竜騎士と花生み〜逃亡奴隷はご主人様に恋をする〜

11ミリ

文字の大きさ
上 下
8 / 60

8.小さな王様

しおりを挟む
 マチルダから聞いたとおり、ロナウドは帰宅後に入浴してから夕食を済ませた。瓶に残るワインが半分になるとマルたち全員を呼び、そこでマルの紹介がされた。
 結果、マルは嫁ではなかった。

「一人手伝いがいると楽だろう。カシスは私がいるときは大人しいが、いないときは誰の言うことも聞かない。ホセは庭師長だが、実際には執事と厩舎番も兼ねている。マチルダは腰を痛めたばかり。問題ないのは料理長だけだが休みが取れない。これではいつか破綻する。だが幸いなことにマルは花生みだ。カシスもいくらかいうことを聞くだろう。他の業務は三人が教えてやってくれ」
「おれは……お嫁さんじゃないんですね?」
「うん? 嫁が良かったのか?」
「い、いえ。安心しました。お嫁さんとかお母さんって、よく知らないので、おれなんかじゃお嫁さんになっても、きっと失敗しちゃいそうだから……」

 ほっとした。マルにとってお嫁さんもお母さんも、漠然とした想像しかつかない。どちらも家にいる人、温かくて優しそうな人。大きな差はないけれど、強いて言うならお嫁さんはうきうきしている。マルのいた孤児院がそうだった。孤児院にいた職員は、結婚すると楽しそうに辞めていく。好きな人と一緒になるのは、素敵なことらしい。自分には無縁の話だ。
 だから正直な気持ちを口にしたつもりだったのに、なぜか部屋の空気は暗くなった。ロナウドの杯は止まり、料理長とマチルダは背中が丸くなって、ホセは片眼鏡をさっと拭く。どうやら言わない方が良い話題だったのかもしれない

「あ、あの、これからお手伝い、頑張ります……。よろしくおねがいします」
「……あぁ、期待してる」

 解散後、ホセがマルの部屋へ案内した。使用人用の簡素な部屋は、屋根裏の一角にあった。例の見晴らしの良い部屋の隣だ。

「今は夜ですが、日が当たるとこちらからの眺めも絶景ですよ」

 あの景色が見えるなんて。きっと朝日に照らされる庭も素晴らしいのだろう。屋根があって、壁があって、ベッドも、椅子も、机も、クローゼットもある。しまう服がなくても、読む本がなくても、手紙を出す相手がいなくても嬉しかった。

「王様みたい……」

 逃亡奴隷からの逆転劇だ。
 花生みに生まれついたせいで、暴力と搾取ばかりの日々を送ってきた。明日の食事を心配せず、夜明けを楽しみにして眠れることなど記憶の限りはない。
 ベッドの上には折りたたまれたシャツがある。広げてみるとかなり大きい。マルの膝丈ぐらいだ。寝間着に違いないと、さっそく服を脱いだ。
 マルの腕には青色のインクで雑に彫られた識別番号の入れ墨がある。背中はもっと酷い。肌の色はほとんど見えない。ほぼインクの色をした背中に彫られたのは、卑猥な言葉だったり、落書きだったり、どうでもいいメモだったり。ボスの悪口も彫ったそうだが、そこは後から真っ黒に塗りつぶされた。
 どれもマルが奴隷だった証拠だ。奴隷には人権もなければ、入れ墨を拒否する権利もない。
 いつか、ロナウドたちには逃亡奴隷だと打ち明ける必要があるのかもしれない。それか、黙って再び逃亡する日がくるのかもしれない。
 いつか。いつかだ。
 憂いはあるけれど、今は考えないことにした。明日は朝から食事が食べられる。自分の分もあるらしい。この屋敷にいる全員に、毎日朝食も昼食も夕食も出される。なんて素敵なことか。
 小さな王様はベッドに入って、そっと目を閉じた。



 マルの一日は、厩舎内にいる竜とロバの世話から始まることになった。厩舎は敷地の隅にある木造だ。通常なら竜がいる厩舎は、レンガ作りの頑丈な建物にする。けれどカシスは幼竜のころからロナウドに大層懐いているので、家畜用の厩舎を大きくしただけの造りになっている。
 入り口に近い房にはロバがいて『どんぐり』と書かれた簡素な木の札が下がっていた。

「このロバの好物はどんぐりなんですか?」
「いいえ、ロバの名前です。毛色がどんぐり色でしょう?」

 話をしながら干し藁を飼い葉桶に、飲み水を水桶に追加する。確かに毛並みはドングリ色をしているし、とても艶がある。手間をかけてかわいがられている証拠だ。

「名前はだれが考えたんですか?」
「旦那様です。旦那様のロバですから」

 どんぐり色をしたロバのどんぐり。なら赤紫の肌色をしたカシスはきっと果物からとったに違いない。彫刻のように表情筋が固まった顔と、鍛えられた見事な体躯をもつロナウドが、どんな顔をして『どんぐり』やら『カシス』やら、かわいらしい名前を考えたのか。随分とちぐはぐな気がした。

「どんぐりの清掃やブラッシングは、日中にします。最優先はカシスの準備です。旦那様がいつ騎乗してもよろしいように整えておかなければなりません」

 ホセは見本を見せると言うと、身体の関節という関節を、入念に回し始める。そうしてほぐし終わるとカシスの房の前に立った。手元には、長い柄の付いた竜用のブラシと、干し藁の入った桶を携えている。いつの間にか片眼鏡は外していた。

「これから手入れを始めますが、危険なのでマルさんはもう少々後ろへ下がっていてください。今日は見学で結構です。竜の世話で肝心なのは、最初です。舐められたらいけません。では、参りますっ!」

 ホセの目がきらりと光り、緊張感が走る。
 なにやら凄いことが起きそうな気配だ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

どうやら手懐けてしまったようだ...さて、どうしよう。

彩ノ華
BL
ある日BLゲームの中に転生した俺は義弟と主人公(ヒロイン)をくっつけようと決意する。 だが、義弟からも主人公からも…ましてや攻略対象者たちからも気に入れられる始末…。 どうやら手懐けてしまったようだ…さて、どうしよう。

この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~

乃ぞみ
BL
※ムーンライトの方で500ブクマしたお礼で書いた物をこちらでも追加いたします。(全6話)BL要素少なめですが、よければよろしくお願いします。 【腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者】 エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。 転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。 エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。 死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。 「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」 「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」 全体的に結構シリアスですが、明確な死亡表現や主要キャラの退場は予定しておりません。 闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったります。 本編ド健全です。すみません。 ※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。 ※ 攻めがまともに出てくるのは五話からです。 ※ タイトル変更しております。旧【転生先がバトル漫画の死亡フラグが立っているライバルキャラだった件 ~本筋大幅改変なしでフラグを折りたいけど、何であんたがそこにいる~】 ※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。

拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件

碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。 状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。 「これ…俺、なのか?」 何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。 《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》 ──────────── ~お知らせ~ ※第3話を少し修正しました。 ※第5話を少し修正しました。 ※第6話を少し修正しました。 ※第11話を少し修正しました。 ※第19話を少し修正しました。 ※第24話を少し修正しました。 ──────────── ※感想、いいね、お気に入り大歓迎です!!

俺にとってはあなたが運命でした

ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会 βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂 彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。 その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。 それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

名前のない脇役で異世界召喚~頼む、脇役の僕を巻き込まないでくれ~

沖田さくら
BL
仕事帰り、ラノベでよく見る異世界召喚に遭遇。 巻き込まれない様、召喚される予定?らしき青年とそんな青年の救出を試みる高校生を傍観していた八乙女昌斗だが。 予想だにしない事態が起きてしまう 巻き込まれ召喚に巻き込まれ、ラノベでも登場しないポジションで異世界転移。 ”召喚された美青年リーマン”  ”人助けをしようとして召喚に巻き込まれた高校生”  じゃあ、何もせず巻き込まれた僕は”なに”? 名前のない脇役にも居場所はあるのか。 捻くれ主人公が異世界転移をきっかけに様々な”経験”と”感情”を知っていく物語。 「頼むから脇役の僕を巻き込まないでくれ!」 ーーーーーー・ーーーーーー 小説家になろう!でも更新中! 早めにお話を読みたい方は、是非其方に見に来て下さい!

処理中です...