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4.黒い花は命を削る
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「……チーズは、今も昔も変わらないものだ」
「そうですか、良かった。あの、こんなにたくさんのお金をありがとうございます。銀貨が貰えるなんて、びっくりしました」
「色は付けたが、市場価格と大きくは離れていないはずだ。マル、普段はいくらで卸している?」
普段。そんなもの、マルは知らない。
軟禁されていたころ、ごろつきの一人はマルの背中に入れ墨を彫った。皮膚を刺す痛みで動いてしまうと、ごろつきはもっと深く針を射すので、ボロ布を噛んで動かないよう我慢をしていた。すると花生みのマルの耳の後ろや膝の裏など、皮膚の柔らかい箇所から葉が生まれてくる。ごろつきはそれをむしり取っていくだけだから、それがいくらになるのか売値など知らない。
逃亡してから、貯めていた葉を何度か金には換えてきたけれど、それもまちまちの値段だった。ただ、思ったよりパンは買えなかったし、銀貨で支払ってくれたのはロナウドだけだった。
「えぇと……」
怪しまれないような返事を考えていたマルの耳の裏から、しゅるると緑色のつるが伸びた。
「ほう。つるか。珍しい。これも買わせてくれないか」
つるは珍しくもなんともない。マルは悩んだり考え込むと、つるがよく生まれた。葉やつるばかり生むとごろつきは「もっと高く売れる花を生め」とマルに深く針を刺したので、つるを見ると足下がぞわりとするのだ。
「こんなのでよければ……どうぞ。使ってください」
「いや、それは良くない」
「でも、さっきだってたくさんお金をもらっているから、これくらい……」
支払う、要らない、と何度か往復するうちに、つるはくるくると巻きながらロナウドへ向かって伸びていく。そして先端へ小さな蕾を付けたかと思うと、ぽんと青いを咲かせた。まるでつるが二人の仲裁をしているように。
「カシスは、お前の花も葉もとても気に入っていた。つるも、できればこの花もあげたい。私の大事な竜だ。買わせてくれ」
ロナウドの眉はぴくりとも動かない。表情筋を使うのは得意ではないのだろう。けれど、マルには却って好ましかった。人は目に内心が強く表れやすい。ロナウドの目は、真っ直ぐにマルを見つめていた。
「……じゃあ、そんなに言うんだったら……売ります」
マルが手を広げると、そこへもう一枚の銀貨が乗せられた。ただのつると、花一輪への対価としてこれはどうなのか。いくらなんでも高すぎなのでは。
「市場価格は知っておくといい」
あんぐりと口を開けたマルの心情を察したのか、ロナウドが教える。
異次元の世界だ。自分が育った環境とまるで違う。美味しい食事、高級なベッド、座り心地の良いソファー、たくさんの銀貨。どれもマルに縁がなかったものだ。
そして、笑うけれど痛いことをしない大人と、笑わないけれど竜に優しい大人がいる。
マルはそれまで、大人には二種類あると思っていた。
笑いながら痛いことをする大人と、笑わないけれど助けもしない大人だ。
ロナウドとアニムスは、どちらでもなさそうだった。
「それから一つ提案がある。受けてくれても断ってくれてもいい。竜騎隊とは関係なく、私個人の件だ。マル、私の元で働かないか?」
「は……はたらくって? 働くって、俺がですか? 俺が? ほんとに?……」
生きるためには労働をして金を稼ぐ必要がある。けれど、孤児は働き口が見つかるまでが大変で、大半は町のごろつきになるか、それともごろつきに搾取される側になるかだ。
孤児の花生みなど例に漏れず、圧倒的に後者にされされてしまう。
「私は竜騎隊の駐屯地外に屋敷を持っていてな。使用人が足りないので、丁度探していたのだ。孤児で住まいがないのなら、住み込みでどうだ。普段は屋敷内のことをしてほしい。花や葉が生まれたらカシスにやってくれ」
出会ったばかりで素性の知れない孤児に仕事をふるなんて、しかも住み込みだ。
またとない機会であるのに、マルの顔は曇った。
葉や花の提供が目的なら、花生みとしての働き口になってしまう。マルの背中に引きつったような痛みが走る。
花を生ませるために、背中一面に入れられた入れ墨のせいだ。
痛みを和らげる薬は当然使わなくて、適当に、痛く、苦しませるためだけに続けられていた。おかげで膿んだ場所がまだ少し残っている。
「っ……や……だ、おれ、おれはっ……」
痛みで忌まわしい記憶が息を吹き返す。膝が笑い、脇がじっとりと湿り気を帯びる。綺麗に整えられたこの部屋とは似ても似つかない、あの狭くてじめじめとした部屋が目に浮かんだ。独特なにおいの染料すらも思い出す。やたら甘くて香辛料が混ざったようなそれには、最後まで慣れなかった。
「竜、竜、竜って、俺には関係ないよ。竜が食べるからって、高く売れるからって、大人はみんな俺たちから花を搾り取っていくんだ……。誰も人間扱いなんてしてくれないし……」
マルの身体から再びつるが伸びていく。うねうねと何本も伸びて一部は葉が、そして蕾がところどころで膨らむ。膨らみながら、蕾は色付いていく。花生みの寿命を削り、花枯れに導く深い闇の色へと。
黒い花は花生みを死に至らしめる。
「マルっ!」
先ほどつるの先に咲いた花よりも二回りほど大きい蕾みは、宿主の命を吸おうとその黒い口を開けようとして。
「あんたも、あんたもどうせ俺が花枯れするまでむしり取る気なんだっ!」
絶叫と同時に、花は一斉に咲いた。
「そうですか、良かった。あの、こんなにたくさんのお金をありがとうございます。銀貨が貰えるなんて、びっくりしました」
「色は付けたが、市場価格と大きくは離れていないはずだ。マル、普段はいくらで卸している?」
普段。そんなもの、マルは知らない。
軟禁されていたころ、ごろつきの一人はマルの背中に入れ墨を彫った。皮膚を刺す痛みで動いてしまうと、ごろつきはもっと深く針を射すので、ボロ布を噛んで動かないよう我慢をしていた。すると花生みのマルの耳の後ろや膝の裏など、皮膚の柔らかい箇所から葉が生まれてくる。ごろつきはそれをむしり取っていくだけだから、それがいくらになるのか売値など知らない。
逃亡してから、貯めていた葉を何度か金には換えてきたけれど、それもまちまちの値段だった。ただ、思ったよりパンは買えなかったし、銀貨で支払ってくれたのはロナウドだけだった。
「えぇと……」
怪しまれないような返事を考えていたマルの耳の裏から、しゅるると緑色のつるが伸びた。
「ほう。つるか。珍しい。これも買わせてくれないか」
つるは珍しくもなんともない。マルは悩んだり考え込むと、つるがよく生まれた。葉やつるばかり生むとごろつきは「もっと高く売れる花を生め」とマルに深く針を刺したので、つるを見ると足下がぞわりとするのだ。
「こんなのでよければ……どうぞ。使ってください」
「いや、それは良くない」
「でも、さっきだってたくさんお金をもらっているから、これくらい……」
支払う、要らない、と何度か往復するうちに、つるはくるくると巻きながらロナウドへ向かって伸びていく。そして先端へ小さな蕾を付けたかと思うと、ぽんと青いを咲かせた。まるでつるが二人の仲裁をしているように。
「カシスは、お前の花も葉もとても気に入っていた。つるも、できればこの花もあげたい。私の大事な竜だ。買わせてくれ」
ロナウドの眉はぴくりとも動かない。表情筋を使うのは得意ではないのだろう。けれど、マルには却って好ましかった。人は目に内心が強く表れやすい。ロナウドの目は、真っ直ぐにマルを見つめていた。
「……じゃあ、そんなに言うんだったら……売ります」
マルが手を広げると、そこへもう一枚の銀貨が乗せられた。ただのつると、花一輪への対価としてこれはどうなのか。いくらなんでも高すぎなのでは。
「市場価格は知っておくといい」
あんぐりと口を開けたマルの心情を察したのか、ロナウドが教える。
異次元の世界だ。自分が育った環境とまるで違う。美味しい食事、高級なベッド、座り心地の良いソファー、たくさんの銀貨。どれもマルに縁がなかったものだ。
そして、笑うけれど痛いことをしない大人と、笑わないけれど竜に優しい大人がいる。
マルはそれまで、大人には二種類あると思っていた。
笑いながら痛いことをする大人と、笑わないけれど助けもしない大人だ。
ロナウドとアニムスは、どちらでもなさそうだった。
「それから一つ提案がある。受けてくれても断ってくれてもいい。竜騎隊とは関係なく、私個人の件だ。マル、私の元で働かないか?」
「は……はたらくって? 働くって、俺がですか? 俺が? ほんとに?……」
生きるためには労働をして金を稼ぐ必要がある。けれど、孤児は働き口が見つかるまでが大変で、大半は町のごろつきになるか、それともごろつきに搾取される側になるかだ。
孤児の花生みなど例に漏れず、圧倒的に後者にされされてしまう。
「私は竜騎隊の駐屯地外に屋敷を持っていてな。使用人が足りないので、丁度探していたのだ。孤児で住まいがないのなら、住み込みでどうだ。普段は屋敷内のことをしてほしい。花や葉が生まれたらカシスにやってくれ」
出会ったばかりで素性の知れない孤児に仕事をふるなんて、しかも住み込みだ。
またとない機会であるのに、マルの顔は曇った。
葉や花の提供が目的なら、花生みとしての働き口になってしまう。マルの背中に引きつったような痛みが走る。
花を生ませるために、背中一面に入れられた入れ墨のせいだ。
痛みを和らげる薬は当然使わなくて、適当に、痛く、苦しませるためだけに続けられていた。おかげで膿んだ場所がまだ少し残っている。
「っ……や……だ、おれ、おれはっ……」
痛みで忌まわしい記憶が息を吹き返す。膝が笑い、脇がじっとりと湿り気を帯びる。綺麗に整えられたこの部屋とは似ても似つかない、あの狭くてじめじめとした部屋が目に浮かんだ。独特なにおいの染料すらも思い出す。やたら甘くて香辛料が混ざったようなそれには、最後まで慣れなかった。
「竜、竜、竜って、俺には関係ないよ。竜が食べるからって、高く売れるからって、大人はみんな俺たちから花を搾り取っていくんだ……。誰も人間扱いなんてしてくれないし……」
マルの身体から再びつるが伸びていく。うねうねと何本も伸びて一部は葉が、そして蕾がところどころで膨らむ。膨らみながら、蕾は色付いていく。花生みの寿命を削り、花枯れに導く深い闇の色へと。
黒い花は花生みを死に至らしめる。
「マルっ!」
先ほどつるの先に咲いた花よりも二回りほど大きい蕾みは、宿主の命を吸おうとその黒い口を開けようとして。
「あんたも、あんたもどうせ俺が花枯れするまでむしり取る気なんだっ!」
絶叫と同時に、花は一斉に咲いた。
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