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秋葉夕雲

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第二章

114 陳腐な悪

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「今年も素晴らしき祭りとなった! ここにリブスティを閉幕とする!」
 閉会が宣言され、観衆は名残惜しそうに家路につく。参加者の面々は誰もがファティに声をかけてから、自らの居場所に戻っていった。

「ティキーさん、タストさん。ここにいたんですか」
「お疲れ、ファティちゃん」
「お疲れ様。大活躍だったね」
「ありがとうございます! でもこれから後夜祭があるんですよね。ちょっと楽しみです」
 暖かい言葉を交わす三人の横で、この場にそぐわない険しい顔をしたタスト付きの女官が通り過ぎようとしていた。それを見逃さなかったのはティキーだった。

「ねえ、あなたも聖女様に言葉をかけたらどうかしら」
 無表情な顔つきのまま足を止め、祝いの言葉を述べ、場を辞そうとするがしかし、普段以上に固い彼女の様子に違和感を覚えたタストからも制止がかかった。
「どうかしたのかな。ずいぶん急いでいるようだけど」
「特に何もありません」
「……何か隠してるね」
「…………」
 三人の視線が突き刺さるが、微動だにしない。立場を考えればタスト付きの女官がこうもかたくなになるのはおかしい。上の地位にある人物の意向が絡んでいると考えるべきだ。タストは直感した。そして彼女をこのままにしておけば何か良くないことが起こると。
「ねえ。話してくれないかな。君に迷惑はかけないよ」
 しかし岩のように何も語らず黙すのみだ。どうするか。思案に暮れるタストに横から日本語で声がかけられた。
「二人とも、私の<光剣>を見ないで」
 口を挟む間もなくティキーは祈りを捧げるかのように剣を突き出し、質問した。
「申し訳ありませんが、何を隠しているのか話していただけませんか」
「はいわかりました」
 先ほどとは全く異なる態度に驚いたがそれ以上にその口から発せられた言葉は衝撃的だった。
「トゥーハ村近くのテゴ村が邪悪な魔物に占拠されました。王都では騎士団の派遣を検討しているようです」
「なっ!?」
「そんなっ!?」
「……ありがとうございました。無理に聞き出してすみません」
 女官は自分が口を滑らせたことに苦々しい表情をしながらもすぐにどこかへ行ってしまった。

「タストさん、今の話は……」
「どうやら本当みたいだ」
 ダンっと地面を蹴――――るまえにファティの肩を掴んだのはティキーだった。
「はいちょっと止まろうか」
「で、でも。テゴ村の人たちが……」
「確かにあなたなら助けられるかもしれない。でも間に合うの? 移動手段は? そこまでの食料は?」
「それは……」
「まずは準備を整えなさいな」
「……はい……すいません」
 ひとまずファティは落ち着いたようだった。だからタストも気になったことを聞くことができた。
「ティキー今のは、君の能力か?」
「ええそうよ。自分の剣を見せている間だけその人を操ることができる、悪趣味な能力よ。誰かに愛されたいなんて言ったのよ、私は。ろくでもない女だわ」
 他人を洗脳する能力。広義なら誰かに愛される能力だと言えるかもしれないが、結果さえよければ何でもいいと言わんばかりの結論には無機質さを感じてしまう。しかしそれを気にしてばかりもいられない。
「で、でもどうしてあの人は魔物に襲われたことを隠していたんでしょうか?」
「多分、万が一にも君が村に戻ることを阻止したかったんだと思う。今年最も優秀な成績を残したのは間違いなく君で、リブスティの主役だ。後夜祭に主役が出ないなんてありえない。そう考えたんだろう。……やっぱり君をリブスティに参加させるんじゃなかった」
「ひどいです! それじゃあ、テゴ村の人たちが、」
「そっちは騎士団とかにどうにかさせるつもりなんじゃない? はっきり言えば、あなたがテゴ村ってとこに行く必要はないのよ」
「でも、もしもテゴ村やトゥーハ村の人たちに何かあったらみんなだって悲しむはずじゃ……」
「みんなって誰?」
「みんなは、その、」
「ファティちゃん」
 肩を掴み、目をまっすぐに見る。逃げないように、逃がさないように。
「はっきり言うけど、トゥーハ村やテゴ村が滅ぶことよりも教皇様にとってはメンツの方が大事なのよ」
「教皇様がそんなひどいことするはずありません……よね?」
 ファティは助けを求めるようにタストを見るが、タストは下を向いてうなだれただけだった。
「そんな……教皇様なのに……偉い人なのに、そんな悪いことをするんですか?」
「地球の政治家だって色々やらかしてたでしょ」
「そうかもしれませんけど、この世界の人はみんな優しい人で、タストさんの母親ならきっと……いい人だと……」
「ファティちゃん」
 手を掴み、引きずるように自分の部屋まで連れてきた。当然ながらタストもそれに続く。



 自分の部屋の扉を閉じる。誰にも聞こえないように。
「今から言うことはおばさんの独り言だけど……ちゃんと聞いてね」
「は、はい」
「ファティちゃんはさあ。悪事ってのは悪人がするものだと思ってない?」
「? えっと、悪いことをするから悪人なんですよね?」
「違うわよ」
 言い切るティキーの瞳からは底冷えする光が煌めいていた。
「赤の他人の話をしましょうか。一組の男女が結婚しました。あなたはどう思う?」
「いいことだと思いますけど……」
「ま、そうね。周りもお似合いの二人だとか、こんな優しい人と結婚してよかったね、なんて言ってたわ」
「「………………」」
 ファティも、タストも口を挟むことができなかった。誰がどう考えても、その話は……。

「でもだんだんおかしくなってきた。その時はそう思ってなかったんでしょうけどね。夫が何かにつけて行動を逐一報告するように要求してきたらしいわ。特に男の場合誰と会話したかメモしろなんて言ってたらしいわ」
「そんなの、おかしくないですか? いくら夫婦でもそこまで……」
「おかしいわよ。でもね、夫婦ならそれくらい当然だって、そう言われたら頷くしかないでしょ? ……その時は我慢してたわ。でも本当におかしいって、間違ってるって確信したのは友人のおかげよ。ちょっとしたことで夫が怒鳴って、私が大事にしてた、その友人からもらったネックレスを壊したの。そのことを謝ろうとして電話した時に友達から言われたの。それはDVだって」
「D……V……?」
「ドメスティックバイオレンス……平たく言うと家庭内で振るわれる暴力だよ……」
 ビクっとファティが体を震わせる。彼女も家庭に問題を抱えていたからだろうか。

「友人から説得されて、相談所とかに連絡して色々と話を聞いて、最終的には彼と別れることを決心したわ。その友達には本当にお世話になったわ。でも彼からはひどいことも言われたわ。お前が浮気したせいでこうなった、とかね。そんなことしてないのに」
 もう彼女はそれが身の上話であることを隠そうとはしていない。
「私を説得するのが難しいってわかったら今度は私の親に矛先を向けたわ。彼、なんていったと思う?」
「……なんて言ったんですか?」
「あなただけが頼りなんです! 彼女と復縁できなければ僕は死にます! ……てね」
 乾いて、渇いて、もう涙も出尽くしたような顔で彼女は笑う。
「私の親とろくに話もしたことがなかったのにね。弁護士さんから聞いた話だとDV夫がよくやる手口らしいわ。詐欺とか架空請求でもよくあるでしょ? いかにも真剣だって思わせたり、相手のことを思いやってるふりをしたりして無理矢理相手に自分の要求を呑ませるの」
「その、男の人は、悪い人じゃ、なかったんですか?」
「私は最初、彼は私を騙していいように操る悪人だと思ったわ。でも違うのよ。あの人にとってそれは善行だったの。本気でそれが正しいと思ってたのよ。私はね、悪人なんて世の中にはほとんどいないと思ってる。もちろん中には生まれついての悪党みたいな人もいるかもしれない。でもほとんどの人はふとしたすれ違いや意識の違いや心のささくれから平然と犯罪を行ってしまうと思ってる。特に親しい人、逆に全くの無関係な人にこそ、そういう違いが表面化してしまうのよ。例えば――」
「例えば……?」
「女性や子供は三歩下がって影を歩けとか、そういう価値観よ。自分の理想を他人に押し付けてるって気付いてすらいないの。きつい言い方をするなら自分の方が上じゃないと気が済まないんでしょうね」
 下を向いたのはタストだった。この場で男だったのは彼だけだからか。
「多分神様にだってそれはどうにもできない問題よ」
「……どうにも……できない」
「あなたはものすごい力を持っている。それを自覚しなさい。絶対にあなたを利用しようする人間はいる。多分、あなたはこのままだとそういう人にいいように利用されてしまうと思う。はっきり言ってあなたの村の人間がそうじゃないとは限らないわ。うわべだけの言葉なんかに騙されちゃダメ。ちゃんと考えて行動しなさい。そうじゃないとあなた自身もあなた以外の人も不幸になるかもしれないわよ」
 ファティはへたりと座り込むと、しばらくたってからふらふらと立ち上がった。
「ごめんなさい。ちょっとだけ一人にさせてください」
 そう言って部屋から出ていった。
 それを見送ると、今度はティキーが床に突っ伏した。
「つっかれたー。慣れないことするもんじゃないわね。……追わなくていいの?」
「……その資格はないよ。本来なら僕が言うべきだった言葉だから」
「それは難しいでしょ。惚れた弱みってのはあんたが思ってるよりずっと厄介よ」
「そうみたいだね。話を聞く限りじゃまるで洗脳だ」
「実際似たようなもんよ」
「そういうのは自分じゃどうにもならないのかい」
「無理ね。結局恋人とか家族とか、そういう絆が深ければ深いほど抜け出せなくなるもんよ。誰の力も借りずにそこから抜け出せたとしたら――――」
「したら?」
「正真正銘の悪魔か、心の無いロボットよ。人間じゃ無理だわ」
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