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30.消えた張り紙
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アベルは親指を立てた握り拳をマルへ向ける。頼もしくもあるが、どこか第一隊長に通じる笑みを浮かべていた。
マルたちは他の隊士たちを入れ替わるように食堂へ赴いたので、朝食を食べ終わるころには大分人気が少なくなっていた。
そのころを見計らって、食堂の入り口近くにある掲示板の前へ行った。壁に掛かっているそれは木製で、マルの両手を広げてもまだ幅があまる大きさだ。
落とし物や捜し物の知らせから、個人的な頼み事、知り合いを紹介して欲しいなど、様々な依頼が書かれた張り紙がある。そして中には、年末年始に滞在させてくれる家の募集もちらほらと。
「ほら、そこの台の上にあるペンと紙で書くんだよ」
マルは文字を孤児院で習った。ロナウドの屋敷でも空いた時間に料理長が手ほどきをしてくれたので、上手いとは言えないが、読める程度は書ける。
もう使わないだろう古くて小さい机が、壁に横付けされている。何かを印刷した紙の裏を使った再利用の紙の束と、羽根ペンと、インク。
それらを使って、できるだけ丁寧に書いた。
『ぼしゅうします。 年末のきゅうかの間 家にとめてくれるひと。 マル』
「か、書けた。これでいいと思う? おかしくない? 所属がないけど、俺だって分かるかな?」
「上出来。分かる、分かる。どっからどう見ても子どもの字で、名前が『マル』なら、お前しか思い浮かばねぇって」
「そう? 良かったぁ」
アベルが背伸びをして、できるだけ目につくよう掲示板の上の方へピンで留める。
気になった情報や依頼があれば、書いた本人へ直接連絡をするきまりだ。つまりマルは誰かしらからの連絡を待てばいい。
「花生みを泊まらせてくれるなら、自分の竜を持っている隊士だろうな。隊長クラスか貴族出身とかだと、メシが期待できるからいいぞ」
アベルはそう言うが、それならマルは料理長の食事が食べたかった。料理長が仕込んだオリーブのピクルスはもう食べられる頃合いだ。きっとよく漬かっているだろうし、ウサギの内臓を煮込んだスープも飲みたい。マチルダにも、選んでもらった冬物の服が温かくてとても助かっていると礼を伝えたい。ホセにはカシスの爪の手入れをできるようになったと自慢をしたい。ロバのどんぐりにも会わないと、忘れられてしまう気がした。
それから、それから、やはりロナウドとチーズを食べる時間が欲しい。
すっかり自分は贅沢になってしまった。どうしてくれるのだと言ったら、ロナウドは笑うだろうか。『責任をとって、チーズを欠かさないよう配慮する』と大真面目に言うかもしれない。そうではなく、チーズではなく、二人で過ごす時間が贅沢なんです、とロナウドへ返す妄想が駆け巡る。けれどもうそういう間柄でも、主従関係でもなくなりそうな気がした。
ロナウドから避けられるのは寂しい。実際の理由は分からないけれど、思い当たる節はいくらでもある。
どこかでロナウドの気に障ることをしでかしたのもしれない。もっとたくさんの花を生める花生みがほしいのかもしれない。もしかしたら、逃亡奴隷だと気が付いてしまったのかもしれない。そして、温情で黙ってくれているだけかもしれない。
深く考えないようにして仕事に励んだが、花は生まれなかった。そしてまた今日もロナウドと話す機会がないまま、終業の鐘を聞いた。いよいよ年末は誰かの屋敷で過ごす可能性を実感せざるを得ない。
夕食の前に、掲示板を見に行く。初めての募集が気になった。
「あれ……?」
ない。アベルが貼った場所には何もなく、掲示板の木の肌が見えていた。二人で掲示板を隅から隅まで探しても、マルの書いた張り紙はなかった。ピンが抜けて落ちたのかと床に目をやったが、それらしきものは見当たらず。
「俺、隊士じゃないから、貼っちゃいけなかったのかなぁ?」
「そんなことない。誰が使ってもいいんだって」
食後、食堂の隅にある暖炉の前でもアベルとその話になった。この一角は酒を酌み交わす隊士たちとは距離があって、静かで温かくて、丁度いい穴場になっている。
「もしかしたらさ、マルを泊めてもいいって思っている誰かが張り紙を持っていったかもしれないだろ? そいつから声がかかるかもしれないから、明日一日待ってみるか」
納得したマルは、アベルの提案通り待つことにした。
けれど誰からも連絡はなかった。それでもう一度掲示をしたが、それもなくなっていた。三回目もなくなっていたら、募集するのはやめようと思っていた。
そこまでなったら、さすがに偶然とはいえない。誰かが強い意志をもって邪魔をしていると分かる。
最後と決めた紙を持って、うんと背伸びをする。そうすると足が踏ん張れず、ピンを刺す手に力が入れにくい。
「どれ、難儀してるようだね」
マルの手に背後から大きな手が重なって、優しく力が込められる。たった今まで抵抗をみせてた掲示板は、態度を軟化させてピンを受け入れた。
マルたちは他の隊士たちを入れ替わるように食堂へ赴いたので、朝食を食べ終わるころには大分人気が少なくなっていた。
そのころを見計らって、食堂の入り口近くにある掲示板の前へ行った。壁に掛かっているそれは木製で、マルの両手を広げてもまだ幅があまる大きさだ。
落とし物や捜し物の知らせから、個人的な頼み事、知り合いを紹介して欲しいなど、様々な依頼が書かれた張り紙がある。そして中には、年末年始に滞在させてくれる家の募集もちらほらと。
「ほら、そこの台の上にあるペンと紙で書くんだよ」
マルは文字を孤児院で習った。ロナウドの屋敷でも空いた時間に料理長が手ほどきをしてくれたので、上手いとは言えないが、読める程度は書ける。
もう使わないだろう古くて小さい机が、壁に横付けされている。何かを印刷した紙の裏を使った再利用の紙の束と、羽根ペンと、インク。
それらを使って、できるだけ丁寧に書いた。
『ぼしゅうします。 年末のきゅうかの間 家にとめてくれるひと。 マル』
「か、書けた。これでいいと思う? おかしくない? 所属がないけど、俺だって分かるかな?」
「上出来。分かる、分かる。どっからどう見ても子どもの字で、名前が『マル』なら、お前しか思い浮かばねぇって」
「そう? 良かったぁ」
アベルが背伸びをして、できるだけ目につくよう掲示板の上の方へピンで留める。
気になった情報や依頼があれば、書いた本人へ直接連絡をするきまりだ。つまりマルは誰かしらからの連絡を待てばいい。
「花生みを泊まらせてくれるなら、自分の竜を持っている隊士だろうな。隊長クラスか貴族出身とかだと、メシが期待できるからいいぞ」
アベルはそう言うが、それならマルは料理長の食事が食べたかった。料理長が仕込んだオリーブのピクルスはもう食べられる頃合いだ。きっとよく漬かっているだろうし、ウサギの内臓を煮込んだスープも飲みたい。マチルダにも、選んでもらった冬物の服が温かくてとても助かっていると礼を伝えたい。ホセにはカシスの爪の手入れをできるようになったと自慢をしたい。ロバのどんぐりにも会わないと、忘れられてしまう気がした。
それから、それから、やはりロナウドとチーズを食べる時間が欲しい。
すっかり自分は贅沢になってしまった。どうしてくれるのだと言ったら、ロナウドは笑うだろうか。『責任をとって、チーズを欠かさないよう配慮する』と大真面目に言うかもしれない。そうではなく、チーズではなく、二人で過ごす時間が贅沢なんです、とロナウドへ返す妄想が駆け巡る。けれどもうそういう間柄でも、主従関係でもなくなりそうな気がした。
ロナウドから避けられるのは寂しい。実際の理由は分からないけれど、思い当たる節はいくらでもある。
どこかでロナウドの気に障ることをしでかしたのもしれない。もっとたくさんの花を生める花生みがほしいのかもしれない。もしかしたら、逃亡奴隷だと気が付いてしまったのかもしれない。そして、温情で黙ってくれているだけかもしれない。
深く考えないようにして仕事に励んだが、花は生まれなかった。そしてまた今日もロナウドと話す機会がないまま、終業の鐘を聞いた。いよいよ年末は誰かの屋敷で過ごす可能性を実感せざるを得ない。
夕食の前に、掲示板を見に行く。初めての募集が気になった。
「あれ……?」
ない。アベルが貼った場所には何もなく、掲示板の木の肌が見えていた。二人で掲示板を隅から隅まで探しても、マルの書いた張り紙はなかった。ピンが抜けて落ちたのかと床に目をやったが、それらしきものは見当たらず。
「俺、隊士じゃないから、貼っちゃいけなかったのかなぁ?」
「そんなことない。誰が使ってもいいんだって」
食後、食堂の隅にある暖炉の前でもアベルとその話になった。この一角は酒を酌み交わす隊士たちとは距離があって、静かで温かくて、丁度いい穴場になっている。
「もしかしたらさ、マルを泊めてもいいって思っている誰かが張り紙を持っていったかもしれないだろ? そいつから声がかかるかもしれないから、明日一日待ってみるか」
納得したマルは、アベルの提案通り待つことにした。
けれど誰からも連絡はなかった。それでもう一度掲示をしたが、それもなくなっていた。三回目もなくなっていたら、募集するのはやめようと思っていた。
そこまでなったら、さすがに偶然とはいえない。誰かが強い意志をもって邪魔をしていると分かる。
最後と決めた紙を持って、うんと背伸びをする。そうすると足が踏ん張れず、ピンを刺す手に力が入れにくい。
「どれ、難儀してるようだね」
マルの手に背後から大きな手が重なって、優しく力が込められる。たった今まで抵抗をみせてた掲示板は、態度を軟化させてピンを受け入れた。
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