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5.金よりも大事なもの

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「え、えっと……」

 間抜けな声が漏れたのは、マルの口からだった。なにせ、マルは正面からロナウド、背後からアニムスが抱きしめられているのだ。
 寿命を削る黒い花が咲く前、とっさに二人が反応していた。
 ロナウドはコーヒーテーブルを飛び越えてマルを腕に抱いた。アニムスは長い腕をソファーの背もたれの上から伸ばしてなるべく密着させるように抱いた。
 大柄な男二人に突然挟まれて、マルはわけが分からなかった。

「間に合ったか?」
「セーフです、隊長」

 二人が確認したのは、花の色だった。暗闇のように黒かった蕾は、開くと中心へ向かって黒から鮮やかな青になっている。花芯も月のように黄色く、まるで夜空を思わせる美しい花だった。
 黒くなかった。命には関わらない。
 ロナウドとアニムスはそれを確認すると、胸をなで下ろした。

「……驚かせてすまない」

 ロナウドはそっとマルから離れた。

「俺と隊長は、マルを襲って食おうとしたわけじゃないからな」

 アニムスは念を押すようにマルの肩をぽんと叩いてから、一歩離れた。
 マルは手元に残ったつると花へ目線を落とす。マルの胸には妙な感覚があった。ふわふわとなにかが温かい。なにかは分からない。けれど心地よい、なにかだ。
 黒い花を生んだことは今までも何度かある。孤児院の院長がマルを売り飛ばすと宣言したとき、初めて入れ墨を刺されたとき、『悲しい花生み』と『食事の花生み』の花枯れを知ったとき。
 花を生むと大人たちは笑った。「もっとよこせ」と危害を加えてきた。命に関わってくる黒い花であろうと何色であろうと関係なく。
 だから、黒い花が生まれるのをわざわざ阻止されるとか、しかも抱きついて驚かせる手段をとられるとか、マルには初めてだった。高値の付く花を生み出すと分かってから、金よりも命を尊重されるなんて、今までなかったのだ。

「マル、これはただの屋敷の手伝いだ。花や葉がないとだめだとか、そういうつもりは一切ない。屋敷で働く者には高齢の者もいるから、誰か一人手伝いがあるだけで助かるから提案しただけだ」

 どうだ、とロナウドは問いかけた。
 痛いことをしないか、食事を与えてくれるか、一番気になることをマルは訊ねなかった。そんなことはもう分かっていたから、ゆっくりと頷いた。



 翌朝、竜騎隊は王都へ出立した。
 基本、竜は二人乗りが原則だ。戦いの場では、一人が手綱をとって竜を操り、一人が後ろで弓や剣での攻撃を担うからだ。ロナウドの場合は一人で二役をこなせていたので、カシスの背には常に一人分の余裕があった。マルはそこに同乗する形だ。
 竜の総勢は四頭の小規模編成。
 マルと鞍を繋ぐ安全ベルトが装着されているのをロナウド確認すると、脚でカシスの横腹へ合図を送る。するとぶわりと世界は青くなった。あっという間だ。マルにとって初めての竜の騎乗だ。あまりの高さに口の根が合わず、カタカタと震えた。

「寒いのか? 王都はこのトニトルスよりも南だ。しばらく飛べば幾分温かくなる」

 北部を飛ぶには、防寒対策が必要だ。速く飛べば飛ぶほど、冷たい風がさらに冷たくなる。着の身着のままで過ごしていたマルは当然何も持っていない。ロナウドが持っていた予備の防寒着で取りあえず急場をしのがせたが、マルには大きすぎて服に飲み込まれていた。

「い、いえっ。寒くっ、ない、ない、です。ちょ、ちょ、っと、こわ、こわいだけで、あった、か、かい、です」
「ならいい。落ちないように、しっかりと掴まれ」

 ロナウドが後ろへ座って長く伸ばした手綱を操っている。その腕の中に収まるように、マルはロナウドに抱きついていた。鞍に掴まるよりも安定するそうで、大木から落ちるまいとする猫のように、ぎゅうっとしがみついていた。

「は、は、はいっ!」

 目が慣れて気持ちも落ち着いてくると、ようやくまじまじと辺りを見下ろせるようになった。カシスの翼の向こうには山があって、木が生えていて、川が流れているのが見える。所々に集落もあった。ごろつきのねぐらからも遠く離れたに違いない。孤児院だってもう過去のものだ。
 全てが風の向こうへと吹き飛ぶように。



 馬車なら何日もかかる距離を、竜たちは半日で飛んだ。空には坂も坂もなければ、川を渡る橋を探すこともないし、迂回もなんにもしなくていい。目的地に一直線で行けるから竜は王国一の馬より速い、とロナウドは言った。
 王都の竜騎隊本部を目前にして、ロナウドだけが先頭から外れとある館の庭へひょいとマルを下ろした。そして館から出てきた恰幅のいい男へ「マルだ。よろしく頼む」とだけ伝えると、またカシスに乗って飛んで行ってしまったのだ。
 男はシャツの上からも筋肉の膨らみが分かるほど肉厚の身体をしていた。つるりと光る頭と黒い眼帯が、男の迫力を嵩上げする。額と口元には深くくっきりとした皺があり、年齢はロナウドの親くらいに見えるが、全く似ていないので違うだろう。顎を撫でながら大股でのっしのっしと近づいてくる。ごろつきを思わせる風貌にマルは逃げたくなった。
 そして男はマルを上から下まで刺さるような視線で見定めてから「もしかして、旦那様の嫁さんになる方ですかい?」と真面目に訊いてきたのだった。

「嫁さん……?」
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