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27.冬の嵐
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訪れる人もいないのに、うつらうつらと二晩過ごす。そのせいで三日目は早々に眠くなって、朝までぐっすり熟睡した。
厩舎に毎日カシスがいるので、ロナウドも本部に来ているのは分かっていた。たまに姿を見掛けることもあった。けれどいつも誰かと話していたり、忙しそうに動いていた。でも目が合って会釈をすれば、片手を上げて挨拶を返してくれる。
だから無視をされているのではない。少し距離を感じるし、寂しくもあるけれども。
ロナウドが距離を置きたいのなら、彼の負担にならないように自分もそうしようと思う。
身の丈はわきまえるべきだ。その上で、遠くからでもロナウドを見ることができたら、それでいいのだ。
食堂で昼食を取っていると、近頃朝が寒くてベッドから起きるのが苦痛だという誰かの話が聞こえた。そういえばマルも夜は毛布を使い始めていた。王都は北部よりは暖かいが、冬の女神はどこもまんべんなく訪れているようだ。
その流れで、年末の休暇の話になっていた。盗み聞きはよくないが、賑やかな食堂では誰もがつい声を大きくして話すので聞こえてしまう。
休暇中、隊士たちは一斉に帰省するらしく、土産を何にするかと盛り上がっていた。
孤児のマルには帰る家がない。今となっては、ロナウドの屋敷はあてにしない方がいいのだろう。
幼竜を散歩させながら見上げた空は、今にも降り出しそうで、分厚くて不機嫌そうな色をしていた。
「あれ、カシスがいない」
まだ夕方前だ。終業には早い。
「今夜はこの後、嵐がくるからな。通いの隊士は帰宅させている。あのカシスは嵐でも飛べるかもしれぬが、ロナウドの方が吹っ飛ぶだろうよ」
かっかっかと、愉快そうに笑うのは、マルと並んで厩舎に入った第一隊長だ。
この時期に王都近辺は一度嵐が来る。そこからたたみかけるように気温が下がり、雪が降り始めて、あっという間に真冬になるのである。
「おお、そうだ。今度アベルと共に、儂の部屋へ来てはくれぬか。菓子の味見をしてほしいのだ。儂は甘いのがどうも苦手でな。毎年孫へ贈る菓子を悩んでしまうのだ」
新年に大事な者へ菓子を贈るのは、カエルム王国の伝統的な習わしだ。竜騎隊で一番の強者も、孫には弱いのだろう。
今は平穏なカエルム王国だが、一昔前は王位継承の騒乱があった。当時は第二王子だった現王を支えた一人が、この第一隊長であった。
マルが承諾すると、第一隊長は目尻の皺を深くして、普通の好々爺の笑みを見せた。
「なんと? マルは年末をロナウドの屋敷では過ごさぬのか?」
丁度年末の話が出たので、宿舎がどうなるのか訊ねてみた。表向きは閉鎖になっているが、竜がいるので世話をする人はいるはずだ。ロナウドの屋敷で過ごせなくても、竜の世話をすれば宿舎にいられそうだと思えたのだ。
「あ……まだ決めて、ないんです……」
ロナウドの屋敷で過ごすか過ごさないかの選択肢ではなく、選択肢そのものがないとは、ばつが悪そうで言えなかった。
「そうか。厨房の者たちも休暇に入るので、食事は出ないが宿舎は泊まれるようになってはいる。実家が遠くて帰省しない者も多いしのう。若い隊士は、泊まり先を募集したりもするが」
「ぼしゅう、ですか?」
「そうだ。お主が募集をかければ、申し込みは殺到するだろう。そうなれば、あのロナウドもすまし顔ではいられないだろうよ。あの手合いが慌てる様は愉快だぞ? マル、作戦は大胆かつ慎重にするのだぞ。そして」
「……そして?」
白い口ひげを撫でる手が止まると、目があやしく光った気がした。
「引っかき回すがいい」
第一隊長は本部の敷地内にある専用の邸宅に住む習わしだ。だが年末年始は王都内の邸宅で過ごすそうで「泊まり先に迷ったら、いつでも歓迎するぞ」とありがたい誘いを残して立ち去っていった。
ぽつぽつと降り始めた雨はやがて夜になると風を巻き込んで勢いを増した。隊士たちは毎年のことで慣れたものなのだろう。だがマルにとっては初めての体験だ。
屋根裏部屋の雨音は、ひどく響いて身体に刺さるようだった。突然ぶつかるように風が吹いて、壁がギシギシと鳴る。目に見えない自然の脅威がマルを叱りつけているようで、ひたすら怖い。
眠ろうとしても、意識するほど目が冴える。よりにもよって、こんな時にはろくなことしか思い浮かばない。
人の痛みや命の上にあぐらをかいてのさばるごろつきたち。傷跡が疼いて眠れぬ夜は、一人残らず滅びてしまえと脳が焼き切れるほど願った。あの頃の自分は、恨みの塊が人の形をしていたようなものだ。
こんな人間が好かれるわけがない。ましてや、逃亡奴隷だ。
考えれば考えるほど、雨音と共に自己否定が心を貫いてくる。
「っ……う……うっ」
勝手に涙まで出てくる。誰にも責められていないのに、ただ辛い。過去の闇が手を伸ばし、がんじがらめにしてくる。
するとそこへ、部屋の扉を激しく連打する音が響く。驚いて布団から顔を出すと、誰かが扉を蹴飛ばして入ってきた。
「おいっ‼ 起きてるかっ⁈」
馴染みのある声が、マルを我に返す。
返事をする間もなく布団はめくり上げられ、ベッドは電光石火のごとく侵略される。
「狭いじゃないかっ! もっと詰めろよ! 端へ行けって!」
「あ、あべるぅ……っ。あべ、あべる……」
二度目の襲来は、マルにとって救いの主だった。
厩舎に毎日カシスがいるので、ロナウドも本部に来ているのは分かっていた。たまに姿を見掛けることもあった。けれどいつも誰かと話していたり、忙しそうに動いていた。でも目が合って会釈をすれば、片手を上げて挨拶を返してくれる。
だから無視をされているのではない。少し距離を感じるし、寂しくもあるけれども。
ロナウドが距離を置きたいのなら、彼の負担にならないように自分もそうしようと思う。
身の丈はわきまえるべきだ。その上で、遠くからでもロナウドを見ることができたら、それでいいのだ。
食堂で昼食を取っていると、近頃朝が寒くてベッドから起きるのが苦痛だという誰かの話が聞こえた。そういえばマルも夜は毛布を使い始めていた。王都は北部よりは暖かいが、冬の女神はどこもまんべんなく訪れているようだ。
その流れで、年末の休暇の話になっていた。盗み聞きはよくないが、賑やかな食堂では誰もがつい声を大きくして話すので聞こえてしまう。
休暇中、隊士たちは一斉に帰省するらしく、土産を何にするかと盛り上がっていた。
孤児のマルには帰る家がない。今となっては、ロナウドの屋敷はあてにしない方がいいのだろう。
幼竜を散歩させながら見上げた空は、今にも降り出しそうで、分厚くて不機嫌そうな色をしていた。
「あれ、カシスがいない」
まだ夕方前だ。終業には早い。
「今夜はこの後、嵐がくるからな。通いの隊士は帰宅させている。あのカシスは嵐でも飛べるかもしれぬが、ロナウドの方が吹っ飛ぶだろうよ」
かっかっかと、愉快そうに笑うのは、マルと並んで厩舎に入った第一隊長だ。
この時期に王都近辺は一度嵐が来る。そこからたたみかけるように気温が下がり、雪が降り始めて、あっという間に真冬になるのである。
「おお、そうだ。今度アベルと共に、儂の部屋へ来てはくれぬか。菓子の味見をしてほしいのだ。儂は甘いのがどうも苦手でな。毎年孫へ贈る菓子を悩んでしまうのだ」
新年に大事な者へ菓子を贈るのは、カエルム王国の伝統的な習わしだ。竜騎隊で一番の強者も、孫には弱いのだろう。
今は平穏なカエルム王国だが、一昔前は王位継承の騒乱があった。当時は第二王子だった現王を支えた一人が、この第一隊長であった。
マルが承諾すると、第一隊長は目尻の皺を深くして、普通の好々爺の笑みを見せた。
「なんと? マルは年末をロナウドの屋敷では過ごさぬのか?」
丁度年末の話が出たので、宿舎がどうなるのか訊ねてみた。表向きは閉鎖になっているが、竜がいるので世話をする人はいるはずだ。ロナウドの屋敷で過ごせなくても、竜の世話をすれば宿舎にいられそうだと思えたのだ。
「あ……まだ決めて、ないんです……」
ロナウドの屋敷で過ごすか過ごさないかの選択肢ではなく、選択肢そのものがないとは、ばつが悪そうで言えなかった。
「そうか。厨房の者たちも休暇に入るので、食事は出ないが宿舎は泊まれるようになってはいる。実家が遠くて帰省しない者も多いしのう。若い隊士は、泊まり先を募集したりもするが」
「ぼしゅう、ですか?」
「そうだ。お主が募集をかければ、申し込みは殺到するだろう。そうなれば、あのロナウドもすまし顔ではいられないだろうよ。あの手合いが慌てる様は愉快だぞ? マル、作戦は大胆かつ慎重にするのだぞ。そして」
「……そして?」
白い口ひげを撫でる手が止まると、目があやしく光った気がした。
「引っかき回すがいい」
第一隊長は本部の敷地内にある専用の邸宅に住む習わしだ。だが年末年始は王都内の邸宅で過ごすそうで「泊まり先に迷ったら、いつでも歓迎するぞ」とありがたい誘いを残して立ち去っていった。
ぽつぽつと降り始めた雨はやがて夜になると風を巻き込んで勢いを増した。隊士たちは毎年のことで慣れたものなのだろう。だがマルにとっては初めての体験だ。
屋根裏部屋の雨音は、ひどく響いて身体に刺さるようだった。突然ぶつかるように風が吹いて、壁がギシギシと鳴る。目に見えない自然の脅威がマルを叱りつけているようで、ひたすら怖い。
眠ろうとしても、意識するほど目が冴える。よりにもよって、こんな時にはろくなことしか思い浮かばない。
人の痛みや命の上にあぐらをかいてのさばるごろつきたち。傷跡が疼いて眠れぬ夜は、一人残らず滅びてしまえと脳が焼き切れるほど願った。あの頃の自分は、恨みの塊が人の形をしていたようなものだ。
こんな人間が好かれるわけがない。ましてや、逃亡奴隷だ。
考えれば考えるほど、雨音と共に自己否定が心を貫いてくる。
「っ……う……うっ」
勝手に涙まで出てくる。誰にも責められていないのに、ただ辛い。過去の闇が手を伸ばし、がんじがらめにしてくる。
するとそこへ、部屋の扉を激しく連打する音が響く。驚いて布団から顔を出すと、誰かが扉を蹴飛ばして入ってきた。
「おいっ‼ 起きてるかっ⁈」
馴染みのある声が、マルを我に返す。
返事をする間もなく布団はめくり上げられ、ベッドは電光石火のごとく侵略される。
「狭いじゃないかっ! もっと詰めろよ! 端へ行けって!」
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二度目の襲来は、マルにとって救いの主だった。
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