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25.蕾が咲く
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たいして眠れなくても、勝手に夜は明ける。身の程知らずの逃亡奴隷にも、平等に朝はやってくる。
ロナウドへの想いは、ランプの明かりが見せた幻想でもなく、陽の光に灰になることもなく、マルの心にしっかりと居場所を作っていた。
マルの仕事である竜の点検は、竜騎士が竜に乗る前に済まさなければならない。厩舎へ入ると、花生みを察知した竜たちは喉をゴロゴロと鳴らしたり、そわそわと動き出す。
マルが一番先に行くのは、幼竜がいる房だ。
「おはよう。今朝の気分はどう? 」
マルは花を生もうと、目を閉じる。幸せな思い出を探ろうとすれども、どうやっても雑念が入る。ロナウドの顔が浮かぶと、同時に逃亡奴隷である立場も思い出してしまうのだ。
幸せと対極にある不安を抱えたままでは、花は生まれない。うんと念じても、生まれたのはわずかばかりの葉とつるばかり。
ぺろりと食べてしまった幼竜には足らないようで、マルの掌をいつまでも舐めている。
「それっぽっちでどうする。花生みなら花を生め、ヘタクソ」
隣の房にいる幼竜に花をあげていたアベルは、今朝も辛辣に吐く。だが事実だ。このままではマルが担当している竜だけ、葉とつるしか食べられなくなってしまう。
もちろん餌は別に与えているから、栄養は十分といえるのだが。
「あ、アベルぅ~」
「シケた面でこっちを向くな! 僕の花の色が濁るだろ!」
アベルは指先から滴を垂らすようにいくつかの花を生み出すと、マルの幼竜へそれらを与えた。
「ありがとう!」
「メシでも食って、気分を整えとけ。側でうじうじされると僕まで不愉快になる」
アベルは突き放しているようで、世話を焼いてくれる。
葉とつるしか生まれずがっかりしているマルの側を通りかかる度に、最低限の花を分け与えてくれた。
昨日言われたとおり、明日の合同任務に出動予定の竜たちをくまなく点検する。特に出発前の朝食は大事だ。機嫌良く元気に飛ばせるためにも、いつもより多めの花が要る。
マルは一日中小さな籠を持ち歩き、葉が一枚でも生まれたらそこへ放った。
陽を浴びて、竜と触れ合って、散歩して、そうこうするうちに、悩みそのものが緩やかに溶け始めていった。
マルがロナウドを好きでもそうでなくても、何も変わらない気がした。ロナウドとどうかなりたいなど、夢は見ていない。
見られるはずもないのだ。
相手は貴族の生まれで、子どものころからカシスと寄り添って生きてきて、料理長とマチルダとホセを救って、最年少で竜騎隊の隊長になって、ボロ雑巾だったマルまで拾ってくれた。金のために花を搾取したりもしない、危害を加えたりもしない。巡り会えたのがもはや奇跡といっていい。
好きになるなという方が無理な話だった。世界中がロナウドに恋していたとしても、マルは納得できてしまう。
それくらい魅力を感じる。
マルはそのロナウドに抱きついてカシスに乗ったし、夜はチーズも手ずから食べさせてもらった。遂にはとうとう膝の上だ。
よくもあれほどのことに耐えられたものだと、自分の事ながら半ば感心する。
終業の鐘が聞こえたら、一日の仕事は終わる。
カシスの房は厩舎の出入り口に近いので、日に何度も房前を通ることになる。
厩舎の出入り口に最も近い房は、なぜかロバ。その次は隊長などの役職付きで、それ以降は順不同。
カシスは赤紫の身体をしているので、どこにいても見付けるのは容易い。
カシスが甘えているように喉を鳴らす。
「食べていないふりをしてもだめだよ。俺が昨日大量に生んだ花をご主人様からもらっているはずだよ?」
合同の任務は日帰りなのか、遠征なのか。聞いておけば良かった。
もし奴隷でなければ、もし逃亡していなければ、何か変わっていただろうかと思ったけれど、考えるのはやめた。どうせどこかで捕まって、いいように搾取されていたに違いない。
そっと、静かに息を潜めるように生きていこう。いつ何時、逃亡奴隷だと露見するかも分からない。せめてロナウドへ迷惑をかけてしまわないように。この気持ちを打ちあけるなんてことはしない。してはいけない。
「俺、ご主人様が好きなんだよ……」
秘密を共有する相手は竜とロバだけ。
とんとん、とんとん、胸のリスは静かに踊る。少しだけ苦しくなって、息を囁くように細く吐いた。すると呼吸に合わせて耳元から両腕へつるが絡まり、あの玉虫色の蕾が連なって。
そして、咲いた。
マルの髪のように銀の月明かりを閉じ込めて、滑らかに輝いている。入り口から刺す夕日が当たるとなお煌めいて、それが特別な花だと一目で分かった。
「きれい……」
自分が生んだとは思えない。
カシスはそれを寄越せ、寄越せと首を伸ばすが、マルは少し後ずさり、まじまじと銀の花を眺めた。
そこへすっと人影が刺す。アニムスだった。
「おお、いたいた。マル、やっぱこっちにいたか。あのな……って、おーい、凄ぇもん生んだなぁ」
「この花は……何か意味があるんですか?」
訊ねると、アニムスは答えにくそうに眉間へ皺を寄せる。
「う……。これは……関わっちゃいけない話なんだよなぁ。下手するとマジで俺が死にそうだ……」
「不治の病じゃないけど、病気だって、ラルフは言ってました。もしかして、触った人へ感染ってしまう病気とかですか? あ、ラルフって、俺の友達です」
「ん? ラルフ? あぁ! 『ラルフ』か! 隊長と繋がりあるからな、じゃあますます俺が口を挟むことじゃねぇわ! 待てよ、さっき終業の鐘が鳴ったよな。ならこの花はカシスが食べても問題はないだろ。全部あげちまえよ。銀の花は一番美味いらしいから、カシスも喜ぶはずだぜ」
マルが生み出すものは、終業の鐘が鳴るまでは竜騎隊が、それ以降はロナウドが権利を有する。そういう契約を結んでいるので、この銀の花はロナウドのものになる。つまりロナウドの愛竜であるカシスが食べてもいいだろうとの判断だ。
「アニムスさんもラルフを知ってるんですね」
「まぁ……知ってるっちゃ知ってるな。さすがに直接交流してるわけじゃねぇけどよ。っと、危ねぇっ!」
花を目の前にしてなかなかもらえないカシスが業を煮やしたのか、マルへ尻尾を槍のごとく突き刺そうとした。間一髪のところをアニムスに抱きかかえられ、事なきを得たが、アニムスはマルを離さず固まっていた。視線は入り口へ向けられている。
「アニムス。どういうことか、説明してもらおうか」
逆光の中に現れたのは、ロナウドだった。
ロナウドへの想いは、ランプの明かりが見せた幻想でもなく、陽の光に灰になることもなく、マルの心にしっかりと居場所を作っていた。
マルの仕事である竜の点検は、竜騎士が竜に乗る前に済まさなければならない。厩舎へ入ると、花生みを察知した竜たちは喉をゴロゴロと鳴らしたり、そわそわと動き出す。
マルが一番先に行くのは、幼竜がいる房だ。
「おはよう。今朝の気分はどう? 」
マルは花を生もうと、目を閉じる。幸せな思い出を探ろうとすれども、どうやっても雑念が入る。ロナウドの顔が浮かぶと、同時に逃亡奴隷である立場も思い出してしまうのだ。
幸せと対極にある不安を抱えたままでは、花は生まれない。うんと念じても、生まれたのはわずかばかりの葉とつるばかり。
ぺろりと食べてしまった幼竜には足らないようで、マルの掌をいつまでも舐めている。
「それっぽっちでどうする。花生みなら花を生め、ヘタクソ」
隣の房にいる幼竜に花をあげていたアベルは、今朝も辛辣に吐く。だが事実だ。このままではマルが担当している竜だけ、葉とつるしか食べられなくなってしまう。
もちろん餌は別に与えているから、栄養は十分といえるのだが。
「あ、アベルぅ~」
「シケた面でこっちを向くな! 僕の花の色が濁るだろ!」
アベルは指先から滴を垂らすようにいくつかの花を生み出すと、マルの幼竜へそれらを与えた。
「ありがとう!」
「メシでも食って、気分を整えとけ。側でうじうじされると僕まで不愉快になる」
アベルは突き放しているようで、世話を焼いてくれる。
葉とつるしか生まれずがっかりしているマルの側を通りかかる度に、最低限の花を分け与えてくれた。
昨日言われたとおり、明日の合同任務に出動予定の竜たちをくまなく点検する。特に出発前の朝食は大事だ。機嫌良く元気に飛ばせるためにも、いつもより多めの花が要る。
マルは一日中小さな籠を持ち歩き、葉が一枚でも生まれたらそこへ放った。
陽を浴びて、竜と触れ合って、散歩して、そうこうするうちに、悩みそのものが緩やかに溶け始めていった。
マルがロナウドを好きでもそうでなくても、何も変わらない気がした。ロナウドとどうかなりたいなど、夢は見ていない。
見られるはずもないのだ。
相手は貴族の生まれで、子どものころからカシスと寄り添って生きてきて、料理長とマチルダとホセを救って、最年少で竜騎隊の隊長になって、ボロ雑巾だったマルまで拾ってくれた。金のために花を搾取したりもしない、危害を加えたりもしない。巡り会えたのがもはや奇跡といっていい。
好きになるなという方が無理な話だった。世界中がロナウドに恋していたとしても、マルは納得できてしまう。
それくらい魅力を感じる。
マルはそのロナウドに抱きついてカシスに乗ったし、夜はチーズも手ずから食べさせてもらった。遂にはとうとう膝の上だ。
よくもあれほどのことに耐えられたものだと、自分の事ながら半ば感心する。
終業の鐘が聞こえたら、一日の仕事は終わる。
カシスの房は厩舎の出入り口に近いので、日に何度も房前を通ることになる。
厩舎の出入り口に最も近い房は、なぜかロバ。その次は隊長などの役職付きで、それ以降は順不同。
カシスは赤紫の身体をしているので、どこにいても見付けるのは容易い。
カシスが甘えているように喉を鳴らす。
「食べていないふりをしてもだめだよ。俺が昨日大量に生んだ花をご主人様からもらっているはずだよ?」
合同の任務は日帰りなのか、遠征なのか。聞いておけば良かった。
もし奴隷でなければ、もし逃亡していなければ、何か変わっていただろうかと思ったけれど、考えるのはやめた。どうせどこかで捕まって、いいように搾取されていたに違いない。
そっと、静かに息を潜めるように生きていこう。いつ何時、逃亡奴隷だと露見するかも分からない。せめてロナウドへ迷惑をかけてしまわないように。この気持ちを打ちあけるなんてことはしない。してはいけない。
「俺、ご主人様が好きなんだよ……」
秘密を共有する相手は竜とロバだけ。
とんとん、とんとん、胸のリスは静かに踊る。少しだけ苦しくなって、息を囁くように細く吐いた。すると呼吸に合わせて耳元から両腕へつるが絡まり、あの玉虫色の蕾が連なって。
そして、咲いた。
マルの髪のように銀の月明かりを閉じ込めて、滑らかに輝いている。入り口から刺す夕日が当たるとなお煌めいて、それが特別な花だと一目で分かった。
「きれい……」
自分が生んだとは思えない。
カシスはそれを寄越せ、寄越せと首を伸ばすが、マルは少し後ずさり、まじまじと銀の花を眺めた。
そこへすっと人影が刺す。アニムスだった。
「おお、いたいた。マル、やっぱこっちにいたか。あのな……って、おーい、凄ぇもん生んだなぁ」
「この花は……何か意味があるんですか?」
訊ねると、アニムスは答えにくそうに眉間へ皺を寄せる。
「う……。これは……関わっちゃいけない話なんだよなぁ。下手するとマジで俺が死にそうだ……」
「不治の病じゃないけど、病気だって、ラルフは言ってました。もしかして、触った人へ感染ってしまう病気とかですか? あ、ラルフって、俺の友達です」
「ん? ラルフ? あぁ! 『ラルフ』か! 隊長と繋がりあるからな、じゃあますます俺が口を挟むことじゃねぇわ! 待てよ、さっき終業の鐘が鳴ったよな。ならこの花はカシスが食べても問題はないだろ。全部あげちまえよ。銀の花は一番美味いらしいから、カシスも喜ぶはずだぜ」
マルが生み出すものは、終業の鐘が鳴るまでは竜騎隊が、それ以降はロナウドが権利を有する。そういう契約を結んでいるので、この銀の花はロナウドのものになる。つまりロナウドの愛竜であるカシスが食べてもいいだろうとの判断だ。
「アニムスさんもラルフを知ってるんですね」
「まぁ……知ってるっちゃ知ってるな。さすがに直接交流してるわけじゃねぇけどよ。っと、危ねぇっ!」
花を目の前にしてなかなかもらえないカシスが業を煮やしたのか、マルへ尻尾を槍のごとく突き刺そうとした。間一髪のところをアニムスに抱きかかえられ、事なきを得たが、アニムスはマルを離さず固まっていた。視線は入り口へ向けられている。
「アニムス。どういうことか、説明してもらおうか」
逆光の中に現れたのは、ロナウドだった。
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