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第一章 迷宮へと挑む
第九話 企業と責任
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アトラハシスに語った通り、エタは企業を訪れた。
もちろん一介の学生でしかないエタにそう立派なコネがあるはずもなく、数少ない知人であるシャルラの父親、リムズが経営する傭兵派遣企業ニスキツルに頼るしかなかった。
「へえ。意外と儲かってるねえ」
ターハが口笛を吹きながらニスキツルの事務所を批評する。幾何学模様が施された絨毯や、宝石のちりばめられた調度品を眺めての発言だった。
「確かにそうだが、わしはどうにも落ち着かねえな」
ラバサルの発言もなんとなく理解できる。
ここは冒険者ギルドとは違い、何もかもが統率され、画一的だった。服装、仕草、挨拶などウルクの市民にとって身分を証明する証があまりにも均一に揃っていた。
末端の社員にまで教育が行き届いているのだろう。自由と夢をよしとする冒険者とは真逆の様式だった。
「ようこそ。お越しくださいました。どうぞ、社長がお待ちです」
出迎えてくれたのはシャルラだった。
シャルラは正式な社員ではないものの、父親の仕事を手伝っているらしく、実戦経験も、実務経験も豊富だ。事務所にいる間は完全に社員としての態度を維持するつもりらしかった。
「では、失礼します」
部屋の中には帽子をかぶり、豊かなあごひげを蓄えた男性がいた。服はきっちりと着込んでおり、首から下げた三日月の神印が彼の信仰する神はナンナ神であることを示していた。
「初めまして。リムズだ。エタリッツ君。君の話は娘から聞いているよ。もっとも、今は自慢話をできる状況ではないようだがね」
挑発するような口調にエタは動じなかったが、ラバサルとターハは体を固くする気配があった。二人とも他人のために怒れる人なのだろう。
「はい。リムズ様にお時間を取らせて申し訳ありません。まずはこちらをご覧ください」
持参した粘土板を差し出した。計画の草稿だ。
リムズは指先で文字をなぞるように確認していたが、呆れたように吐き捨てた。
「話にならないな。迷宮、まだらの森の攻略に我が社の助力を要請する? そのために準備をしろ? あそこは灰の巨人というギルドが優先探索権を得ている。迷宮を攻略、踏破せずとも十分な利益が見込めるせいで灰の巨人は排他的な性質を持っている。おかげで他ギルドとの交流すらろくにないはずだ」
「ですが、必ず数日のうちに灰の巨人は他のギルドや企業に協力を要請します。それに便乗していただけませんか」
「ならその根拠を述べたまえ。この計画書にはそれがない」
エタの計画の弱点は実のところ計画を他人に説明できないという点である。
なにしろこの計画は誰がやってもうまくいくのだ。この時点でリムズに知られればエタの知らないところで勝手に計画を進められる恐れがある。残念ながらエタはリムズという人間を信用できていない。
「いいかね。ウルクにおける企業はギルドと違い、必ず初期費用をねん出した出資者がいる。企業の取締役は出資者と社員に責任を持って仕事に携わらなければならない。私とてこの立場が必ずしも安泰というわけではない。準備しろと簡単に言うが傭兵を派遣するには移動費用、食費、ありとあらゆる物事に金がかかる」
「ならその金をわしが担保するとしたらどうだ」
ラバサルは自分の携帯粘土板を差し出してみせた。
ちなみにこのメソポタミアに通貨というものは存在しない。すべて粘土板に記された数字で経済が回っている。
「ほう。ラバサル殿はエタリッツ君の計画にそれほど魅力を感じていると?」
実のところラバサルにも計画の説明はしていない。それでも信用してくれると言ってくれたことには感謝してもしきれない。
「ああ。わしはこいつに賭けると決めた」
かつてはそれなりに名の知れた冒険者だったラバサルの言葉を軽んじることはできなかったのか、無理にこちらの口を割らせようとはしなかった。
「……迷宮を踏破した場合の報酬は?」
「迷宮の優先探索権は迷宮を踏破した集団か個人、その次が発見した人です。灰の巨人はまだ迷宮を発見しただけです。つまり踏破した集団がいれば、優先探索権はそこが最も高くなる。僕が迷宮を踏破した場合、優先探索権をあなた方に売却します。売却の条件はこちらに」
新たに粘土板を提出し、リムズはそれをしげしげと眺めた。
「結構。契約を締結しよう。我々企業にとって契約と法律は最も遵守するべきものだ」
あっさりと掌を返したリムズは粘土板に指を押し当て、契約を結んだことを確認した。
そして三人の間の空気がわずかに弛緩した。これで一山超えたことになる。
「だがもちろん灰の巨人が何も言わなければラバサル殿は大量の借金を抱えることになる。そうはさせるないでくれたまえ」
そう軽く脅してリムズはくるりと後ろを向いた。
暗に退席を促す警告だった。
それに従い、全員で部屋を辞したのち、事務所からも出た。するとすぐにシャルラは謝罪した。
「ごめんねエタ。あなたが大変な時なのにあまり力になってあげられなくて……」
「ううん。リムズさんを紹介してくれただけでもすごくありがたいよ」
先ほどまでの社員としての冷厳な態度ではなく、友人としてのシャルラに戻ってくれたことにエタはほっとしていた。
「それならいいけど……まだらの森の攻略には私も参加するわ。止めないでね」
エタの表情から次の言葉を察したのか釘をさしてくる。この辺りは少し父親に似ているなあ、と心の中で苦笑した。
「それで、次はどうするの?」
「そうだね。まずは僕が灰の巨人に潜入するよ。確かめなくちゃいけないことがあるから」
全員から一斉に不安気な視線を送られてしまった。
もちろん一介の学生でしかないエタにそう立派なコネがあるはずもなく、数少ない知人であるシャルラの父親、リムズが経営する傭兵派遣企業ニスキツルに頼るしかなかった。
「へえ。意外と儲かってるねえ」
ターハが口笛を吹きながらニスキツルの事務所を批評する。幾何学模様が施された絨毯や、宝石のちりばめられた調度品を眺めての発言だった。
「確かにそうだが、わしはどうにも落ち着かねえな」
ラバサルの発言もなんとなく理解できる。
ここは冒険者ギルドとは違い、何もかもが統率され、画一的だった。服装、仕草、挨拶などウルクの市民にとって身分を証明する証があまりにも均一に揃っていた。
末端の社員にまで教育が行き届いているのだろう。自由と夢をよしとする冒険者とは真逆の様式だった。
「ようこそ。お越しくださいました。どうぞ、社長がお待ちです」
出迎えてくれたのはシャルラだった。
シャルラは正式な社員ではないものの、父親の仕事を手伝っているらしく、実戦経験も、実務経験も豊富だ。事務所にいる間は完全に社員としての態度を維持するつもりらしかった。
「では、失礼します」
部屋の中には帽子をかぶり、豊かなあごひげを蓄えた男性がいた。服はきっちりと着込んでおり、首から下げた三日月の神印が彼の信仰する神はナンナ神であることを示していた。
「初めまして。リムズだ。エタリッツ君。君の話は娘から聞いているよ。もっとも、今は自慢話をできる状況ではないようだがね」
挑発するような口調にエタは動じなかったが、ラバサルとターハは体を固くする気配があった。二人とも他人のために怒れる人なのだろう。
「はい。リムズ様にお時間を取らせて申し訳ありません。まずはこちらをご覧ください」
持参した粘土板を差し出した。計画の草稿だ。
リムズは指先で文字をなぞるように確認していたが、呆れたように吐き捨てた。
「話にならないな。迷宮、まだらの森の攻略に我が社の助力を要請する? そのために準備をしろ? あそこは灰の巨人というギルドが優先探索権を得ている。迷宮を攻略、踏破せずとも十分な利益が見込めるせいで灰の巨人は排他的な性質を持っている。おかげで他ギルドとの交流すらろくにないはずだ」
「ですが、必ず数日のうちに灰の巨人は他のギルドや企業に協力を要請します。それに便乗していただけませんか」
「ならその根拠を述べたまえ。この計画書にはそれがない」
エタの計画の弱点は実のところ計画を他人に説明できないという点である。
なにしろこの計画は誰がやってもうまくいくのだ。この時点でリムズに知られればエタの知らないところで勝手に計画を進められる恐れがある。残念ながらエタはリムズという人間を信用できていない。
「いいかね。ウルクにおける企業はギルドと違い、必ず初期費用をねん出した出資者がいる。企業の取締役は出資者と社員に責任を持って仕事に携わらなければならない。私とてこの立場が必ずしも安泰というわけではない。準備しろと簡単に言うが傭兵を派遣するには移動費用、食費、ありとあらゆる物事に金がかかる」
「ならその金をわしが担保するとしたらどうだ」
ラバサルは自分の携帯粘土板を差し出してみせた。
ちなみにこのメソポタミアに通貨というものは存在しない。すべて粘土板に記された数字で経済が回っている。
「ほう。ラバサル殿はエタリッツ君の計画にそれほど魅力を感じていると?」
実のところラバサルにも計画の説明はしていない。それでも信用してくれると言ってくれたことには感謝してもしきれない。
「ああ。わしはこいつに賭けると決めた」
かつてはそれなりに名の知れた冒険者だったラバサルの言葉を軽んじることはできなかったのか、無理にこちらの口を割らせようとはしなかった。
「……迷宮を踏破した場合の報酬は?」
「迷宮の優先探索権は迷宮を踏破した集団か個人、その次が発見した人です。灰の巨人はまだ迷宮を発見しただけです。つまり踏破した集団がいれば、優先探索権はそこが最も高くなる。僕が迷宮を踏破した場合、優先探索権をあなた方に売却します。売却の条件はこちらに」
新たに粘土板を提出し、リムズはそれをしげしげと眺めた。
「結構。契約を締結しよう。我々企業にとって契約と法律は最も遵守するべきものだ」
あっさりと掌を返したリムズは粘土板に指を押し当て、契約を結んだことを確認した。
そして三人の間の空気がわずかに弛緩した。これで一山超えたことになる。
「だがもちろん灰の巨人が何も言わなければラバサル殿は大量の借金を抱えることになる。そうはさせるないでくれたまえ」
そう軽く脅してリムズはくるりと後ろを向いた。
暗に退席を促す警告だった。
それに従い、全員で部屋を辞したのち、事務所からも出た。するとすぐにシャルラは謝罪した。
「ごめんねエタ。あなたが大変な時なのにあまり力になってあげられなくて……」
「ううん。リムズさんを紹介してくれただけでもすごくありがたいよ」
先ほどまでの社員としての冷厳な態度ではなく、友人としてのシャルラに戻ってくれたことにエタはほっとしていた。
「それならいいけど……まだらの森の攻略には私も参加するわ。止めないでね」
エタの表情から次の言葉を察したのか釘をさしてくる。この辺りは少し父親に似ているなあ、と心の中で苦笑した。
「それで、次はどうするの?」
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