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22.花を生む

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 アベルは床に散らばった花を全て拾うと、幼竜たちへ食べさせた。もっとくれとせがむように鳴きはじめるのを、一頭一頭撫でて大人しくさせている。

「おい、ぼけっとしてないでさっさと教えたことやれよ。幼竜が待ってるだろ、グズ」

 一睨みされたが、練習の面倒まで見る気があるらしい。
 目を瞑って、マルは何を思い出そうかと迷う。ロナウドに出会ってから、人生は一変して嬉しいことだらけになった。屋根があるところに住めて、部屋まで与えられた。風呂に入って、服もある。毎日がごちそう。屋敷の者はみな優しい。カシスもどんぐりもかわいい。
 こんなに迷うほど、マルの頭には幸せが詰まっている。ありがたいと思う気持ちがこみ上げて、目からあふれてきた。

「うっ……っ……」
「はあーーっ? 楽しいこと考えろって言ったのに、何泣いてんだ⁈ 早く切り替えろよ。花生みは花を生んでなんぼだ!」

 アベルの言うとおりだ。花生みとして竜騎隊へ呼ばれたのだから、花を生めなくてはロナウドの立つ瀬がない。
 マルは首から提げている笛を服の上から握りしめた。市場での事件後、ロナウドから貰ったものだ。隊員の統制をする際に、練習用として使っていた笛で、遠くまでよく音が通るそうだ。そして『危ない輩がいたらむやみに近づくな。笛を吹いて助けを求めろ』と教えてくれた。
 実際、昨晩アベルがマルへ何かしようとしたら、思い切り拭くつもりだったのだ。
 ロナウドの頭文字が彫られている銀の笛は、それからずっと身につけている。だから昨晩アベルが部屋へ忍び込んできたときも怖いとは思わなかった。

「よし、葉が生まれてきてるぞ、もっと強く思え。現実でも嘘でもいい。花生みは全て糧にしろ」

 近くにいるはずのアベルの声は、随分と遠くに聞こえた。
 マルは昨晩だって会いたかった。ロナウドにチーズを食べさせてもらいたかった。話だって聞いてほしかった。
 ロナウドはマルが大したことを話せなくても「そうか」と真面目に聞く。頑張った話をしたら、頭を撫でてくれる。
 口数は少ないけど、溢れるほどの優しさを持っている。
 一日しか経っていないのに、会いたい。
 とくん、とくんと、また胸の中にいるリスが飛び跳ねだして、マルは胸が苦しくなった。

「おい……なんてものを生んでんだよ……」

 アベルの声に、首の辺りを撫でて生まれたものを摘む。
 掌には葉と、開き始めた蕾が。
 その玉虫色に光る蕾の先端は、よく見るとほころびかけていた。

「この蕾、いつもは咲かないのに、ちょっと咲きそう」
「そうじゃなくてさあ! お前、今何考えてたんだよ?」
「……ちいず」
「はあ⁈」
「……と、ご主人様」

 チーズを考えて幸せになるのはおかしかっただろうか。照れくさそうにマルが頬を赤く染める。するとアベルも頬を赤く染めた。こちらは怒りでそうなってしまったようで、見ると握られた拳も震えている。
 
「ふ、二股かよ! やっぱり尻軽じゃねぇか!」
「えぇ? チーズとご主人様で、二股疑惑になるの?」
「チーズの話なんかしてねぇよ! アニムスだって! 恋人だから、アニムスの両親へ挨拶するっていってたじゃねぇか!」
「それはアニムスがフレッシュチーズをくれるからって……」
「だからっ、チーズはもういいんだって! チーズ、チーズって、お前、チーズが目当てで色仕掛けしたんだろ⁈ もういいっ! 僕はお前を認めないからなっ!」

 捨て台詞を残し、アベルは去って行く。けれど行き先は分かっていた。食堂だ。なにせまだ朝食前。そう思うと、アベルがマルへ怒っているのも、空腹のせいではないだろうかと思えた。
 掌の蕾は、自分が生み出したとはいえ、ぬるりと光ってとてもきれいだった。側にいる幼竜も強請るように鳴くので、あげることにした。
 幼竜は喉をゴロゴロと鳴らし、鼻先をマルの首元にすり寄せる。こうして幼竜は人へ慣れて、訓練を受け入れていくのだろうと合点がいった。
 何にせよ、マルは自分の意思で初めて生めた。正確には花未満の蕾だが、嬉しかった。

「よしよし、次はちゃんと咲いた花をあげられるようにするからね」

 幼竜を撫でると、マルは晴れやかな気分で食堂へ向かった。
 アニムスの情報だと、朝食にもよくチーズは出るらしいのだ。



 宿舎の朝食は慌ただしく、賑やかでもあった。鍛え上げられた隊士たちの腹を満たす量が、ずらりと並ぶ。パン、スープ、腸詰め、生野菜、それからチーズだ。
 屋敷でよく食べているチーズと同じものだった。けれど一人で食べても花は生まれない。ロナウドに食べさせてもらうと、一口食べる毎に花が生まれるというのに。とても幸せな気分になるというのに。
 なぜだろうか。

「よお、マル。おはようさん」

 声をかけてきたのは、アニムスだ。食事を山盛りにした盆をマルの隣へ置き、着席する。

「アニムスさん、お早うございます」
「お、うちのチーズ食べてくれてるな。ありがとよ!」

 ところで、と前置きをして、アニムスが声を潜める。

「あれからアベルはどうだったか? 何か問題あったか? あいつ悪い奴じゃないんだけど、俺にはいっつも怒ってんだよな。マルが来る前にも『新しい花生みが来るから仲良くしてやってくれ』って言ったんだけど、逆効果だったか。悪ぃ」
「僕にも怒ってます。でも、花を生むコツを教えてもらえました」
「あちゃぁ。怒られてるのか。あんま酷くなるようだったら言ってくれ。ロナウド隊長からも、気にかけるよう言われてるんだ」

 主人の名前を聞いて、マルがぴくりと反応する。アニムスはうんうんと何やら察したように、頷いていた。すると背後から不機嫌な声がした。

「そこ、朝からいちゃつくなよ、鬱陶しい」

 噂のアベルの登場に、二人で口をつぐむ。それを一瞥すると「アニムス、アンタ浮気されてるからな」と意味深な発言をして、二人から離れて行った。

「……マル、どうやら俺は知らない間に誰かと付き合っていて、浮気までされてるようだぜ」

 アニムスは自分を指さして、ぽかんと呆けていた。
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