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第二章
102 白い都
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久々に駕籠から外の景色を覗くとただ白かった。雪景色ではない。自然ではなく、人工の白さ。しかしながらその白さから寒々しさを感じないのはそこに住まう人々の心が温かいからだろうか。
「聖女様、駕籠から外を覗くのはおやめください」
「ごめんなさい、サリ。どうしても外が気になって」
たった二人しかいない駕籠の中での沈黙に耐えられなくなったことも事実だが、ファティにとっては初めて村の外に出たのだ。好奇心がうずくなというのは無理だろう。
クワイでは幕がある駕籠から外を眺めるのは、特に町中の場合では礼儀のなっていない行為とされているのでこれまでなるべく外を眺めることもなかった。
しかし一目見た王都はとても美しかった。ここが王都、ハンシェン。この世界で最も美しい都。千年栄えるクワイの象徴。もっと天気が良ければその白さは青空に良く映えたことだろう。
「聖女様。サリ。お話があります」
「アグルさんですか? 何かありましたか?」
幕越しに会話を続ける。駕籠の外から中を覗くのは礼儀が無いどころか立場によっては処罰されることさえありうる。
ファティの立場は御子であるタストの代理人という扱いで、賓客に該当するが、サリやアグルはファティの付き人であり、本来はただの村人である。リブスティに参加する人間の中では間違いなく最も立場が弱い。
故にこの衆人環境においては立場に応じた立ち振る舞いが要求される。普段以上に硬い言動になっていた。
「どうやら嵐が近づいているようです。御子様の逗留場所まで急ぎましょう」
「嵐……ですか。村のみんなは大丈夫でしょうか」
「村の皆なら良くやっているでしょう」
「その、嵐でリブスティが中止になったりはしないんですか?」
「百年前には嵐のさなかで行われたと聞きます。嵐程度で中止になることはないでしょう。思いのほか道中が順調でしたので数日程、間があります。その間に御子様にお話を伺うと良いかもしれません」
「わかりました。なら急ぎましょう」
アグルの予想は正しく、ほどなく雨音が聞こえ始めた。
雨は降りしきり、風は獣の遠吠えのように町中をさすらっている。今まさに嵐のただなかにいることを実感してしまう。
王都は頑丈な石造りの家が多いため、そう不安がることもない。しかし安普請の家に住むトゥーハ村の住人たちは無事なのだろうか。
そう思っているところにかつて村に来た女官がファティたちの元へとやってきた。
アグルとサリが顔を伏せ、慌ててそれに倣おうとしたファティを女官は制止した。
「ファティ様は御子様の代理人です。今のあなたはむしろ我々が敬意をもって接するべきであり、御子様の上に当たる方以外に頭を下げる必要はありません」
逆に頭を下げられて、むしろファティを困惑させた。
「あの、私に何か用ですか?」
「御子様がお呼びです。こちらにお越しください」
「こんにちは。奈夕さん。凄い嵐だけど大丈夫だった?」
「はい、本格的に降り始める前にここにつきました」
「何か必要なものがあれば言ってくれるかな?」
「いえ何も――――」
言い終わる前に、くるくるとお腹が鳴った。
「何か食べようか」
タストが苦笑しながらそういうと、ファティは顔を真っ赤にしながら目を伏せた。
タストが呼んだ女官が持ってきたのは米を練ってから焼いたベイと呼ばれるせんべいに似た焼き菓子に分類される食べ物だった。
「いただきます」
まだ少し顔を赤くしながらもぱりぱりとベイを食べ始めた。
「この世界の食べ物はちょっと味気がないからね。育ち盛りだとお腹が減るよね」
「藤本さんも色々食べてはいけないものがあるんですか?」
「まあね。かなり厳しいよ。肉類は鹿と馬以外ほとんど駄目だし、野菜も種類によっては禁止されている」
この食事制限はセイノス教の影響で、特に身分が高い人間ほど厳しくなる。この国では身分が高いとは聖職者として高い地位にいることに等しいが、御子であるタストや銀色の髪を持つファティは特殊な立ち位置にいる。
「私も似たようなものですけど……この国の人たちって立場というか地位……そういうものにとても厳格ですよね」
「そうだね。奇妙なのは立場や地位が変わったらすぐにそれを受け入れることかな」
例えば地球で今まで平社員だった人間がいきなり、部長に昇進したとすればほとんどの人間は異議を申し立てるだろう。しかしこの国では「上」の人間からお達しがあればすぐさまそれに従う。
「さっきの女官さんが私に頭を下げたのはそういう理由ですか……」
「やっぱり、やりづらい?」
「……正直に言うともうちょっと気楽に接してほしいですけど……藤本さんはもっと大変なんですよね?」
タストは苦笑すると無言で首を振った。口に出すほどのことでもないのか、それすら躊躇われるのか。
「この国はセイノス教が色んな意味ですべてだからね。それよりも数日後に行われるリブスティの前夜祭について説明するよ」
「わかりました」
「前夜祭……といっても一日中行われるけど、貴族の頭首とその子供に贈呈品を献上するんだ。見栄っ張りな貴族ほど高い物を贈りたがるけど全部が全部高価な品物にするわけにはいかないから特に縁を持っておきたい頭首や子供に高価な品物を贈るかな」
「ええっと、プレゼント交換会みたいなものですか」
タストは一瞬ぽけっとした後吹き出した。
「プ、プレゼント交換会? 確かにそうだけど……くくっ」
「あの、なんでそんなに笑うんですか?」
「だって貴族たちの意地の張り合いの場がプレゼント交換会だなんて、でもわかりやすく要約すればそうなのかもしれないね」
ファティとしては一応まじめに言ったつもりだが、子供らしい感性は時として思いもよらぬ発想をする。
「君は僕の後ろに控えて立ってくれていればいいよ。贈り物に加えて賛辞も述べられたりするから退屈だし……嫌な思いもするかもしれないけど、一日だけでいいから我慢してね」
先日の嵐の爪痕は未だ深く、建物の補修や、食料の運搬に追われている人々も少なくはない。そんな中でもリブスティの開催を延期、あるいは中止する声は全くなかった。それほどまでにこの祭りは心待ちにされているのだ。
そんな中で凶報がもたらされたのは唐突だった。
このクワイでは基本的に遠隔地との連絡手段は鳥、主に伝書鳩になる。魔法によって連絡を取り合うことはない。
そのためどれほど早くても数日のタイムラグが発生する。だからこそ、ファティの狼狽は無理もないことだった。
とはいえ田舎の苦境がここまで伝わるのは予め非常用の連絡手段を用意しておいたタストの手腕が優秀だったといえるだろう。
アグルからしてみれば内心は業腹だったが。
「落ち着いてください聖女様。トゥーハ村が襲われたわけではありません」
「でも、近くの村が魔物に襲われたって……」
「すぐに対策を練るでしょう。我々はリブスティに集中しましょう」
「でも……」
なお渋るファティにアグルは言葉を続ける。
「では私とサリが村に戻って様子を見ましょう。聖女様はここにお残りください」
「そんな! 二人にわざわざ……」
「あなたにはここでやるべきことが残っています。それで構いませんね?」
アグルは女官に問いかけたが返答などわかり切っている。
「仔細ありません。ファティ様は私たちが支えます」
女官からしてみれば熊狩りであるアグルはともかくサリは単なる銀髪の付け合わせでしかない。いなくなってもらった方がやりやすいのは明らかだった。
「サリ、すまないがすぐに出立の用意を。川がまだ荒れているうちに渡りたい」
「わかりましたアグルさん」
てきぱきと準備を始める二人。地球の常識なら川を渡るなら穏やかな方がいい。しかし、ここには魔物が存在するためかえって川が荒れている方が魔物に出会う可能性が低くなる。
準備を急ぐ二人にファティはかける言葉が見つからなかった。それこそ自分が駄々をこねれば別の結末を用意できるだろうが、それができるほど子供でもなかった。
準備が整うとアグルとサリはファティやタストに敬礼を行い、村に戻っていった。
タストとファティ、その一行は豪華な宮殿の一室で次々と訪れる訪問客に対応していた。基本的に贈呈品は頭首の代理人を通して行われるが、同じ客が二度も三度もきていればいい加減うんざりしてくるというものだ。
何も持ってくることはなく、ただ様子を窺い、贈呈品の山をちらりと覗いて帰ることもある。要するに誰が、どの程度の献上品を授かり、また献上したかを知りたがる貴族同士の腹の探り合いだ。
目利きなら献上品を一瞥しただけで誰から贈られたものかわかるらしい。
非効率極まれりだが、どこの世界でもお偉いさんとはそのようなものである。
数々の代理人を相手にするうちにファティも気づいた。いや、気付いてしまったというべきか。明らかに、代理人の視線や態度に、タストに対する侮蔑の態度が含まれていることに。
遠くから角笛が聞こえる。前夜祭の一時休憩を告げる笛だ。
代理人の態度が気になったファティはタストに思い切って尋ねてみることにした。
「藤本さん。あの、藤本さんに対する他の人たちの反応、妙じゃないですか?」
その表情は芳しくない。
「隠すつもりはなかったけど……僕、というよりルファイ家の男児の評価は良くない……いや、はっきり言って相手にされていない」
「それは、男の人は跡取りになれないからですか?」
「それもあるけど、ルファイ家の男児は呪われている。そういう噂があるんだ」
おおよそ六十年ほど前のことだ。
ルファイ家の一員の男児が死産だった。それそのものは珍しいことではない。悼むべきではあるが、やむを得ないことだ。
だが、それからルファイ家の男児が死産や、幼くして亡くなることが急激に増えた。女児もそのような出来事があったが、圧倒的に男児の方が多かった。
なんど祈りを捧げても、何度祭事を執り行ってもその数は一向に減らなかった。悪評が立つのは時間の問題だったといっていい。
曰く、ルファイ家は教皇に相応しくない。曰く、ルファイ家は異端である。
教皇を数多く輩出したルファイ家だからこそ、その命脈を保っていられたが、そこにも影が差し始めている。だからこそ、権勢を取り戻すための手札として銀髪を欲している。
……落ち目だからこそ、そこにつけこむ人間も現れる。
「呪いなんて本当にあるんですか?」
「わからない。でも実際に魔法もあるし、神様だっている。呪いもあるのかもしれない。事実として僕の叔母は死産を経験している。僕の祖母だって母を出産する時に命を落としているし、母も死産を経験している」
ファティは絶句した。偶然で片付けるにはあまりにも失われた命が多すぎる。
タストはこう言われながら育ったのだ。どうせ男ならすぐに死ぬに違いない、と。
「でも……確かに今まで亡くなった人はかわいそうですけど……藤本さんが呪われてるかどうかなんてわからないじゃないですか!」
思わず語気が強くなるが、タストは人差し指を口に当てた。
「奈夕さん、声を抑えて。気持ちは嬉しいけど、人のうわさなんてそんなものだよ」
「ごめんなさい。でも……もしも私がこのリブスティで活躍できれば藤本さんの役に立ちますか?」
「それはそうかもしれないけど……ここにはクワイ中の腕利きが集まってるんだ。簡単なことじゃないと思うよ」
「それでもです。私、精一杯頑張ります」
決意を新たにするファティ。そんな少女をまぶしそうに見つめていた。
「そろそろ前夜祭が再開されるよ。元の場所に戻ろう」
「はい!」
休憩明けに来たのはラオと呼ばれる領の領主の孫娘だった。何やら事情があるらしくすでに彼女の家の頭首は彼女に決まっているらしい。
直接跡取りが会いに来るのは珍しいが、ありえないことではない。慎重に礼を尽くした応対を行っていた。
不意に、少女とファティの目が合った。
「あなたが銀の聖女様ですか?」
「はい」
突然話しかけられたれて驚いたが、銀髪がありがたがられるのはもう慣れた。
「きれいな御髪ですね。触っても構いませんか?」
ちらりと目線でタストと御付きの女官を見やったが、タストが頷いただけだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
少女はファティの隣まで来て愛おしそうに髪を撫で始め、
「こんにちは」
日本語で耳打ちした。
「……!? こ、こんにちは」
驚きを隠しながら他の誰にも聞こえないように挨拶を返す。
「三日後にラオの応接室に来て。そこでゆっくり話しましょう。もしかしてそっちの子も?」
タストを目線だけで指し示す。
頷きだけで答える。
ゆっくりと少女は体を離し、丁寧な敬礼をして去っていった。
誰にも聞こえない、聞こえたとしてもタストとファティ以外意味がわからないであろう会話はそこで終わった。
三人目の転生者はここにいた。
「聖女様、駕籠から外を覗くのはおやめください」
「ごめんなさい、サリ。どうしても外が気になって」
たった二人しかいない駕籠の中での沈黙に耐えられなくなったことも事実だが、ファティにとっては初めて村の外に出たのだ。好奇心がうずくなというのは無理だろう。
クワイでは幕がある駕籠から外を眺めるのは、特に町中の場合では礼儀のなっていない行為とされているのでこれまでなるべく外を眺めることもなかった。
しかし一目見た王都はとても美しかった。ここが王都、ハンシェン。この世界で最も美しい都。千年栄えるクワイの象徴。もっと天気が良ければその白さは青空に良く映えたことだろう。
「聖女様。サリ。お話があります」
「アグルさんですか? 何かありましたか?」
幕越しに会話を続ける。駕籠の外から中を覗くのは礼儀が無いどころか立場によっては処罰されることさえありうる。
ファティの立場は御子であるタストの代理人という扱いで、賓客に該当するが、サリやアグルはファティの付き人であり、本来はただの村人である。リブスティに参加する人間の中では間違いなく最も立場が弱い。
故にこの衆人環境においては立場に応じた立ち振る舞いが要求される。普段以上に硬い言動になっていた。
「どうやら嵐が近づいているようです。御子様の逗留場所まで急ぎましょう」
「嵐……ですか。村のみんなは大丈夫でしょうか」
「村の皆なら良くやっているでしょう」
「その、嵐でリブスティが中止になったりはしないんですか?」
「百年前には嵐のさなかで行われたと聞きます。嵐程度で中止になることはないでしょう。思いのほか道中が順調でしたので数日程、間があります。その間に御子様にお話を伺うと良いかもしれません」
「わかりました。なら急ぎましょう」
アグルの予想は正しく、ほどなく雨音が聞こえ始めた。
雨は降りしきり、風は獣の遠吠えのように町中をさすらっている。今まさに嵐のただなかにいることを実感してしまう。
王都は頑丈な石造りの家が多いため、そう不安がることもない。しかし安普請の家に住むトゥーハ村の住人たちは無事なのだろうか。
そう思っているところにかつて村に来た女官がファティたちの元へとやってきた。
アグルとサリが顔を伏せ、慌ててそれに倣おうとしたファティを女官は制止した。
「ファティ様は御子様の代理人です。今のあなたはむしろ我々が敬意をもって接するべきであり、御子様の上に当たる方以外に頭を下げる必要はありません」
逆に頭を下げられて、むしろファティを困惑させた。
「あの、私に何か用ですか?」
「御子様がお呼びです。こちらにお越しください」
「こんにちは。奈夕さん。凄い嵐だけど大丈夫だった?」
「はい、本格的に降り始める前にここにつきました」
「何か必要なものがあれば言ってくれるかな?」
「いえ何も――――」
言い終わる前に、くるくるとお腹が鳴った。
「何か食べようか」
タストが苦笑しながらそういうと、ファティは顔を真っ赤にしながら目を伏せた。
タストが呼んだ女官が持ってきたのは米を練ってから焼いたベイと呼ばれるせんべいに似た焼き菓子に分類される食べ物だった。
「いただきます」
まだ少し顔を赤くしながらもぱりぱりとベイを食べ始めた。
「この世界の食べ物はちょっと味気がないからね。育ち盛りだとお腹が減るよね」
「藤本さんも色々食べてはいけないものがあるんですか?」
「まあね。かなり厳しいよ。肉類は鹿と馬以外ほとんど駄目だし、野菜も種類によっては禁止されている」
この食事制限はセイノス教の影響で、特に身分が高い人間ほど厳しくなる。この国では身分が高いとは聖職者として高い地位にいることに等しいが、御子であるタストや銀色の髪を持つファティは特殊な立ち位置にいる。
「私も似たようなものですけど……この国の人たちって立場というか地位……そういうものにとても厳格ですよね」
「そうだね。奇妙なのは立場や地位が変わったらすぐにそれを受け入れることかな」
例えば地球で今まで平社員だった人間がいきなり、部長に昇進したとすればほとんどの人間は異議を申し立てるだろう。しかしこの国では「上」の人間からお達しがあればすぐさまそれに従う。
「さっきの女官さんが私に頭を下げたのはそういう理由ですか……」
「やっぱり、やりづらい?」
「……正直に言うともうちょっと気楽に接してほしいですけど……藤本さんはもっと大変なんですよね?」
タストは苦笑すると無言で首を振った。口に出すほどのことでもないのか、それすら躊躇われるのか。
「この国はセイノス教が色んな意味ですべてだからね。それよりも数日後に行われるリブスティの前夜祭について説明するよ」
「わかりました」
「前夜祭……といっても一日中行われるけど、貴族の頭首とその子供に贈呈品を献上するんだ。見栄っ張りな貴族ほど高い物を贈りたがるけど全部が全部高価な品物にするわけにはいかないから特に縁を持っておきたい頭首や子供に高価な品物を贈るかな」
「ええっと、プレゼント交換会みたいなものですか」
タストは一瞬ぽけっとした後吹き出した。
「プ、プレゼント交換会? 確かにそうだけど……くくっ」
「あの、なんでそんなに笑うんですか?」
「だって貴族たちの意地の張り合いの場がプレゼント交換会だなんて、でもわかりやすく要約すればそうなのかもしれないね」
ファティとしては一応まじめに言ったつもりだが、子供らしい感性は時として思いもよらぬ発想をする。
「君は僕の後ろに控えて立ってくれていればいいよ。贈り物に加えて賛辞も述べられたりするから退屈だし……嫌な思いもするかもしれないけど、一日だけでいいから我慢してね」
先日の嵐の爪痕は未だ深く、建物の補修や、食料の運搬に追われている人々も少なくはない。そんな中でもリブスティの開催を延期、あるいは中止する声は全くなかった。それほどまでにこの祭りは心待ちにされているのだ。
そんな中で凶報がもたらされたのは唐突だった。
このクワイでは基本的に遠隔地との連絡手段は鳥、主に伝書鳩になる。魔法によって連絡を取り合うことはない。
そのためどれほど早くても数日のタイムラグが発生する。だからこそ、ファティの狼狽は無理もないことだった。
とはいえ田舎の苦境がここまで伝わるのは予め非常用の連絡手段を用意しておいたタストの手腕が優秀だったといえるだろう。
アグルからしてみれば内心は業腹だったが。
「落ち着いてください聖女様。トゥーハ村が襲われたわけではありません」
「でも、近くの村が魔物に襲われたって……」
「すぐに対策を練るでしょう。我々はリブスティに集中しましょう」
「でも……」
なお渋るファティにアグルは言葉を続ける。
「では私とサリが村に戻って様子を見ましょう。聖女様はここにお残りください」
「そんな! 二人にわざわざ……」
「あなたにはここでやるべきことが残っています。それで構いませんね?」
アグルは女官に問いかけたが返答などわかり切っている。
「仔細ありません。ファティ様は私たちが支えます」
女官からしてみれば熊狩りであるアグルはともかくサリは単なる銀髪の付け合わせでしかない。いなくなってもらった方がやりやすいのは明らかだった。
「サリ、すまないがすぐに出立の用意を。川がまだ荒れているうちに渡りたい」
「わかりましたアグルさん」
てきぱきと準備を始める二人。地球の常識なら川を渡るなら穏やかな方がいい。しかし、ここには魔物が存在するためかえって川が荒れている方が魔物に出会う可能性が低くなる。
準備を急ぐ二人にファティはかける言葉が見つからなかった。それこそ自分が駄々をこねれば別の結末を用意できるだろうが、それができるほど子供でもなかった。
準備が整うとアグルとサリはファティやタストに敬礼を行い、村に戻っていった。
タストとファティ、その一行は豪華な宮殿の一室で次々と訪れる訪問客に対応していた。基本的に贈呈品は頭首の代理人を通して行われるが、同じ客が二度も三度もきていればいい加減うんざりしてくるというものだ。
何も持ってくることはなく、ただ様子を窺い、贈呈品の山をちらりと覗いて帰ることもある。要するに誰が、どの程度の献上品を授かり、また献上したかを知りたがる貴族同士の腹の探り合いだ。
目利きなら献上品を一瞥しただけで誰から贈られたものかわかるらしい。
非効率極まれりだが、どこの世界でもお偉いさんとはそのようなものである。
数々の代理人を相手にするうちにファティも気づいた。いや、気付いてしまったというべきか。明らかに、代理人の視線や態度に、タストに対する侮蔑の態度が含まれていることに。
遠くから角笛が聞こえる。前夜祭の一時休憩を告げる笛だ。
代理人の態度が気になったファティはタストに思い切って尋ねてみることにした。
「藤本さん。あの、藤本さんに対する他の人たちの反応、妙じゃないですか?」
その表情は芳しくない。
「隠すつもりはなかったけど……僕、というよりルファイ家の男児の評価は良くない……いや、はっきり言って相手にされていない」
「それは、男の人は跡取りになれないからですか?」
「それもあるけど、ルファイ家の男児は呪われている。そういう噂があるんだ」
おおよそ六十年ほど前のことだ。
ルファイ家の一員の男児が死産だった。それそのものは珍しいことではない。悼むべきではあるが、やむを得ないことだ。
だが、それからルファイ家の男児が死産や、幼くして亡くなることが急激に増えた。女児もそのような出来事があったが、圧倒的に男児の方が多かった。
なんど祈りを捧げても、何度祭事を執り行ってもその数は一向に減らなかった。悪評が立つのは時間の問題だったといっていい。
曰く、ルファイ家は教皇に相応しくない。曰く、ルファイ家は異端である。
教皇を数多く輩出したルファイ家だからこそ、その命脈を保っていられたが、そこにも影が差し始めている。だからこそ、権勢を取り戻すための手札として銀髪を欲している。
……落ち目だからこそ、そこにつけこむ人間も現れる。
「呪いなんて本当にあるんですか?」
「わからない。でも実際に魔法もあるし、神様だっている。呪いもあるのかもしれない。事実として僕の叔母は死産を経験している。僕の祖母だって母を出産する時に命を落としているし、母も死産を経験している」
ファティは絶句した。偶然で片付けるにはあまりにも失われた命が多すぎる。
タストはこう言われながら育ったのだ。どうせ男ならすぐに死ぬに違いない、と。
「でも……確かに今まで亡くなった人はかわいそうですけど……藤本さんが呪われてるかどうかなんてわからないじゃないですか!」
思わず語気が強くなるが、タストは人差し指を口に当てた。
「奈夕さん、声を抑えて。気持ちは嬉しいけど、人のうわさなんてそんなものだよ」
「ごめんなさい。でも……もしも私がこのリブスティで活躍できれば藤本さんの役に立ちますか?」
「それはそうかもしれないけど……ここにはクワイ中の腕利きが集まってるんだ。簡単なことじゃないと思うよ」
「それでもです。私、精一杯頑張ります」
決意を新たにするファティ。そんな少女をまぶしそうに見つめていた。
「そろそろ前夜祭が再開されるよ。元の場所に戻ろう」
「はい!」
休憩明けに来たのはラオと呼ばれる領の領主の孫娘だった。何やら事情があるらしくすでに彼女の家の頭首は彼女に決まっているらしい。
直接跡取りが会いに来るのは珍しいが、ありえないことではない。慎重に礼を尽くした応対を行っていた。
不意に、少女とファティの目が合った。
「あなたが銀の聖女様ですか?」
「はい」
突然話しかけられたれて驚いたが、銀髪がありがたがられるのはもう慣れた。
「きれいな御髪ですね。触っても構いませんか?」
ちらりと目線でタストと御付きの女官を見やったが、タストが頷いただけだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
少女はファティの隣まで来て愛おしそうに髪を撫で始め、
「こんにちは」
日本語で耳打ちした。
「……!? こ、こんにちは」
驚きを隠しながら他の誰にも聞こえないように挨拶を返す。
「三日後にラオの応接室に来て。そこでゆっくり話しましょう。もしかしてそっちの子も?」
タストを目線だけで指し示す。
頷きだけで答える。
ゆっくりと少女は体を離し、丁寧な敬礼をして去っていった。
誰にも聞こえない、聞こえたとしてもタストとファティ以外意味がわからないであろう会話はそこで終わった。
三人目の転生者はここにいた。
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