312 / 509
第四章
305 駆虎呑狼
しおりを挟む
カンガルーの犠牲を出したものの全軍の破滅は免れたアンティ同盟だが、その危機はまだ終わらない。
昨日はアンティ同盟と関係ない魔物の群れを襲い、さらに今日は恐らくアンティ同盟の弱小種族が襲われるらしい。もちろんできるだけ避難はさせているけど、それでも殿は必要になる。
犠牲は増えるばかりだ。そもそもあいつらはオレたちを追ってきているはずなのにアンティ同盟と戦ってどうするんだ? そう仕向けたのはオレとはいえ……。
「わかってんのか銀髪。お前がどんだけ強くても一人しかいないんだ。お前ひとりじゃあバッタの大発生みたいな自然現象にはどうやったって勝てないんだぞ。アンティ同盟が壊滅すればバッタを止める奴らがいなくなる危険さえある」
食物連鎖。
現代文明であれば小学生でさえ知っている簡単な理屈だ。正しくは食物環だけど、この際どうでもいい。つまり一部の生物が極端に減少すれば生態系が崩れるということさえ理解できればいい。
最大の捕食者である銀髪が活動すればするほど食物連鎖の下位に当たるアンティ同盟が小さくなる。そして、その結果食物連鎖のより下位に当たる草食動物が増え、草が激減し、最終的にはこの高原はより厳しい砂漠になる。
最悪の展開だ。
ああくそ。わかってるよ。わかってる。
「銀髪がそんなことを理解していないことくらいわかってるよ」
食物連鎖の概念が提唱されたのはチャールズ・サザーランド・エルトンだと言われており、西暦千九百二十年くらいだったはずだ。産業革命から百年以上遅れてようやく生態系というものに目を向け始めたのだ。
こんな野蛮な連中が理解しているはずもない。魔物を殺せば世界が救えるなんて思ってる連中だ。真実はその逆。魔物を皆殺しにすれば世界は滅びるかもしれない。そんなこと、信じるはずもないのだ。
どこぞの万物の霊長のようにさんざん生き物を絶滅に追いやってから、他生物の保護を唱える奴らがちらほら現れるのが知的生命体という生き物だ。
ヒトモドキが地球人類より少しばかり知的なら賢明な判断ができるかもしれないが……望み薄だ。
それに対して鵺の討伐作戦は着々と進んでいる。それでもやはり確実に仕留めるためにはかなりの人数がいる。厄介な敵に対抗するためには準備が必要だ。
時間と人員というシンプルなコストを支払う必要がある。しかし……そのコストをこの高原に向ければ……状況は好転するだろうか。
そもそも鵺を先に倒すという計画を定めたのはオレだし、それを覆すのは……いや、損切りは戦略に組み込むべきか? 最初に定めた作戦に拘泥するのはアホのすること。
いやでも鵺をフリーにはできないし……。
そんな思考の泥沼に沈んでいたオレの脳を叩いたのは一つの報告だった。
「コッコー! ご報告があります!」
「和香? どうした? お前はまだ休んで……」
「それどころではありません」
和香からいつにない焦りを感じる。一体何があった?
「コッコー。私が倒れていた間の連絡が上手くいっていなかったようで、王に伝わるのが遅れたようです。申し訳ありません」
「いや、お前が倒れたのはオレの責任でもあるからそれはいい。それよりも何があったのか教えてくれ」
「コッコー。ヒトモドキどもの教都チャンガンを見張っていた部隊からの連絡です」
連中の政治の中心からの連絡? つまり奴らにとって政治的に無視できない何かが起こったということか?
その予想は正しく、その内容は驚くべきものだった。
紫水が報告を受け取る前。そのチャンガンでは重大な演説が行われていた。
大衆の注目を集めるのはアチャータ・ヌイ・イージェン・ルファイ。つまりタストの母親で、セイノス教の教皇である。
「穢れた魔物の侵攻は絶えることはない。愚かにも我らが神聖なる大地に今年も忌まわしい輩が足を踏み入れようとしている。あの熊が、三頭! 群れを成して我らを穢そうとやってくる! だが!」
民衆は息をのむ。恐れと同時に期待からだ。教皇が次に告げる存在こそが神に愛されている証であり、また希望だと信じている。
「恐れることはない! 我らには神の加護と銀の聖女がついておられる!」
絶叫のような歓声が都中にこだまする。聖女様と共に戦う、そう奮い立つ信徒は後を絶たなかった。
「ま、まじかよ」
「コッコー」
ラーテルが西の果てのスーサン、そこにいるヒトモドキの前に姿を現した? 何という僥倖。何という幸運。
これなら間違いなく銀髪の注意はラーテルに向く。何しろ教皇が銀の聖女が討伐に向かうと断言したんだ。これで銀髪が戻らなければ教皇の命令に背いたことになる。
辺境の騒動と中央からの指示。どちらを重視するかいちいち考えるまでもない。
携帯もテレパシーもないヒトモドキなら情報伝達のタイムラグはある……いやそれでも演説をぶちかます前に手紙くらい出しているはずだ。
遅めに見ても、今から十日あればたどり着くはず。迷子になったり、トラブルがなければ。
「むしろオレたちがトラブルを起こさないようにすればいい。マーモットたちに連絡だ! もしも急いでいるヒトモドキを見かけたら絶対に攻撃するな! 銀髪はそのうち撤退する! それと教都から高原に繋がる道を見張って通れるようにしろ!」
指示を出す傍ら頭を離れなかったのはラーテルのことだ。
口ぶりから考えて、ラーテルは毎年見かけるわけじゃないようだ。しかし、去年のラーテルに続き、今年は三頭もいきなり現れている。これはどう考えても異常事態。
(ラーテルの生息地、スーサンの西、あるいはそれよりも西方の土地で一体何が起こっている!? いい加減忙しさにかまけて無視していい状況じゃない。何とかして西の情報を手に入れないとまずいぞ!?)
とまれ、望外の幸運が舞い込んだのは確か。
後は指示がつつがなく通達されるかという、敵の有能さに期待する奇妙な状況になってしまった。
結果として、敵の命令伝達機構は優秀だった。
昨日はアンティ同盟と関係ない魔物の群れを襲い、さらに今日は恐らくアンティ同盟の弱小種族が襲われるらしい。もちろんできるだけ避難はさせているけど、それでも殿は必要になる。
犠牲は増えるばかりだ。そもそもあいつらはオレたちを追ってきているはずなのにアンティ同盟と戦ってどうするんだ? そう仕向けたのはオレとはいえ……。
「わかってんのか銀髪。お前がどんだけ強くても一人しかいないんだ。お前ひとりじゃあバッタの大発生みたいな自然現象にはどうやったって勝てないんだぞ。アンティ同盟が壊滅すればバッタを止める奴らがいなくなる危険さえある」
食物連鎖。
現代文明であれば小学生でさえ知っている簡単な理屈だ。正しくは食物環だけど、この際どうでもいい。つまり一部の生物が極端に減少すれば生態系が崩れるということさえ理解できればいい。
最大の捕食者である銀髪が活動すればするほど食物連鎖の下位に当たるアンティ同盟が小さくなる。そして、その結果食物連鎖のより下位に当たる草食動物が増え、草が激減し、最終的にはこの高原はより厳しい砂漠になる。
最悪の展開だ。
ああくそ。わかってるよ。わかってる。
「銀髪がそんなことを理解していないことくらいわかってるよ」
食物連鎖の概念が提唱されたのはチャールズ・サザーランド・エルトンだと言われており、西暦千九百二十年くらいだったはずだ。産業革命から百年以上遅れてようやく生態系というものに目を向け始めたのだ。
こんな野蛮な連中が理解しているはずもない。魔物を殺せば世界が救えるなんて思ってる連中だ。真実はその逆。魔物を皆殺しにすれば世界は滅びるかもしれない。そんなこと、信じるはずもないのだ。
どこぞの万物の霊長のようにさんざん生き物を絶滅に追いやってから、他生物の保護を唱える奴らがちらほら現れるのが知的生命体という生き物だ。
ヒトモドキが地球人類より少しばかり知的なら賢明な判断ができるかもしれないが……望み薄だ。
それに対して鵺の討伐作戦は着々と進んでいる。それでもやはり確実に仕留めるためにはかなりの人数がいる。厄介な敵に対抗するためには準備が必要だ。
時間と人員というシンプルなコストを支払う必要がある。しかし……そのコストをこの高原に向ければ……状況は好転するだろうか。
そもそも鵺を先に倒すという計画を定めたのはオレだし、それを覆すのは……いや、損切りは戦略に組み込むべきか? 最初に定めた作戦に拘泥するのはアホのすること。
いやでも鵺をフリーにはできないし……。
そんな思考の泥沼に沈んでいたオレの脳を叩いたのは一つの報告だった。
「コッコー! ご報告があります!」
「和香? どうした? お前はまだ休んで……」
「それどころではありません」
和香からいつにない焦りを感じる。一体何があった?
「コッコー。私が倒れていた間の連絡が上手くいっていなかったようで、王に伝わるのが遅れたようです。申し訳ありません」
「いや、お前が倒れたのはオレの責任でもあるからそれはいい。それよりも何があったのか教えてくれ」
「コッコー。ヒトモドキどもの教都チャンガンを見張っていた部隊からの連絡です」
連中の政治の中心からの連絡? つまり奴らにとって政治的に無視できない何かが起こったということか?
その予想は正しく、その内容は驚くべきものだった。
紫水が報告を受け取る前。そのチャンガンでは重大な演説が行われていた。
大衆の注目を集めるのはアチャータ・ヌイ・イージェン・ルファイ。つまりタストの母親で、セイノス教の教皇である。
「穢れた魔物の侵攻は絶えることはない。愚かにも我らが神聖なる大地に今年も忌まわしい輩が足を踏み入れようとしている。あの熊が、三頭! 群れを成して我らを穢そうとやってくる! だが!」
民衆は息をのむ。恐れと同時に期待からだ。教皇が次に告げる存在こそが神に愛されている証であり、また希望だと信じている。
「恐れることはない! 我らには神の加護と銀の聖女がついておられる!」
絶叫のような歓声が都中にこだまする。聖女様と共に戦う、そう奮い立つ信徒は後を絶たなかった。
「ま、まじかよ」
「コッコー」
ラーテルが西の果てのスーサン、そこにいるヒトモドキの前に姿を現した? 何という僥倖。何という幸運。
これなら間違いなく銀髪の注意はラーテルに向く。何しろ教皇が銀の聖女が討伐に向かうと断言したんだ。これで銀髪が戻らなければ教皇の命令に背いたことになる。
辺境の騒動と中央からの指示。どちらを重視するかいちいち考えるまでもない。
携帯もテレパシーもないヒトモドキなら情報伝達のタイムラグはある……いやそれでも演説をぶちかます前に手紙くらい出しているはずだ。
遅めに見ても、今から十日あればたどり着くはず。迷子になったり、トラブルがなければ。
「むしろオレたちがトラブルを起こさないようにすればいい。マーモットたちに連絡だ! もしも急いでいるヒトモドキを見かけたら絶対に攻撃するな! 銀髪はそのうち撤退する! それと教都から高原に繋がる道を見張って通れるようにしろ!」
指示を出す傍ら頭を離れなかったのはラーテルのことだ。
口ぶりから考えて、ラーテルは毎年見かけるわけじゃないようだ。しかし、去年のラーテルに続き、今年は三頭もいきなり現れている。これはどう考えても異常事態。
(ラーテルの生息地、スーサンの西、あるいはそれよりも西方の土地で一体何が起こっている!? いい加減忙しさにかまけて無視していい状況じゃない。何とかして西の情報を手に入れないとまずいぞ!?)
とまれ、望外の幸運が舞い込んだのは確か。
後は指示がつつがなく通達されるかという、敵の有能さに期待する奇妙な状況になってしまった。
結果として、敵の命令伝達機構は優秀だった。
0
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
公爵家三男に転生しましたが・・・
キルア犬
ファンタジー
前世は27歳の社会人でそこそこ恋愛なども経験済みの水嶋海が主人公ですが…
色々と本当に色々とありまして・・・
転生しました。
前世は女性でしたが異世界では男!
記憶持ち葛藤をご覧下さい。
作者は初投稿で理系人間ですので誤字脱字には寛容頂きたいとお願いします。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる