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10.ここにいさせて
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「え、あの、あの、旦那様って、今何歳ですか?」
「先月のお誕生日をもって、十八歳になられました」
「ええええ!」
カエルム王国の成人は十八歳。ついこの前までは子どもだったということだ。
あんなに済ました顔をして、ワインも飲んで、屋敷をもっていて、竜騎隊の隊長で、なのに十八歳。なんということだ。マルだって年明けには十五歳になる。たったの三歳しか違わない。ロナウドと出会ってから驚くことばかりだったが、これが一番の衝撃だ。
「竜騎隊では百年に一度の逸材と呼ばれていらっしゃるそうです」
おまけに天才らしい。
「そうそう、マルさん。今晩の夕食後、旦那様の居室へ伺ってください。お話があるのだそうです」
不意に先ほど頭に感じた手の重さを思い出し、再び胸がとくんと跳ねた。
どうして、なのか。手を胸に当ててみたが、分からなかった。
嫁の疑惑も晴れたので、正式に下働きとしての労働初日である。
ホセとは厩舎の掃除と花壇の手入れ、マチルダとは屋敷内の掃除とリネン類の洗濯、料理長とは豚の解体をして腸詰めと塩漬けを作った。
一日しっかり労働をしたので、腕からも肩からも筋肉の叫びが聞こえるような気がした。夕食では匙を持つ手が震えた。けれど皿の中には誰よりも大きな腸詰めの塊が入っていて、目を瞬いた。肉だ。今日もごちそうだ。
「この屋敷にいる以上、いつまでも細っこい腕をしてられちゃぁ俺のメシが不味いみてぇだろ。たくさん食って早く太れ」
「やだ、料理長ってば。太るなんて言わないのよ。大きく育って欲しいって言えばいいじゃない」
「どっちでもいいじゃねぇか」
「ちょっとそういうとこが雑だと思うのよ」
賑やかな食卓はそう悪くない。言い合ってはいるけれど、互いに怒ってはいないし、ホセも黙々と食べている。
「あの、あの……美味しい。料理長のご飯、美味しいです。たくさん食べられて、嬉しいです。ありがとうございます……」
二人の会話がぴたりと止む。ずれたことを言ってしまったのかもしれない、と後悔を仕掛けたときだ。パン皿の上に、料理長からもう一つパンが追加される。
「もっと腕っぷしが太くなったら、力仕事も任せられるし、俺も楽になるってもんだ。どんどん食うがいいさ、なぁマル!」と料理長。
「料理長って口はアレだけど、料理の腕はいいんだから。たくさんお食べよ」とマチルダが。
「よく噛むのですよ」とホセまでが。
言われたとおりに一生懸命もぐもぐしながら、うんうんと頷く。
ほかほかのパンのように柔らかくて、ことこと煮込んだスープのように優しくて。いいところだなと思った。こんな世界があるなんて、そこに自分がいるなんて、嘘みたいだった。
大きくなれ、と未来の話をしてくれる。明日もあさっても、ここにいていいと受け入れてくれているのだ。
マルは笑いながら人を虐げる大人をよく知っていた。孤児院の院長もごろつきたちもよく笑っていたから、笑う大人は恐ろしかった。
ここでは料理長もマチルダもホセも笑うけれど、恐ろしくない。信じていい人たちだ。この人たちはマルの知っている人たちとは違うのだ。
「おい、マル、どうした。泣いてんのか? 香辛料がキツかったか?」と料理長。
「あらあら、料理長が怖かったの?」とマチルダが。
「マルさん、どうぞこちらで目を拭いてください」とホセがハンカチを差し出す。
ここがいい。ここにいたい。この人たちと共に、この屋敷にいさせてほしい。そのためだったら何でもしよう。できる努力は全てするから。
嗚咽がひとしきり落ち着くまで留まってくれた三人の優しさが沁みた。
その後、マルはオイルランプの手入れをしていた。帰宅したロナウドの食事が終わったら、部屋に呼ばれるのだ。なにかしていないと落ち着かなかった。
蝋燭と違って、オイルランプは風のある屋外でも使えて便利だ。けれどガラスのドーム部分が煤で曇るとランプの明かりが鈍くなるので、たまに拭いて手入れをする必要がある。
そうしていると爪の間や指先が粘ついた汚れで黒くなってきた。するとそこでマチルダがロナウドの食事が終わったからと、マルを呼びに来た。
心配事は一つ。ここから追い出されることだ。どうかロナウドの気が変わったりしていませんように、と、深呼吸を一つした。
コンコンコン。
ホセに教わったとおり、扉を三回ノックする。
「ご主人様、マルです」
「入って構わない」
ドアを開ける際に指先の汚れが気になった。以前なら気にもしなかったし、気になったら服で拭った。けれどここはどこもかしこも綺麗だし、服もマチルダが洗ってくれたものだ。ドアノブと服を汚したくなくて、仕方なしに両掌を使ってノブを回す。
屋敷の中で一番重厚で格式の高そうな扉を開けると、ロナウドは部屋のテーブルでワインを飲んでいた。年齢を知っても、やはりロナウドは年嵩に見える。鍛えられた身体や、表情がほぼ変わらなくて物事に動じなさそうなところからだろうか。
マルがロナウドの側へ立つと、ロナウドが残っている杯を呷った。
「今日はどうだった。この屋敷で続けていけそうか?」
マルは今日手伝ったことを話した。それから、料理長と作った腸詰めが美味しかったこと。いずれ使いに出るだろうから、慣れるために明日は二人で市場へ行くこと。マチルダのように速く綺麗に火のしをかけられるようになりたいこと。ホセが今度ロバに乗せてくれることも話した。
質問には合ってない返事かもしれない。けれど明日も、明後日も、その次の日も、自分がこの屋敷にいる未来を話したかった。
「ここは、たくさん覚えることがあって、面白い、です。だから、明日も、その、きっと面白いんだろうなって、思ってます。あの、頑張りますから……」
ここにいさせてくださいと、祈りを込めた。どうか、と。
「先月のお誕生日をもって、十八歳になられました」
「ええええ!」
カエルム王国の成人は十八歳。ついこの前までは子どもだったということだ。
あんなに済ました顔をして、ワインも飲んで、屋敷をもっていて、竜騎隊の隊長で、なのに十八歳。なんということだ。マルだって年明けには十五歳になる。たったの三歳しか違わない。ロナウドと出会ってから驚くことばかりだったが、これが一番の衝撃だ。
「竜騎隊では百年に一度の逸材と呼ばれていらっしゃるそうです」
おまけに天才らしい。
「そうそう、マルさん。今晩の夕食後、旦那様の居室へ伺ってください。お話があるのだそうです」
不意に先ほど頭に感じた手の重さを思い出し、再び胸がとくんと跳ねた。
どうして、なのか。手を胸に当ててみたが、分からなかった。
嫁の疑惑も晴れたので、正式に下働きとしての労働初日である。
ホセとは厩舎の掃除と花壇の手入れ、マチルダとは屋敷内の掃除とリネン類の洗濯、料理長とは豚の解体をして腸詰めと塩漬けを作った。
一日しっかり労働をしたので、腕からも肩からも筋肉の叫びが聞こえるような気がした。夕食では匙を持つ手が震えた。けれど皿の中には誰よりも大きな腸詰めの塊が入っていて、目を瞬いた。肉だ。今日もごちそうだ。
「この屋敷にいる以上、いつまでも細っこい腕をしてられちゃぁ俺のメシが不味いみてぇだろ。たくさん食って早く太れ」
「やだ、料理長ってば。太るなんて言わないのよ。大きく育って欲しいって言えばいいじゃない」
「どっちでもいいじゃねぇか」
「ちょっとそういうとこが雑だと思うのよ」
賑やかな食卓はそう悪くない。言い合ってはいるけれど、互いに怒ってはいないし、ホセも黙々と食べている。
「あの、あの……美味しい。料理長のご飯、美味しいです。たくさん食べられて、嬉しいです。ありがとうございます……」
二人の会話がぴたりと止む。ずれたことを言ってしまったのかもしれない、と後悔を仕掛けたときだ。パン皿の上に、料理長からもう一つパンが追加される。
「もっと腕っぷしが太くなったら、力仕事も任せられるし、俺も楽になるってもんだ。どんどん食うがいいさ、なぁマル!」と料理長。
「料理長って口はアレだけど、料理の腕はいいんだから。たくさんお食べよ」とマチルダが。
「よく噛むのですよ」とホセまでが。
言われたとおりに一生懸命もぐもぐしながら、うんうんと頷く。
ほかほかのパンのように柔らかくて、ことこと煮込んだスープのように優しくて。いいところだなと思った。こんな世界があるなんて、そこに自分がいるなんて、嘘みたいだった。
大きくなれ、と未来の話をしてくれる。明日もあさっても、ここにいていいと受け入れてくれているのだ。
マルは笑いながら人を虐げる大人をよく知っていた。孤児院の院長もごろつきたちもよく笑っていたから、笑う大人は恐ろしかった。
ここでは料理長もマチルダもホセも笑うけれど、恐ろしくない。信じていい人たちだ。この人たちはマルの知っている人たちとは違うのだ。
「おい、マル、どうした。泣いてんのか? 香辛料がキツかったか?」と料理長。
「あらあら、料理長が怖かったの?」とマチルダが。
「マルさん、どうぞこちらで目を拭いてください」とホセがハンカチを差し出す。
ここがいい。ここにいたい。この人たちと共に、この屋敷にいさせてほしい。そのためだったら何でもしよう。できる努力は全てするから。
嗚咽がひとしきり落ち着くまで留まってくれた三人の優しさが沁みた。
その後、マルはオイルランプの手入れをしていた。帰宅したロナウドの食事が終わったら、部屋に呼ばれるのだ。なにかしていないと落ち着かなかった。
蝋燭と違って、オイルランプは風のある屋外でも使えて便利だ。けれどガラスのドーム部分が煤で曇るとランプの明かりが鈍くなるので、たまに拭いて手入れをする必要がある。
そうしていると爪の間や指先が粘ついた汚れで黒くなってきた。するとそこでマチルダがロナウドの食事が終わったからと、マルを呼びに来た。
心配事は一つ。ここから追い出されることだ。どうかロナウドの気が変わったりしていませんように、と、深呼吸を一つした。
コンコンコン。
ホセに教わったとおり、扉を三回ノックする。
「ご主人様、マルです」
「入って構わない」
ドアを開ける際に指先の汚れが気になった。以前なら気にもしなかったし、気になったら服で拭った。けれどここはどこもかしこも綺麗だし、服もマチルダが洗ってくれたものだ。ドアノブと服を汚したくなくて、仕方なしに両掌を使ってノブを回す。
屋敷の中で一番重厚で格式の高そうな扉を開けると、ロナウドは部屋のテーブルでワインを飲んでいた。年齢を知っても、やはりロナウドは年嵩に見える。鍛えられた身体や、表情がほぼ変わらなくて物事に動じなさそうなところからだろうか。
マルがロナウドの側へ立つと、ロナウドが残っている杯を呷った。
「今日はどうだった。この屋敷で続けていけそうか?」
マルは今日手伝ったことを話した。それから、料理長と作った腸詰めが美味しかったこと。いずれ使いに出るだろうから、慣れるために明日は二人で市場へ行くこと。マチルダのように速く綺麗に火のしをかけられるようになりたいこと。ホセが今度ロバに乗せてくれることも話した。
質問には合ってない返事かもしれない。けれど明日も、明後日も、その次の日も、自分がこの屋敷にいる未来を話したかった。
「ここは、たくさん覚えることがあって、面白い、です。だから、明日も、その、きっと面白いんだろうなって、思ってます。あの、頑張りますから……」
ここにいさせてくださいと、祈りを込めた。どうか、と。
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