こちら!蟻の王国です!

秋葉夕雲

文字の大きさ
上 下
12 / 509
第一章

12 真社会

しおりを挟む
「危険確認。敵襲」

 さわやかな朝に鳴り響く冷静な金切り声。矛盾しているけどそういう風に聞こえるんだからしょうがない。

「うぐ。また筋肉痛が……。今はそんな場合じゃない」

 叫んだ奴と視覚共有。するとそこにはでかい、とにかくでかずぎる甲殻類がたたずんでいた。ちょっとした小屋並みの大きさでどこか死体を思わせる青い色をしている。

「海老、いやヤシガニか?」

  ヤドカリの中には幼生は海で育ち成体になると陸に上がるものがいる。オオヤドカリもその一種。オオヤドカリ科の中にヤシガニが含まれていたはず。



 蟹だか海老だか良くわかんないけど甲殻類がこんな陸に上がるはずないと言う人もいるかもしれない。だがそれは誤解だ。ヤシガニは肺呼吸ではなく鰓呼吸を陸上でも行うことができる。腹辺りに水分を貯めておき、その水に含まれる酸素を鰓によって吸収している。空気中の水分を吸収することでより長時間陸上での活動が可能らしい。



 ヤシガニの特徴の一つとして木に登ることが挙げられる。木に登って果実を食べるとか鋏で切り落とすことがあるとか。もっともこの世界のヤシガニはそんな面倒なことはしないと断言できる。



 なぜなら渋リンの樹は幹ごと叩き折られていたからだ。



 冗談だろう? 木を苦労せずに折れるなら確かにわざわざ樹に登る必要なんかない。渋リンの樹は柔らかくはない。少なくとも地球の野生動物なら絶対に不可能だ。しかもヤシガニの足元には岩棘の残骸まで転がっている。ちょっと遠くにあるリモコンを引き寄せる程度の気軽さでこの惨状を引き起こしたのだ。でたらめすぎる。

 しかもあの不味い渋リンをがつがつ食い荒らしている。これは本当に不味い。ヤシガニの食性は雑食であり、おそらくここでもそれは変わらない。

 蟷螂は肉食だから果樹園そのものには興味を示さなかった、だがヤシガニは渋リンを食べる上に岩棘をものともしないため、ここに居座ることすらありうる。



 つまりこの巣そのものが今危機に陥っている。



 まずい。からだが震えてきた。武者震いなんかじゃなく単なる恐怖からだ。蟻も恐怖を感じると震えが止まらないらしい。強敵と戦ってみたい? なんてあさはかさ。

 強い奴と戦うってことは、自分が死ぬ可能性が高くなるってことだ。そんな当たり前のことを全くわかっていなかった。地球でもこの世界でも戦いとか戦争は他人が勝手にやってくれるものだと、完全に他人事だと、そう思っていた。



 けれどもしヤシガニがりんごを食い尽くしてもまだ満足できなければ、オレを狙ってくるかもしれない。

 怖い。死にたくない。生きていたい。あんなのに食われたくない。ない、絶対にない!

 震えは止まらない。呼吸は落ち着かない。それでもできることをやるしかない。つまり―――

「あいつを狩るぞ」

 おびえを隠しきれていないが、せめて言葉だけは威勢のいいものを選んでおいた。虚勢もいいところだったが、それだけじゃない。せっかく今まで面倒を見てきた渋リンをこんな奴に奪われるのは正直に言って我慢ならない。

 他の生物を散々狩ってきておいて何をいまさらとも思うけど、生物ってそういうもんだろう。自分の為に他を蹴落とし、食うものに困ればどんな手段でも使ってみせる。野生動物であれ、人間でも、魔物でも変わらない。その法則はきっと変わらない。でも、生き物を殺したならそいつをできるだけ無駄なく、効率的に利用しよう。命は尊重されるべきだ。無駄に殺すなど以ての外だ。だがオレに害為す生き物を放置するつもりもない。



要するに、昼のおかずはお前だヤシガニ!



 少し落ち着いたところでどうやって戦うかだ。生物の強さは基本的にでかい=強い、だ。ファンタジーだと可愛い女の子が魔法でドラゴンを吹っ飛ばす! 何てこともありえるけど、この世界の魔法が体内のエネルギーを利用している可能性が高い以上、今まで見たなかで一番でかいヤシガニは魔法においても最強である可能性がある。

 しかも奴は今まで戦ったことのない甲殻類。硬化能力を使えばどのくらい硬いかはわからない。投石でダメージを与えればいいんだけど。



 ふむ。ならこいつを確実に倒せる罠を用意しなければ。幸いオレは昨日文明を大幅に進歩させた。類人猿から原人くらいまでは進歩したからな。昨日襲われていたら勝ち目は薄かっただろう。そうと決まれば罠の準備だ。ヤシガニが動いていない今のうちに……。げっ! 言ったそばから動き出しやがった! ぐぬぬぬ。

 のそのそと歩く姿は早くないが、外にいる蟻を獲物として狙っているらしく、まっすぐこちらに向かってくる。まあいい。これ以上渋リンの被害が拡大しても困る。迎撃するか。



「投石開始!」

 いっせいに風切音が唸り、ほとんど同時に9つのスリングから石が放たれた。蟻は機械的な動作を集団で正確に行う技能が非常に高い。この光景を見て昨日投石器を開発したと思う奴はいないだろう。まあ、正確な動きができるのと敵に攻撃を当てられるのとはまた別なわけだが。

 案の定当たった投石は2つだけ。しかも―――

「無傷かよ!」

 スリングは単純な武器だが、威力は高い。考えてみて欲しい。人間なんて殴られただけで死ぬ生き物だ。自分の頭にでかい石が当たって無事な人間がいるか? 人間でなくても当たり所が悪ければ死ぬだろう。しかしヤシガニは何事もなかったかのように平然と歩みを進めている。体は鉄かなんかでできてんのか?

 だがそこで渋リンの土棘に歩みをさえぎられた。さあどうやってそいつを突破する?薄緑色に光る鋏を土棘に向ける。そしてなんのためらいもなく鋏で土棘を挟み折った。……すごく力技でした!

 これで間違いないな。鋏の威力を上げるのがヤシガニの魔法だ。実のところ使ってくる魔法の種類はおおよそ予測できていた。多分この世界の魔物が使う魔法は地球に住んでいる生き物の特徴的な能力と似ている。蟷螂なら鎌とか、蟻なら土中に巣を造るから土を操るなどなど。いくつかわかりづらい魔法もあるけどおそらく間違いない。

 そしてヤシガニの挟む力は甲殻類最強とさえ言われている。魔法として使用できる可能性は高かった。他の可能性は殻の防御力を上げる、水を操るってところだ。今のところ鋏以外何かおかしな部分はないようだけど……。

「女王。石無くなった」

 あ、やべ。考察してたら戦闘指揮を忘れてた。

「石の投手と石の弾を作る奴に分かれろ。例え効かなくても足を鈍らせろ」



 ヤシガニは土棘を折りながら歩いているせいで素早く移動できない。それに顔はもろいのか鋏で顔を隠している。決定打にはならないが時間稼ぎならコレで十分だ。そして何より蟻達の行動に無駄がなくなってきているためどんどん投石する間隔が短くなっている。むこうの体力は有限だが、こっちの弾は土から作れる以上ほぼ無尽蔵だ。時間はこっちに味方している。

 それにしてもこいつ探知しづらいな。光が薄くてみづらい。隠れてるわけじゃないから問題ないけど。そんなどうでもいいことを考えられる程度には余裕があった。この瞬間までは。 



 突如としてヤシガニの鋏から溢れる光が延び、一番前にいた蟻を押し潰した。



 反応することさえ許さない一瞬のできごと。

「ツ゛ッ! 痛ッてえ!」

 感覚共有していたせいでオレ自身にも痛みが伝わる。だが実際に潰されればこんなもんじゃすまない。なにしろさっきまで蟻がいた場所には赤い血だまりとヨクわからない物体があるだけだ。土の鎧も硬化能力も何一つとして役に立たなかった。あの魔法ならオレなんか死の瞬間すらわからずに潰されるだろう。



 恐怖がまた蘇る。震えは止まらず視点も思考も定まらない。これからどうなる、どうすればいい?怖い怖い怖い怖



「女王」

 はっと我に返る。蟻の一匹から話しかけられていた。今はまずこの場を切り抜けないと。

「と、とりあえず一度距離をとれ」

 まずい。どれくらい時間が経ったかわからないけどヤシガニがこっちに―――こない?

 なんということもない。今狩ったばかりの獲物を食べることに夢中なだけだ。ご丁寧に樹にしがみついてまで歩道橋にある死体に鋏を伸ばしており、そのせいでこっちの攻撃も届かないらしい。



 だが問題はそこじゃない。こいつらは、

「怖くないのか?」

「何が?」

「お前らの仲間が死んでるんだぞ? 逃げようなんて思わないのか?」

「女王さえいなくならなければそれでいい」

「――――」

 さっき生物は利己的な生き物だとそんなことを言ったがそれは必ずしも正しくない。社会性をもった生物は利他的な行動を行うことが自身の繁殖を助けると遺伝子的に理解した生き物どもだ。それを突き詰めた生物が蟻や蜂、シロアリなどの真社会性生物。

 この生物の特徴は少数の繁殖を行う個体と多数の不妊の個体を持つことで、言ってしまえば子孫を残すという生物にとって根源的な欲求を他の個体に預けてしまえる生物だ。そんな生物が知性をもった結果がどうなるか、その答えがここにあった。

 蟻にはおそらく欲求がある。だがそれら全てよりも女王を優先する。してしまえる。



 オレはあまり寄付だとか慈善事業なんかが好きじゃない。それにかかわる人間も同様に。そういう無償の利他的行動が善意の押し付けのように感じるからだ。どこぞの絶滅した動物の毛皮を身に着けながら動物の保護を叫ぶとか、頼まれてもないのに人類を救うためにカルト宗教を広めようとするとかそんな大人を見たことがあるからかもしれない。

 けどこいつらの利他的行為はもっと純粋な本能によるものだ。そこには善・意・も・悪・意・も・な・い・。ただそうするべきだと確信しているだけ。うん。それなら信じられる。オレが信じるべきなのはいつだって論理と効率に基づいた答えだ。



 こいつらは理にかなっている。



 だがオレはこいつらを信用してはいなかった。それも元人間であるオレにとってこいつらは化け物に見えるなんてくだらない理由からだ。そのくせ平気で魔物と戦わせようとするんだから厚顔この上ない。まずこいつらとオレとの関係をはっきりさせる。そのうえでこいつらをどうするのか決めよう。



「お前たちにとってオレは何?」

「女王」

「オレの命令には必ず従う?」

「うん」

「何故?」

「女王を生かさなくてはならないから」



 我らは蟻。群れるが故に―――



「お前たちが死んでもなにも感じなくても?」

 こいつらには感謝しているし、その生き様に敬意は払う。だが死んだとしてもどうとも思わない。死体を見て恐怖は感じたがそれはオレ自身が死ぬかもしれないという恐怖だ。こいつらへの哀悼じゃない。

「女王の命令には従う」



 そうか。ならこいつらを徹底的に使う。そして生き延びる。例えこいつらを使い潰してでも。蟻としてはそれが正しい生き方だ。人としても自分が生き延びるために最善を尽くすことは決して間違いではないだろう。いつの間にか震えは止まっていた。そのために相応しい言葉は―――







「オレのために戦え」



 静かに宣告した。最初にこういっておくべきだった。働き蟻と女王蟻の関係を一言で表せばこうなると誰もが納得するに違いない。だからこいつらが次に言う言葉も至極当然の言葉だ。



「了解」

 簡素にけれど力強く応えた。



 この先彼女たちが彼を裏切ることも恨むことも決してない。―――最後まで。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

美少女に転生して料理して生きてくことになりました。

ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。 飲めないお酒を飲んでぶったおれた。 気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。 その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

~クラス召喚~ 経験豊富な俺は1人で歩みます

無味無臭
ファンタジー
久しぶりに異世界転生を体験した。だけど周りはビギナーばかり。これでは俺が巻き込まれて死んでしまう。自称プロフェッショナルな俺はそれがイヤで他の奴と離れて生活を送る事にした。天使には魔王を討伐しろ言われたけど、それは面倒なので止めておきます。私はゆっくりのんびり異世界生活を送りたいのです。たまには自分の好きな人生をお願いします。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

異世界転生!ハイハイからの倍人生

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は死んでしまった。 まさか野球観戦で死ぬとは思わなかった。 ホームランボールによって頭を打ち死んでしまった僕は異世界に転生する事になった。 転生する時に女神様がいくら何でも可哀そうという事で特殊な能力を与えてくれた。 それはレベルを減らすことでステータスを無制限に倍にしていける能力だった...

処理中です...