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崖っぷちビルside
しおりを挟む俺の名前は「崖っぷちビル」…ではなく、崖っぷちビルというペンネームで活動しているアマチュアBL漫画家、端場ウィリアム鶴松(はしば ウィリアム つるまつ)…という、本名の方がよっぽどペンネームっぽい大学生である。端場は「端っこの場所」、ウィリアムの愛称が「ビル」なので、二つ合わせて「崖っぷちビル」というわけだ。
俺は昔から漫画が大好きだった。大好きな作品の真似をして、真っ白な紙に何度も何度も絵を描いて来たから、美術の成績はいつも5段階評価中の5だった。リビングの姉の本コーナーにある漫画の中でも特に男同士の恋愛模様を描いたものが好きで、とりわけ「平凡受け」という、受けが地味で目立たない少年である作品を好んで読んでいた。自分もヒーローになりたい。俺はその平凡な受けに、居もしない理想のヒロインを重ねて妄想をするようになった。
「あぁ……もしもこの漫画に出て来る平凡受けのような恋人が出来たら……こんな素敵な人に愛されるのは俺だったら良いのに……」
そんなことを考え始めたらもう止まらなかった。大学生というのは「財布はカラッポだが時間ならたっぷりある」で有名だ。
そしてついに俺は自分で漫画を書き始めてしまった。
実際に自分が体験したことを素材にして、それを漫画へと昇華させていった。
というのもその頃、俺は税理士事務所の入力作業のバイトをやっていた。企業からレシートや売上表を預かり、それをパソコン上のソフトに入力していく事務作業だ。
なぜ税理士事務所でバイトをしていたかと言えば、大学の帰りに寄れたからである。その会社は新宿にあってとても交通の便が良い立地で、俺の住むマンションから近かったというのもある。
しかし――…
「徳河さん、すみません。通帳に社会保険料の引き落としがあるんですが、これの仕訳がわからなくて…。」
「あ、あの、それなら、左に預かり金と厚生年金のペアと、残りの残金を法定福利費、右を通帳からの引き落としにすればいいと思い…ます…。あの、これ、ウィリアムさんが打ってる会社のマニュアルです…。僕が去年作ったやつで…さ、参考になると思うので、よければど、どうぞ…。あ、いらなければ別にっ、あの。」
「ありがとうございます、徳河さん!」
それ以上に俺の心を鷲掴みにしたのは、この事務所の先輩アルバイトの一人だった。その人の名前は徳河さんと言って、エクセルやCSV、PCソフトの知識が豊富でよくできる人なのに年齢は俺よりもたった一つ上だというから驚きである。彼はなんと俺と同じ大学の学生であり、なおかつパートのおばちゃんの情報によると彼も漫画や小説が大好きらしい。そんな共通点があるからなのか、いつも仕事を助けてくれるからなのか、俺はすぐにシャイな彼に好感を持った。
「あの、徳河さんって、何の漫画が好きなんですか?」
「え?……あの、僕が好きなのは、けっこうマイナーというか……、その、アマチュア作品なので…」
「実は俺もです。」
「……もしかしてウィリアムさんも?」
「はい。俺もアマチュア作品が好きです。特に『平凡受け』が」
そう言った瞬間、徳河さんは目を輝かせた。…ように見えた。なぜ自信がないかと言うと、彼はいつも他人と目を合わせないように足元を見ていて、人と話すときにも絶対にこちらを向かずに俯いているからだ。俺は一度も顔を見てもらったことはないので、きっと徳河さんは俺の顔を知らないと思う。顔を真っ赤にして「僕も、同じです…」と声が返って来た時、俺はこの人と仲良くなりたいと強く思った。
それからというものの、俺と徳河さんの関係は良好である。お互いパソコンの画面を見ながら、作業の合間に小声でBLの話をするのだ。徳河さんの洞察力は深く、独特の着眼点から物語を読み解く見解はとても面白い。ずっとこのまま仲良くいられたら…あわよくばもっと親密になれたらいいのに。
しかし最近になって少し困ったことになってしまった……というのも、俺が彼に対して抱く感情が、ただの友情や尊敬から、どんどん恋慕の情へと変わりつつあったのだ。推しの〝ファン〟から〝ガチ恋〟に…。
つまり……俺は彼のことを本気で好きになってしまったのである。
しかしそれを打ち明ける勇気は俺にはなかった。もし告白して断られたらどうしようと思う気持ちがどうしても強く出てしまって……結局今の関係のまま、現状維持のままで良いと思っていた。
そんな時だった。「よし、せめてこの気持ちを漫画に昇華させよう」と思ったのは。
これが俺の創作の全ての始まりだった。この日から俺は下手ながらも漫画を描き始めた。もちろん、BL漫画を。
自分の理想の平凡受けに徳河さんを重ね合わせて、漫画の中の彼をよりリアルにしようと試行錯誤した。
最初は全然伸びなかった。閲覧数30、いいね!0、コメント0。
なんでだよ!!!面白いだろうが、俺の漫画!!!とベッドに思いっきりダイブしてゴロンゴロンとのたうち回った。
だって想い人の徳河さんをモデルにした渾身の一作なのだ、もっと伸びなきゃおかしいだろ。
そこで俺は気がついた。
モチーフ(徳河さん)は完ぺきだ。
だけど俺の技量がそれに追いついていないのだということに。
もっと、もっとだ。普段の徳河さんの仕草、言動、一挙手一投足に俺が感じるこの〝萌え〟を俺は表現できているのか?
幸い、ネタならバイトに行けば毎日そこら辺に転がっている。
俺はそれを片っ端から漫画にした。
すると徐々に閲覧数やいいね!の伸びが良くなって来て、とある人からコメントまで貰えるようになった。
コメントの主は「平凡学生」さん。作品ページに140文字以内の短いコメントをくれるだけでなく、メッセージボックスにて数百文字、いや、千文字は超えるであろう超長文を毎回寄こしてくれる。
『崖っぷちビルさんこんにちは、平凡学生です。
崖っぷちビルさんの作品にはいつも元気をいただいております。毎回新作が発表されるたびに、心躍る瞬間を感じています。崖っぷちビルさんの作品の魅力は、その豊かなキャラクター描写と、独自の視点から展開されるストーリーです。特に印象的だったのは、前作「夕暮れの迷宮」で描かれたキャラクターたちの成長と、彼らが直面する困難を乗り越える姿でした。
たとえば、主人公のエリオットが未知の世界に迷い込む場面では、彼の不安や興奮がリアルに描かれ、読者としてもその冒険に引き込まれました。エリオットの勇気と知恵、そして仲間たちとの絆を通じて困難を克服していく姿には、私自身も勇気をもらい、困難に立ち向かう力を与えられました。
また、「冬の虹」の物語では、主人公のダンが家族との絆を取り戻すために奮闘する姿が心に響きました。ダンの葛藤や成長、そして家族の再生というテーマは、多くの人に共感を呼ぶものでしょう。ビルさんの作品は、読者に考えさせるだけでなく、心温まる瞬間をもたらしてくれます。
さらに、ビルさんの作品に登場するキャラクターたちは、個々の魅力的な個性を持っており、読者に強い印象を与えます。たとえば、「海の囁き」の登場人物である謎めいた老人アウグストの物語には、彼の過去や内面の秘密が徐々に明らかになる展開が心に残りました。彼の生き方や人生観に触れることで、私自身も多くのことを考えさせられました。
ビルさんの作品は、単なるエンターテイメントにとどまらず、読者に深い洞察や新たな視点をもたらしてくれます。それぞれの物語には、読者が自分自身や現実世界について考えさせられるような要素が含まれており、その点にビルさんの才能を感じます。
これからも、崖っぷちビルさんの作品に触れることを楽しみにしています。どうぞこれからも創作活動を続けてください。ビルさんの作品は、私たち読者にとってかけがえのない存在です。心から応援しております。どうかお身体に気をつけて、ますますのご活躍をお祈りしております。
平凡学生より』
たった一つのいいね!、たった一言のコメントでも凄く嬉しいのに、こんなにも長文で自分の作品を褒められると心臓を掻き毟りたくなるくらい面映ゆかった。俺は彼の作品を読みながら毎回声に出して、嬉しくて笑ってしまう。それくらい読むのが楽しくて、彼の文章力に驚かされるのだ。
もっと彼とやりとりしたい……そう思った俺は思い切ってメッセージボックスで彼に返事を送ってみることにしたのである。
するとすぐに返信がきた。
そうやってやり取りを楽しむうちに、俺は自分が、崖っぷちビルが、平凡学生さんに精神的にかなり依存しているのだということに気づいてしまったのである。
自覚してしまうと、今度は焦りが生まれた。俺が平凡学生さんに好意を抱いているように、平凡学生さんも実は俺のことを好いてくれるのではないか?なんて夢みたいな妄想に浸るようになったのだ。ヤバい。二股じゃん。俺は徳河さんのことが好きなはずなのに、平凡学生さんにも惚れようとしてしまっている。依存先、つまり推しは多ければ多い程良いと言うけれどガチ恋の場合はどうすればいい?
そんな幸せで忙しい毎日が2年続いた頃、ある日を境に突然メッセージは送られて来なくなってしまったのである。
ショックだった。もしかして俺が彼に対して抱いた恋心がバレたのだろうか……とも考えたが、返信の文章はよく読み返して送っていたしそれはないと思いたい。
喜々と興奮に彩られたジェットコースターのような日々とは一転、それから俺はまたいつも通りの生活に戻った。バイトに行って徳河さんと仕事して萌えを吸収しては、家に帰って漫画を描く。
平凡学生さんからの感想という最高にハイになれる合法的なお薬に支えられていた精神は徐々に正気に戻った。
なのに彼は(もしかしたら彼女かも知れないが)、俺のトイッターのどうでもいい呟きなんかには相変わらずいいね!もコメントも、取りうる全ての反応をくれる。ひょっとして俺の漫画が単に面白くなくなっただけなのかも。その時はしんみりと、どこか諦めにも似た感情がスッと頭をよぎって行ったが、それも一瞬のことだった。
無理だ、諦めるなんて。まだ他の方法を試していないのに諦められるほど、俺は潔い男じゃない。
足りない。もっと反応が欲しい。平凡学生さんに振り向いて欲しい。
そしてそのうち、俺はパソコンで漫画を描いて投稿サイトにアップするだけでは飽き足らなくなって、ついには印刷して製本までしてしまったのである……。
それが俺の同人誌デビュー作である。タイトルはそのままズバリ、 《平凡受けが恋をした!》 というシンプルなものだ。しかしこれが思いのほか売れた。
本当に驚いたのはその後である。ある日いつも通りパソコンで漫画を描いて印刷して製本したあと、今回はそれを同人誌即売会に持って行ってみようという気になったのだ。トイッターで平凡学生さんの生存確認はしている。だからこそ俺は「同人誌即売会でなら平凡学生さんに会えるかも」という期待に縋った。
いよいよ当日、場所は東京ビックサイト。沢山のサークルが並ぶ中、運営がどういう基準で座席を決めているのかは分からないが、俺のスペースはギリギリ壁じゃない位置で、人の流れに邪魔になりそうだが仕方ない。きっと壁サーと呼ばれる人たちには何万ものフォロワーが居るはずだ。数千人規模の俺が太刀打ちできるはずもない。手に汗を握りながら座っていた。開幕10分、最初は誰も来なかった。……それでも諦めずにそわそわしながらスペースで一人座っていたら、ようやく一人目が現れたのである!その人は俺よりも少し年上くらいの女性で、どうやら平凡受けジャンルに興味があるらしい。彼女は隣のサークルの本を買い、さらに俺の本も買ってくれた。しかもこの同人誌が彼女の琴線に触れたのか、なんとその場で感想まで言ってくれたのである! その方は俺の本を褒めてくれた。そして平凡受けというジャンルにとても興味を持ってくれたのだ。その場で小躍りしたいほどマジで嬉しかった。ボイスレコーダー持って来ればよかった。
その後は堰を切ったように人が押し寄せた。みんな事前にQ支部やトイッターの情報を頼りに俺の本を興味深そうに買ってくれ、感想をくれたりネタに笑ったりと反応してくれた。中には俺の本をきっかけに徳河さん(をモデルにして俺が作り上げた数多くの受けたち)のファンになってくれた人もいて、その方はなんとわざわざ俺に挨拶までしに来てくれたのである! 俺はもう大興奮だった。
そんな時だった。頭から雷に打たれたような衝撃が俺に走ったのは。
「あの!平凡学生です!いつも作品楽しみにしています!これからも応援しています!」
緊張した面持ちで一気にまくしたてる、その青年は、人が苦手なのか目も合わせず俯きながら差し入れを渡してくれる。その人はなんと、俺の同人誌の表紙を飾った(受けのモデルである)あの徳河さんさんだったのだ! ……もうこの時には、平凡学生さんが男性か女性かなんてどうでもよくなっていた。徳河さんも好き、平凡学生さんも好き。この二人が同一人物だということはつまり、俺は、彼のことが大大大好きだということだ。
そう自覚した途端、俺は今まで自分が徳河さんに抱いていた感情が恋だったということにようやく気づいた。
そうしてありがたいことに既刊も新刊も完売させ、撤収した俺は、良く見知ったその後頭部を追いかけながら、後をつけていったのだった。
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