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秋葉夕雲

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第三章

195 燈火を掲げろ

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「……ん……」
「お目覚めですか? 紫水」
「おー……寧々か。どれくらい寝てた?」
「わずかな時間です。ラーテルは進み始めていますがもう少し時間がかかりそうです」
「そっか。久しぶりに子守唄の夢を見たなあ」
 何故か命の危機が迫ったり、ここぞという時が近づいているとそういう夢を見る気がする。
「? 子守唄? 夢?」
 寧々は怪訝そうな声を上げる。
「ん? 子守唄はともかく……夢もわからないのか?」
「夢とは何ですか?」
「眠っている間に見る景色のようなものだけど……みたことがないのか?」
「記憶にありません」
 ふうん。普通の蟻は夢を見ないのだろうか?
「その辺りの話はあとだな。そろそろラーテルが来る」
「はい」
 巨大な獣は徐々にその足を速めつつあった。

 三匹のラーテルはゆっくりと、周りの魔物がついていける速度で歩みを進める。
 迷いはないが警戒は解かない。
 魔物の群れを従えているようにすら見えるその様はまさしく魔物の王、魔王とでも形容するべきか。木々を蹴散らし、地面に足跡をつけ、目的地へと近づいていく。

 オレたちの基本戦術は待ち伏せからの弓だ。それは今までさんざん繰り返されてきたし、どんな魔物だろうが、地球の最新鋭の軍隊だったとしても有効だったはずだ。木々の合間に、樹がなければ長屋のような防衛施設を作ってそこから弓を射る手はずだ。
 しかし矢を放つよりも前にラーテルたちは森を破壊する濁流になり、伏兵もろとも打ち砕いた。

「……やっぱりミツオシエには探知能力があるな。あいつらを何とかしないと奇襲ができない。カッコウ! 倒せなくてもいいから牽制してくれ!」
 カッコウがバサバサと一斉に飛び立つ。巨大な生き物のようにしとしとと降りしきる雨の薄闇を切り裂いていく。
 そして鳥同士のドッグファイトが始まった。大きさならそう変わりはないけどミツオシエの方がカッコウより小回りが利くようだ。残念ながら飛行能力を持つカッコウは引く手あまたで、それだけに各地に分散してしまっており、数では劣る。しかし集団の統率力で数の不利を何とか補ってくれている。
 実のところこの上空での戦いが戦局を大きく左右すると睨んでいる。当たり前だけどラーテルは飛べない。つまりカッコウが上空を抑えてしまえばラーテルをほぼ一方的に攻撃することも可能なはずだ。戦いに勝つコツは相手を一方的に攻撃できる状況を整えることだ。それを確実に実行できるのは今のところカッコウしかいない。
 もしもここでかつての鷲を味方につけることができていればと思うけど……今更だな。

 天空という第二の戦場で戦端が開かれたとしても地上の戦いの激しさは変わらない。それどころか激しさを増す。ただ、ラーテルは若干弓隊の位置を把握しづらくなっているように見える。
「火矢を構えてください」
 寧々の指示によって油を十分に浸した布を燃やして火矢にする。大雨ならともかくこのくらいならまだぎりぎり燃える。とはいえ十分に濡れたラーテルの毛皮を燃やすには火力が足りない。倒すというよりは相手の油断を誘うためにあえて無意味な攻撃を行っている。
 しかしラーテルたちは油断しない。火矢を掻い潜りながら(あの巨体で!)弓隊を一閃する。しかしそれこそがオレの罠。

「ラーテル。お前の魔法は圧倒的に強力だけど弱点はある。例えば熱。例えばサイコキネシスのように固体をぶつけない攻撃方法。だけどそれ以外にもお前を傷つける方法はある。もしもお前が本当にありとあらゆるものを分解するなら地面にだって立てないはずだ」
 当然ではある。もしも地面を分解してしまえば底なし沼のように地面に沈んで一生浮き上がってこれないだろう。故に、足元にある地面は分解していない。足元、特に足の裏に対する有効な攻撃手段、それは――――
「落とし穴だ!」
 がくっと親ラーテルの後ろ足が落ちる。
 すっげえ久しぶりだけどここぞという時に役立ってくれる落とし穴先輩ちーっす! 流石にラーテルの巨体を完全に落としきる穴は掘れなかったけど片足を突っ込ませるくらいの穴は掘った!
 落差による位置エネルギーと落とし穴に仕掛けられた棘によってラーテルに傷をつける。例え魔物の位置がわかったとしても落とし穴があるかどうかはわからない。さらに! 今回はもう一つ工夫をしてある。棘に青虫の魔法<物質硬化>を使ってある。青虫の出した糸を地中に通して穴に離れた場所から魔法を発動させてある。これならいけるか!?
 ごっ! 意味不明な轟音が土と樹をえぐった音だと気づくのに数秒かかった。巻き上げられた雑多な物質は弓隊や青虫の頭上に降り注いだ。長屋で遮られているから死にはしないけどしばらく出られないだろう。
「ち、無傷……いや?」
「わずかに左足から出血しています」
「オレも確認した。雨で流れるくらいの少量だけどダメージはある! いけるぞ!」
 致命傷じゃなかった理由はいくつかあるはず。ラーテルが即座に<分解>を発動したか一定以上の運動量の物体には自動で魔法を発動するのか。
 青虫の<物質硬化>よりも<分解>の方が優先順位が高い、あるいは優先順位の差があっても体格差がありすぎて魔法の威力に差がありすぎるのか。
 ただそれでも傷をつけたのは大きい。これで奴は足元にも注意を払わなければならない。ラーテルがどれだけ強かろうがたった三匹。三匹で全ての攻撃を防ぐのは無理だ。ましてや全ての攻撃を認識するなんて絶対に不可能だ。ラーテルが強いのは適当に攻撃して適当に防御していても十分勝てるほどの絶対的な矛と盾があるからに他ならない。
 しかし有効な攻撃が増えれば増えるほど敵の攻撃一つ当たりの集中力は下がる!
「茜! 投石機! 唐辛子弾、撃て!」
 こいつらにはまだ投石機を見せていない。だから弓矢以上に射程の長い武器を知らない。火矢の弓隊を攻撃させて、敵を引き付ける、それがまず最初の策!
 この巣でもっとも馬力の高い豚羊(変な言い方だけど)たちが一斉に畜力式の投石機を放つ。弾は空中を、あるいは地面をしながらラーテルたちに向かい、ラーテルの体に当たった弾だけがはじけて中身を破裂させた。
 そして音と、衝撃と、が辺りにばらまかれた。

 トウガラシスプレーと呼ばれる催涙スプレーがある。
 その名の通りトウガラシに含まれるカプサイシンを主成分とした自衛や暴徒鎮圧に用いられるスプレーだ。天然の素材を使用した極めて安全なスプレー……などではない。
 このトウガラシスプレー、場所によっては所持に許可が必要なほどの劇物である。
 目に入った場合一時的な視力の喪失や、皮膚の痛み、鼻水、呼吸困難さえ引き起こす。もう一度言うがカプサイシンとはトウガラシに含まれる成分である。料理に詳しい人なら一度くらいトウガラシに触れた後は手を洗わなければならないと聞いたことがあるはずだ。それはこのカプサイシンの効果だ。一体何をどうすればこんな劇物が入っている植物を食べようとしたのか理解しかねるが、事実としてトウガラシが食品として親しまれているのは確かだ。
 そしてすでにカプサイシンの抽出は二年以上前に終わっている。例の辛生姜殺虫剤だ。今回はアルコールではなく油によってカプサイシンを抽出しているので引火性も高い。しかも油であるがゆえに雨でも落ちにくい!
 ただ問題だったのがどうやって抽出液を当てるか。しかしそれは新たに手に入れた素材とラーテル自身が解決してくれた。
 アメーバと蜘蛛糸のゴム素材にタイヤみたいに空気をぱんぱんに圧縮してその中に抽出液を入れた。これで唐辛子弾の完成だ。が、しかし問題はどうやって中身をぶちまけさせるか。車のタイヤがそう簡単には破裂しないように、この唐辛子弾はとても硬い。ちょっと殴るくらいじゃ壊れない。
 しかし、ありとあらゆる物質を分解する魔法なら? 当たりさえすれば何もしなくても弾は破裂し、圧縮された空気と抽出液は一気に破裂する! しかも破裂した際に轟音が発生する!
 もしも頭部に命中すれば一気に視覚、嗅覚、聴覚を奪う極悪兵器。ほぼラーテルに対してのみ武器としての効果を発揮する兵器。効果はどうだ!?

 親ラーテルは、右腕辺りを気にして、鼻をひくひくさせているが、無事なようだ。
 しかし一匹の子ラーテルは甲高く、何かが擦れるような鳴き声を出しながら身をよじらせ、地面を転がり続けている。
 当たった。それも完璧に。これで一匹はしばらく行動不能に陥る。
 仕掛けるか? そうほんの一瞬思案したが、ラーテルの決断はオレよりも素早かった。
「シャアッ!」
 親ラーテルが一声吠えると未だ苦悶している子ラーテルを心配するように視線を向けた後、別の一匹が負傷した子ラーテルを支えてオレたちから遠ざかっていく。しかしそれとは逆に親ラーテルはまっすぐこちらに向かってくる。
 まだやる気か。一体何がラーテルをそこまで駆り立てるのかはわからないけど……ここまできたらお互い後には引けない。それにこれは好機だ。戦力分散は戦術の初歩。それが叶ったのは大きい。これで親ラーテルに戦力の大半を集中させられる。
「いいだろう。思う存分やってやる! 翼! 取り巻きを殺せ! 離脱していくラーテルは無視していい。琴音はできるだけ声を出してラーテル以外の敵を戦場から離れさせろ」
「承知!」
「わかったにゃ」
 恐らくはラーテルが殺した蟻などの死体が目当てと思われる魔物たちを排除しにかかる。唐辛子弾は広範囲に音や劇物をまき散らすから、味方がいる場合には使いづらいのが難点だ。
 できればラーテルに有効な魔法を持つラプトルは無傷の状態でラーテルに当てたかったけど、ラーテルの奴ら、ご丁寧にこっちの伏兵まで殺してくれてるからな。ラプトルを雑魚処理にしないといけない。
 アリツカマーゲイは魔物たちの鳴き声をまねてひたすら混乱させる役割だ。戦わずに勝つという戦法をさせれば奴ら以上の適任はいない。
 もちろんその間にもラーテルは進撃する。狙いは投石機だろう。
 投石機は一度撃つと再装填に時間がかかるし、そもそも動く相手には当てられない。つまりもう役には立たない。しかしラーテルはそれを知らない。例えその神算が閃光のように瞬こうとも、鬼謀が夜のように広がろうとも、全く知らないことには決して対処できない。オレがラーテルとの知恵比べで有利なのはその一点に尽きる。
 つまるところカードの晒し合いだ。カードを一枚ごとに切っていって全て晒し、なおかつその全てに対処されればオレは負ける。
「茜! もたもたするな! すぐに退け!」
「はいっ!」
 この付近には以前樹海蟻たちが掘った地下通路が網の目のように広げられている。それを少し拡張して豚羊でも通れるように調整した。ラーテルならそんな抜け道くらいあっさり破壊できるだろうけど……。
 間一髪ラーテルがその爪を振るう前に逃げ延びることができた。追撃しないのはさっきみたいに一瞬でも止まればでかい一撃をもらうと警戒しているんだろう。この対処能力の高さこそがラーテルの強みだ。
 しかし今回はその対処の早さが裏目に出た。
「王。ミツオシエが孤立しています。今なら好機です」
「頼む、翼!」
 ミツオシエたちはカッコウに阻まれてラーテルの真上にたどり着いていない。今この時、敵の空中と地上、親と子、ありとあらゆる戦力が寸断されていた。
 その好機を翼は逃さない。翼はエコーロケーションによってカッコウに指示を送る。複雑な指示はエコーロケーションの方がやりやすいらしい。
 カッコウの群れはあえてミツオシエたちの下に潜り、その攻撃を誘う。ほぼありとあらゆる戦いにおいて、上をとるのは有効な戦術だ。だからこそミツオシエは追撃を加えようとカッコウたちを追っている。
 しかしカッコウの群れは突如煙のように四方八方に散らばった。
 そのぽっかりとあいた穴に、地上の弓隊から矢が放たれる。カッコウたちはあえて不利な状況を作ることで敵の追撃を誘い、弓が届く場所まで誘導した。簡単に見えるかもしれないけど異なる種族が集団で連携をとるという常識外れの戦術。
 流石にミツオシエを全滅させることはできなかったけどかなり削ることができた。これでカッコウが有利に空中戦を進められる。
 今なら――――
「カッコウ空爆部隊! 出ろ!」
 カッコウはあまり重い物をもって飛行できない。何か荷物を持っているとどうしても動きが鈍くなる。だから空爆部隊はドッグファイトに参加できなかった。
 しかしミツオシエの圧力が弱まった今なら、ラーテルに思う存分攻撃できる!
 もちろんラーテルはカッコウに上をとられたことを察知している。だがどうにもならない。重力という鎖に体を縛られたラーテルでは上空を飛ぶカッコウを打ち落とすことはできない。
 カッコウから球のような何かが落とされる。それは塔から投げ出された鉛のように一直線にラーテルへと向かう。ラーテルは頭を庇うような姿勢をとる。恐らくさっきの唐辛子弾を警戒しているんだろう。確かにあれは頭にさえ当たらなければ致命傷は避けられる。もしも唐辛子弾なら。

 確かに正解だ。雨なら毛皮は水を吸い、燃やせなくなる。しかしラーテル。あるんだ。地球には。
 水をかけても、いや、水をかけると余計に燃える兵器は存在する。
「兵器をなめるな! 科学サイエンスをなめるな! 化学ケミストリーをなめるな! 積み重ねてきた歴史をなめるな! これこそが東ローマ帝国発祥の兵器――――」

 曇天を貫くように鮮烈な光が辺りを照らす。
「ギリシャ火だ!」
 希望の火は灯った。
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