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21.花枯れをしないために
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聞き覚えのある声の主は、朝別れたきり姿を見せなかったアベルだ。
本来アベルはマルへ花生みの仕事を教える立場だ。けれど教えるどころか、厩舎の者へマルを『下働き』と紹介して、全く違う仕事をさせた。要するに低俗な意地悪をしたのだ。
ともかく、アベルはマルを嫌っている。それだけは分かった。
そのアベルが、マルが寝静まっていることを知りながら無断で入室してきた。けれどマルは妙に落ち着いていた。
なにせ相手がどこの誰だか分かっている。声をかけたのだから、盗みを働くつもりも、寝込みを襲うつもりもないのだ。アベルがもし武器を持っていたら勝ち目はないが、マルはマルで、とっておきの秘策を首からぶら下げている。
「アベル……まだ朝じゃない、よ……?」
「おい『アベルさん』と呼べ。朝じゃないくらい分かってるよ。舐めてんのか、売春婦のくせに」
暗がりで顔はよく見えないが、昼間会ったアベルは小さな顔にくりくりの大きな緑の目、長いまつげ、ツンとしている鼻をしていた。そんな可憐な顔立ちをしてるくせに、随分と品がない。
「俺……淫売でもぉ……売春婦でも……なぁい……」
眠くてろれつがうまく回らない。
「うるさい。お前、ロナウド隊長に囲われてるくせに、もうアニムスまで手を出してさ。見境ないのかこの尻軽め」
随分な言われようである。
「……何話してたんだよ、あいつとさ」
「あいつ……って?」
「アニムスに決まってんだろ。アニムスだよ! お前が淫売じゃないって言うなら、何を話してたのか吐けよ、オラっ!」
「……え……と」
半分眠たくて、口が回らない。気を抜くと眠ってしまいそうだが、確か竜の話をしたのだ。
「恋人……の話、をしてぇ……。アニムスの……両親に、会ってほしいって……」
「こっ、恋人だって? まだここに来て初日のくせに? 頭も股もガバガバなのかよ、最低じゃねぇか!」
「も……ねた……い……」
「寝るなばか!」
まだ何か言われた気がしたが、今日は当のアベルのせいでくたくたなのだ。そのまま闇夜に溶けるように、再びマルの意識は深く沈んでいった。
翌朝、空は良く晴れていたが、窓の外は隣の建物の屋根が光って見えるだけ。もうロナウドの庭園が懐かしい。
部屋の扉は意外にもしっかり閉まっていた。アベルは口は悪い。けれど中身はそう悪くない気がした。
朝食前に厩舎へ行くと、もうアベルは幼竜に花をやっていた。それも、事もなげに花を次々と生み出す。アベルが細い人差し指を一本立てれば、その先に蕾が生まれて花が開く。淡いピンクやクリーム色といった、明るくて温かみのある花の色で、幾重にも花弁がある八重咲きだ。こんなにきれいな花を、マルは見たことも生んだこともなかった。
「あ、アベル、すごい。どうやったらそんな簡単に花を生めるの? それに、とってもきれいだ。すごい、すごいアベル!」
「……教えてやるわけないだろ。それに『アベルさん』と呼べって言ったよな、ばか頭め。脳みそ入ってないだろ。それからお前の汚い面を僕に見せるな、花の色が濁る」
マルの頭を指さすと、その指先に深い紫色花が一輪生まれた。
「……本当だ。さっきまでと色が違う」
「お前の顔のせいだ、ブス。さっさと仕事しろ。花を生め」
眉間に皺を寄せると、ふいっと竜へ向き直って目の前の幼竜に指先を舐めさせた。それをぺろっと食べた幼竜がアベルの顔に鼻先をすり寄せる。こうやって徐々に人へ慣らしていくのだろう。
けれどもやれと言われた仕事を、マルは簡単にはできない。
「……俺、簡単に生めないんだ。偶然っていうか、意識してできなくて……」
「はぁー? それでなんでここに来たわけ? ここに幼竜が何頭いると思ってんのかよ? ただの役立たずじゃねえか」
「……ごめん。でも、ご主人様がチーズを食べさせてくれたら生めるから、役立たずじゃないよ……多分」
悪口は聞き慣れているが、役立たずは少し傷ついてしまう。望んでロナウドの屋敷から離れたわけではない。第四王子からの指名を受けてしまったからだ。
「はあああああ? 自分の? 主人に? それってロナウド隊長だろ? それで? チーズ食べさせて貰ってんの? どう考えてもおかしいだろ⁈ イカれてるぞ!」
「……だって、そうなんだもん」
「頬を膨らませるな!」
「じゃあ、教えてくれればいいじゃん。そしたらアベルだって楽になれるよね」
アベルは不本意で仕方ないと歯を一文字にして嫌悪を向ける。実のところマルは、アベルが割と善人ではないだろうかとじわじわ感じていた。
こんなに嫌っているくせに、ビンタの一つもしない。マルを貶める方法はいくらでもあるだろうに、悪口しか言わない。その悪口も、ごろつきたちの方が卑猥でえげつないことを言っていた。
「クソ……っ! 一度だけだ! 空っぽの頭にしっかりいれろよ!」
アベルは自らのこめかみに、人差し指をつんと刺す。そうして目を閉じた。
「いいか、花を生ませたいときは、自分の中の記憶を探せ。楽しかったこと、幸せだったこと、美味かったことでもいい。色とか香りとか、触った感触とかもあればそれも必ず。
どん底の人生経験しかないなら『いつかこうなったらいいな』って希望をとにかく強く、できるだけ詳しく想像するんだ。それが現実だったと思えるくらい自分を騙せ」
金色の睫の幕がゆっくりと上がり、同時にこめかみの指を離していく。するとアベルの頭の記憶を花にして抜き出したように、こめかみから指先へいくつもの花が連なって生まれたのだ。
八重咲きの花は、まるでアベルのように華やかだった。
「うわぁ……」
「花生みが無事に生きていこうと思うなら、好きなことだけを考えるんだな。都合のいいとこだけを夢見てろ。黒い花しか生めなくなったら、花枯れになって死ぬぞ」
その通りだ。黒い花を大量に生んで、花と共に亡くなった花生みをマルは知っている。
アベルもまた、知っているように見えた。
本来アベルはマルへ花生みの仕事を教える立場だ。けれど教えるどころか、厩舎の者へマルを『下働き』と紹介して、全く違う仕事をさせた。要するに低俗な意地悪をしたのだ。
ともかく、アベルはマルを嫌っている。それだけは分かった。
そのアベルが、マルが寝静まっていることを知りながら無断で入室してきた。けれどマルは妙に落ち着いていた。
なにせ相手がどこの誰だか分かっている。声をかけたのだから、盗みを働くつもりも、寝込みを襲うつもりもないのだ。アベルがもし武器を持っていたら勝ち目はないが、マルはマルで、とっておきの秘策を首からぶら下げている。
「アベル……まだ朝じゃない、よ……?」
「おい『アベルさん』と呼べ。朝じゃないくらい分かってるよ。舐めてんのか、売春婦のくせに」
暗がりで顔はよく見えないが、昼間会ったアベルは小さな顔にくりくりの大きな緑の目、長いまつげ、ツンとしている鼻をしていた。そんな可憐な顔立ちをしてるくせに、随分と品がない。
「俺……淫売でもぉ……売春婦でも……なぁい……」
眠くてろれつがうまく回らない。
「うるさい。お前、ロナウド隊長に囲われてるくせに、もうアニムスまで手を出してさ。見境ないのかこの尻軽め」
随分な言われようである。
「……何話してたんだよ、あいつとさ」
「あいつ……って?」
「アニムスに決まってんだろ。アニムスだよ! お前が淫売じゃないって言うなら、何を話してたのか吐けよ、オラっ!」
「……え……と」
半分眠たくて、口が回らない。気を抜くと眠ってしまいそうだが、確か竜の話をしたのだ。
「恋人……の話、をしてぇ……。アニムスの……両親に、会ってほしいって……」
「こっ、恋人だって? まだここに来て初日のくせに? 頭も股もガバガバなのかよ、最低じゃねぇか!」
「も……ねた……い……」
「寝るなばか!」
まだ何か言われた気がしたが、今日は当のアベルのせいでくたくたなのだ。そのまま闇夜に溶けるように、再びマルの意識は深く沈んでいった。
翌朝、空は良く晴れていたが、窓の外は隣の建物の屋根が光って見えるだけ。もうロナウドの庭園が懐かしい。
部屋の扉は意外にもしっかり閉まっていた。アベルは口は悪い。けれど中身はそう悪くない気がした。
朝食前に厩舎へ行くと、もうアベルは幼竜に花をやっていた。それも、事もなげに花を次々と生み出す。アベルが細い人差し指を一本立てれば、その先に蕾が生まれて花が開く。淡いピンクやクリーム色といった、明るくて温かみのある花の色で、幾重にも花弁がある八重咲きだ。こんなにきれいな花を、マルは見たことも生んだこともなかった。
「あ、アベル、すごい。どうやったらそんな簡単に花を生めるの? それに、とってもきれいだ。すごい、すごいアベル!」
「……教えてやるわけないだろ。それに『アベルさん』と呼べって言ったよな、ばか頭め。脳みそ入ってないだろ。それからお前の汚い面を僕に見せるな、花の色が濁る」
マルの頭を指さすと、その指先に深い紫色花が一輪生まれた。
「……本当だ。さっきまでと色が違う」
「お前の顔のせいだ、ブス。さっさと仕事しろ。花を生め」
眉間に皺を寄せると、ふいっと竜へ向き直って目の前の幼竜に指先を舐めさせた。それをぺろっと食べた幼竜がアベルの顔に鼻先をすり寄せる。こうやって徐々に人へ慣らしていくのだろう。
けれどもやれと言われた仕事を、マルは簡単にはできない。
「……俺、簡単に生めないんだ。偶然っていうか、意識してできなくて……」
「はぁー? それでなんでここに来たわけ? ここに幼竜が何頭いると思ってんのかよ? ただの役立たずじゃねえか」
「……ごめん。でも、ご主人様がチーズを食べさせてくれたら生めるから、役立たずじゃないよ……多分」
悪口は聞き慣れているが、役立たずは少し傷ついてしまう。望んでロナウドの屋敷から離れたわけではない。第四王子からの指名を受けてしまったからだ。
「はあああああ? 自分の? 主人に? それってロナウド隊長だろ? それで? チーズ食べさせて貰ってんの? どう考えてもおかしいだろ⁈ イカれてるぞ!」
「……だって、そうなんだもん」
「頬を膨らませるな!」
「じゃあ、教えてくれればいいじゃん。そしたらアベルだって楽になれるよね」
アベルは不本意で仕方ないと歯を一文字にして嫌悪を向ける。実のところマルは、アベルが割と善人ではないだろうかとじわじわ感じていた。
こんなに嫌っているくせに、ビンタの一つもしない。マルを貶める方法はいくらでもあるだろうに、悪口しか言わない。その悪口も、ごろつきたちの方が卑猥でえげつないことを言っていた。
「クソ……っ! 一度だけだ! 空っぽの頭にしっかりいれろよ!」
アベルは自らのこめかみに、人差し指をつんと刺す。そうして目を閉じた。
「いいか、花を生ませたいときは、自分の中の記憶を探せ。楽しかったこと、幸せだったこと、美味かったことでもいい。色とか香りとか、触った感触とかもあればそれも必ず。
どん底の人生経験しかないなら『いつかこうなったらいいな』って希望をとにかく強く、できるだけ詳しく想像するんだ。それが現実だったと思えるくらい自分を騙せ」
金色の睫の幕がゆっくりと上がり、同時にこめかみの指を離していく。するとアベルの頭の記憶を花にして抜き出したように、こめかみから指先へいくつもの花が連なって生まれたのだ。
八重咲きの花は、まるでアベルのように華やかだった。
「うわぁ……」
「花生みが無事に生きていこうと思うなら、好きなことだけを考えるんだな。都合のいいとこだけを夢見てろ。黒い花しか生めなくなったら、花枯れになって死ぬぞ」
その通りだ。黒い花を大量に生んで、花と共に亡くなった花生みをマルは知っている。
アベルもまた、知っているように見えた。
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