる間に何かしました?
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

なんか黄金とかいう馬鹿みたいなスキルを得たのでダラダラ欲望のままに金稼いで人生を楽しもうと思う
ちょす氏
ファンタジー
今の時代においてもっとも平凡な大学生の一人の俺。
卒業を間近に控え、周りの学生たちは冒険者としてのキャリアを選ぶ中、俺の夢はただひとつ、「悠々自適な生活」を送ること。
金も欲しいし、時間も欲しい。
程々に働いて程々に寝る……そんな生活だ。
しかし、それも容易ではなかった。100年前の事件によって。
そのせいで現代の世界は冒険者が主役の時代となっていた。
ある日、半ば興味本位で冒険者登録をしてみた俺は、予想外のスキル「黄金」を手に入れる。
「はぁ?」
俺が望んだのは平和な日常を送るためだが!?
悠々自適な生活とは程遠い、忙しない日々を送ることになる。

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる