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 夏祭りは二日間開催される。
 一日目は神輿が中心に盛り上がり、二日目は最後に花火が上がる。理仁と回るのは二日目になった。ちょうどその日の朝にアルバイトが一区切りつくのだという。真尋としても一日目は高校の友人たちに誘われていたからちょうどよかった。
 一日目は友人たちと回るのが毎年の恒例だった。彼女や彼氏がいる連中は大体花火を相手と見る約束をしているので、友人で集まるのは一日目と暗黙の了解だった。そのうち何人かは担ぎ手側に回ったこともある。

「バイト明日の朝までなんだろ? それからはどうするんだ?」
『今度は伯父の仕事の手伝いに行く』

 理仁が来る予定日の前々日、時間などの確認のために真尋は連絡を入れた。時間や持ち物の確認はすぐに済み、すぐに話は雑談に流れて行く。

「仕事の手伝い? そんなのもあんの?」
『海の家のバイトはいつもお盆までだから、その後は伯父のところに行ってる』
「それは、またキャベツ刻むんじゃないよな……?」
『伯父の家で食事作るときは刻むかもな』

 仕事の手伝いの期間はその伯父の家に住むのだという。本当にまったく実家に帰らないのだろうか。真尋は口にはしなかったが、雰囲気は伝わったのかもしれない。一度くらいは実家にも顔を出すと思う、と理仁は付け加えた。

『仕事の手伝いと言っても雑事だよ。電話番とか掃除とか、資料整理とか』
「またいろいろやるんだな」
『そうだな。勉強にもなるし』

 勉強、真尋が繰り返すと、経験とも言う、と理仁が笑う。
 アルバイトを増やしてもいたから、金を貯める目的が強いのかと真尋は思っていた。経験か、とまた繰り返す。

「将来のためなのか? そういうの」
『そうとも言えるし、そうでないとも言える』
「どっちだよ」
『俺がそうしているのは、やることがないからだ』

 それは夏の間のことだけではないような響きだった。きっぱりと言い切っているのに、諦めやさみしさを感じさせる。
 真尋は、いい親だな、と理仁が言ったときの顔を覚えている。覚えているから、あのとき帰らないと答えた理仁にそれ以上の話はできなかった。
 なんとなくだまりこんでしまった真尋に、ふっと理仁が笑う声が聞こえる。電話越しなのに、どんな顔をしているのかわかってしまった。それがどうしてか気恥ずかしい。真尋は自分の感情を持て余して頭をかいた。

『もう寝るか。明後日会うんだから、顔を見てゆっくり話そう』
「あ、ああ、そうか……そうだな……」

 明後日って何日だっけ。真尋はひとり混乱した。理仁は笑ったままで、おやすみ、とささやくように言った。うん、真尋は相槌を打つ。

「おやすみ」

 真尋はプー、プー、と通話の切れた電子音を聞いてから、スマートフォンを握りしめたままの手をシーツの上に落とす。そうしてしばらくベッドの上でぼんやりと天井を見つめていた。





 高校の友人たちとは、夏祭り以前にも何度か集まって遊んだ。それでも今日まで会えなかった相手もおり、全員集まったのは久々のことだった。
 夏祭りに男子大学生が数人集まったところで、さあ神輿を堪能、とはならなかった。久しぶり、と肩を叩いたりしている間になんとなく全員集まっている。だらだらと屋台を冷やかしつつ、射的をしてはでかいぬいぐるみを当てたり、釣ったヨーヨーをぱしぱし手で弾いて進んでいく。

「じゃあ食うもん買ってあとで集合な」

 ざっと屋台の流れを堪能した後、もっと人の落ち着いたところでだらだらと食べる、というのが毎年の習慣になっていた。そのあと祭りや神輿のざわめきを遠目に見ながらファストフード店かファミレスに入るのもいつものことだ。

「焼きそば買ってくる」
「俺フランクフルトー」

 早い者勝ちのように食べ物をあげて、各々好きに散っていく。真尋はじゃあたこ焼き、と片手をあげて宣言し、屋台を探す。
 たこ焼きは人気だ。いくつか店舗はあるが、真尋はとりあえず目についた屋台に並んだ。八個入りで五百円。友人たちのグループからのメッセージを確認しつつ、三パックほど購入する。そのまま屋台を離れようとしたら、ねえねえ、と声をかけられた。

「ねえってば。おにいさん一人?」

 自分だとは思わなかったが、肩を叩かれて真尋は振り返る。浴衣を着た、男女のカップルがにこにことこちらを見ていた。同い年かと思ったが、自分より少し年上だろうか。

「ひとりなら一緒に回らない?」
「いや、友達と来てるんで」
「えー。うそだあ。ひとりでたこ焼き買ってんじゃん」
「ねー。一緒に回ろうよ」

 三パックも一人で食うと思ってんのか。真尋はさっさと離脱したかったが、前に男が回り込み、横から女が腕を組んでくる。人も多く、うまく振り払えない。
 そういえば毎年強引なナンパや痴漢が出るので注意してください、と運営委員会から回覧板が回ってきていた。いまさら真尋は思い出す。地元以外からも多く人が集まるので、盛り上がって結構無茶をする人も多い。警備員も増やしているらしい。

「これから合流するんで。邪魔しないでください」
「じゃあ明日は? 連絡先教えてよ。明日一緒に回ろ?」
「いやです」
「そんなこと言わないでさあ」

 どうしようか。真尋はいっそ屋台の後ろ側に避難させてもらおうかと気づかれないように、首を巡らせた。直後にがばっと後ろから抱きつかれて、硬直する。鳥肌が爪先から頭のてっぺんまで一気に駆け上がっていくようだった。うっかりたこ焼きのパックを落としそうになる。耳元で、ぐうぜーん、と囁く声は聞き覚えのあるものだ。だが安心するようなものではなく、余計に寒気がしただけだった。

「この子俺のツレなんで~」

 ぶわ、と一瞬強い匂いが鼻を掠める。真尋はぎゅっと顔をしかめた。アルファの威圧行為だ。アルファが、他のアルファを牽制するための匂い。ベータやオメガにも影響する。そういうものがある、と真尋は知ってはいたが実際目の前にするのは初めてだった。
 絡んできていた二人組がアルファかどうかは分からないが、威圧のためか、すぐに真尋から離れた。威圧は、過ぎれば揉め事に繋がる。突然現れた相手を危険に感じたのだろう。いくつか文句を吐き、肩を落としてつまらなさそうに去って行く。
 真尋はほっとしつつも、後ろにくっついている相手が気になって仕方がない。

「こんなところで会うなんて偶然だね~」
「はあ。あの、離してください」
「助けてあげたのに~」
「それは、ありがとう、ございます……」
「うんうん。お礼言われるの気持ちいいわ」

 気が済んだのか、後ろの男は手を離して真尋の隣に並んだ。声でもしかして、とは思っていたが、やっぱりそうだった。あのコピー機のところで揉めていたときに、あとから来た先輩。真尋にとっては鬼門の先輩の友人だという、スキーサークルに所属している相手。規模が大きい祭りなので同じ大学の人間が来ていても不思議ではないが、よりにもよってこんなところで会うとは思わなかった。
 この先輩から何かされたと言うことはないが、どうにもいい印象がない。真尋は心持ち身体を離した。威圧のにおいがまだ鼻先に残っているのか、足が鈍い。

「お礼ならたこ焼きでいいよ」
「え? ああ、これ……」
「じゃなくて焼きたての買ってよ。一緒に並ぶからさ」
「え、いや一人で並びます」
「いいからいいから~」

 真尋ははあ、溜息を吐いた。不本意ながら助けてもらったのは事実だ。たこ焼きぐらいで黙ってくれるのならいいだろう。夜も更けて参加の人が増えてきたせいか、先程並んだときより列が長い。
 つまり話に付き合わなければならない。
 やだな。真尋はつい息を吐いてしまう。

「そういえば俺の名前知ってる? 木下っていうの」
「はあ」
「ここって後輩くんの地元なの?」
「ちょっと夏祭りに来ただけです」
「へえ~」

 真尋が気のない返事をしても、木下は気にせず話し続けている。わざとではないのだろうが、先程の匂いがまだ漏れている。たこ焼きの匂いに混ざって気持ちが悪い。

「後輩くんの名前ってなんだったっけ?」
「南野です」
「下の名前だよ~」

 これは下の名前を教えたらそれで呼ばれるのだろうか。つい口を閉じて顔を背けてしまった。木下はにこにこ笑っている。
 何か、変なことをしているわけではない。
 木下自身が真尋に何か不快な行為をしたわけではない。揉めたときだって友人を締めた真尋を非難せず、謝罪さえした。いまも助けてくれたくらいだ。
 それでもどこか、気が許せなかった。近寄りたくないと思ってしまう。耳の付け根からうなじのあたりがちりちりと痺れ、悪寒がする。先程の匂いのせいか、それとも距離が近すぎるせいだろうか。

「真尋だよね? 真尋くん」

 においが漏れている。威圧とは別の匂い。アルファがオメガを見つけるときに使うフェロモンの匂い。これも初めて感じた。そういうものがあることは知っている。オメガでも、同じことができる。そしてどちらにしても、非難される行為だ。禁止されているわけではない。人の多いところ。知らない人向けて。そういうことをするのはやめましょう。暗黙の了解とされている行為。
 真尋はじっと木下を見つめる。人混みのなか、そわそわと木下を振り返って見つめる人間が多い。プロテクターを付けているからオメガだと分かる。匂いに反応している。
 これがアルファか。真尋は、自分とはまったく違う人間として、初めてアルファというものを見た。真尋が知っているアルファは理仁や篠崎で、彼らは友人で同級生で、同じ人間だと思った。
 木下は違う。
 ブルッとハーフパンツの中でスマートフォンが震え、真尋は我に返った。いつの間にか順番が来ているので、さっとたこ焼きを買い、押しつけるように木下に渡す。

「これでお礼はしましたから」
「え~? 一緒に回らない?」
「回る理由がありません。俺友達と来てるんで」
「そう~? だってこーんなところで偶然会うなんてさあ、運命みたいじゃん? 理由にならない?」
「馬鹿らしい」

 真尋は反射的に吐き捨てた。助けてもらったことも、先輩であることも頭からすっぽ抜けていた。覚えていても、黙っていたかは疑問だ。
 運命なんてふざけたことを言っていいのはあいつだけだ。 

 真尋はもう口を開くのもおっくうで、雑に一礼すると木下に背を向ける。
 またね。そう聞こえたが、真尋は気のせいだと思いたかった。冷めてしまったたこ焼きのパックを握りしめ、早々にその場を離れた。
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