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番外編2 父はずっと『まて』をしています
しおりを挟む陛下と王妃様については、陛下の体調が良ければたまに訪れはあるが、父上が離宮を訪問すると言うのは政治目的がなければ訪れることなどない。珍しことだ・・・しかも、こんな時に?
「あらあら、あの人は本当にそういう嗅覚だけは、鋭くて本当に嫌だわ。」
レティと一緒に生地を選んでいた貴婦人は、微笑みながらもその声には歓迎の色は全くなかった。
しかも、失礼いたしますと殿下に退室の挨拶をしたと思うと何もない壁に向かって行く。
室内のみんなが静かに見守る中、彼女が近寄ると何もないはずの壁から扉が現れ触れることなく戸が開いた。
それを誰一人として驚くことなく見守る中扉を潜った後、現れた時と同じく何事もなく壁となった。
そして、そのタイミングを待っていたように陛下と王妃様、宰相である父上が扉の向こうから現れた。
今度は皆に合わせて、臣下の礼で頭を下げて陛下を迎える。
「やあ、突然にすまないねぇ。」
「お加減は、いかがですか、兄上?」
にこやかに王妃様の手を取り、礼はいいよと柔和な声で答える。
その顔色は良く、ヴィクター殿下とレティが進めたソファーまでの足取りもしっかりしている。
「ハハッ!見ての通りとても良いよ。
これもすべて、レティシア嬢のおかげだね。」
陛下の明るい声に、楚々と静かに控えて微笑む王妃も陛下と目を合わせて頷く。
王妃様は、幼少より陛下との婚約を定められた政略結婚で結ばれた二人なのだが、長年お互いを支えあって信頼関係を築き、恋愛結婚で結ばれた熟年夫婦のような貫録を出している。
ただ仲が良いだけの夫婦ではない。
愛し合うだけじゃない、強固なる信頼をお互いが持ち、唯一の相手として思いあっている。
我が国で理想の夫婦と、代名詞にされるほどの国王夫妻。
「“聖女の花”が離宮で咲いてから、この王宮はいつも清浄な空気に包まれて、レティシア嬢が毎朝かけてくれる癒しの術に包まれているようだよ。」
「寝ているときも、最近はとても呼吸が楽なようでよく眠れているのよ。」
ねぇっと、また微笑み頷きあう二人。
熟年夫婦のようであり、仲睦まじい若い夫婦の様でもあるこの国至高の夫妻。
確かに、ここ幾分か陛下の顔色はすこぶる良い。
レティが聖女となった時より、先代王からの要請によって、毎日陛下に癒しの力を使っていた。
最初のころは神殿から通っていたので朝一度しか癒しを使えなかったが、殿下と婚約して王宮内の離宮に移ってからは朝夕と癒しを使っていた。それでも、陛下の体調は、すこぶる良くなるということはなかった。倒れることがないという位で、少し無理をすればすぐに息切れを起こいていた。
それが『聖女の花』が咲いた祝福なのか、陛下の体調が驚くほどよくなったのだ。全快というわけではないと、主治医はいうが今までとは全く違う。
もともとが喜怒哀楽の、“怒”“哀”を出すことのない、柔和で優しい性格の人物であったが以前にもまして笑顔が見える。
歩くだけで息を切らしていた陛下は、どれだけ顔色が悪くとも笑顔だけは保っていた。それが今では、上気した顔色の良い頬で庭園を散歩すれば庭師に声を掛けて花々の育成について聞き、身の回りの世話をしてくれる女官や侍女に感謝を述べ、指示を伝えるだけしかできなかった文官には事細かな意見を聞き、昨日はついに今まで王城の中で一番離れている武闘場に足を踏み入れ騎士や魔術師の演習を見学された。
去年までの陛下では、考えられない元気な姿を見せている。
特に幼少時期以来だという演習場などは、若い騎士たちが挙って陛下にいいところを見せようといつもよりも気合が入った模擬試合をした。
陛下も騎士たちに声を掛けるなど、とてもいい雰囲気だった。
その陛下夫妻の優しい微笑とは真逆な、我が父上の鋭い視線はどうだろう。
娘の住まいとはいえ、この国に二人といない聖女の離宮だ。
いつもはあまり近寄って来ないにも関わらず、入った時から眉間に深い皺が寄っていた。
勿論、普段からも眉間にしわを寄せているが、今日の父上は皺に加えて視線も鋭い。
女性の室内だというのに、視線を部屋の中隅々まで見ている。
まるで不審者を捜しているような・・・まさかな?
「宰相殿、女性の室内をそのように見るものではありませんよ。」
父が一点の壁に視線を止めて、睨むように見つめている。
猜疑心に満ちた視線は、ソファーで寛いでいる王妃様も顔を顰めるほど。
確かに、女性の部屋を舐めるように見るのは褒められたものではない。
「そうだよ、宰相、お茶も入ったし君もこちらにきたまえ。」
陛下からの声がかかれば否とは言えず、侍女が入れ替えて用意された席に着く。
「・・・・・・さっきまで、誰かいたのですか?」
センターテーブルに置かれた、カップを手に取ることなくレティに余所余所しく堅苦しい声で聞いてくる。
家族としての交流など俺以上に皆無な、レティと父上。会話をしているところをみるのは久方振りだ。
そしてレティに聞く内容に俺は硬くなる。
「ええ、いましたわ。」
父上の言葉もだがそのレティの返答に背筋がヒヤリとし、にっこりと微笑むレティに俺は戦慄する。
「それはっ」
「さっきまでこの生地見本を持ってきていた商人やお針子たちが入れ代わり立ち代わりで、やっと息をついたところでしたのよ。
それが、どうかしまして?」
「はっ?」
レティの答えが思ったものでなかったのか、眉間にしわが寄ったままの厳めしい顔のまま口をぽっかりと開けた顔は、面白いよりも恐怖だ。
その顔を見ながら、陛下も妃殿下もくすくす笑っている。
父上の質問した意図するところはちがうと、わかっているのかいないのか読めないまま父上とにこやかに対峙するレティはすごいと純粋に思う。
本当に変わったなぁ。
昔は二人で一つのように、お互いの気持ちが手に取るようになったというのに、ここ最近は読めないことが多い。
拗らせた長い思春期を得て、お互いが大人になったということなのだろう。
もう姉弟二人が支え合うという必要はない。
レティは、殿下が支えてくれる。
そして俺が支えるべき女性は、クラウディアという最愛の人だ。
・・・・・・俺も来る日にそなえて、父上に対抗できるようにならないとな。
「いや、私が聞きたいのはそういうことではなく」
「ではなんでしょうか?
申し訳ございませんが、お父様の言わんとするとこがわかりませんわ。
何が知りたいのか、はっきりとおっしゃってくださいな?」
気を取り直して、レティに詰め寄るがそれを軽くいなす。
殿下もレティの横でうんうんと頷き、肩に手をまわしてわかりませんと続く言葉に笑顔でこたえている。
父上は、グっとこぼれた声だけで次が出てこない。
出てこないのではなく、言わないのだ。
何がききたいのか、俺たちはわかっている。
分かっているが答えてやらない。
なぜなら、父上が聞きたい客はここにはいないはずの人だから。
だからそれ以上の言葉はなく、出された茶を飲み干すと次の予定があるのでと仏頂面のまま退出の許可を求めた。
それに陛下も許可を出すと、もう一度部屋の中を見渡していくつか目にとめながら何も言わずに出て行った。時間にして滞在は5分あっただろうか?
いったい何しに来たのか。
曰く、父上は異様な嗅覚の持ち主だという。
人が見つけてほしくないものを、探す方の・・・
思えばクラウディアからの手紙や贈り物が届くときに、ことごとく居合わせる人だった。
宰相という、国の政治中枢を支える役職としては政敵や反意に敏感に反応できるすごい才だ。
だが家族としては、厄介。
家族であっても秘密にしたいことの、ひとつやふたつくらいある。
ましてやこの人は、秘密を暴く処かこちらが預かり知らぬ間に処理されてしまっていた。
クラウディアからの手紙。
あれがきちんと手元にあれば・・・
毒に倒れたクラウディアのもとに、レティを見舞いに向かわせるように仕向けたのは父上だったようだ。
俺は辺境伯の令嬢を誘い出す餌にされた。倒れたクラウディアと俺の婚約が破棄されると噂が出ていて、あの令嬢は早々と婚約の打診をしてきたらしい。
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宰相補佐官筆頭として、後処理でなにがあったか表向きなことは徐々に明らかになり知ったが俺は父上のようにはなれない。
否、なりたくない。
ヴィクター殿下の治世には、父上のような人は不要と言われる世にしたいものだ。
「陛下、父が失礼をしました。申し訳ございません。」
父上が部屋からでて、俺は陛下のそばに行き詫びた。なにをしについてきたのかは知らないが、主君と来たのにそれより先に退出するとはあまりいいことではない。
ましてや、この空気。
「よいよい。忙しいと知りつつ誘ったのは私だ。」
苦笑いをうかべながら、話す陛下の内容に驚く。
普段から、寄り付かない離宮。
親子の交流の切っ掛けになれば、と思ったらしいが・・・
「以前より、此方をひどく気にかけていたからねぇ。
そろそろ、その時期じゃないかなと思ったんだよ。」
「僭越ながら、それはいらぬことでございます。」
本当に失礼な物言いだが、その言葉に驚くよりも出てきた場所に驚く。
先程、壁に出来た扉を潜った貴婦人が、気が付けば俺の隣に来ている。
音も気配もなく気が付かなかったことに・・・
いつの間に戻ってきたのか、この部屋には不思議な魔法が施されている。隠し扉もどこと言う訳ではなく、あらゆるところに現れるらしい。
「ああ、すまないなぁ。お節介だとはわかっているのだけどね・・・」
「まぁあの人は、陛下にとって兄のような存在ですから・・」
俺の横で優しい微笑みで陛下を咎めるでないが、それでも苦々しさは伝わってくる。
陛下も身分に見合わず軽く謝りながら、俺の隣の女性に対して親しそうに笑っている。
「全く、お父様もその異常な嗅覚でお母様の求めていることをすればよろしいのに。」
レティの容赦ない嘲りを含んだ言葉に、俺としても同意をせざる得ない。
そして、ふふふっと微笑んでいても怒りを隠せない隣の貴人女性、ヴィンセント侯爵夫人。
「侯爵夫人もこのままと言う訳にはいかないでしょうに・・・」
王妃様の言葉にも笑顔を浮かべるだけ。
貴婦人の嗜みらしい、美しい微笑み。
それは、レティにも似ている。
否、レティに似ているじゃない。レティがこの人に似ているんだ。
そして、それは俺も・・・
「母上は、王都の屋敷に戻る気は?」
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それは・・・
「あの人が、額を地面にこすりつけて謝ってもお断りよ。」
それは穏やかな優しそうな声ながら、そこに含まれる怒りはすさまじく、室内はブリザートが吹き荒れた。
女神のような美しい顔、角度によってブルーにも見えるグレーの瞳。流れる清水のごときの艶やかな青い髪。
もうすぐ結婚するような子供を持つとは到底信じられない美しい女性。俺とレティの美しいと言われる原点がそこにある。
「お母様・・・」
母上・・・
母上の返事をやっぱりと思う。
俺とレティを20年前に生んだ人。
そして、長い長い夫婦喧嘩をいまだに続けている人。
「エド、貴方はああはならないようにね。」
此方を向いて忠告する顔は、俺の記憶の母よりも恐ろしかった。
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