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いつもお世話になっているお礼

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 メイウェイ宅での家事代行の仕事は、毎日決まった時刻の始業・終業であり、内容も俺に合ったものだっただけに、崩れ落ちそうになる体に鞭を打ちながらもなんとか続けることができた。毎日がルーティーン作業ではあったが、それでも変化がないわけではなく、三ノ宮メイウェイの家に通い始めてから、俺の心と体は一歩、また一歩と、少しずつではあるが良い方へ変わりつつあった。

 最初は単なる雇い主と家事代行者の関係だった。食事の用意、掃除、洗濯。当然ながら、これらはただの業務でしかない。だが、その中で俺はメイウェイとの距離が徐々に縮まっていることに気づいていた。俺はこれを“信頼関係”と言うんだと思っている。

「リャオさんのご飯はね、美味しいだけじゃなくて、安心するんです。僕、リャオさんのご飯が世界一大好きです。」

 そう言って、俺が用意した、出来合いのソースじゃない、調味料とスパイスを混ぜて仕上げた麻婆豆腐を平らげ、メイウェイは微笑んだ。その笑顔が、俺の心をほんのり温かくした。メイウェイがそんなことを言うせいで、毎回のように用意する食事がただの仕事ではなく、料理に向ける自分の心遣いが、食材を通してメイウェイに伝わっているような気がしてならなかった。

 洗濯物をクローゼットにしまい終えてリビングに戻ると、メイウェイが窓辺の椅子に座って長い足を組み、タブレットで本を読んでいる姿が目に入った。その美しさはまるで美術館に飾られたの彫刻のようで、俺はつい見とれてしまう。
 一瞬胸がドキリと高鳴った気がしたが、今のは何だったのだろう。雇い主のメイウェイと、ただの家事代行者の俺。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに。

「ありがとうございます、リャオさん。いつも助かります。」

 戸口に立つ俺に気づいたメイウェイが礼を言ってくれるたび、俺はいつからか曖昧に微笑み返すようになった。自分でもなぜそんなよく分からない表情になるのか分からない。しかし、メイウェイの弾けんばかりの笑顔に応える自分のぎこちない笑みには、仕事を通じて芽生えつつある、言葉にできない何かが潜んでいるような気がした。

帰り支度をしていたとき、メイウェイが何気なく声をかけてきた。

「リャオリイさん、あの、これなんですけど…」

 彼がおずおずと差し出してきたのは、小さな花束と高級そうな革に包まれた小さなキーホルダーだった。緑色の、ふわふわと幾重にも重なった花弁。それは控えめながらも美しい花々が織りなす束で、微かな植物の香りが立ち上ってきた。俺が驚きを押し殺し花束を受け取ると、メイウェイは嬉しそうに目を細めた。

「これ、トルコキキョウって言うんですよ。いつもお世話になっているお礼です。あと、このキーホルダーはお守りです。肌身離さず付けておいて下さい。」

 メイウェイの瞳には、いつもののんびりした柔らかな雰囲気とは異なる熱い感情が宿っているように見えた。俺はなぜか照れくささを感じながら、「ありがとうございます。」と頷いた。正直、お礼の品だなんて俺なんかにはもったいないシロモノだが、突き返すのはあまりにも失礼なので素直に受け取っておいた。

「ほんの感謝の気持ちです。ずっと残る物でもないから時間が経てば処分できるし、それに、要らなければ捨てられるし。…でも、もし気に入ってもらえたら、嬉しいです。」

 メイウェイは照れたように小さく微笑みながら革製のストラップを自然な手つきで俺のカバンに取りつけ、そして足元に視線を落とす。
 強制的にお守りを付けるあたり強引なんだか、謎に気を遣って照れるあたり控えめなんだか、メイウェイという人間は複雑すぎてよく分からない。

 複雑な心境なのはこちらも同じで、俺は手渡された花束を手に持ちながら、何とも形容しがたい温かな感慨が胸に広がっていくのを感じた。自分でもこの気持ちを何と表現して良いのか分からない。ただ、自分のような人間を気にかけてくれている人がいることに、嬉しいような、申し訳ないような、居たたまれない感じがして、泣きたくなった。

「捨てるなんてとんでもない。枯れるまで大事にします。」

 声が震えそうになるのをこらえ、努めて普通の声音でそう言って部屋を後にする俺を、メイウェイは笑顔で見送ってくれた。

 電車を乗り継いで帰宅する。
 四畳半のボロアパートの部屋の窓辺に置かれた、小さな花束。
 空いたジャムの瓶を花瓶代わりに活けられたそれが、俺の新たな日常の一部となった。

 部屋に1つしかない、食事用兼、書類作業用兼、パソコン作業用の机代わりの段ボールの上にポツンと存在する花。

 明日はバイトが休みの日だ。風呂に入る気力さえ湧かず、万年敷きっぱなしの薄い煎餅布団に倒れ込みながら、この部屋で唯一鮮やかな色を放つメイウェイの花に目を向ける。

 指先を動かすことすらできない程に重くなった鉛の体で、稼働させられるのは視界のみ。
 いつからか忘れていた、認識しなくなっていた色の存在。そういえば世界には“色”があったんだったなということを今、改めて思い出した。
 メイウェイの灰がかった緑色の瞳とよく似た色の、ギザギザとした花弁を持つボリューミーなトルコキキョウを見つめながら。

目標金額まで:あと25万円
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