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47. 言えなかった言葉 sideマルセル
しおりを挟む幼い頃、自分に兄がいると聞いて純粋に嬉しかった。
将来の夢は、王弟として外交を担い、船であちこちの国へ行くこと。
俺は海が好きなのだ。一度だけ見た、あのどこまでも広がる青を今も鮮明に思い出せる。
でもエレアノール姉様と出会って、海よりもっと胸を高鳴らせる存在があることを知った。
姉様は誰よりも綺麗だ。儚げに見えるけど芯が強くて、何でもできて優しくて。そんな姉様がお嫁さんになってくれるなら、二度と海が見られなくたって構わない。
だから何度も祈った。
兄上が見つかりませんように。兄上が――死んでいますように。
なんて醜悪な願い。
でも、切実だった。
一方で、俺は姉様の前ではひたすら弟に徹した。勉強や公務もほとんど真面目にやらなかった。
だって姉様に好かれる努力をしても、足場を固める努力をしても、兄上が帰ってきたら結局すべて取り上げられる。
それはつまり、努力すればするほど深く傷つくということだ。
だから逃げた。逃げて、逃げて、逃げ続けて――そんな自分がすごく惨めだった。
しかも、逃げたツケというのは必ず自分に返ってくるものらしい。
おかしな女に体を乗っ取られ、混乱から怒り、絶望、そして諦念へと感情が移り変わった頃、俺はヴァルケルで兄上と出会った。
兄上は、その目に姉様と同じ光を宿していた。ヴァルケルの新王や侯爵も、姉様の周りに居る人はみんなそうだ。彼らの目には、大切なもののために己を奮い立たせ、必死に努力するひたむきさがあった。
それに比べて俺はどうだ。姉様のおかげで体を取り戻してからも最後の最後まで惨めなまま、無様に喚き散らしては後悔ばかりしている。
兄上が帰ってきてもあなたの手を離したくないのだと、一度でいいから伝えればよかった。
たとえすべて失うのだとしても、もっと必死に努力すればよかった。
そうすれば、少なくともあなたの前で胸を張っていられた。
でも、どんなに後悔してももう遅い。
二度とやり直すことはできないんだから――
両親はみっともなく泣き崩れる俺を抱きしめて、辛抱強く話を聞いてくれた。
父上は、過ちを認めることも強さだと俺の背を撫で、そして反省もいいが、まずは今まで苦しみながらも必死に足掻いてきた自分を褒めてやりなさいと言った。
母上は、自分のことが嫌いになるような逃げ方はするなと俺を叱り、でもお前のそんな愚かさすら愛しいのだと言った。
今まで、自分は兄上の代用品にすぎないのだと思って生きてきた。
事実、俺は兄上のスペアだ。
でも、だからといって愛されていないのだとは、もう思わなかった。
それから俺たちは、これまで話せなかったことや共有できなかった思い出を語り合うように、さまざまな話をした。
その中には、兄上の神威の話もあった。
「父上は姉様を殺してしまったの!? ……本当に?」
「そうだ。そなたの兄は恨んでいないと言ってくれたが、私とイザベルが考えた名前はやはり受け取ってもらえなくてね。たしかに『ノックス』も良い名だ。きっと養父にもらった大切な名なのだろうな」
兄上は神威の力で時戻りをして、二周目の人生を歩んでいるらしい。
誰かを守るために人生をやり直し、イシルディアの王子という身分すら捨てる……俺なら果たしてそんなことができただろうか。
「そうか……じゃあ、あの二人は結ばれるべくして結ばれたんだね。それに、父上がもし姉様を殺さなかったら、俺は存在すらしていなかったってことか……」
母上に「生まれただけ儲けものではないか」と言われたときは凄く腹立たしかったけど……俺って本当にたくさんの奇跡が積み重なって生まれたんだな。
「……たしかに、生まれただけで儲けものなのかもな」
「っ! うぅ……よ、よがっだぁぁぁ!!」
俺の呟きを聞いた母上が、とめどなく涙を流しながら「生まれないほうがマシだったなんて二度と言うな!」と抱きついてくる。
鼻水べちょべちょの顔を俺の肩になすりつけようとする母上をなんとか阻止しながら、俺は奇跡的に得たこの人生を、もっと必死に生きていきたいと思った。
だから、もう逃げたりしない。
服が鼻水だらけになるのを阻止できなかった俺は、締まらないなと思いつつ、でもこれが俺なんだなと受け入れることにした。
思い描いていた姉様との未来がなくなったことは、やっぱりまだ受け入れ難いけど。それでも前を向いて――
◇ ◇ ◇
兄上の立太子式当日は、憎らしいほど晴れ渡っていた。
高らかにラッパが鳴り響き、遠くからは民の歓声が聞こえる。
父上が厳かに王太子任命の口上を述べると、兄上は続いて前に進み、威風堂々と貴族たちを見回して口を開いた。
「ノックス・セルヴィオ・イシルディアだ。私は――」
その一言を聞いた瞬間、父上ははっと息をのみ、それから感極まったように目頭を押さえた。
姉上も頬を上気させて喜んでいる。
父上とイザベル様からの贈り物である『セルヴィオ』という名を受け入れた兄上の姿は、どこか誇らしげで、俺には眩しいほどだった。
……ほんと、いいとこ全部持ってくよな。
俺だって今日に向けて立ち居振る舞いを学び直し、髪も短く刈り上げて、少しは成長したところを姉様に見せようと思っていたのに。
でもまあ、姉様が嬉しそうだからいいか。
俺は俺のできることをやるだけだ。
このあと俺は、壇上に上がって王太子の象徴たる宝剣を兄上に譲渡することになっている。
顔を上げ、胸を張って歩くこと。俺にできるのはまだそんなちっぽけなことだけだけど、姉様は「とても立派だったわ、マルセル」といって頭を撫でてくれるに違いない。
だって俺は姉様の……かわいい弟なんだから。
滲みそうになる涙を堪え、静かな覚悟を胸に刻む。
俺は、あなたに言えなかった言葉を抱えたまま生きていく。
その痛みと後悔を糧に、いつか誇れる自分を目指して――
そして俺は兄上のいる壇上へと、最初の一歩を踏み出した。
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