迷宮攻略企業シュメール

秋葉夕雲

文字の大きさ
上 下
3 / 293
第一章 迷宮へと挑む

第二話 信じたいのは

しおりを挟む
 息を切らせてたどり着いた、両親とエタリッツ、そして時折里帰りする姉が四人で暮らす自宅兼雑貨屋には何もなかった。比喩ではない。本当に何もなかった。
 普段は家具や商品が所狭しと並んでいる部屋には人も、物も、何もなかった。この部屋はこんなにも広かったのか。驚きのせいで奇妙な感想が心の中で浮かんでいた。
「おおっと。初めまして。さっき通話したから声でわかるよね?」
 茫然としつつも振り返ると遊牧民の衣装を着込んでいるなぜか軽薄そうな男が立っていた。目鼻立ちから、もしかすると都市国家の出身でないのかもしれない。
「商売ギルド所属の商人です。主に取り扱っている商品は奴隷。ま、借金を支払えなくなった奴への取立人も兼業しているけどね」
「しゃ、借金? ふ、ふざけるな!」
 エタは思わず取立人に掴みかかろうとするが、横にいた体格のよい男に取り押さえられた。しかしそれでも取立人をにらみ続けて、叫んだ。
「父さんや母さんが借金なんて作るはずないだろ!」
「うん。そうだね。実際二人には借金なんてないよ。借金を作ったのは君のお姉さんだよ」
「そ、それこそありえない! 姉ちゃんは一流の冒険者なんだ! 借金なんて作るはずがない!」
 取立人は無言で一枚の粘土板を突き出した。そこにはいろいろと誓約文書が書かれていたが、重要なのはこの一文のみ。
「雑貨屋の娘、イレースは店を担保として金を借り受ける……?」
 文字は理解できる。だが、その意味は頭に入ってこない。
「あ、ちなみにこれ、イシュタル神の神印ね。理解していると思うけど偽造は不可能だよ」
 エタもウルクの市民なら理解できている。神印はその神を現す印章であり、許可がなければ粘土板はおろか地面に落書きすることさえできない。記せば捕まるとか罰金になるとかそういうものではない。許可のとられていない神印は記した瞬間に消えてしまう。
 つまり、この粘土板は本物だ。それでも脳は理解を拒む。
「う、嘘だ! 姉ちゃんと、姉ちゃんと話をさせてくれ!」
「うんうん。いやー、私も話したいんだけどねえ。でも無理なんだよ。だって君のお姉さん、男と一緒に夜逃げしちゃったから」
「……え?」
 耳を塞ぎたい。目を閉じたい。頭を凍らせたい。
 心の底からの願望を振り払って質問する。
「どういう……ことだよ」
「いやいや。私もちゃんと説明してあげたいんだけどね? 時間がないからそろそろ単刀直入に言うよ。君の姉はどこにいるかわからないから君の家、店、両親はすべて売りに出される」
 それはもはや死刑宣告だった。ようやく頭がまともに働きだしたエタは必死に懇願した。
「お、お願いします。お願いだから、何でもするから、それだけはやめてください」
 惨めったらしく縋るエタに、取立人はいやらしい笑みを浮かべた。
「そんなに言われちゃしょうがないなあ。じゃあ賭けをしよう」
「賭け? なんの?」
 商人はにやりと笑い、芝居がかった仕草と言葉をつづけた。
「我々ウルク、そして全ての都市国家の民がここにいる理由は何か。偉大なるエンリル神が我々人間をこの地につかわせた理由は何か。当然迷宮を攻略することだ。つまり、迷宮を攻略した人間には褒賞が必要だ。そこで」
 取立人は一度言葉を区切り、エタの顔をじっくりと覗き込んで続きを言い放った。
「君は未踏破の迷宮を二十日以内に踏破したまえ。そうすれば君たちの全財産はすべて返却しよう。ただしそれができなければ……君も奴隷だ。ああ、一言忠告すると、君の両親は君を奴隷にしないよう懸命に努力したよ。どうすることが親孝行なのかはじっくり考えたほうがいい。さあ、どうする?」
 これはかなり無茶な条件だ。未踏破とはつまり今まで誰も最深部にたどり着いたことのない迷宮だ。この地に迷宮が生まれてからどれほどの月日がたったのか誰も知らないが、簡単に踏破できる迷宮はとっくの昔に踏破されている。必然的にエタが挑むのは少なく見ても十年、長ければ数百年踏破されたことのない迷宮であるはずだ。
 そんな迷宮に自分が挑む? 不可能で、無謀だ。
 しかしエタの脳裏には家族との思い出が呼び起こされた。
 かつては英雄譚に目を輝かせたが、戦いの才がなく、馬鹿にされたこと。しかし姉も、両親もそんな自分を見捨てず励まし、いつしかエタも自分自身を受け入れられるようになっていた。
(僕には、父さんや母さんを見捨てるなんてできない。姉ちゃんが借金を背負って逃げたなんて、何かの間違いだ)
 決然と、取立人を見据える。
「……わかりました。賭けに乗ります」
「いい返事だ。二十日後を期待しているよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冤罪で追放した男の末路

菜花
ファンタジー
ディアークは参っていた。仲間の一人がディアークを嫌ってるのか、回復魔法を絶対にかけないのだ。命にかかわる嫌がらせをする女はいらんと追放したが、その後冤罪だったと判明し……。カクヨムでも同じ話を投稿しています。

原産地が同じでも結果が違ったお話

よもぎ
ファンタジー
とある国の貴族が通うための学園で、女生徒一人と男子生徒十数人がとある罪により捕縛されることとなった。女生徒は何の罪かも分からず牢で悶々と過ごしていたが、そこにさる貴族家の夫人が訪ねてきて……。 視点が途中で切り替わります。基本的に一人称視点で話が進みます。

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

ある国立学院内の生徒指導室にて

よもぎ
ファンタジー
とある王国にある国立学院、その指導室に呼び出しを受けた生徒が数人。男女それぞれの指導担当が「指導」するお話。 生徒指導の担当目線で話が進みます。

ある平民生徒のお話

よもぎ
ファンタジー
とある国立学園のサロンにて、王族と平民生徒は相対していた。 伝えられたのはとある平民生徒が死んだということ。その顛末。 それを黙って聞いていた平民生徒は訥々と語りだす――

「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!

七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ? 俺はいったい、どうなっているんだ。 真実の愛を取り戻したいだけなのに。

学園長からのお話です

ラララキヲ
ファンタジー
 学園長の声が学園に響く。 『昨日、平民の女生徒の食べていたお菓子を高位貴族の令息5人が取り囲んで奪うという事がありました』  昨日ピンク髪の女生徒からクッキーを貰った自覚のある王太子とその側近4人は項垂れながらその声を聴いていた。  学園長の話はまだまだ続く…… ◇テンプレ乙女ゲームになりそうな登場人物(しかし出てこない) ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...