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第五章
359 ぽんぽこりん
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トゥッチェにほど近い町で重病人であるタストが運ばれてきたのは真夜中のことだった。
教会の司祭が眠い目をこすって負傷者が誰かを問うと教皇の御子だというのだから危うく気絶しそうになってしまった。
ちなみにクワイには病院という存在がない。というかそもそも医術というものさえ存在しない。その代わり薬などは漢方薬に近いものがあり、その流通は教会が取り仕切っているので、必然的に病人は教会に運ばれる。もっとも『万が一』のことがあれば、そのまま葬式を行うことも少なくないのだが。
しかし万が一以上にも教皇の御子を死なせてはならぬということで、司祭はありとあらゆる手を尽くして治療に当たっていた。気絶したタストに香を焚き、負傷個所に布を当て、神に祈っていた。これがクワイにおける最新の、そして千年変わらぬ医療である。
そして負傷したタストを発見したのはウェングだった。知らせを受けたアグルも息を切らせてたどり着いた。
「ウェング様。タスト様の様子はいかがですか?」
「まだ意識を取り戻さない。……どうやら俺たちと合流しようとしていたところを魔物に襲われたみたいだ」
「一命をとりとめたのですね。流石はウェング様です。よくぞ御子様をお救いくださいました」
「……神の御導きですよ」
ウェングがタストを見つけたのは偶然ではなく、受け取った文から予想される到着時間になってもタストが来なかったところで予知が発動したのだ。タストが危機に陥っていると。
もっと早くに予知できていれば未然に防げたのかもしれないが……そんな便利な能力ではないのだ。
沈んだ気持ちのままうなだれる。きちんと認可された教会でなら神に祈りが届くのだろうか。いや、もしもここで祈っても何も変わらなければどこで祈っても同じだということにはならないだろうか。そんな今考えるべきでないことを考えてしまっていた。
「アグルさん。例の作戦の方はどうなっていますか」
「順調です。今日明日中にも実行されるでしょう」
一旦引いてから追撃に出た敵を殲滅する。その後別の魔物と戦い、負ける。それがアグルの策で、ウェングも聞いていた。今のところそう悪い未来は見えていない。
ただしタストの病状についてはまだはっきりしていない。よい未来も悪い未来も見えていない。それだけどうなるのかわからないということか。
そこに一人のアグルの部下である一人の女が飛び込んできた。
「アグル殿。偵察がもどりません……それどころか騎士団とも連絡が途絶えています」
「何……?」
アグルが疑問符を発したその瞬間――――。
ウェングの脳裏にはチャーロが、仲間が、騎士団が壊滅し、誰一人として動かなくなった光景がまざまざと浮かんだ。
思わず頭痛を堪えるように頭を押さえる。
「……こういうのははっきり見えるのかよ」
明るい未来はさっぱり見せないくせに最悪の予想ばかり見せられたら愚痴の一つでも言いたくなる。
「ウェング様? どうかなさいましたか?」
心配そうにアグルがのぞき込んでくる。その気づかいは嬉しいけど、今はそれよりもやるべきことがある。
「アグルさん。騎士団は壊滅したと考えた方がいい」
「……」
「な、何を言っている!?」
アグルは沈黙によって、部下は怒りによって返答した。後者の反応が普通だろう。むしろその事態を予想していたらしいアグルの方が異常だ。
「……偵察の連絡が完全に途絶えているのは明らかにおかしい。何かあったと判断するべきです」
「……敗残兵の救出を急がせましょう。そして、直ちに銀の聖女様にご出征いただかねばなりません」
話についていけない部下を無視して二人で話を進める。アグルは騎士団の現状を確認していないが、教都チャンガンには騎士団は壊滅した、という報告を行うつもりだった。そうでなければすぐに銀の聖女を動かせないからだ。
ある意味狙い通りではあるのだが、まさか完全に壊滅するとは思っていなかった。実際には壊滅どころか生存者さえいないという異常事態なのだが、流石にそこまでは読み切れていない。
「そうしよう。俺たちは……敵の強さを見くびってた」
「……私もそう思います。もはや一刻の猶予もありません。これはクワイの存亡の危機です」
すべての手配は急速に進められ、凶報は迅速に教都チャンガンに届けられた。
うっそうと茂る山林の奥、でっぷりとした体格のまさに狸親父と呼びたくなる魔物がそこにいた。
眉狸の首魁、オルーシである。彼の頭を悩ませているのは数日前からひっきりなしに訪れる使者であった。
「なんやまた来とったんかいなあの蟻」
「そうやねんオルーシはん。どないします?」
「どうもこうもあらへん。適当に追い返せや」
眉狸たちの生活はそれほど楽ではないが、少なくとも今は困窮していない。数十年前にとある魔物からこの辺りの山を奪い取って以来、山の木の実や虫、小さな獣を食べ、寝床を作り、一族の力を合わせて慎ましやかに暮らしている。
かつての同胞でありながら一切援助しなかったマーモットの関係者らしい蟻に何を言われても頷くつもりはない。
「はあ。それがなあ。連中妙なもん欲しがっとんねん」
「はあ? なんやそれ」
オルーシは蟻が欲しがっている物を聞くと……。
「何でそんなもん欲しがっとんねん。そういう趣味でもあんのんか?」
大多数の狸と同じような反応をした。
「まあそうやねんけど……連中、今日中に返答がなかったらここを攻めるいうとんねん」
「ええええ。なんなんそれ。そんな欲しいんか?」
「そうなんとちゃう? 代わりに食いもんくれるみたいやから損はせえへんはずやで」
「そうやけどなあ……正直気に入らんわ」
狸たちにとって蟻が欲しがるものは大した価値を持たない。だからと言ってそう簡単にくれてやるのは面白くないのだ。
この土地は自分たちが勝ち取り、守り抜いてきた土地で、その恵みは自分たちのものだという自負がある。それをぽっと出の魔物にはいどうぞと渡していいわけがない。
「来るんやったら迎え撃ったる。そんじょそこらのアホにはなんも渡したらんわ」
狸の住む山はオルーシの号令のもと、戦闘態勢に素早く移っていた。
教会の司祭が眠い目をこすって負傷者が誰かを問うと教皇の御子だというのだから危うく気絶しそうになってしまった。
ちなみにクワイには病院という存在がない。というかそもそも医術というものさえ存在しない。その代わり薬などは漢方薬に近いものがあり、その流通は教会が取り仕切っているので、必然的に病人は教会に運ばれる。もっとも『万が一』のことがあれば、そのまま葬式を行うことも少なくないのだが。
しかし万が一以上にも教皇の御子を死なせてはならぬということで、司祭はありとあらゆる手を尽くして治療に当たっていた。気絶したタストに香を焚き、負傷個所に布を当て、神に祈っていた。これがクワイにおける最新の、そして千年変わらぬ医療である。
そして負傷したタストを発見したのはウェングだった。知らせを受けたアグルも息を切らせてたどり着いた。
「ウェング様。タスト様の様子はいかがですか?」
「まだ意識を取り戻さない。……どうやら俺たちと合流しようとしていたところを魔物に襲われたみたいだ」
「一命をとりとめたのですね。流石はウェング様です。よくぞ御子様をお救いくださいました」
「……神の御導きですよ」
ウェングがタストを見つけたのは偶然ではなく、受け取った文から予想される到着時間になってもタストが来なかったところで予知が発動したのだ。タストが危機に陥っていると。
もっと早くに予知できていれば未然に防げたのかもしれないが……そんな便利な能力ではないのだ。
沈んだ気持ちのままうなだれる。きちんと認可された教会でなら神に祈りが届くのだろうか。いや、もしもここで祈っても何も変わらなければどこで祈っても同じだということにはならないだろうか。そんな今考えるべきでないことを考えてしまっていた。
「アグルさん。例の作戦の方はどうなっていますか」
「順調です。今日明日中にも実行されるでしょう」
一旦引いてから追撃に出た敵を殲滅する。その後別の魔物と戦い、負ける。それがアグルの策で、ウェングも聞いていた。今のところそう悪い未来は見えていない。
ただしタストの病状についてはまだはっきりしていない。よい未来も悪い未来も見えていない。それだけどうなるのかわからないということか。
そこに一人のアグルの部下である一人の女が飛び込んできた。
「アグル殿。偵察がもどりません……それどころか騎士団とも連絡が途絶えています」
「何……?」
アグルが疑問符を発したその瞬間――――。
ウェングの脳裏にはチャーロが、仲間が、騎士団が壊滅し、誰一人として動かなくなった光景がまざまざと浮かんだ。
思わず頭痛を堪えるように頭を押さえる。
「……こういうのははっきり見えるのかよ」
明るい未来はさっぱり見せないくせに最悪の予想ばかり見せられたら愚痴の一つでも言いたくなる。
「ウェング様? どうかなさいましたか?」
心配そうにアグルがのぞき込んでくる。その気づかいは嬉しいけど、今はそれよりもやるべきことがある。
「アグルさん。騎士団は壊滅したと考えた方がいい」
「……」
「な、何を言っている!?」
アグルは沈黙によって、部下は怒りによって返答した。後者の反応が普通だろう。むしろその事態を予想していたらしいアグルの方が異常だ。
「……偵察の連絡が完全に途絶えているのは明らかにおかしい。何かあったと判断するべきです」
「……敗残兵の救出を急がせましょう。そして、直ちに銀の聖女様にご出征いただかねばなりません」
話についていけない部下を無視して二人で話を進める。アグルは騎士団の現状を確認していないが、教都チャンガンには騎士団は壊滅した、という報告を行うつもりだった。そうでなければすぐに銀の聖女を動かせないからだ。
ある意味狙い通りではあるのだが、まさか完全に壊滅するとは思っていなかった。実際には壊滅どころか生存者さえいないという異常事態なのだが、流石にそこまでは読み切れていない。
「そうしよう。俺たちは……敵の強さを見くびってた」
「……私もそう思います。もはや一刻の猶予もありません。これはクワイの存亡の危機です」
すべての手配は急速に進められ、凶報は迅速に教都チャンガンに届けられた。
うっそうと茂る山林の奥、でっぷりとした体格のまさに狸親父と呼びたくなる魔物がそこにいた。
眉狸の首魁、オルーシである。彼の頭を悩ませているのは数日前からひっきりなしに訪れる使者であった。
「なんやまた来とったんかいなあの蟻」
「そうやねんオルーシはん。どないします?」
「どうもこうもあらへん。適当に追い返せや」
眉狸たちの生活はそれほど楽ではないが、少なくとも今は困窮していない。数十年前にとある魔物からこの辺りの山を奪い取って以来、山の木の実や虫、小さな獣を食べ、寝床を作り、一族の力を合わせて慎ましやかに暮らしている。
かつての同胞でありながら一切援助しなかったマーモットの関係者らしい蟻に何を言われても頷くつもりはない。
「はあ。それがなあ。連中妙なもん欲しがっとんねん」
「はあ? なんやそれ」
オルーシは蟻が欲しがっている物を聞くと……。
「何でそんなもん欲しがっとんねん。そういう趣味でもあんのんか?」
大多数の狸と同じような反応をした。
「まあそうやねんけど……連中、今日中に返答がなかったらここを攻めるいうとんねん」
「ええええ。なんなんそれ。そんな欲しいんか?」
「そうなんとちゃう? 代わりに食いもんくれるみたいやから損はせえへんはずやで」
「そうやけどなあ……正直気に入らんわ」
狸たちにとって蟻が欲しがるものは大した価値を持たない。だからと言ってそう簡単にくれてやるのは面白くないのだ。
この土地は自分たちが勝ち取り、守り抜いてきた土地で、その恵みは自分たちのものだという自負がある。それをぽっと出の魔物にはいどうぞと渡していいわけがない。
「来るんやったら迎え撃ったる。そんじょそこらのアホにはなんも渡したらんわ」
狸の住む山はオルーシの号令のもと、戦闘態勢に素早く移っていた。
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