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秋葉夕雲

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第二章

108 目覚めた怒り

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 さて、村に視点を移そう。
 今現在勇者よろしく村を物色中。ただし交渉が上手くいった場合のためできるだけ何か壊したり、盗んだりするのは禁止。
「紫水。死んでないヒトモドキ見つけたよ~」
「よくやった。その調子で村の散策を続けて気になる物をピックアップしておいてくれ」
「は~い」
 千尋には村の散策を頼んである。期待通り大事なものを見つけてくれたようだ。人質……もとい交渉相手は何人いても問題はない。トカゲは村人に恨みでもあるのか倒れたヒトモドキに対して念入りにとどめを刺していた。生き残りを見つけたのは僥倖だ。
 他にも地図とか歴史書とかが見つかると嬉しいんだけどな。頑張れば写すこともできるはずだし。情報は何よりの宝だ。
 その次は農作物だな。これは現物を持ってこないと意味がない。できれば交渉や物々交換なんかで手に入れたいものだ。



 捕まえた女性は牢屋に閉じ込めてある。牢屋を使うなんていつぶりだろう。……蜘蛛以来かな。
 もう今は目覚めているらしく、しきりに何か唱えているとのこと。つまり今はテレパシーを使っている状態だということだ。
 こっそり薄暗い牢屋をのぞき込む。もちろん感覚共有越しだけど。やっぱり聖職者らしき格好をしている。祭服……でいいんだっけ? 心証を悪くしないために身体検査もしていない。さあそれじゃあ、ヒトモドキと初めての会話だ。

「こんにちは! あなたの名前は何ですか?」
 何という丁寧で明朗な挨拶なんだ! これならヒトモドキさんも心を開いてくれるに違いない!
 女性はビクっと体を震わせ、こう叫んだ。
「この悪魔め! 私を惑わせようというのか!」
 知 っ て た 。
 こんなもんだよな。ヒトモドキが魔物を敵視しているのは明らかだったからな。
「別に悪魔なんかじゃないぞ? オレはただ交渉したいだけなんだけど」
「この巡察使タミルが知らぬとでも思ったか! 悪魔は皆そう言う!」
 取り付く島もないな。でも名前を知ることができたのはラッキー。
 うーん、悪魔扱いは別にいいけど実際に悪魔として扱われるのは気に入らないなあ。そんなもん本当にいると……ん? もしかして実はオレは悪魔なのか? む? あ、確かにその可能性はあるのか?
 別に悪魔なんてものが実在するわけじゃなく、何らかの存在を形容詞的に悪魔と呼ぶことはあり得る。
 つまり、この国では転生者を悪魔と呼ぶのではないか。
 例えばだ、転生者がヒトモドキに対して何らかの迫害や圧政を敷いたとする。そして何らかの形で転生者であることが知られたとする。
 当然ながらそんな国では転生者が歓迎されるはずもない。論理は通ってるな。
 もしそうだとしたらオレを転生者だと判断してるかどうかだな。よし、もうちょっと我慢して話しかけてみるか。
「タミルさんはどうやってオレが悪魔だって判断してるんだ?」
「私の名を軽々しく呼ばないでもらおうか!」
 いや、自分で名乗ったじゃん。こいつ実は芸人かなんかか? ひとまず言い直そう。
「何でオレが悪魔だと思ったんだ」
「神に祝福されし我らと会話できるなど悪魔以外いるはずはなかろう!」
 ただいま絶賛ヒトモドキに対する評価落下中。さっきまで比叡山くらいの高さにあった評価が標高100mくらいにまで下がってしまった。自分だけが偉いだとか良いとか思っている連中にはろくな奴がいない。
 そりゃそうか。優秀な人間がいたとしてもその部下や子孫のように遠く離れた人間が優秀であるとは限らない。ましてや片田舎の聖職者なんか信用できるはずもない。
 ごちゃごちゃ言う割に自分のことをペラペラしゃべってくれるから情報にはあんまり困らなそうだし、適当に相槌を打ちつつ話を聞こうか。

「はいはい。悪魔と呼びたきゃ悪魔でいいよ」
「ようやく尻尾を出したか」
「悪い。オレ尻尾ないんだ」
 産卵管はあるけど。
「はぐらかすな!」
 こいつやっぱり漫才師の才能あるんじゃないか? ボケでもツッコミでもいけそうだぞ? オレは嫌だからドードーあたりと組んでお笑いのてっぺん目指したらどうだ? おっと、いかんいかん。情報収集が目的だった。
「別にオレはお前を傷つけるつもりはないよ。ただ交渉したいだけだ」
「聖典にもある。悪魔はそうして甘言を弄するとな」
 実際に甘言じゃないとは言えないし。頑迷さも時には役立つか。オレにもうちょっと会話テクがあればよかったんだけどなあ。
「はあ。それでタミ……そっちはオレをどうするつもりなんだ」
「無論、悪魔は皆祓うのみだ! 邪悪なる貴様らには正義の裁きを下さねばならん! 貴様らにとっては不快だろうがな!」
「え? 別に不快じゃないぞ」
「そうだろう、故に……え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「…………」
「…………」
「……すまん。なんか話の腰を折っちゃった。そのまま話を続けてくんなまし?」 

 彼には理解できないだろうが、巡察使タミルは大いに意気込んでいた。
 聖典にあるような、過去の聖人しかなしえていない悪魔と問答を行い、これに打ち勝つという、まるで自分が聖書の一幕に佇んでいるような錯覚さえ覚えていた。
 悪魔はただひたすら悪行を積み重ねると、そう教えられていたから彼の発言は意外だった。それが悪魔ならただひたすら神を否定するに違いない、そう思っていた。
 二人は、まだ、お互いのすれ違いに気付いていない。

「き、貴様、何故否定せん!」
 やっぱりそうなるか。
「否定しろって言われてもなあ。お前らがオレらを殺そうとするのは当然だろう?」
 例えばテーブルの上に蟻がうろついていたとする。殺すだろう?
 例えば家庭菜園で害虫が発生したとする。殺虫剤を撒くだろう?
 同じだ、まったく同じだ。
 少なくとも見た目が昆虫である生物を殺してはいけない法律は地球にはない。オレが知らないだけであるかもしれないけど、どんな過激な動物保護団体だって害虫を駆除してはいけないとは言わないだろう。
 だから明らかに人間じゃないヒトモドキを殺すことに躊躇わない。
「オレだって状況次第ならお前らを傷つけちゃうかもしれないからな。お前らだけがこっちに危害を加えるのに文句を言うのは不自然だろう?」
「我らはこの球に閉じられた世界から脱するために戦うのだ! 貴様と一緒にするな!」
 ん? 球? 今の発言は聞き逃せない。
「お前今なんつった。球? 世界が球体だって理解しているのか?」
 自分たちの行為を正当化する言語を発生せた気がするけど問題はそこじゃない。
 球。丸い。惑星。
 地球においてはガッチャンが訴えるまで論じられようとしていなかった地動説を理解しているのか?
「当然だとも! 聖典にもある。この世界は球であり、そこから脱するためにセイノスの教えがあるのだと!」
「驚きだ。宗教なんてのは天動説しか信じないと思ってた」
「悪魔よ、神の偉大さに恐れをなしたか」
「いや、それはない」
 球から脱するうんぬんはともかくとして地動説を大なり小なり理解しているとはな。天文学が極めて発達しているのか? それとも魔物の中に地磁気を観察したり、北極や南極に到達した個体がいるのか?
 わっかんねえな。とはいえ海面すれすれまで落下していたセイノス教の評価がちょっとだけ上昇した。
「一応聞くけど嘘は吐いてないよな?」
「敬虔なるセイノスの信徒たる私が嘘など吐くものか!」
 ……ん? あれ? 今の会話おかしいぞ? ええと、どこがだ?
 んん? そうだこいつ、嘘という概念を理解している!? ありえるのか!?
 あの小春ですら嘘という概念を理解しつつあるのは最近なのに!?
「ちょっと待てお前、どうやって嘘を理解してるんだ? テレパシーじゃ嘘は吐けないはずだろ?」
「てれぱしーだと? わけのわからぬ言葉で私を幻惑させるつもりか! 聖典にもある! 嘘を吐いてはならぬと!」
 確信した。ヒトモドキは嘘が吐ける。そしてテレパシーという概念を理解していない。
 嘘を理解できない生物なら、嘘を嫌悪するはずはない。嘘を吐いてはいけないという教えそのものが逆説的に嘘を吐ける生物だということを証明している。
 どういうことだ? 今までヒトモドキはテレパシーのオンオフを切り替えたりしてると思ってたけど……違うのかな?
 少なくともオレと会話しているからテレパシー能力があるのは確定。そうなると……テレパシー能力が他の魔物より劣ってるってことか? 少なくとも隠そうとする意思や感情なんかは同じ種類の魔物であっても伝わらないくらいに。
 不意に閃いた。
 ヒトモドキはテレパシー能力を退化、ないしはあまり発達させなかったために嘘を吐くという能力を獲得したんじゃないか?
 前にも言ったけど、嘘を吐けるのは極めて強力な能力だ。その能力を使って、海老を思うままに洗脳したのだとすれば?
 でもそれだと、どうやって海老や他の魔物と会話してるんだ? 翻訳系の魔法を使う魔物がいないとできないはずだけど……?
「お前らはどうやって他の魔物と会話してるんだ?」
「愚か者め! 魔物と会話などできるはずなかろう!」
 さいですか。肝心なところがぼやけてんなあ。それに……なーんか会話が噛み合ってない気がするなあ。
「そもそもさあ、なんでそんなに悪魔とやらを嫌うんだ? なんか悪いことしたのか」
「愚かな! 悪魔とはただそこにいるだけで世に仇なす存在だ!」
「……具体的には?」
「穢れを振りまくことに他ならない! 稲に斑点を作り、肉から悪臭を放ち、天候を荒れさせる! これが悪魔の仕業でなく何というのだ!」
「稲に斑点? ああいもち病か。ちゃんと稲と稲との間の間隔空けてるか? いもち病は湿気が原因のカビだからな。オレの辛生姜入りアルコール貸してやろうか? 効果あるはずだぞ? 肉が腐るのは細菌が原因だな。ちゃんと清潔で気温の低い場所に保存するか塩漬けにでもしろ。天候はどうにもなんない……つーかどうにかできんならして欲しいんだけど」
 要するに穢れとは不都合な事象全般を指しており、悪魔とはそれを振りまくもの……悪魔の仕業でございますってことか。不合理極まりないな。
「またそうやって甘言を弄するか!」
「極めて論理的に反論してるつもりなんだけどな」
「貴様らの論理など聞いていては魂が汚れるわ!」
 今の発言にはちょっとイラっときたぞ。論理とは誰が聞いても通じるものだ。それを汚れるの一言で切り捨てるのは論理というものを軽視している証左だ。
「じゃあ、お前らの論理を解析しつつ話そうか。悪魔を殺しまくってればそのうち楽園に行けるってことか? そこでは人間だけが穏やかに暮らせるってことか?」
 適当な予想を述べると意外にもタミル女史は不敵に笑った。
「ようやく本性を出したな」
「何のことだ?」
「貴様は神の教えを何ひとつとして理解していない。楽園に行くのは神々が作りたもうた全ての命だ。そこには魔物も含まれる」
 ……? ああそうか。どうも何かずれてると思ったらこいつらにとって魔物と悪魔は明確に違うらしい。どうもオレはその辺がごっちゃになってた。
 セイノス教にとって悪魔は話しかけてくる存在であって、肉体がない存在なのかな? そして魔物は現実に存在している動物で宝石がある動物をさすらしい。
「魔物も楽園に行くってのはあれか? マディールか?」
「その汚らわしい口で聖言を口に出すな! しかしその通り。神の愛によってマディールされるか悪石を砕くことによって救った魔物は楽園へと共に旅立つ! これこそが神が示し、救世主が語った愛である! 邪悪な意思によって人を襲う魔物に安らかな眠りを与えるのだ!」
 ……思い出した。ヒトモドキが魔物の宝石を砕いたり、死んだ魔物の額を砕いていたことがあったな。そうか、あれは体内の宝石……悪石だっけ、を砕いていたのか。
 魔物の宝石は特に額にあることが多い。額にある宝石を砕けば間違いなく死ぬ。この世界の医術がどの程度かはわからないけど、生存は恐らく見込めない。そして海老やカミキリスを見ればわかる。マディールとやらがどんなものかを。
 そうか。
 お前たちはただの殺戮や洗脳を救いだと言うんだな。
 ああうん。

 怒った。

 蟻を殺すのは構わない。
 洗脳するのも別にいい。
 人間だってそうだろう? 肉を食うために家畜を養い、害虫を駆除し、自分たちに都合のいい命を創り上げる。それは別にいい。
 食うために殺すことに異論はない。金のためでも、名誉のためでも、それこそキツネ狩りよろしく「高貴な遊び」でオレの部下を殺すのもまあ我慢しよう。
 でも救う? 救うだと? お前たちはそんなありもしない絵空事の為にオレたちを襲うのか?
 納得していいはずがない。
 しかもこいつらは魔物が人を襲うことをただ邪悪だからなんて理由だと決めつけている。馬鹿馬鹿しい。魔物が人を襲うなんて腹が減っているからに決まってる。そうでもなけりゃ縄張り争いか何かだ。
 オレはこういう善意で平然と人を傷つける連中が一番嫌いだ。
 こんなに怒ったのはいつ以来だろうか。少なくともこの世界では初めてだ。

 ただ、オレの怒り方はちょっと変わっている。本気で怒った時は少しの間、まるでレールが切り替わったかのように驚くほど冷静でいられる。
 嵐の前の静けさのように、津波が来る前の引き波のように、わずかに爆発までのタイムラグがある。
 よしよし。じゃあちゃんと最後まで話を聞いてみよう。もうブチギレるのは決まっているけど、もしかしたら少しだけ和らぐかもしれないから。

「愛がどうのこうの言ってたけどな。具体的にそれってどういう種類の愛なんだ? 友人に向ける愛だとか恋人に向ける愛だとか色々あるだろ」
 タミルはやれやれと、まるでできの悪い生徒に言い聞かせるような口調になっていた。
「愛に種類などない。愛はただ愛するだけだ。特定の誰かだけを愛するなど野蛮にもほどがある。誰もがチェルコしてよいのだ。それこそ皆が幸福に暮らすための道しるべだ」
 チェルコ? ああ意味ね。こいつらは多夫多妻制だった。だからわざわざ愛情を分ける必要がない。同性愛もオッケーみたいだし。全部、全員、愛するでもルール的に問題ないんだ。やったぜ全国の男子諸君。この世界は初めからハーレムが完成している。文句はねえよな? どの子が自分の血を引いてるかなんてわかんないけど別に些細な問題だよな。
 あれ? おかしいな? でも隠れて逢引している奴がいたはずだぞ?
「でもさ、お前ら村が違うとチェルコしちゃダメなじゃないのか?」
「それは神が御定めになったことだ。我らは未だ楽園へ至らぬが故にまずはもっとも近い隣人を愛さなくてはならない」
 矛盾してるとか思わないのか? 思わないんだろうな。
「確かに蜘蛛や蟻は性別による愛情がだいぶ違うからな。お前らの言う愛情の全ては理解できないだろう。でも魔物は他人への隣人愛や献身なら理解できないわけじゃないと思うぞ?」
「魔物に愛? そんなものあるはずはなかろう」

 この時彼女は昂っていた。先ほどから悪魔の語気が弱まっており、自身の信仰心が悪魔を打ち負かしつつあると勘違いしていた。彼女は、彼の逆鱗がどこにあるか、全く理解できていなかった。

「あ?」
「魔物の知恵は貴様ら悪魔が邪悪な魔法によって与えたものだ。魔物には何の知恵もない」
「そんなわけないだろう。魔物だって農業はするし、紙も作るし欲求だってあるぞ。それはオレが教える前からやってたことだ」
 ぞっとするほど平坦で冷え切った声が出る。だがそれさえも栄えある巡察使タミルには悪魔が弱っているとしか思えなかった。
「そんなことはありえない。魔物に知恵などなく、あったとしてもそれらは全て邪悪なものだ」
 …………。
聞いていいか? お前さっき魔物も楽園で眠るといったな。楽園では魔物にも知性があるのか?」
「やはり貴様は何もわかってはいない! 楽園では正しい魔物が安らかに暮らすのみだ! 何も考えずに眠ることこそ魔物に与えられる真の安息だ!」

 よくわかった。こいつらは知性を、今まで必死にオレたちが積み上げてきたものを舐めている。
 知識に邪悪も何もない。正しいかどうかなんか人によって変わる。こいつらは自分たちの知識だけが正しいと思っている。簡単にわかる事実を事実として認めていない。
 そしてこいつらは、魔物にも知性や感情がないと、それが正しいと信じている。正しさを押し付けている。
 それは――――
 生き物の知性を、歴史を、感情を、踏みにじっていることに他ならない。受け入れられない。絶対に。受け入れてはいけない。
 息を吸う。
 触角と肺に力を送り込む。

「ふざけんな――――――――――!!!!!!」

 怒号が、響いた。
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