44 / 50
44. マルセルの苦悩
しおりを挟む「ふざけるな! 今さら帰ってきて、王太子の座もエレアノール姉様も譲れなどと、受け入れられるものか!」
とっさに振り返ると、目に涙を浮かべたマルセルが真っ赤な顔で拳を震わせている。
しかしマリアン王妃陛下は、先ほどまでのノックスへの態度が嘘のように、冷たい目でマルセルを睨んだ。
「何を言っているのだマルセル。兄がいつ帰ってきてもいいように心の準備をしておけと言っておいたであろう」
マリアン王妃陛下の様子からして、マルセルはきっと幼い頃よりずっとそう言い聞かせられてきたのだろう。
正直に言うと、私はマルセルがそこまで王太子の座や私に固執しているとは思っていなかった。むしろ、普段の態度から本当は王太子になどなりたくなかったのだろうと思っていたし、私に対しても弟のように接してきたから、このままノックスが立太子することになっても大事にはならないと思っていたのだ。
でも、マルセルの悲しそうな目を見る限り、それは間違いだったのだろう。
「マルセル……」
「こいつの席を守るためだけに生まれて、用なしになったら捨てられて、俺は一体何なんだよ……!」
マルセルの叫び声が胸に突き刺さる。
彼はずっと自分の立場や扱われ方に苦しんでいたのか。事情を知らなかったとはいえ、私は彼の苦しみに少しも気づいてあげられなかった。
私はもうノックス以外と結ばれることなど考えられない。けれど、傷ついたマルセルをこのままにもしたくない。私はどうすればいいのだろう……
「何を言っている? お前は第一王子殿下の席を守るために生まれるか、生まれないかの二択だったのだ。生まれただけ儲けものではないか」
悩む私とは違い、マリアン陛下は何が問題なのかと呆れかえった様子でため息交じりに答えた。
母の冷たい言葉に、マルセルが地団駄を踏んで声を荒げる。
「こんなことなら、生まれないほうがマシだったよ!! エレアノール姉様が他の男のものになるのを見るなんて絶対に嫌だ!!」
生まれないほうがマシだった――その言葉で一気に空気が沈む。
けれど、マリアン王妃陛下は怒髪天を衝く勢いでマルセルを怒鳴りつけた。
「愚か者め! では聞くが、お前は第一王子が戻ってきたとて王太子たり得るのはお前だけだと、周囲が声を上げるほど努力したと言えるのか!!」
マルセルが目を伏せ「わ、わかってるよ、でも……」と小さく呟く。
マリアン王妃陛下は深いため息をつくと、顔を俯かせるマルセルに失望の目を向けた。
「……我々が知らないとでも思ったか。お前はエレアノールなくしては王太子にはなり得ない凡庸な王子だと噂されている。その姿は、お前が意図して作り上げたものであろうが」
マルセルはびくりと肩を揺らし、顔を俯けたまま震え出した。
どうして彼は、マリアン王妃陛下の言葉を否定しないのだろう。
……まさか、本当に?
「お前は勉強を怠り、公務を怠り、エレアノールにすべてを押しつけた。逃したくないからと、必要以上の重荷を課し続けたのだ! 本来ならば支え合うべき立場のお前が!! それで他の男に取られたくないなどと、笑わせるな!!」
マリアン王妃陛下に叱責されたマルセルは、堰を切ったように泣き崩れた。
少なからずショックだった。私のあの苦しい日々は、マルセルが意図して作り上げたものだったのか。
酷い、どうしてとなじりたい気持ちもある。だってマルセルは、忙殺される私の姿を見ていたではないか。
けれど、泣きじゃくるマルセルに幼い頃の泣き虫だった姿が重なり、責める気持ちはみるみる萎んでいった。
そんなことよりも泣き止ませてあげたいと思ってしまう。困ったところもあるけれど、やはり私のかわいい弟だから……
しかし、慰めようと伸ばした手は、マリアン王妃陛下に掴まれてマルセルには届かなかった。
「エレアノール、あやつのためにも甘やかしてくれるな」
マリアン王妃陛下は銀の目に陰りを宿し、静かに私を見つめている。
「そなたには申し訳ないことをした。私は、息子が自身の過ちに気づき、奮起してくれることを信じて待ちたかったのだ。そうして、そなたの苦しみから目を背けた」
マリアン王妃陛下は拳を握り締め、勢いよく頭を下げた。
けれど私は、マリアン王妃陛下が目を逸らしていたとは思っていない。王妃陛下はよく「それは私が後でやっておいてやるから茶に付き合え!」と言って、私を気分転換に連れ出してくれたからだ。そうやって、少しでも私の負担を軽くしようとしてくれたのだろう。
それに今だから言えることではあるけれど、つらい経験からだって得られるものはある。
「私は……たしかに王太子妃教育があらかた終わるまで、睡眠時間もほとんど取れないほど忙しくて、ずっとつらかったです。けれど、王妃陛下にもたくさん助けていただきましたし、何より私は苦しい日々を乗り越えた自分を誇りに思っています。今まで経験したすべてが、王を、民を支える力になるのですから」
マルセルが驚いたように私を見て、くしゃりと顔を歪ませる。彼は手で顔を覆い、再び俯いて涙を零した。
マリアン王妃陛下はそんなマルセルを悲しそうに見つめている。
一方ノックスは、真剣な目でマルセルをじっと見つめていた。自分に憐れむ権利などないとでもいうように。
私も同じだ。マルセルがどんなに傷ついても、私はノックスを選ぶ。その結論を変えるつもりがない以上、私にはマルセルを憐れに思う権利も、慰める権利もないのだろう。
そのとき、不意に王妃陛下の背後から低く落ち着いた声が響いた。
「マルセル……私のわがままで、そなたをずっと傷つけていたのだな。父として申し訳なく思う。だが、そなたも間違いなく私たちの大切な息子だ」
叫び声を上げなかった自分を褒めたい。
何事もなかったかのように起き上がった陛下は、マルセルに近づくと彼を抱いて背中を摩った。
「さあ、サロンで少し話をしよう。そなたの気持ちを聞かせておくれ」
ハインリヒ陛下は私に謝罪が遅れたことを詫びると、公の場で改めて謝罪させてもらうと言い残し、マルセルを連れて去っていった。
遠ざかる背中をマリアン王妃陛下が追う。彼女は落ち込んだ様子のマルセルとハインリヒ陛下を元気づけようとしたのか、陛下の背中をバシバシ叩いて明るい声を出した。
「ハインリヒ、相変わらずの石頭だな! こんなに復活が早い者は、騎士団にもなかなかおらんぞ!」
「そうか。ところで、道を誤ったら殴ってでも止めてくれと言ったのは私だが、すでに正されている場合は言葉でなじる程度にしてもらえると助かるよ」
「そうか? だが、今回の件はエレアノールに我々を一発ずつぐらい殴らせてやったほうがいいのではないか?」
「やめてやれ。エレアノールはか弱い淑女なのだぞ……」
不穏な会話が遠ざかっていく。
かわいいマルセルを殴れるはずもないし、両陛下だってもちろん無理だ。かりに殴ったところで私が負傷して終わりに違いない。
ふふ、と笑い声を上げるけれど、我慢できずぽろりと涙が一粒こぼれる。
ノックスに肩を抱かれるまま、彼の体にそっともたれかかった。
「エレアノール、マルセルに申し訳なく思っているのか?」
「そう、ね……。私はマルセルの願いを叶えることができるのに、そうしないんだもの」
「マルセルの願いを叶えたら、今度は俺の願いが叶わなくなるな」
「ええ、そして私の願いも……」
だから、私はマルセルの願いを叶えてあげられない。
それでも、マルセルの心が救われることを願っている。
私のかわいい弟が「生まれてきてよかった」と笑えますようにと――
この身勝手な願いを、アストリウス神は聞き届けてくださるだろうか……
6
お気に入りに追加
101
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる