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お金が貯まらない(前)
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「今日のお悩みは、ペンネームリバースアザレアさんから頂きました。『お金が貯まらない』だそうです。シンプルですね」
ある日の放課後。桔梗は懲りずに誰ともしれない悩み相談を持ち込んでいた。
「貯金したら」
一言で済まそうとする華薔薇。
「いや、それができないから困ってるんでしょ。貯金できたら相談なんてしないよ。いわゆる貯金のやり方を教えてほしい、っていう相談だろ」
華薔薇が貯金の方法に思い至らない訳がない。だが、相談の内容には一切貯金の方法が知りたいとは一言も触れていない。
聞かれてもいないことを語るのはお節介だ。教えてほしいなら、相応の態度が必要だ。いきなりやって来て高圧的な態度で話しかけられて『はい、わかりました』とはならない。
少なくとも丁寧な言葉とお願いしますがないと聞く気にならない。
そもそも華薔薇が相談に乗る理由がない。雑談部は面白おかしくお喋りする部活。赤の他人の相談に乗る部活ではない。
「桔梗は深読みしすぎよ。お金が貯まらない、という事実はあっても、貯金したいかどうかは別の話」
「誰だってお金はほしいだろ」
お金がいらない人は確かに少ない。でも貯金は別の話。稼いだ分だけ使う、いわゆる宵越しの金は持たない性格の人は一定数いる。
残念ながら天国だろうと地獄だろうと、お金は持っていけない。持っていけないなら使った方が有益だ、と考える。
「なんだよ、刹那的な生き方じゃん。稼げなくなったら、一気に破滅まっしぐら。何かあった時のために貯金はした方がいいだろ」
「死ぬまで稼ぎ続けたら問題ないわね」
亡くなる直前までお金を稼げるのなら何も問題はない。
「年老いたら体は動かないし、怪我だってするかもしれないだろ。死ぬまで稼ぎ続けるのは無理だろ」
だから貯金は大事、と桔梗は貯金の有用性を念押しする。
「だったら、桔梗は貯金しているのよね?」
「ぎくっ!?」
「あれあれ、貯金は大事と散々語っておいて、まさか自分は貯金してない、なんてことはないわよね。自分がやってないことを、恥知らずにも堂々と推奨してたなんて、あってはならないことよ」
本当に大事なら実践しているはずだ。桔梗も高校生である、分別がつくくらいには大人だ。
自分が行ったことのないお店を、誰かが素晴らしいと絶賛していたと語るようなもの。信憑性は低い。
「いいだろ、まだ高校生なんだし。いくらでも機会はある」
何も問題はないと開き直る桔梗。
「バカね、今できないことは未来になってもできないのよ。心の痛みは時間が過ぎれば直るけど、貯金のような行動が伴うのは時間がいくら経っても解決しないわよ」
高校生だから貯金しなくていい理由にはならない。高校生でも貯金している人はいるし、なんなら自ら稼いでいる人もいる。
「嫌だ、貧乏は嫌だ。華薔薇、どうしたらいいんだ」
「貯金したら」
「それだと解決になってないよぉ」
「じゃあ、ファイナンシャルプランナーにでも頼んだら」
「そんな金があるわけないだろ。貯金の仕方を教えてください、お願いします華薔薇様」
桔梗が誰かの悩み相談を持ってきた段階で雑談部の活動内容は決まっていたも同然。華薔薇は貯金について雑談を始める。
「まず始めにするのは引き出せない口座にお金を送ることね」
物理的に隔離することで使えなくする。一定の期間、もしくは一定の金額まで貯めないと引き出せないシステムを活用する。
使いたくても使えないようにしたらいい。
「リバースアザレアが高校生なら、銀行口座も作れるでしょ。はい、解決」
「えっ? それだけ」
「お小遣いか、バイト代か、給料かカツアゲか知らないけど、勝手に貯金するシステムにしたら、後はやることなんてないわよ」
優秀なシステムを活用して、自動的に貯金する。貯金を意識せずに貯金できるのだから、考える必要がない。
「でもさ、いきなりそんなことして大丈夫か? 使える金が減ったら大変そうだけど」
「大丈夫でしょ。お金がないならないで、なんとかするのが人間よ」
後からお金がないと言われるのでなく、最初にお金がないと言われたら、使い道を吟味する。むしろ本当に必要なものだけにお金を使うので、いらないものを買わなくなる。
お金が貯まって、余計なものを買わなくなる、一石二鳥だ。
「1ヶ月を、1万円で乗りきるテレビがあったように、工夫すれば生きていくのに、そんなにお金はかからないのよ」
華薔薇から見たら同級生は無駄遣いばっかりしている。もっと他のことに使ったらいいのに、と常々思っている。
「そうは言っても、友達付き合いとかあるし、簡単にはいかないだろ」
「何それ、桔梗はお金がないと友達できないの? 本当に友達ならお金がなくても友達でしょ。金の切れ目が縁の切れ目なら、お金を使う前に切りなさい。無駄な交友関係は害悪よ」
華薔薇と桔梗の間に金銭のやり取りはない。放課後に面白おかしくお喋りする友好的な関係だ。
華薔薇が桔梗から相談料を巻き上げたり、華薔薇が部員確保のために袖の下を送ったりすることもない。それでも両者の関係は友好的だ。仲良くなるのにお金は必要ない。
「断れないかもしれないし、友達と遊ぶの楽しいじゃん」
簡単には引き下がらない桔梗。また主張も一理ある。
「そうね、先輩からの誘いを断るのは失礼かもしれない。だったら、最初から誘われないようにしたらいいのよ」
「そんなことできるのか?」
「とっても簡単よ。先に宣言したらいいのよ、貯金していることを」
貯金していることを宣言すれば、お金がかかることには誘われなくなる。もし誘われたら、誘った方が貯金を邪魔する悪者になる。
「言いたいことはわかる。確かに金欠の奴を誘うのは抵抗がある。でも断ってばっかだと、印象悪くなるぞ」
「別に全部断る必要はないでしょ。お金がかからない誘いは乗ればいい。なんなら自分から提案したらいい」
お金のかからない付き合いというのが桔梗には思い浮かばない。
「あるでしょ、学生には。定期的に訪れる試験が。勉強を教え会う名目で家にでも誘えばいい。勉強会という大義名分があれば、遊ぶことができない」
自宅なら予想外の出費も起こらない。勉強していることを怒る親もいない。
「なるほど、勉強なんて嫌だから、脳裏を掠めもしなかった」
「それにお金のかからない娯楽は現代には溢れかえっているし、工夫次第で楽しめる」
桔梗の頭の中には楽しいことがイコールでお金がかかると紐付けられている。カラオケ、ボーリング、遊園地などの施設がパッと思いつく。
「何を呆けた顔をしているの。桔梗は睡眠不足になるくらいに、楽しいことを知っているじゃない」
「うぐっ!」
無料のゲームで楽しめるものはいくつもある。その中には協力プレイできるものもある。繋がりを保つには十分だ。
多少付き合いが悪くなってもすぐに縁が切れることもない。毎日挨拶していれば忘れない。ご無沙汰になったら旧交を暖めればいい。存外人と人の縁は切れない。
「意外にお金がかからないのはよくわかった。他にさ、貯金をブーストするような方法も教えて。華薔薇なら知ってるだろ、なあなあ」
「なんだかんだ言っても、使っちゃいそうだしね、桔梗とかは」
「ソンナコトナイヨ……」
説得力のない言葉ね、と呆れる。図星なのが丸分かりだ。もらったお年玉を貯金すると宣言したはいいが、欲しいゲームがあって手をつけた経験でも思い出したのだろう。
「お金との距離を離すと判断が変わるという研究を紹介しましょう」
「距離を離す、って何? 遠くの銀行に預けるのか」
「その通り、正解よ」
2013年、社会心理学者サム・マグリオの調査より。
人がお金の判断を下す際に、お金が物理的に近いか遠いかで判断に違いがあるかを調べた。
ニューヨーク居住者に意識調査のアンケートを実施した。そのお礼として宝くじを進呈した。
宝くじの当たりの確率は100分の1。賞金は50ドルで、当選したら特別口座に振り込まれる。
宝くじに当選しても賞金を受け取らなくてもよくなっている。
当選者の半数は居住地のニューヨークの銀行で口座を開くと言われ、もう半数は約4000キロメートル離れたロサンゼルスの銀行で口座を開くと言われた。
さらに当選者は50ドルをすぐに受け取るか、3ヶ月口座で眠らせた後に65ドルを受け取るかを選べる。(お金を受け取るのは地元の銀行)
結果はニューヨークの口座に振り込まれますと言われたとき、3ヶ月待って65ドル受けとるのは全体の49%だった。
しかしロサンゼルスの口座だと3ヶ月待つ人は全体の71%になった。
「わざわざ現地に行く必要なく、地元で引き出せるのに、お金をほったらかしにする人は増えるのよ」
地理的な距離が心理的な障害になる。距離が遠いと感じると手をつけにくくなる。オンライン化でどこにいても引き出せるのに、お金そのものが遠くにある気がするのだ。
「遠い銀行の口座にすれば、引き出し難くなるかもね」
あくまで心理的な障害が増えるだけ。絶対に貯金が成功する技ではない。
技術の進歩で物理的な距離は感じにくくなっている。これから先、どこまで効果があるかは保証できない。
「そんなことでいいのか。今すぐ口座を変更した方がいいかな。どれくらい離した方がいいのかな」
「さあ、そこまでは知らないわ。離しすぎて困るものでもないでしょ」
気にすべきは手数料だ。口座を移管して増える金額よりも、手数料の額が大きいなら意味がない。
手数料負けするなら、本末転倒だ。
「宇宙銀行とかないかな、宇宙だったらめっちゃ遠いし」
距離が離れている場所にあると思えればいい。ただし貯める場所が実際に存在しないといけない。
「なあなあ、他にもないのか、貯金の方法」
人類とお金は切っても切れない関係だ。お金にまつわる実験や調査は無数にある。
「そうね、新しく口座を開こうとしている桔梗にアドバイス。口座は複数持つより一口にしたほうがいいわ」
「うっそだー。俺は聞いたことがあるぞ、複数の所に分けたらリスクの分散になるだろ。知ってるぞ」
普段なら頓珍漢な答えなのに、珍しく真っ当な答えに目を見開いて驚く華薔薇だった。
「驚いた。珍しく、間違っていないわ。リスクの観点からすると資産の分散は正しい。ひとつがダメになっても、残りがカバーしてくれる。ただし」
資産が巨万の場合だ。
「万が一金融機関が破綻しても預金は預金保険法と預金保険機構で一定額まで保証される。その額を越えていないなら、資産の分散化は害悪よ」
桔梗にはそんなお金あるのかしら? と挑発的に華薔薇が詰め寄る。
「……です」
「えっ、聞こえない」
「ないです!」
高校生だから貯金はしていないと豪語したのだ、資産があるわけない。
いくら正しい知識を持とうとも、全体の一部なら意味がない。関連する知識を塊で持って始めて活かせる。無知はダメだが、中途半端もダメだ。
「複数の口座を持つと、それぞれの数字を正確に把握しないの。数が多くなると吟味しないで、大まかに計算してしまう。大概は実際よりも大きく見積もってしまう。するとお金が残っていると勘違いして、余計に使ってしまう」
そして、実際の貯金額を確認して絶望する。
特にクレジットカードなどが当てはまる。後払いだから使った金額と残金に一時的に差が出る。何にどれだけ使ったか、正確に覚えることはできない。
商品の金額はおおよそで計算して低く見積もり、残高はこれくらいは残っているだろうと高く見積もる。
明細が送られて来て始めて真実という名の絶望を知る。
「使いすぎを後悔して、来月は節約すると誓う。誓うのはいいけど、実際には来月も同じように使いする」
「いやいや、誓ったんなら実行するでしょ。気を付けたらなんとかなるっしょ」
気を付けるだけで、何かを成せるなら苦労はない。お菓子を食べようとして、つい手を伸ばした後、太るからと止めることができるのか。
面白いゲームをしていて、明日寝不足になるとわかっていて、途中で止められるか。
人間は誘惑に弱い。気を付けるだけでは効果はない。
「桔梗は新年の豊富は立てたかしら? そして、その内容は覚えているかしら? さらに、その内容を実行しているのかしら?」
「…………です」
「えっ、聞こえない」
「……覚えてないです」
新年の大事な豊富でさえ簡単に忘れる。つまり実行できていない。なら貯金もできない。
「貯金のスタートは資産の把握から」
口座を一口にまとめて、自分の持ち合わせの総額を知ることが大事だ。一口だと比較が容易だ。先月からの増減が一目瞭然だ。
「貯金に決意は必要ない。やるのは自動化と明確化よ。自動的に貯まる仕組み作りと貯金が成功したか失敗したか明瞭にすること」
これで十分よ、と華薔薇は不敵な笑みを浮かべる。
貯金に限らずコツコツやる必要があるものは自動化してしまえば、大体問題ない。
「くかぁ、なんだよそれ、そんな簡単なことでよかったのかよ。俺も貯金して、将来ウハウハだ」
ある日の放課後。桔梗は懲りずに誰ともしれない悩み相談を持ち込んでいた。
「貯金したら」
一言で済まそうとする華薔薇。
「いや、それができないから困ってるんでしょ。貯金できたら相談なんてしないよ。いわゆる貯金のやり方を教えてほしい、っていう相談だろ」
華薔薇が貯金の方法に思い至らない訳がない。だが、相談の内容には一切貯金の方法が知りたいとは一言も触れていない。
聞かれてもいないことを語るのはお節介だ。教えてほしいなら、相応の態度が必要だ。いきなりやって来て高圧的な態度で話しかけられて『はい、わかりました』とはならない。
少なくとも丁寧な言葉とお願いしますがないと聞く気にならない。
そもそも華薔薇が相談に乗る理由がない。雑談部は面白おかしくお喋りする部活。赤の他人の相談に乗る部活ではない。
「桔梗は深読みしすぎよ。お金が貯まらない、という事実はあっても、貯金したいかどうかは別の話」
「誰だってお金はほしいだろ」
お金がいらない人は確かに少ない。でも貯金は別の話。稼いだ分だけ使う、いわゆる宵越しの金は持たない性格の人は一定数いる。
残念ながら天国だろうと地獄だろうと、お金は持っていけない。持っていけないなら使った方が有益だ、と考える。
「なんだよ、刹那的な生き方じゃん。稼げなくなったら、一気に破滅まっしぐら。何かあった時のために貯金はした方がいいだろ」
「死ぬまで稼ぎ続けたら問題ないわね」
亡くなる直前までお金を稼げるのなら何も問題はない。
「年老いたら体は動かないし、怪我だってするかもしれないだろ。死ぬまで稼ぎ続けるのは無理だろ」
だから貯金は大事、と桔梗は貯金の有用性を念押しする。
「だったら、桔梗は貯金しているのよね?」
「ぎくっ!?」
「あれあれ、貯金は大事と散々語っておいて、まさか自分は貯金してない、なんてことはないわよね。自分がやってないことを、恥知らずにも堂々と推奨してたなんて、あってはならないことよ」
本当に大事なら実践しているはずだ。桔梗も高校生である、分別がつくくらいには大人だ。
自分が行ったことのないお店を、誰かが素晴らしいと絶賛していたと語るようなもの。信憑性は低い。
「いいだろ、まだ高校生なんだし。いくらでも機会はある」
何も問題はないと開き直る桔梗。
「バカね、今できないことは未来になってもできないのよ。心の痛みは時間が過ぎれば直るけど、貯金のような行動が伴うのは時間がいくら経っても解決しないわよ」
高校生だから貯金しなくていい理由にはならない。高校生でも貯金している人はいるし、なんなら自ら稼いでいる人もいる。
「嫌だ、貧乏は嫌だ。華薔薇、どうしたらいいんだ」
「貯金したら」
「それだと解決になってないよぉ」
「じゃあ、ファイナンシャルプランナーにでも頼んだら」
「そんな金があるわけないだろ。貯金の仕方を教えてください、お願いします華薔薇様」
桔梗が誰かの悩み相談を持ってきた段階で雑談部の活動内容は決まっていたも同然。華薔薇は貯金について雑談を始める。
「まず始めにするのは引き出せない口座にお金を送ることね」
物理的に隔離することで使えなくする。一定の期間、もしくは一定の金額まで貯めないと引き出せないシステムを活用する。
使いたくても使えないようにしたらいい。
「リバースアザレアが高校生なら、銀行口座も作れるでしょ。はい、解決」
「えっ? それだけ」
「お小遣いか、バイト代か、給料かカツアゲか知らないけど、勝手に貯金するシステムにしたら、後はやることなんてないわよ」
優秀なシステムを活用して、自動的に貯金する。貯金を意識せずに貯金できるのだから、考える必要がない。
「でもさ、いきなりそんなことして大丈夫か? 使える金が減ったら大変そうだけど」
「大丈夫でしょ。お金がないならないで、なんとかするのが人間よ」
後からお金がないと言われるのでなく、最初にお金がないと言われたら、使い道を吟味する。むしろ本当に必要なものだけにお金を使うので、いらないものを買わなくなる。
お金が貯まって、余計なものを買わなくなる、一石二鳥だ。
「1ヶ月を、1万円で乗りきるテレビがあったように、工夫すれば生きていくのに、そんなにお金はかからないのよ」
華薔薇から見たら同級生は無駄遣いばっかりしている。もっと他のことに使ったらいいのに、と常々思っている。
「そうは言っても、友達付き合いとかあるし、簡単にはいかないだろ」
「何それ、桔梗はお金がないと友達できないの? 本当に友達ならお金がなくても友達でしょ。金の切れ目が縁の切れ目なら、お金を使う前に切りなさい。無駄な交友関係は害悪よ」
華薔薇と桔梗の間に金銭のやり取りはない。放課後に面白おかしくお喋りする友好的な関係だ。
華薔薇が桔梗から相談料を巻き上げたり、華薔薇が部員確保のために袖の下を送ったりすることもない。それでも両者の関係は友好的だ。仲良くなるのにお金は必要ない。
「断れないかもしれないし、友達と遊ぶの楽しいじゃん」
簡単には引き下がらない桔梗。また主張も一理ある。
「そうね、先輩からの誘いを断るのは失礼かもしれない。だったら、最初から誘われないようにしたらいいのよ」
「そんなことできるのか?」
「とっても簡単よ。先に宣言したらいいのよ、貯金していることを」
貯金していることを宣言すれば、お金がかかることには誘われなくなる。もし誘われたら、誘った方が貯金を邪魔する悪者になる。
「言いたいことはわかる。確かに金欠の奴を誘うのは抵抗がある。でも断ってばっかだと、印象悪くなるぞ」
「別に全部断る必要はないでしょ。お金がかからない誘いは乗ればいい。なんなら自分から提案したらいい」
お金のかからない付き合いというのが桔梗には思い浮かばない。
「あるでしょ、学生には。定期的に訪れる試験が。勉強を教え会う名目で家にでも誘えばいい。勉強会という大義名分があれば、遊ぶことができない」
自宅なら予想外の出費も起こらない。勉強していることを怒る親もいない。
「なるほど、勉強なんて嫌だから、脳裏を掠めもしなかった」
「それにお金のかからない娯楽は現代には溢れかえっているし、工夫次第で楽しめる」
桔梗の頭の中には楽しいことがイコールでお金がかかると紐付けられている。カラオケ、ボーリング、遊園地などの施設がパッと思いつく。
「何を呆けた顔をしているの。桔梗は睡眠不足になるくらいに、楽しいことを知っているじゃない」
「うぐっ!」
無料のゲームで楽しめるものはいくつもある。その中には協力プレイできるものもある。繋がりを保つには十分だ。
多少付き合いが悪くなってもすぐに縁が切れることもない。毎日挨拶していれば忘れない。ご無沙汰になったら旧交を暖めればいい。存外人と人の縁は切れない。
「意外にお金がかからないのはよくわかった。他にさ、貯金をブーストするような方法も教えて。華薔薇なら知ってるだろ、なあなあ」
「なんだかんだ言っても、使っちゃいそうだしね、桔梗とかは」
「ソンナコトナイヨ……」
説得力のない言葉ね、と呆れる。図星なのが丸分かりだ。もらったお年玉を貯金すると宣言したはいいが、欲しいゲームがあって手をつけた経験でも思い出したのだろう。
「お金との距離を離すと判断が変わるという研究を紹介しましょう」
「距離を離す、って何? 遠くの銀行に預けるのか」
「その通り、正解よ」
2013年、社会心理学者サム・マグリオの調査より。
人がお金の判断を下す際に、お金が物理的に近いか遠いかで判断に違いがあるかを調べた。
ニューヨーク居住者に意識調査のアンケートを実施した。そのお礼として宝くじを進呈した。
宝くじの当たりの確率は100分の1。賞金は50ドルで、当選したら特別口座に振り込まれる。
宝くじに当選しても賞金を受け取らなくてもよくなっている。
当選者の半数は居住地のニューヨークの銀行で口座を開くと言われ、もう半数は約4000キロメートル離れたロサンゼルスの銀行で口座を開くと言われた。
さらに当選者は50ドルをすぐに受け取るか、3ヶ月口座で眠らせた後に65ドルを受け取るかを選べる。(お金を受け取るのは地元の銀行)
結果はニューヨークの口座に振り込まれますと言われたとき、3ヶ月待って65ドル受けとるのは全体の49%だった。
しかしロサンゼルスの口座だと3ヶ月待つ人は全体の71%になった。
「わざわざ現地に行く必要なく、地元で引き出せるのに、お金をほったらかしにする人は増えるのよ」
地理的な距離が心理的な障害になる。距離が遠いと感じると手をつけにくくなる。オンライン化でどこにいても引き出せるのに、お金そのものが遠くにある気がするのだ。
「遠い銀行の口座にすれば、引き出し難くなるかもね」
あくまで心理的な障害が増えるだけ。絶対に貯金が成功する技ではない。
技術の進歩で物理的な距離は感じにくくなっている。これから先、どこまで効果があるかは保証できない。
「そんなことでいいのか。今すぐ口座を変更した方がいいかな。どれくらい離した方がいいのかな」
「さあ、そこまでは知らないわ。離しすぎて困るものでもないでしょ」
気にすべきは手数料だ。口座を移管して増える金額よりも、手数料の額が大きいなら意味がない。
手数料負けするなら、本末転倒だ。
「宇宙銀行とかないかな、宇宙だったらめっちゃ遠いし」
距離が離れている場所にあると思えればいい。ただし貯める場所が実際に存在しないといけない。
「なあなあ、他にもないのか、貯金の方法」
人類とお金は切っても切れない関係だ。お金にまつわる実験や調査は無数にある。
「そうね、新しく口座を開こうとしている桔梗にアドバイス。口座は複数持つより一口にしたほうがいいわ」
「うっそだー。俺は聞いたことがあるぞ、複数の所に分けたらリスクの分散になるだろ。知ってるぞ」
普段なら頓珍漢な答えなのに、珍しく真っ当な答えに目を見開いて驚く華薔薇だった。
「驚いた。珍しく、間違っていないわ。リスクの観点からすると資産の分散は正しい。ひとつがダメになっても、残りがカバーしてくれる。ただし」
資産が巨万の場合だ。
「万が一金融機関が破綻しても預金は預金保険法と預金保険機構で一定額まで保証される。その額を越えていないなら、資産の分散化は害悪よ」
桔梗にはそんなお金あるのかしら? と挑発的に華薔薇が詰め寄る。
「……です」
「えっ、聞こえない」
「ないです!」
高校生だから貯金はしていないと豪語したのだ、資産があるわけない。
いくら正しい知識を持とうとも、全体の一部なら意味がない。関連する知識を塊で持って始めて活かせる。無知はダメだが、中途半端もダメだ。
「複数の口座を持つと、それぞれの数字を正確に把握しないの。数が多くなると吟味しないで、大まかに計算してしまう。大概は実際よりも大きく見積もってしまう。するとお金が残っていると勘違いして、余計に使ってしまう」
そして、実際の貯金額を確認して絶望する。
特にクレジットカードなどが当てはまる。後払いだから使った金額と残金に一時的に差が出る。何にどれだけ使ったか、正確に覚えることはできない。
商品の金額はおおよそで計算して低く見積もり、残高はこれくらいは残っているだろうと高く見積もる。
明細が送られて来て始めて真実という名の絶望を知る。
「使いすぎを後悔して、来月は節約すると誓う。誓うのはいいけど、実際には来月も同じように使いする」
「いやいや、誓ったんなら実行するでしょ。気を付けたらなんとかなるっしょ」
気を付けるだけで、何かを成せるなら苦労はない。お菓子を食べようとして、つい手を伸ばした後、太るからと止めることができるのか。
面白いゲームをしていて、明日寝不足になるとわかっていて、途中で止められるか。
人間は誘惑に弱い。気を付けるだけでは効果はない。
「桔梗は新年の豊富は立てたかしら? そして、その内容は覚えているかしら? さらに、その内容を実行しているのかしら?」
「…………です」
「えっ、聞こえない」
「……覚えてないです」
新年の大事な豊富でさえ簡単に忘れる。つまり実行できていない。なら貯金もできない。
「貯金のスタートは資産の把握から」
口座を一口にまとめて、自分の持ち合わせの総額を知ることが大事だ。一口だと比較が容易だ。先月からの増減が一目瞭然だ。
「貯金に決意は必要ない。やるのは自動化と明確化よ。自動的に貯まる仕組み作りと貯金が成功したか失敗したか明瞭にすること」
これで十分よ、と華薔薇は不敵な笑みを浮かべる。
貯金に限らずコツコツやる必要があるものは自動化してしまえば、大体問題ない。
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