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秋葉夕雲

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第四章

295 悩める姫君

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 もしも不幸が訪れることをあらかじめ予見することができればそれは幸福なのだろうか。それとも決して変えられない不幸が迫りくることを予見して絶望するのだろうか。
 いずれにせよ只人にとって不幸とは予見しうるものではない。
 これは戦術や戦略に一切関りがない純粋な運不運によって起こった事象だった。

「何だあれは?」
 二人の女性の飛脚がそれを目撃して無事でいられたのは全くの幸運だった。もとよりラオからの手紙を運ぶ飛脚であるがゆえにこの辺りの地理には不慣れだったため、到着が遅れたことと、結果的に見つかりにくい場所から関に近づいてしまったという望外の幸運に恵まれたために、魔物が何やら壁を作っているさまを見届けることができた。
「大変だ……これはどうすれば……」
「どうもこうもない。何とかして誰かに伝えるしかないでしょう」
 この二人は無事に見つかることなく異変を伝え、奇跡的に伝達経路がねじれた結果、ほぼ最速のタイミングでトゥッチェの転生者たちに伝えられることになる。



 砦を取り囲んでからはや数日。色々と演目を変えたり、聖旗とかいう旗を立ててみた結果……向こうの反応そのものは良好だった。
 旗を拝んだり、蟻に敵意がある視線を送ることが少なくなっていた。しかしそれでもトップらしき少女が落とせない。
 たまに質問したりしてくるけど、それに答えてもイマイチ煮え切らない対応しかしてこない。
 それにつられてか、やはりオレたちを疑う連中もちらほらいる。セイノス教の厄介なところはとにかくトップに従う、という思考によって統一されているところだ。
 だからあの少女を落とせないことには話が進まない。とはいえそれほど焦ってはいない。じっくり時間をかけて……というわけにもいかなくなった。

「ぎ、銀髪が来てるう!?」
「コッコー」
 野営地を見張っていたカッコウたちの報告によると高原の外から来た一団と、銀髪の部下らしき一団、遊牧民の一部が一緒になってこの集落を目指しているらしい。
 ばっちり駕籠に乗り込む銀髪を目撃したらしいので、疑いようがない。
 くそ、これならこの砦を襲った情報をわざと伝えさせて、銀髪が離れたのを見計らってから野営地を襲撃した方がよかったか……? いやいやそれは結果論だ。こんな小さな砦を見捨てる可能性の方がよっぽど高かったはず。なにか事情があるのかもしれないけど……あー、こういう時の為にスパイが欲しいのになあ。
 多分到着まで数日はある……つまり数日しかない。後始末やら色々考えればできれば三日は欲しい。できれば今日中にけりをつけないと。幸い集落の連中は銀髪がここに向かっていることを知らない。やはり敵を取り込むなら情報取得手段を制限するのが吉だな。あいつらきっと銀髪が近くにいると知ったら喜んで尻尾を振るだろう。
 奴らが近づいてきたら……もうしかるべき処理を施すしかない。オレたちの情報をほんの少しでも銀髪に、クワイの中央に与えるわけにはいかない。奴らの中に頭の切れる奴がいないとは限らないのだから。



 外界から隔離された関の住人は主に二つに割れていた。
 一つは天からの声をいと高き場所からの託宣だと受け止め、すぐさまこの場を離れるべきという主張。
 もう一つはあれこそが悪魔の誘惑であり、この場を離れるべきではないという主張。
 大部分は前者だったが、事実上この関を仕切っているラクリは沈黙を保っていたため、議論に決着がつくことはなかった。
 そのラクリもまた、葛藤し続けていた。
 聖旗の光、さらには紛れもなく本物の聖旗を壁の頂上に建てられては、まさしく神の威光とみなすほかない。
 だが、彼女には何かが引っかかっていた。それが何かもわからず、さりとて行動する決断力もなかった。
 これまでのラクリの人生は単純だった。
 育てられた環境に従い、ティキーの言葉に従い、それらを次代に伝える。そこに誤りがあるという思考自体持たない自動人形のようなもの。だが、外界から隔離され、なおかつ彼女以外上位の責任者がおらず、なおかつ前例のない事態に追い込まれ、ようやく彼女は自らが決断しなければならない状況になった。

(お姉さま。私はどうしたら……)
 ぐるぐると回る思考は迷宮をさまよい続けている。誰にも相談できないからこそ、その思考には出口がない。自らを勇気づけるために神のキノコグモーヴを食べても気分は晴れない。
 しかしそこで唐突に誰かから話しかけられた。

「ラクリ様。少しよろしいですか」
 顔を上げると、かつてここで砂漠トカゲと戦った時に行動を共にした少年がいた。なんでも見苦しい抵抗をしていた砂漠トカゲを討ち果たし、その魂を救った勇敢な少年なのだ。
「どうかしましたか?」
 弱弱しい声でもせめて目を見て返答する。
「ぼ、ぼくはラクリ様のことを信じています。銀の聖女様も偉大ですけど、ラクリ様もぼくたちを導ける素晴らしいお方だと思っています」
 たどたどしく、怯えが混ざった言葉だったからこそその言葉には嘘がないと確信できた。まっすぐな飾り気のない言葉が今は嬉しかった。
 そっと少年の手を握る。
「ありがとう少年。ええ、私もあの方々には及ばずとも微力を尽くし、あなた方を導きます」
「は、はい! ラクリ様のご決断なら、銀の聖女様もきっとお喜びくださるでしょう」
 それだけが言いたかったのか、少年はすぐに立ち去った。
 ふっと力が抜けたラクリはいつしかまどろみに身をゆだねていった。

 どこでもない空間でただ一人、水に浮かぶように漂っている。
 流れに身を任せ、力を抜き、いずこかへと向かっていく。それでいい。これでいい。言い聞かせるまでもなくラクリはただ漂うだけだ。
 だがしかし、彼女にも全力を発揮しなければならない時が来た。
「お姉さま!」
 彼女が敬愛してやまないティキーを見つけた。しかし彼女は後ろを振り向いて歩きだした。その姿はどんどん遠ざかっていく。
「お姉さま! 待って、待ってください!」
 先ほどとは違い、手に、足に、命の限り力を込めるがティキーとの距離は遠ざかるばかりだ。今こそ声を聴きたいのに。いや、ほんの数か月前常に側にいたことこそがまさに夢のような出来事だったのだと、離れて過ごした数か月でようやく実感できた。
「せめて、せめてお声を聴かせてください! せめて――――」
 今まで歩いていたティキーは振り返り、何事かをつぶやいた。それは――――。

 はっと目が覚める。
「……夢……?」
 夢と呼ぶにはあまりにも生々しすぎる感覚。あれは本当に夢だったのだろうか?
「それに、ティキーお姉さまのあのお言葉……」
 目元を拭うとわずかに涙の後があった。
「ラクリ様? どうかなさいましたか?」
 ラクリの子供を育てている男が声をかけてくる。どうやらラクリの異変を感じ取ったらしい。
「申し訳ありませんが皆を集めてもらえませんか?」
 覚悟を決めた瞳で前を向く。一つ、気付いたことがあった。
「何か……?」
「はい。託宣を受けました」
 ラクリは万全の確信と共に言葉を紡いだ。
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