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 理仁が最寄駅に着いたのは、もう夕方近くなってからだった。
 花火の日ということで、人が多い。真尋は理仁をすぐ見つけられるだろうかと心配したが杞憂に終わった。人混みに紛れていても、すぐに目が引き寄せられる。においがする。涼やかなにおい。こんな暑い日なのに、一瞬すっと気持ちいい風が吹いたようだった。
 においのためだろうか。理仁もすぐに真尋に気づいたようだった、改札を出るなり片手を上げ、大股で近寄ってくる。真尋は笑った。

「すっげえ黒い!」
「写真で見せただろ。いまは落ち着いてるけど、痛いくらいだったぞ」
「海じゃあそうなるよな。泳いだ?」
「泳いだ」
「いいな!」

 真尋の父と理仁は車の中で挨拶をした。友人と引き合わせる、というのがなんとも気恥ずかしいような気まずいような心地で、真尋は理仁と一緒に後部座席に座りながら落ち着かなかった。狭い空間のせいか、理仁のにおいが強く感じられる。久しぶりだ。たかだか二週間程度だろうに、離れている間に身体がまたこのにおいを感じられたことを喜んでいるようだった。指先が痺れる。理仁はどうだろうか、と真尋が顔を上げたところで視線が絡まる。きらきらとなんだかずいぶん眩しい笑顔を向けられて、真尋も口元が緩んでしまった。理仁だ、と思った。

 家に着くなり荷物を置いて早々に出ることになった。理仁が母に手土産を渡したり、挨拶をしているのを待っている真尋に、母も父も微笑ましい顔を向けている。ひとりではしゃいでいるのに気づかれているようで、真尋はばつが悪い。理仁が不思議そうな顔をしているのがまだ救いだ。冷やしたミネラルウォーターのペットボトルを二人で一本ずつ手に家を出た。
 じゃあこっちな。祭り会場のほうへ足を進めると、理仁はしっかりと隣に並ぶ。並んで、話そうとすると真尋は知らず顔を上げている。そういえば、身長が高かった。二週間ぶりの距離を少しずつ思い出していく。こんがりと焼けているせいか、白いシャツが明るく見える。これはいつもと違うところだ。
 理仁は今日はいつもよりも、よく辺りを見渡している。この辺りはさほど珍しくもない住宅街だ。真尋の言葉に、理仁はふっと笑う。

「そうだな。でも、南野はここで育ったんだろ」
「生まれたときからこの街だな」
「うん。あと、祭りってあんまり行ったことがないから新鮮なんだ」

 へえ? 真尋は首を傾げるように相槌を打つ。理仁はペットボトルから水を煽っていた。真尋もつられるように口をつける。

「家族とか、友達とかと行かなかったのか?」
「確か、小さい頃に伯父に連れて行ってもらったくらいだ」
「おじさん? あのバイトの人か?」
「母の兄なんだ。よく気にかけてくれる」

 気にかける、の意味を考えて真尋は首を傾げた。屋台がぼちぼち並びはじめ、綿飴の入ったぱんぱんの袋やカラフルなお面をふたりで眺めながら進んでいく。まだ明るい時間だからだろう、人は多くなく歩きやすかった。
 真尋は目についた唐揚げを一カップ買い、ひとつ爪楊枝で刺すと残りの分を理仁に差し出した。理仁は目を瞬かせ、戸惑ったように受け取る。財布を取り出そうとする理仁に、別の何かを買ってくれればいいと伝えると、神妙に頷いて真尋と同じように唐揚げに爪楊枝を刺した。高級料理でも食べるように慎重に持ち上げて口に運ぶのがなんだかおかしい。あち、と思わずといった声を上げているので、真尋はまた笑った。
 唐揚げを分け合って食べている二人の横を、腰ほどもない身長の子供たちが走り抜けていった。兄弟だろうか、ことさら小さい子を先に進んだ子が振り返りつつ待っている。

「そういえば北浦って兄弟いんの?」
「弟が一人」
「へえ」

 理仁がよく周りを見ているのは、アルファの気質ではなく兄としての気質だろうか。真尋は両親共に兄弟がいるので従兄弟は多いが、一人っ子だ。兄がいたらこんな感じなのかと思うがしっくりはこない。

「何歳くらい離れてんだ? どんな感じ?」
「今年中学三年なんだ。どんな感じって、何が?」
「仲いい?」
「どうだろう」

 真尋は思わず理仁を見上げた。いつもの、さらっとした返事ではない。声が小さく、唐揚げを楊枝に指して持ち上げたまま、ぼうっとしている。

「北浦!」
「ん? なんだ?」
「俺イカ焼き買うけどお前も食う?」
「食べる」

 理仁の顔が緩み、真尋はほっと息を漏らした。
 なんとなく理仁は、弟と仲いいよ、と笑って応えるような気がしていた。真尋は、理仁と知り合ってまだ半年程度しか経っていない。実家のことも知らない。弟の存在を知ったのもたったいまだ。確執があるのか、仲がいいのか悪いのかさえ分からない。
 伯父さんというのが、理仁にとって誠実な相手であればいいと思う。

「とりあえず唐揚げ食っちゃえよ」
「ああ。南野」
「んー?」

 イカ焼きの屋台へ突き進む真尋に、理仁が五百円を渡す。いつの間に財布を出したのか。もぐもぐと唐揚げを頬張って満足そうな顔をしている。いつもより子供っぽいしぐさだった。

「こういうのおいしいな」

 先程とは違う、きらきらした顔で理仁が笑った。真尋はカーッと頭から耳元までじりじりとした熱に侵されるような錯覚に陥りながら、ゆっくり何度も頷いた。





 両親から観覧席のチケットを譲ってもいいと言われたが、観覧席は出入りの時間が決まっており、屋台を食べ歩くのが難しくなるため、真尋は理仁と相談した上で断った。おかげでりんご飴やらお好み焼きやらを買いながら、どれも分け合いつつ食べた。
 屋台であまり買い食いをしたことがないという理仁に、真尋はあれこれともっと食べさせたいところだったが、設定していたアラームが鳴ってしまった。真尋はスマートフォンを取り出し、アラームを解除し時間を確認する。理仁が不思議そうに眺めてくるのに、花火の時間がそろそろだと伝えた。

「ここで見るのか?」
「穴場があるから移動する。その前にかき氷買わね?」
「いいぞ」

 かき氷の販売列に並んでいると、観覧席に向かう人の流れの中に、見知った顔を見つけた。沙苗だ。いつもより凝った髪型をしている。見覚えがあった。夏祭りで浴衣に合わせてするんだと笑っていた。いまのように。
 隣に背の高い男が並んでいる。男の顔は見えないが、三池だろうか。楽しそうで、しあわせそうで、仲のいいカップル以外のなにものにも見えなかった。
 自分と付き合っているとき、沙苗はどんな顔をしていたっけ。真尋は思い出そうとして片方のこめかみを手のひらで擦った。笑っていたとは思う。仲は良かったのだから。
 でも何かが噛み合わなかった。むりだった。沙苗にとっては、そうなのだろう。
 仲は良かったはずだ。わからない。真尋の中に卑屈になりそうな感情がある。いまでも、どうして、と叫びたい日がある。この瞬間にも、駆け寄って、訊ねてみればいいのではないかと思う。
 だがあれが、あの沙苗のしあわせそうな顔が、答えなんじゃないかと真尋は気づいてしまった。

「南野?」

 はっと気づくと、もう順番が来ている。理仁に促され、並んだ色とりどりの瓶から味を選ぶ。緑色のかき氷を手に、理仁のものはどうして青いのだろうと真尋は首を傾げつつ先導した。行き先は大きな道路を挟んだ先にある、運動公園だ。
 園内の広々とした芝生へ出ると、理仁はすでに芝生にいる人たちが顔を向けているほうを振り返った。

「あっちに花火が上がる?」
「そう。このへんでいいか?」
「ああ」

 真尋は芝生に腰を下ろし、そっと辺りを見回す。人が徐々に集まっている。観覧席ではなくここも人が多いが、ゆとりを持つくらいのスペースはあった。理仁も真尋の隣に座り込む。そうしてようやくかき氷に手をつけた。最初は山盛りだったが、歩いているうちに徐々に溶けてしまっていた。シロップに氷が沈んでいる。
 青いかき氷を食べ、目をぎゅっと瞑っている理仁に、真尋はなあ、と声をかける。

「なんで北浦ブルーハワイなんだ?」
「なんでって?」
「青りんごあっただろ?」
「青りんごは南野が頼んだじゃないか」

 互いに顔を見合わせる。なぜ、自分が頼んだら理仁が頼まないのか真尋にはわからない。理仁は理仁で、なぜ真尋がわからないのかわからないとばかりに首を傾げている。
 仕方がないな、と溜息を吐いたのは真尋だった。自分の手にある。緑のシロップのかかったかき氷を理仁に差し出す。

「ほら」
「ん?」
「食べていいぞ。好きなんだろ」

 理仁は目を瞠り、思わずというように吹き出した。
 ひとの親切をなんだと思っているのか。真尋はむっと眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げる。

「なんだよ。お前が青りんご好きって言ったから……」
「俺が好きって言ったから買ってくれたのか?」

 真尋はぴた、と口を閉じた。目を逸らす。いや、べつに、ちがう、と口の中でもごもごと唱える。どれもうまく言葉にはならなかったが、理仁には伝わっていただろう。
 本当に、本心から、真尋にはそんな意識はなかった。
 だが指摘されると、自分でもそうなのかもしれないと思えてしまい、混乱する。いや違う違う。真尋は一人で顔を手のひらで扇いだ。暑い。なんだこれ。恥ずかしい。
 そしていつまでもかき氷を差し出したままになっていることに気づく。引っ込めようとした瞬間に、白く長いスプーンがさくっと氷の山に突き入れられた。真尋はあっ、と声を漏らす。

「くれたんだろ? ありがとう。うまいよ」
「あ、ああ」

 ぎこちなく真尋は氷を手もとに戻す。
 ひとりでひたすら空回りをし続けているようで、まだ顔が熱い。耳元がじくじくと痛かった。
 理仁の表情も確かめられずにいたが、にゅっと青い氷のカップを差し出され、真尋は顔を上げてしまった。

「はい」
「えっ」
「ブルーハワイ。南野も食べれば」
「あ、ああ、うん」

 しゃく、とスプーンで氷を掬い、口に含んだが味はわからなかった。あまいと思った。青りんごも、ブルーハワイもあまくてあまくて目が回る。

「夏って感じだなあ」
「夏だし」
「そっか」

 かき氷のシロップのせいで、理仁の舌が青く染まっている。きっと、真尋も緑に染まっているのだろう。
 人が集まり始めたので、真尋はちら、と時間を確認した。花火までもう少しだ。
 しゃくしゃくとかき氷を食べながら、真尋はついさっき訊いた理仁の家族のことを思う。あれは普段の理仁では触れないものだ。ひとつ踏み込んだ先にあるもの。
 だからというわけではないが、自分のものを何かひとつ、真尋も晒け出したい気持ちになった。

「俺さ」
「ん?」
「お前に、北浦に初めて会ったとき、スマホ投げつけただろ」
「ああ、そういうこともあったな」

 理仁は笑う。あれからまだ半年も経ってないのか、と言うのを聞いて、真尋も改めて驚いた。あれからまだそんなものだ。そんなものなのに、ずいぶん色々あったように感じる。
 ここは夜なのにじわじわと汗が滴るような気温のせいか、あの寒くて震えた日をうまく思い出せない。

「あのとき俺カノジョに振られたんだ」

 理仁は、ああ、と歯切れ悪く頷いた。突然こんな話を振られれば、戸惑うのは当然だろう。真尋は構わず続ける。

「でも、なんか……うまく言えないな。今日、実は見かけたけど」
「うん」
「見かけたけど、あのときほど辛くなかった」
「……そうか」
「ああ」

 ふわ、と花のにおいがする。あまいシロップをかき消すように、風に浚われるように包まれる。安心するにおいだ。真尋がいま求めていたわけではない。だが、欲しいものを正しく与えられたように口が緩む。

「北浦のおかげってだけじゃないけど、でも、北浦のおかげでもあると思う」

 何がとは真尋にも明確には言えない。
 理仁は肯定も否定もなく、真尋を見つめていた。いつもより近い距離にある瞳を前に、真尋は目を細めて笑う。

「ありがとな」

 ドン、と大きな音が鳴った。花火が始まる。
 それでもしばらくは、真尋は理仁から視線を離せずにいた。
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