上 下
1 / 1

泣き顔見せて、お母さま。

しおりを挟む


ーーーガシャン!

 投げ付けられた花瓶は、無惨に砕け散った。冷たい板貼りの床にゆっくりと水が広がっていく。ヌメりのある汚い水に、渇ききって茶色くなった薔薇の花びらが浮く。

「アンタなんか……。」

 今にも降り出しそうな曇り空が見える窓を背に、髪を振り乱して女は叫んだ。

「……アンタなんか、産まなきゃ良かった!!!」




。。。





……………

……………

……………。








「……………は?」

 このタイミングで前世を思い出す奴がいるだろうか。実の母親に『産まなきゃ良かった』宣言されるそのタイミングで。

「アンタを産んでから散々な人生よ!私は顔が良ければ誰でも食ってきたわよ。産むつもりなんてなかった!公爵様の子ども産んだら玉の輿乗れると思って産んだのに、何よ!アンタは女だし、」

 自分の状況がよく分からない。なんでいきなり罵倒されてんの?

 ……いや、状況ならよく分かっている。

 ヘルジダール公爵の愛人の娘。それが私。
 10年前、公爵様が鷹狩の際に立ち寄った村の宿で、当時看板娘だった私の母親・メルル。メルルの愛らしさと鷹狩の興奮も相まって、捕食欲(笑)が高まったのだろう。公爵は正妻がいるにも関わらず、看板娘に手を出してしまった。で、その時に出来たのが私ってワケ。
 公爵様は自分の領地に帰り、看板娘は妊娠と出産を経験。宿を経営する両親に支えられつつ、近所の男どもにチヤホヤされつつ、田舎でひっそりと公爵の落とし胤を育てていた。それなりに、というか普通に暮らしていたと思う。

 ……事件が起きたのは去年のことだ。
 9年も前に一度抱いた女を急に思い出したらしく、公爵様が元看板娘に会いに来たのだ。後から聞いた話だが、この頃公爵様は、正妻と世継ぎのことで絶賛喧嘩中だったらしい。公爵様が「世継ぎとか関係なく気持ち良くなりたい」とかほざいてたのを聞いたことがある。
 



 悲しいとか、ショックとか。そんなものより先に、怒りが沸く。そして、だからこそ、反射的に言ってしまった。




「そんなん、こっちだって『産んでくれ』なんて一言ひっとことも頼んでないんですけど???」


「ぇ……………?」
地団駄を踏んでいた母親は、娘のいきなりの反撃に固まってしまった。

「『産まなきゃ良かった』なんてさ、私に言われても困るんですけど?ねぇ知ってる?受精卵に意識は無いんですよ。こっちが産まれようとして産まれるワケじゃないの。てか産みたくなかったんなら、堕ろせば良かったんじゃないの?娼婦って堕胎剤?とか持ってるんじゃないの?ねぇ。」

「」

「……あっは♡」

 その顔!公爵様をオトした愛らしくも色っぽい、その顔が。私によって、涙でぐちゃぐちゃになっている。

 齢10にして、いや、前世も含めたら40にもなる私は、性癖が歪み切っていた。

「泣き顔かっわい♡♡♡」




しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...