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秋葉夕雲

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第二章

129 灰と銀

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 風子と名付けられたドードーは銀色の壁に対してひたすらに突撃していた。はた目には何の効果もなかったが、彼女にとってそれは大した問題ではない。
 自動発動型。そう分類された魔法を使う魔物の多くは自我の無い植物である。動物にもそれを使用可能な魔物はいるが、少ない。あまりにもリスクが大きいためである。
 高い威力があっても、途轍もなく長い射程距離があっても、自分の意思でオンオフの切り替えができないことはデメリットが多すぎる。
 一旦発動条件が整ってしまえば自らの意思で魔法を終えることができない。例えるなら無理矢理首輪を繋げられて、引きずり回されるのに等しい。
 即ち、魔法が止まる時は自らの命を終える時である。もはや拷問を通り越して、処刑にさえなりうる。
 今まさにドードーたちは処刑に匹敵する責め苦を受けている。
 しかし、それでも、仮に、彼女らが自分の意思で魔法を止めることができたとしてもそれを止めることはあるまい。何故なら――――
「痛いか?」
「痛い」「辛い」「苦しい」「辛い」
 嘴から血が、瞳からは涙が止まらない。彼女らは命を削って壁に突き進む。例え一歩すら進めなくとも。
「では、止めるか?」
「否」「否」「否」
「ならば前に進もう。我らはそれしか知らない。振り返るな。立ち止まるな。我らの足跡はやがて我らが子らの導になる」
「「「ならば我ら前に進むのみ」」」
 彼女らは決して止まらない。命のある限り。

「投石機の準備は!?」
「あと少し」
 ダメだ。また思いつかない。どれだけ考えてもこの局面を打開できる手がない。追い詰めてはいる。銀髪は確かに苦しんでいるけど、それだけだ。ここを乗り切られればこっちには次がない。
 せめて、銀髪も消耗していることを祈るしかない。
「わかった。投石機に合わせて弓を射ろ!それまでは弓兵は牽制の矢を撃ち続けろ! 投石機の準備が完了したら一斉に撃て! 一瞬に集中させろ!」
 策はない。もう力勝負をするしかない。



「ファティ様!火は消えました! 畑の<光盾>を解いてください!」
「駄目です! 今あれを解くと大変なことになります!」
 彼女は知識ではなく、予感、あるいは直感によってバックドラフトの危険性を見抜いていた。だからこそ動けない。
「ならば、あの鳥どもを討ち果たしてください!」
「駄目! あの子たち、痛いって、苦しいって言ってる。きっと無理矢理、蟻に突撃させられて……でも、蟻の首領はもう倒したのに、どうして!?」
 お前の幻聴に付き合っている暇はない! アグルはまっとうな反論を口にしようとしたが、それが逆効果なのもよくわかっている。ならば口八丁でおだてるだけだ。
「ファティ様。蟻の首領は魔物を意のままに操る悪魔が憑りついているといわれております。あの鳥もその悪魔に穢されたのでしょう。もはや生きるすべはありません! さあ、お早く!」
 嘘である。そんな話はない。が、ファティに真偽を確かめる術があるはずもない。
 唇を噛みしめる。覚悟を決めようとしたその時、誰一人として予想していない事態が起こった。



 未だ誰一人として知らない事実だが、魔物の体内に存在する宝石には神経と類似した働きがある。つまり宝石、セイノス教の言うところの悪石が一定以上残っていれば、昆虫のように、ある薬理学者のカエルのように、頭が切り裂かれていようと、砕かれていようと、体を動かすことは可能なのだ。人間のように肉体を操作する機能が頭部に集中していないため、頭がつぶれれば確実に即死するというわけではない。もっともどこからどこまでが生きている状態で死んでいる状態なのかはわからないが。
 ただし可能であると、実際に行うことの間には常に現実という名の壁が立ちはだかる。何しろ意味のない機能だ。首が無くなれば動けた所でいずれ死ぬ。だから、首が無くても動く機能など、自身の生存には決して役に立たない機能である。
 必ず死ぬ。だからそれができるのはきっと、自分自身の命よりも大切な何かがあると認めた生物だけだ。
 感情もなく、理性もなく、本能と死亡する寸前に焼き付いた記憶を基にした行動をエコーのように繰り返す死体になる。
 では今まさに死んでいる小春を始めとした蟻たちにとって最期の思いとは何か? 問うまでもなかろう。彼にとっての脅威、銀髪の排除である。



「そ、ん、な」
 サリが呻く。思わず団員たちは下を見た。瀕死ではない。確実に絶命しているはずの蟻の首領が立ち上がっていた。
 それにつられるかの如く、周りの蟻も起き上がる。ファティの攻撃は的確に急所を貫いてはいたが、正確すぎるがゆえに肉体を完全に破壊してはいなかった。
「ギ、ア、ギギギィィィィ!!」
 怖気を誘う声ではない声。それと共に言葉では表せない感情、殺意、だろうか。純粋な敵意がこの場にいる全員、特にファティに向けられている。世界中の生物を百度殺しつくしてもまだ収まらないであろう、そう感じるほどの殺意。
 しかしながらそれも本来おかしい話だ。そもそも蟻は他の生命体に対して殺意など持つことができない。蟻にとって蟻以外の生物を殺すことは道端の雑草を引きぬくことと大差がない。故に殺意などあるはずもない。脳を破壊されて認識機能が故障したのかそれとも彼の影響か。
 が、騎士団の面々にはそんな知識などない。仮に知識があったとしても自分たちが生物とすらろくに認識されていないという屈辱は受け入れられなかっただろう。
 故に騎士団はこう結論付けた。これこそが邪悪だ。これこそがまさに悪魔だと。

「ギイイイイイ!」
「く、来るぞ」
「食い止めろ!」
 アグルが先陣を切り、死体たちに応戦する。だがそもそもすでに死亡している死体だ。どうすれば死ぬのかさえ分からない。死に体の力しかないとはいえ苦戦せざるを得なかった。
 頭がなくとも足がなくとも、それどころか上半身が吹き飛んでいる蟻さえ闇雲に暴れまわっている。それが結果的に混乱と恐怖に拍車をかけた。
 そして最も巨大な蟻が騎士団の守りを突破し、ファティに迫る。しかし、彼女ならそれにも対処できた……はずだった。
「盾が!? 出せない!?」
 ようやくだろうか。
 畑の鎮火、飛び道具への防御、ドードーの魔法への対処。盾を使いすぎたために新たな盾を張ることはできなかった。
 巨体に押し倒され、その首に牙が押し当てられる。
 しかし、その牙はほんの紙一枚のところで、銀色の鎧に阻まれていた。彼女の意思ではない。ファティ自身も知らなかったが彼女を絶対に死なせないようにあらかじめ攻撃を自動で防ぐ能力が備わっている。
 しかしそれはあくまでも物理的に攻撃を防ぐだけだ。
「イイイイイ」
「ひっ」
 叩きつけられる殺意のあまり、悲鳴が上がる。恐怖のあまり、顔が歪む。
 彼女はこの人生で初めて心の底から恐怖を感じていた。



「小春!? 生きてるのか!? ……いや」
 死んでいる。さっきの痛みはどう考えても致命傷だ。都合よく傷が治ったり、たまたま攻撃が逸れたなんてことはありえない。どうやっているのかわからないけど死体のまま体を動かしているだけ。
 わずかに逡巡する。このまま攻撃していいのか? 弓や投石機の攻撃は正確じゃない。銀髪に当たる確率なんて百回に一回もないだろう。下手をすると小春にだけ当たって銀髪にはかすりもしないなんてこともあり得る。
 でも……
「攻撃しろ! もうそれしかない!」
 まさに千載一遇の好機だ。万に一つの賭けをしなければもはやどうにもならない。安全策をとっていれば勝てる時間はとっくに過ぎた。
 岩と矢が飛んでいく。



 ぎちぎちと牙が銀の鎧に食い込む。つーっと一筋の血が流れる。息が苦しい。
 歯の根がかみ合わない。
「っつ!?」
 ファティはずっともがいているが徐々に力が抜ける。
(だれか……助けて……)
 何かが飛んでくるような気がする。もう少し、ほんの少し。そして、

 巨大な蟻の背中に乗ったアグルがうなじから喉にかけて<剣>を突き刺した。

 あふれ出る赤い血。ゆっくりと、スローモーションのように巨体が倒れる。
 まるで見計らったかのように、鳥たちも倒れていく。もう、動かない。
「聖女様! お早く!」
「は、はい!」
 立ち上がり、<光盾>を張り、飛来物を防いだ後<光剣>を煌めかせると、それだけで今までの苦戦が嘘のようにあっさりと切り裂かれる。

「終わった……の?」
「ええ、これで地上にいる敵は全て倒しました。後は地下を潰せばもはや敵はいません」
「でも、それじゃあタミルさんが……」
「聖女様、これをご覧ください」
「これは……聖典?」
 擦り切れ、血にまみれ、ボロボロになった聖典だった。この持ち主の信仰と苦難が見るだけでわかってしまった。
「恐らくタミル様はすでに旅立たれたのでしょう。蟻のいかなる責め苦にも耐えきったに違いありません」
「そんな……タミルさん……」
 聖典を胸にかき抱く。
「聖女様……」
「わかりました。皆さん、下がってください」
 銀色の剣が現出する。その輝きに祈りを捧げる団員は後を絶たなかった。

 銀髪が地中を破壊する傍らアグルは先ほどの聖典に思いを馳せる。
(奴には相応しくない物だったからティマチの聖典を懐にしまっておいたが……こう役に立つとはな。まさしく神の御加護だろう)
 そして次にこれからの事態を予測する。
 まず教皇の一派はアグルにティマチとタミルが死んだ責任を擦りつけようとするだろう。しかし銀髪に自分を上手く庇わせれば致命的な事態は避けられるはずだ。
 だがあの銀髪でさえ苦戦することはある。あるいは教皇のように搦め手で危害を加える敵もいる。これからはもっと慎重に事を運ばなければ。
(これからも兄さんの理想を遂げるための手助けをしてくれよ? 銀髪)

「終わりましたか? ファティ」
 祈りを終えると真っ先に駆け寄ったのはサリだった。
「うん」
「なら、まずはテゴ村に、そしてトゥーハ村に帰りましょう」
「はい。もう、戦いは終わりです」
 サリは傷つきながらも私と一緒にいると言ってくれた。アグルさんは危険を顧みず自分を助けてくれた。
(この人たちはきっとうわべだけの言葉だけなんかじゃない。私を助けるために心から必死になれる人たちなんだ)
 だからそう。本当の敵はどこかにいると、まだ戦いは終わっていない、そう言ってくる心の声は間違いだ。
 サリを、アグルを、藤本さんを、田中さんを、信じる。彼女はそう心に決めた。
(でも、魔物を操ったりする悪魔もいる。そんなのと、戦って……ううん、弱気はダメだ。トカゲやあの鳥みたいに助けを求めている魔物もいる。そういう魔物のためにも悪魔なんかに負けちゃだめだ)
 彼女らは肩を貸しながら、足を引きずりながら、それでも笑顔で立ち去った。……最後に今度こそ畑と死体には火が放たれ、何もかもが風に乗って消えていった。

 人は誰しも心の中を読めない。故にその言動からその人物の正邪を判断するしかない。
 情けは人のためならず、という言葉がある。他人に情けをかけることは回り巡って、自分の利益につながるということだ。言い換えれば真に利己的な人物は他人の手助けを積極的に行うということでもある。他人のためではなく自分の為に他人を助けるのである。
 真の心から行われる純粋な悪事がある。
 それとは逆に、どす黒い善意や、真っ白な悪意しか持たない人間が善行を行うこともある。
 それを理解するには、彼女はあまりにも若すぎた。
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