上 下
21 / 55

21.花枯れをしないために

しおりを挟む
 聞き覚えのある声の主は、朝別れたきり姿を見せなかったアベルだ。
 本来アベルはマルへ花生みの仕事を教える立場だ。けれど教えるどころか、厩舎の者へマルを『下働き』と紹介して、全く違う仕事をさせた。要するに低俗な意地悪をしたのだ。
 ともかく、アベルはマルを嫌っている。それだけは分かった。
 そのアベルが、マルが寝静まっていることを知りながら無断で入室してきた。けれどマルは妙に落ち着いていた。
 なにせ相手がどこの誰だか分かっている。声をかけたのだから、盗みを働くつもりも、寝込みを襲うつもりもないのだ。アベルがもし武器を持っていたら勝ち目はないが、マルはマルで、とっておきの秘策を首からぶら下げている。

「アベル……まだ朝じゃない、よ……?」
「おい『アベルさん』と呼べ。朝じゃないくらい分かってるよ。舐めてんのか、売春婦のくせに」

 暗がりで顔はよく見えないが、昼間会ったアベルは小さな顔にくりくりの大きな緑の目、長いまつげ、ツンとしている鼻をしていた。そんな可憐な顔立ちをしてるくせに、随分と品がない。

「俺……淫売でもぉ……売春婦でも……なぁい……」

 眠くてろれつがうまく回らない。

「うるさい。お前、ロナウド隊長に囲われてるくせに、もうアニムスまで手を出してさ。見境ないのかこの尻軽め」

 随分な言われようである。

「……何話してたんだよ、あいつとさ」
「あいつ……って?」
「アニムスに決まってんだろ。アニムスだよ! お前が淫売じゃないって言うなら、何を話してたのか吐けよ、オラっ!」
「……え……と」

 半分眠たくて、口が回らない。気を抜くと眠ってしまいそうだが、確か竜の話をしたのだ。

「恋人……の話、をしてぇ……。アニムスの……両親に、会ってほしいって……」
「こっ、恋人だって? まだここに来て初日のくせに? 頭も股もガバガバなのかよ、最低じゃねぇか!」
「も……ねた……い……」
「寝るなばか!」

 まだ何か言われた気がしたが、今日は当のアベルのせいでくたくたなのだ。そのまま闇夜に溶けるように、再びマルの意識は深く沈んでいった。



 翌朝、空は良く晴れていたが、窓の外は隣の建物の屋根が光って見えるだけ。もうロナウドの庭園が懐かしい。
 部屋の扉は意外にもしっかり閉まっていた。アベルは口は悪い。けれど中身はそう悪くない気がした。
 朝食前に厩舎へ行くと、もうアベルは幼竜に花をやっていた。それも、事もなげに花を次々と生み出す。アベルが細い人差し指を一本立てれば、その先に蕾が生まれて花が開く。淡いピンクやクリーム色といった、明るくて温かみのある花の色で、幾重にも花弁がある八重咲きだ。こんなにきれいな花を、マルは見たことも生んだこともなかった。

「あ、アベル、すごい。どうやったらそんな簡単に花を生めるの? それに、とってもきれいだ。すごい、すごいアベル!」
「……教えてやるわけないだろ。それに『アベルさん』と呼べって言ったよな、ばか頭め。脳みそ入ってないだろ。それからお前の汚い面を僕に見せるな、花の色が濁る」

 マルの頭を指さすと、その指先に深い紫色花が一輪生まれた。

「……本当だ。さっきまでと色が違う」
「お前の顔のせいだ、ブス。さっさと仕事しろ。花を生め」

 眉間に皺を寄せると、ふいっと竜へ向き直って目の前の幼竜に指先を舐めさせた。それをぺろっと食べた幼竜がアベルの顔に鼻先をすり寄せる。こうやって徐々に人へ慣らしていくのだろう。
 けれどもやれと言われた仕事を、マルは簡単にはできない。

「……俺、簡単に生めないんだ。偶然っていうか、意識してできなくて……」
「はぁー? それでなんでここに来たわけ? ここに幼竜が何頭いると思ってんのかよ? ただの役立たずじゃねえか」
「……ごめん。でも、ご主人様がチーズを食べさせてくれたら生めるから、役立たずじゃないよ……多分」

 悪口は聞き慣れているが、役立たずは少し傷ついてしまう。望んでロナウドの屋敷から離れたわけではない。第四王子からの指名を受けてしまったからだ。

「はあああああ? 自分の? 主人に? それってロナウド隊長だろ? それで? チーズ食べさせて貰ってんの? どう考えてもおかしいだろ⁈ イカれてるぞ!」
「……だって、そうなんだもん」
「頬を膨らませるな!」
「じゃあ、教えてくれればいいじゃん。そしたらアベルだって楽になれるよね」

 アベルは不本意で仕方ないと歯を一文字にして嫌悪を向ける。実のところマルは、アベルが割と善人ではないだろうかとじわじわ感じていた。
 こんなに嫌っているくせに、ビンタの一つもしない。マルを貶める方法はいくらでもあるだろうに、悪口しか言わない。その悪口も、ごろつきたちの方が卑猥でえげつないことを言っていた。
 
「クソ……っ! 一度だけだ! 空っぽの頭にしっかりいれろよ!」

 アベルは自らのこめかみに、人差し指をつんと刺す。そうして目を閉じた。

「いいか、花を生ませたいときは、自分の中の記憶を探せ。楽しかったこと、幸せだったこと、美味かったことでもいい。色とか香りとか、触った感触とかもあればそれも必ず。
 どん底の人生経験しかないなら『いつかこうなったらいいな』って希望をとにかく強く、できるだけ詳しく想像するんだ。それが現実だったと思えるくらい自分を騙せ」

 金色の睫の幕がゆっくりと上がり、同時にこめかみの指を離していく。するとアベルの頭の記憶を花にして抜き出したように、こめかみから指先へいくつもの花が連なって生まれたのだ。
 八重咲きの花は、まるでアベルのように華やかだった。

「うわぁ……」
「花生みが無事に生きていこうと思うなら、好きなことだけを考えるんだな。都合のいいとこだけを夢見てろ。黒い花しか生めなくなったら、花枯れになって死ぬぞ」

 その通りだ。黒い花を大量に生んで、花と共に亡くなった花生みをマルは知っている。
 アベルもまた、知っているように見えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

勘弁してください、僕はあなたの婚約者ではありません

りまり
BL
 公爵家の5人いる兄弟の末っ子に生まれた私は、優秀で見目麗しい兄弟がいるので自由だった。  自由とは名ばかりの放置子だ。  兄弟たちのように見目が良ければいいがこれまた普通以下で高位貴族とは思えないような容姿だったためさらに放置に繋がったのだが……両親は兎も角兄弟たちは口が悪いだけでなんだかんだとかまってくれる。  色々あったが学園に通うようになるとやった覚えのないことで悪役呼ばわりされ孤立してしまった。  それでも勉強できるからと学園に通っていたが、上級生の卒業パーティーでいきなり断罪され婚約破棄されてしまい挙句に学園を退学させられるが、後から知ったのだけど僕には弟がいたんだってそれも僕そっくりな、その子は両親からも兄弟からもかわいがられ甘やかされて育ったので色々な所でやらかしたので顔がそっくりな僕にすべての罪をきせ追放したって、優しいと思っていた兄たちが笑いながら言っていたっけ、国外追放なので二度と合わない僕に最後の追い打ちをかけて去っていった。  隣国でも噂を聞いたと言っていわれのないことで暴行を受けるが頑張って生き抜く話です

前世である母国の召喚に巻き込まれた俺

るい
BL
 国の為に戦い、親友と言える者の前で死んだ前世の記憶があった俺は今世で今日も可愛い女の子を口説いていた。しかし何故か気が付けば、前世の母国にその女の子と召喚される。久しぶりの母国に驚くもどうやら俺はお呼びでない者のようで扱いに困った国の者は騎士の方へ面倒を投げた。俺は思った。そう、前世の職場に俺は舞い戻っている。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

バッドエンドの異世界に悪役転生した僕は、全力でハッピーエンドを目指します!

BL
 16才の初川終(はつかわ しゅう)は先天性の心臓の病気だった。一縷の望みで、成功率が低い手術に挑む終だったが……。    僕は気付くと両親の泣いている風景を空から眺めていた。それから、遠くで光り輝くなにかにすごい力で引き寄せられて。    目覚めれば、そこは子どもの頃に毎日読んでいた大好きなファンタジー小説の世界だったんだ。でも、僕は呪いの悪役の10才の公爵三男エディに転生しちゃったみたい!  しかも、この世界ってバッドエンドじゃなかったっけ?  バッドエンドをハッピーエンドにする為に、僕は頑張る!  でも、本の世界と少しずつ変わってきた異世界は……ひみつが多くて?  嫌われ悪役の子どもが、愛されに変わる物語。ほのぼの日常が多いです。 ◎体格差、年の差カップル ※てんぱる様の表紙をお借りしました。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

処理中です...