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秋葉夕雲

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第二章

63 花の香りは

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 今日も今日とて農業にいそしむ。
 働き蟻は樹に肥料と水をやり、幼虫はエサをもりもり食べ、良質な肥料を今日も生産してくれている。蟻たちの糞や枯れ葉でさえも食料にできる幼虫は本当にエコだ。
 以前話したコンポストという堆肥を作る方法だが実験的に作ってみようと思う。幼虫の糞が優秀な肥料であるためあんまり必要ないけど、どうしても試してみたいことがある。結果は数週間後になるが、どうなることやら。

 春になって一斉に魔物が動き出すかと思いきや、今活動しているのは小型の草食動物が多い。大型、特に肉食動物の姿はない。草食動物がある程度肥え太ってから動き出すのかもしれない。

 少なくともラーテルはいない。
 奴のライフサイクルは一度に大量の獲物を捕食し、すぐに活動を停止して長期間眠る。その繰り返しかな。冬眠明けのもう少し時間が経過してからか、冬眠直前の秋ごろなら確実に目を覚ますはずだ……去年のように。
 今奴と戦っても勝ち目はないので出会わないことに、運を天に任せるしかない。だがもし、秋ごろに活発に活動するとしたら、またあいつと戦わなくちゃいけない。
 もちろん怖い。あれの姿を思い出すだけで手が震えそうだけど奴と出会う度に逃げ回っていたんじゃ効率が悪すぎる。勝てないなら逃げるべきで、勝ち目があるなら戦う。
 勝率を少しでも上げるためには戦力を増強しなければならない。オレ自身はもう強くなれるとは微塵も思えないし、働き蟻自身の戦闘力は大したことがない。
 ならば選択肢は大きく分けて三つ。

 数を増やす。

 武器を作る。特にラーテルに有効な武器を。

 他の魔物を味方にする。

 基本的には今までやってきたことと変わらない。違うのは奴の魔法や戦闘力を理解していること。つまりもうラーテルの弱点はわかっている。
 火だ。唯一ラーテルにダメージを与えた武器だ。
 火という文明の原点をいかに強化するか。これがラーテルを倒すために必要なことだ。
 ぱっと思いつくもっとも強力な兵器は、火薬! ……でも材料が足りない。最低限必要なのは硫黄、硝酸、木炭。
 木炭は問題ないけど、硝酸は時間をかけるか、どこかから原材料を見つけるないしは盗む必要がある。さらに最大の問題は硫黄だ。これに関してはどこかで火山や温泉でも見つけて採取するしかない。つまり現時点ではどう考えても無理。

 なので次点の武器を作ろう。その武器とは――――油だ。

 油を取得する方法はいくつかある。一番手っ取り早いのは動物の脂肪などを加熱して分離させる方法だ。しかし家畜を飼うことに失敗しており、地球とは比べ物にならないほど野生動物が強いこの世界では現実的ではない。
 では植物性の油を取得するのはどうか。古代から種やゴマを圧搾することで油を獲得してきた。しかしこれは一定以上油分を含む植物でなければ難しい。油を抽出するための溶剤でもあればいいけど、残念ながらそれもない。
 今求められているのは油分が多くない植物でも、火と水と土だけで油を抽出する方法だ。そんな都合のいい方法は、存在する。



 土をこねこね。
 数匹の蟻が日曜大工にいそしんでいる。
 今更だが、本来土で包丁や、鎧なんかを作るのは難しい。土器は硬いが、ちょっとしたことで割れるし、補修が難しい。
「だが、蟻の製造技術は今のところ異世界一ィィィィィ」
「できんことはなーい」
 合いの手ありがとう!
 蟻の魔法なら細い管やフラスコなども容易に作成可能だ。蟻の正確さこそが今求められている。でもガラスがないから透明じゃないんだよなー。そのうちガラスも作ろ。

 というわけで今から作ろうとしているのは蒸留器だ。リービッヒ冷却器と基本的な設計は同じだ。
 油を抽出したい植物を蒸すように加熱する。それにより発生した蒸気を冷却管で冷やしつつ導管によって別の容器に移す。基本的にはこれだけだ。さらにこの道具を応用すればシードルを蒸留し、アルコール濃度を高めることもできる。当然ながら燃えやすくなる。
 ただしこれは本来ハーブなどからフローラルウォーターと精油に分離する方法で油そのものを取得する方法じゃない。物資不足から生じた窮余の一策にすぎない。
 仮に油が大量にあったところでラーテルが何の対策もできないとは思えない。奴の知性を甘く見たことこそが前回の最大の敗因だ。

 しかし。それでも。

 もしもあの時もっと火の勢いが強ければ火に対処する前に奴を焼き殺せたかもしれない。
 それは1%以下のごくわずかな可能性かもしれないけど、ほんのわずかに勝利へ近づくのなら、試すべきだ。

 そして幾度かの失敗を経て、油の取得に成功した! もちろんごくわずかだけど、もっと油分の多い植物ならまとまった量の油が手に入るかもしれない。
 だが予想もしない問題が発生してしまった。それは、

「臭い」

 蟻達が異口同音に声を揃える様子を見て頭を抱える。よく考えれば当たり前のことだ。フローラルウォーターは虫よけにも使われる。オレたちは蟻だ。少なくとも地球では昆虫だ。この世界の蟻が昆虫なのかは議論の余地があるが臭いものは臭い。
 蟻から進化した生物だから人間には心地よい香りが臭く感じるのか、単に嗅覚が鋭すぎて一定以上香りの強いものがダメなのか、とてもきつい香水と芳香剤を大量にぶちまけて二時間放置したトイレのような臭いがする。
「紫水。これ臭い」
「わかってるよ! ちょっとだけ我慢してくれ! それにしてももう少し上品な言い方はないのか?」
「お臭い」
「白菜」
「北斎」
「な・ん・で・ダジャレ言ってんだお前らはよ――――!」
 こいつらは多分オレの思考を読んでこんな言葉を覚えたんだよな?
 なんてこった。オレの頭の中はダジャレでいっぱいなのか? そんなおっさんじゃない!

 はー、はー、深呼吸。深呼吸。
 うむ。一応油は取れたけど、この方法では蟻に著しいストレスがかかる。交代制にして一人に負担を集中させない方がいいかもしれない。専業化は効率を高めるが必ずしも良いことだけではない。
 そういえば人間も臭い袋や煙玉を使っていたな。あれのように強力な臭いを放つなら、嗅覚が鋭い魔物ならひるませるくらいの効果は期待できる。スカンクのように臭いで身を守る生物は決して少なくない。
 問題はオレ達にも効果があることだけど、それはどうにもならんな。
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