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秋葉夕雲

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第四章

256 災禍

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 一説によると。
 地球史上もっとも多く人命を奪った生物は蚊であるという。正確には蚊を媒介として感染症が蔓延するために多くの人命が損なわれた。
 次点が人類同士の殺し合いらしいということはさもありなんとうなずくべきか、それともちっぽけな蚊が人類以上の殺し屋であることに憤激するべきかは個人の主観にゆだねるべきだろう。
 さて、では少し趣向を変えて、人類に最も被害を与えた生物とは何かを考えてみよう。
 被害、ということなのだからそれは必ずしも人命にかかわることでなくて良い。例えば――――農作物への被害。当然ながら飢えれば人は死ぬのだから農作物に被害を与える生物は間接的に人命を奪っていることになる。
 そしてそれらの生物の中でひときわ目立つのがバッタである。
 古代からバッタの群れの大発生は農作物に甚大な被害を与える昆虫として知られており、旧約聖書や漢書などの歴史資料に記載されている。さらにはバッタをモチーフとした悪魔も存在し、蝗害というバッタの大発生を示す単語さえも古くから知られている。

 つまりバッタは、ただの生物でありながら天災にさえ昇華されてしまった生物である。

 では何故このような大発生が起こるのか? バッタにはと呼ばれる現象が発生する。
 種類にもよるものの一般的な緑色をしたバッタは孤独相と呼ばれ、バッタ同士が距離をとって生育可能な環境が続いていればこの姿になる。しかし、数世代を通じて極端にバッタ同士が過密な環境に置かれた場合、群生相と呼ばれる長距離移動に特化した子供が生まれるようになる。
 それが、相変異。
 この状態では大群を成し、徹底的に食べるものを食いつくす。悪魔のように。
 バッタに限った話ではないが、生物が大群を形成して移動することは決して珍しくない。捕食者から身を守るためや、集団で移動することで新たな生息地で生き延びる個体を少しでも増やす一種の環境適応能力である。
 しかし地球では近年蝗害の被害は減少傾向にある。殺虫剤の進歩やバッタの大繁殖を事前に予想する能力が向上しているためだ。
 しかしながら発展途上国で大発生が確認されることがしばしばあり、その場合やはり農業への被害は少なくない。現代技術をもってしても決して無視できる存在ではないのである。
 では、それらのバッタが大型犬ほどの大きさなら? 農薬が効かなければ? 魔法が使えれば? すなわち――――魔物ならばどうなるのか?



 諸々の事情を知らせたティウは数秒絶句するとすぐにテレパシーでアンティ同盟の重役たちに連絡を取り始め、テレパシーによる遠隔脳内会議を始めた。
 連絡を受けた面々も一様に重苦しい空気を吐き出し、沈みこむように表情は暗く硬い。そんな空気を破ったのはやはりマーモットのティウだった。
「まさかこのタイミングで黒の悪魔が現れるとは思いませんでした」
 黒の悪魔。どう考えてもバッタのことだな。
「あいつらが発生することは今までにもあったのか?」
「ええ。数年に一度ですが。二か月ほど前に間引きを行ったばかりだったのでしばらくはないだろうと高を括っておりました」
 アンティ同盟も対策を怠っていたわけではないようだけど、生物の繁殖を完全に予想するのは土台無理だ。マーモットの探知能力でさえバッタは発見できないらしいからなおさら気付くのは難しい。
「空から我々も見て回ったがどうも奴ら北東から西にかけて複数の群れがいくつか発生しておるな。合計すればゆうに三百万は超えるじゃろう」
 ケーロイは鷲の群れを率いて高原を飛び回り情報収集に努めてくれたようだ。わかったことは破滅へのカウントダウンが始まっているというぎりぎりで希望の持てる地獄行きのニュースだけど。
「移動している様子は?」
「まだないが……時間の問題じゃろう。もしも群れ同士が合流すれば一巻の終わりじゃな」
 群れの規模が膨れ上がれば移動する確率は上がる。さらに戦うのならなるべく敵が分散している方がいい。十対百よりも十対十を十回繰り返す方がまだ勝算はある。
「いっそ遊牧民とバッタを戦わせられたらなあ」
「難しいでしょうな。あ奴らの行動は読めませんし、あなた方の領地に大量の連中がたむろすることになりますよ」
 ティウの指摘通り、何の因果なのかバッタはオレたちの領地付近に大発生している群れが多い。そこまで遊牧民を招き入れるのは厳しすぎる。
 かといってこのまま放置すると高原を荒らすどころか山を越えてエミシに侵略してくる可能性さえある。つーか多分来る。だってこっちの方が土地が肥えてるし。だからここで何としても食い止めないといけない。
「わかった。じゃあオレから援軍を要請するよ。その方が手続きはしやすいだろ?」
「よろしいので?」
「構わない。ここでケチって全部ご破算になったらそっちの方が馬鹿らしい」
 アンティ同盟では領地をまたいだ行動はだいたいその土地の領主の許可がいるから、たとえ緊急事態だったとしてもルールを無視して移動すると秩序が乱れてしまう。せっかくティラミスで獲得した援軍要請権利をここで消費するのはもったいない気持ちはあるけどね。
「心苦しいのですが遊牧民の対処もそちらに任せてもよろしいですか?」
「……しゃあなしか。最悪砦を放棄するけど文句言うなよ」
「できる限り素早く黒の悪魔を殲滅し、あなた方に援軍を送ることを誓いましょう。幸い一部の種族はすでに軍の集結が終わっております」
「……いやそれ遊牧民用に集めた奴らだろ? むしろそれにかまけてバッタを見逃したんじゃないのか?」
「これは手厳しい。残念ながら否定できませんが」
 のっぴきならない状況だけど軽口が叩けないほど精神的に追い詰められてはいなかった。ここまでは。

「紫水!」
「千尋? どうかしたのか?」
「襲われておる!」
「え、何が?」
「ここがじゃ!」
「ここ? ここって……まさか……今オレがいる樹海の巣にか!?」
「そうじゃ!」
 今更だけどオレは超ビビりだ。当然ながらオレがいる巣は最大限の警戒を行い、巣の場所は見つかりにくく守りやすい地形にあって、連絡体制も万全に整えている。
 そのオレが今いる巣が、千尋が慌てる状態になるまで気付かなった? 一体何が起きている?
「誰か!? 巣を襲っている奴らを見ている奴らはいないか!?」
 何とか働き蟻と感覚共有を試みた結果……一つの光景が映し出された。
 そこにいたのは――――。
「何だこいつ……?」
 さんざん訳の分からない生物を見てきたオレでさえ絶句するほどに巨大な異形。
 猫の頭にうぞうぞとうごめく多足は毛深く、ひづめを持つ。胴体には黒い毛皮に白い玉模様が浮かぶ。そして尻尾が二つ。馬の尻尾に、サソリの針のようにとがる尻尾。
 もう一度言おう。
 こいつは誰だ? 何だ? どこから来た?
 その疑問の答えを出すよりも先に、謎の魔物は咆哮し、それきり視界は閉ざされた。

 この度襲いかかる災禍は三つ。
 遊牧民。
 バッタ。
 奇怪な魔物。
 まるで神か悪魔が悪意を持って遣わせたように同時に蟻の王国に災いが押し寄せた。
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