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秋葉夕雲

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第四章

305 駆虎呑狼

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 カンガルーの犠牲を出したものの全軍の破滅は免れたアンティ同盟だが、その危機はまだ終わらない。
 昨日はアンティ同盟と関係ない魔物の群れを襲い、さらに今日は恐らくアンティ同盟の弱小種族が襲われるらしい。もちろんできるだけ避難はさせているけど、それでも殿は必要になる。
 犠牲は増えるばかりだ。そもそもあいつらはオレたちを追ってきているはずなのにアンティ同盟と戦ってどうするんだ? そう仕向けたのはオレとはいえ……。

「わかってんのか銀髪。お前がどんだけ強くても一人しかいないんだ。お前ひとりじゃあバッタの大発生みたいな自然現象にはどうやったって勝てないんだぞ。アンティ同盟が壊滅すればバッタを止める奴らがいなくなる危険さえある」
 食物連鎖。
 現代文明であれば小学生でさえ知っている簡単な理屈だ。正しくは食物環だけど、この際どうでもいい。つまり一部の生物が極端に減少すれば生態系が崩れるということさえ理解できればいい。
 最大の捕食者である銀髪が活動すればするほど食物連鎖の下位に当たるアンティ同盟が小さくなる。そして、その結果食物連鎖のより下位に当たる草食動物が増え、草が激減し、最終的にはこの高原はより厳しい砂漠になる。
 最悪の展開だ。
 ああくそ。わかってるよ。わかってる。
「銀髪がそんなことを理解していないことくらいわかってるよ」
 食物連鎖の概念が提唱されたのはチャールズ・サザーランド・エルトンだと言われており、西暦千九百二十年くらいだったはずだ。産業革命から百年以上遅れてようやく生態系というものに目を向け始めたのだ。
 こんな野蛮な連中が理解しているはずもない。魔物を殺せば世界が救えるなんて思ってる連中だ。真実はその逆。魔物を皆殺しにすれば世界は滅びるかもしれない。そんなこと、信じるはずもないのだ。
 どこぞの万物の霊長のようにさんざん生き物を絶滅に追いやってから、他生物の保護を唱える奴らがちらほら現れるのが知的生命体という生き物だ。
 ヒトモドキが地球人類より少しばかり知的なら賢明な判断ができるかもしれないが……望み薄だ。
 それに対して鵺の討伐作戦は着々と進んでいる。それでもやはり確実に仕留めるためにはかなりの人数がいる。厄介な敵に対抗するためには準備が必要だ。
 時間と人員というシンプルなコストを支払う必要がある。しかし……そのコストをこの高原に向ければ……状況は好転するだろうか。
 そもそも鵺を先に倒すという計画を定めたのはオレだし、それを覆すのは……いや、損切りは戦略に組み込むべきか? 最初に定めた作戦に拘泥するのはアホのすること。
 いやでも鵺をフリーにはできないし……。
 そんな思考の泥沼に沈んでいたオレの脳を叩いたのは一つの報告だった。

「コッコー! ご報告があります!」
「和香? どうした? お前はまだ休んで……」
「それどころではありません」
 和香からいつにない焦りを感じる。一体何があった?
「コッコー。私が倒れていた間の連絡が上手くいっていなかったようで、王に伝わるのが遅れたようです。申し訳ありません」
「いや、お前が倒れたのはオレの責任でもあるからそれはいい。それよりも何があったのか教えてくれ」
「コッコー。ヒトモドキどもの教都チャンガンを見張っていた部隊からの連絡です」
 連中の政治の中心からの連絡? つまり奴らにとって政治的に無視できない何かが起こったということか?
 その予想は正しく、その内容は驚くべきものだった。



 紫水が報告を受け取る前。そのチャンガンでは重大な演説が行われていた。
 大衆の注目を集めるのはアチャータ・ヌイ・イージェン・ルファイ。つまりタストの母親で、セイノス教の教皇である。
「穢れた魔物の侵攻は絶えることはない。愚かにも我らが神聖なる大地に今年も忌まわしい輩が足を踏み入れようとしている。あの熊が、三頭! 群れを成して我らを穢そうとやってくる! だが!」
 民衆は息をのむ。恐れと同時に期待からだ。教皇が次に告げる存在こそが神に愛されている証であり、また希望だと信じている。
「恐れることはない! 我らには神の加護と銀の聖女がついておられる!」
 絶叫のような歓声が都中にこだまする。聖女様と共に戦う、そう奮い立つ信徒は後を絶たなかった。



「ま、まじかよ」
「コッコー」
 ラーテルが西の果てのスーサン、そこにいるヒトモドキの前に姿を現した? 何という僥倖。何という幸運。
 これなら間違いなく銀髪の注意はラーテルに向く。何しろ教皇が銀の聖女が討伐に向かうと断言したんだ。これで銀髪が戻らなければ教皇の命令に背いたことになる。
 辺境の騒動と中央からの指示。どちらを重視するかいちいち考えるまでもない。
 携帯もテレパシーもないヒトモドキなら情報伝達のタイムラグはある……いやそれでも演説をぶちかます前に手紙くらい出しているはずだ。
 遅めに見ても、今から十日あればたどり着くはず。迷子になったり、トラブルがなければ。
「むしろオレたちがトラブルを起こさないようにすればいい。マーモットたちに連絡だ! もしも急いでいるヒトモドキを見かけたら絶対に攻撃するな! 銀髪はそのうち撤退する! それと教都から高原に繋がる道を見張って通れるようにしろ!」
 指示を出す傍ら頭を離れなかったのはラーテルのことだ。
 口ぶりから考えて、ラーテルは毎年見かけるわけじゃないようだ。しかし、去年のラーテルに続き、今年は三頭もいきなり現れている。これはどう考えても異常事態。
(ラーテルの生息地、スーサンの西、あるいはそれよりも西方の土地で一体何が起こっている!? いい加減忙しさにかまけて無視していい状況じゃない。何とかして西の情報を手に入れないとまずいぞ!?)

 とまれ、望外の幸運が舞い込んだのは確か。
 後は指示がつつがなく通達されるかという、敵の有能さに期待する奇妙な状況になってしまった。
 結果として、敵の命令伝達機構は優秀だった。
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