37 / 45
37.望まぬ再会
しおりを挟む
どうして。
それしか思いつかない。
どうして、ごろつきがここにいるのか。
マルの背中を、ごみ屑以下にした男だ。卑猥な言葉、メモ代わり、暇つぶしにと、何でも書いては塗りつぶし、それも面倒になれば重ね書き。おかげでマルの背中は盛り上がった傷や落書きだらけで、きれいな皮膚はほとんどないのだ。
真っ黒な傷と、忘れられない過去を作った張本人のゴロナ。マチルダと市場に出かけたときに見間ちがえたが、そこにいるのは悲しいほど本人だ。
「う……ぁっ……」
口から漏れるのは意味不明の音。どうしたらいいのかなんて、何も思い浮かばない。
「驚いて声も出ねぇか。俺も驚いたぜ。こんなとこで見たことのある銀髪のガキが歩いてんだからな。まさかと思ったらとんずらこいた『痛み』だ。なあ、お前も俺と会えて嬉しいよな、そうだろ? ……嬉しいって言ってみろよ」
「……う」
「言え」
「う、うぇ……しぃ……で……す」
ゴロナの脅迫に、マルは震えながら何とか答えた。
嫌だ、怖い、逃げたい。頭は完全に拒否をしているのに、過去の呪縛は、マルを再び支配下に置く。
「そーかそーか、お前もそう思うか、はっはっは」
ゴロナが棒立ちになっているマルの背中を軽く叩いた。恐怖には重さがある。叩かれた場所から、鉛が注がれるようだった。
「昔の仲間はほとんどとっ捕まっちまったけどよぉ、余計な奴らがいなくなって逆にせいせいしたぜ」
地方から王都へ侵入した犯罪者たちは、先日討伐によって捕まっている。けれど、指名手配されてなかった小物が何名か逃げているという情報を思い出した。その一名が、最悪なことにゴロナだったのだろう。よりによって。
「こいつは挨拶代わりに貰っていくぜ」
マルにいつの間にか生まれていた葉とつるを、ゴロナは雑に掴かみ取る。マルの髪も一緒にぶちぶちと引き抜いた。けれどゴロナはちっとも気にしていないようで、機嫌良く銀色の糸もトラウザーズのポケットへ詰め込んでいった。
「もうちっと貰おうか」
そう言って、ゴロナは露天で買ったのだろうホットワインを、マルの手元へひっくり返す。
「あっ!」
マルが手に持っていた四枚の真っ白のハンカチが、みるみるうちにワイン色に染まる。
まだ支払いをしていないものだ。ゴロナの意味不明な行動に、マルは頭が真っ白になった。
「ちょっとお客さん、売りもんに何するんだ!」
それまで迷惑そうにしながらも口を出さなかった老女が、慌ててゴロナへ詰め寄った。だが襟元を掴まれて、簡単につま先立ちにさせられた。
「うっせぇクソババア。金はこいつが払う。ガタガタ言ってんじゃねぇ、今すぐ墓に入りてぇのか⁈」
「ひいぃっ!」
ゴロナが老女を更に持ち上げようとする腕に、マルは必死に飛びつく。
「や、やめてあげてっ」
「おう、いいぜ」
拍子抜けするほど簡単に、ゴロナは手を離す。老女はゲホゲホと咳き込んだ。
「いいか『痛み』よぉ。お前は俺たちから逃げたくせに、今も俺へ借りを作ったんだからな。全部しっかり返してもらうぜ。高ぇぞ、こいつはよお」
にい、とゆっくり唇をめくって笑う。この笑い方がマルは嫌いだった。ろくでもないことしかされなかったが、この笑いの後には特別酷いことばかりされたからだ。
だからずっと、笑う大人は大嫌いだったのだ。
カラコロと軽やかな鐘の音を鳴らし、ゴロナは店から去った。静寂の中で咳き込む音が続くので、老女の背をさすろうとマルが近づくと、手の甲を強く叩かれた。
「なんなんだいアンタは! あんな奴を呼び込んでからに、酷いじゃないか! ダメにされた商品は、全部アンタに弁償して貰うからねっ!」
弱々しく見えた老女は咳き込むのをぴたりとやめて、マルへ噛みついてきた。
「ごめんなさい……。でも、俺が呼んだんじゃなくって……」
「しらばっくれるんじゃないよ! 知り合いだったじゃないかっ!」
マルに非がないのは明白だが、老女はマルに賠償を押しつけた。突然やってきた乱暴な大男を追いかけて責任を追及するより、目の前の子どもにさせた方が手っ取り早く、また、自らの気も紛れるのだろう。
事実、打ちひしがれているマルは、汚された四枚のハンカチの代金を支払おうと改めて銀貨を出す。
「迷惑料も出しなっ! 払わないって言うならアンタを治安部へ引き渡してやるから!」
「ごっ……ごめ、ごめんな……さい」
治安部に引き渡されてしまえば、すぐに逃亡奴隷と知られてしまうだろう。それだけは避けなければいけない。
麻袋には残り二枚の銀貨がある。老女はマルの手から麻袋を勝手に奪うと、全て抜き取ってマルに突き返した。
「あたしゃアンタたちと違って善良なんだ。これっぽっちじゃ全然足りないけど、これで勘弁してやるよ。相手があたしで良かったと思うんだね。花生みなんだから、金くらいいくらでも作れるんだろう。楽して生きてたって、ろくな人間になれやしないんだから」
老女は荒く鼻息を一つすると「二度とうちの店に来ないどくれ」と吐き捨てて、マルを睨め付けた。
それしか思いつかない。
どうして、ごろつきがここにいるのか。
マルの背中を、ごみ屑以下にした男だ。卑猥な言葉、メモ代わり、暇つぶしにと、何でも書いては塗りつぶし、それも面倒になれば重ね書き。おかげでマルの背中は盛り上がった傷や落書きだらけで、きれいな皮膚はほとんどないのだ。
真っ黒な傷と、忘れられない過去を作った張本人のゴロナ。マチルダと市場に出かけたときに見間ちがえたが、そこにいるのは悲しいほど本人だ。
「う……ぁっ……」
口から漏れるのは意味不明の音。どうしたらいいのかなんて、何も思い浮かばない。
「驚いて声も出ねぇか。俺も驚いたぜ。こんなとこで見たことのある銀髪のガキが歩いてんだからな。まさかと思ったらとんずらこいた『痛み』だ。なあ、お前も俺と会えて嬉しいよな、そうだろ? ……嬉しいって言ってみろよ」
「……う」
「言え」
「う、うぇ……しぃ……で……す」
ゴロナの脅迫に、マルは震えながら何とか答えた。
嫌だ、怖い、逃げたい。頭は完全に拒否をしているのに、過去の呪縛は、マルを再び支配下に置く。
「そーかそーか、お前もそう思うか、はっはっは」
ゴロナが棒立ちになっているマルの背中を軽く叩いた。恐怖には重さがある。叩かれた場所から、鉛が注がれるようだった。
「昔の仲間はほとんどとっ捕まっちまったけどよぉ、余計な奴らがいなくなって逆にせいせいしたぜ」
地方から王都へ侵入した犯罪者たちは、先日討伐によって捕まっている。けれど、指名手配されてなかった小物が何名か逃げているという情報を思い出した。その一名が、最悪なことにゴロナだったのだろう。よりによって。
「こいつは挨拶代わりに貰っていくぜ」
マルにいつの間にか生まれていた葉とつるを、ゴロナは雑に掴かみ取る。マルの髪も一緒にぶちぶちと引き抜いた。けれどゴロナはちっとも気にしていないようで、機嫌良く銀色の糸もトラウザーズのポケットへ詰め込んでいった。
「もうちっと貰おうか」
そう言って、ゴロナは露天で買ったのだろうホットワインを、マルの手元へひっくり返す。
「あっ!」
マルが手に持っていた四枚の真っ白のハンカチが、みるみるうちにワイン色に染まる。
まだ支払いをしていないものだ。ゴロナの意味不明な行動に、マルは頭が真っ白になった。
「ちょっとお客さん、売りもんに何するんだ!」
それまで迷惑そうにしながらも口を出さなかった老女が、慌ててゴロナへ詰め寄った。だが襟元を掴まれて、簡単につま先立ちにさせられた。
「うっせぇクソババア。金はこいつが払う。ガタガタ言ってんじゃねぇ、今すぐ墓に入りてぇのか⁈」
「ひいぃっ!」
ゴロナが老女を更に持ち上げようとする腕に、マルは必死に飛びつく。
「や、やめてあげてっ」
「おう、いいぜ」
拍子抜けするほど簡単に、ゴロナは手を離す。老女はゲホゲホと咳き込んだ。
「いいか『痛み』よぉ。お前は俺たちから逃げたくせに、今も俺へ借りを作ったんだからな。全部しっかり返してもらうぜ。高ぇぞ、こいつはよお」
にい、とゆっくり唇をめくって笑う。この笑い方がマルは嫌いだった。ろくでもないことしかされなかったが、この笑いの後には特別酷いことばかりされたからだ。
だからずっと、笑う大人は大嫌いだったのだ。
カラコロと軽やかな鐘の音を鳴らし、ゴロナは店から去った。静寂の中で咳き込む音が続くので、老女の背をさすろうとマルが近づくと、手の甲を強く叩かれた。
「なんなんだいアンタは! あんな奴を呼び込んでからに、酷いじゃないか! ダメにされた商品は、全部アンタに弁償して貰うからねっ!」
弱々しく見えた老女は咳き込むのをぴたりとやめて、マルへ噛みついてきた。
「ごめんなさい……。でも、俺が呼んだんじゃなくって……」
「しらばっくれるんじゃないよ! 知り合いだったじゃないかっ!」
マルに非がないのは明白だが、老女はマルに賠償を押しつけた。突然やってきた乱暴な大男を追いかけて責任を追及するより、目の前の子どもにさせた方が手っ取り早く、また、自らの気も紛れるのだろう。
事実、打ちひしがれているマルは、汚された四枚のハンカチの代金を支払おうと改めて銀貨を出す。
「迷惑料も出しなっ! 払わないって言うならアンタを治安部へ引き渡してやるから!」
「ごっ……ごめ、ごめんな……さい」
治安部に引き渡されてしまえば、すぐに逃亡奴隷と知られてしまうだろう。それだけは避けなければいけない。
麻袋には残り二枚の銀貨がある。老女はマルの手から麻袋を勝手に奪うと、全て抜き取ってマルに突き返した。
「あたしゃアンタたちと違って善良なんだ。これっぽっちじゃ全然足りないけど、これで勘弁してやるよ。相手があたしで良かったと思うんだね。花生みなんだから、金くらいいくらでも作れるんだろう。楽して生きてたって、ろくな人間になれやしないんだから」
老女は荒く鼻息を一つすると「二度とうちの店に来ないどくれ」と吐き捨てて、マルを睨め付けた。
41
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした
エウラ
BL
どうしてこうなったのか。
僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。
なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい?
孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。
僕、頑張って大きくなって恩返しするからね!
天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。
突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。
不定期投稿です。
本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。
BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。
魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。
三度目の人生は冷酷な獣人王子と結婚することになりましたが、なぜか溺愛されています
倉本縞
BL
エルガー王国の王子アンスフェルムは、これまで二回、獣人族の王子ラーディンに殺されかかっていた。そのたびに時をさかのぼって生き延びたが、三回目を最後に、その魔術も使えなくなってしまう。
今度こそ、ラーディンに殺されない平穏な人生を歩みたい。
そう思ったアンスフェルムは、いっそラーディンの伴侶になろうと、ラーディンの婚約者候補に名乗りを上げる。
ラーディンは野蛮で冷酷な獣人の王子と噂されていたが、婚約者候補となったアンスフェルムを大事にし、不器用な優しさを示してくれる。その姿に、アンスフェルムも徐々に警戒心を解いてゆく。
エルガー王国がラーディンたち獣人族を裏切る未来を知っているアンスフェルムは、なんとかそれを防ごうと努力するが……。
愛する人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」
応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。
三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。
『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。
お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?
麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。
【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる