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38. 聖神降臨
しおりを挟む聖神の降臨を願った瞬間に現れた光の柱はどんどん膨らみ、やがて私たちをのみ込んだ。
あまりの眩しさに、ベールが風に煽られて飛んでいくのを感じながらも、目を瞑ってひたすら耐えるしかない。
やがて風と光の渦が治まり、足の裏が床に着いたのを合図にそっと目を開けると、そこには城よりも巨大な女性が座り込んでいた。
「女神フィディア……」
エドゥアルド殿下が畏れの感情を隠しもせずに呟く。
一方、ルーカスは混乱したように私と女神の間で視線を何度も往復させた。
「え、ど、ど、どゆこと?」
「諸々の問題を解決してもらおうと思って、責任者を呼び出したわ!」
胸を張って答える。ヴァルケルで起きたことの責任はヴァルケルの責任者が取るべきだ。
しかし、神の国からではできることに限りがある。
いろいろと対処してもらうためには、降りてきてもらうしかないのだ。
「いや、責任者っていうか、ええ……」
ルーカスは途方に暮れたような顔をしてフィディア神を見上げた。
目の前に佇む女神は伝承のとおり、黄土色の髪と若葉色の目をしている。
ゆるく編み込んだ髪には小さな花々が散りばめられ、衣装は純白。袖はゆったりとしつつ胸元から腰にかけて細やかな刺繍が施され、優美さを引き立てている。下半身は動きやすそうな脚衣で、太ももには大胆なスリットが入っていた。足首と手首には黄金の輪が輝き、その細工は芸術の神だけあり恐ろしいほどに緻密だ。
しかし彼女の若葉色の目は、悲しそうに歪んでいた。
というか、フィディア神は責任を取る余力などないように見えた。
彼女は淡く発光しているのだけれど、光の粒がどんどん裂け目に吸い取られているようなのだ。
体はところどころ欠け、向こう側が透けて見えていて、消滅間近であることが明白だった。
彼女は涙をぽろぽろこぼしながら広場に集まる民を見つめると、やがて抱き締めるようなしぐさで抱え込んだ。
それは愛する我が子に別れを告げる母の姿で……
しかし次の瞬間、民の声が怒涛のごとく轟き、広場全体から光の粒が一斉に舞い上がった。
キラキラと光る粒はフィディア神の体に吸い込まれ、欠けた場所が少しずつ埋まっていく。
「まあ……あれが信仰の光なのね。なんて美しいのかしら……」
フィディア神はびっくりした顔で飛び上がり、自分の体をきょろきょろ見回して、それから呆然と広場に集まる民を見つめた。
民はフィディア神の欠けた体が元通りになると一際大きな歓声を上げ、口々に彼女の名前を呼びながら手を伸ばした。
彼らの顔には見捨てられてなどいなかった、こんなにも愛されていたのだという喜びが溢れている。
キラキラ、キラキラ、光はやみそうにない。
フィディア神はまたぽろりと涙を流し、それから鋭い視線を空へ向けると、手を振って瞬く間に裂け目を塞いだ。
再び、わっと歓声が上がる。
しかしフィディア神は、まだ終わりではないというように今度は私たちの方に向かって手を振った。
「きゃあ! 私のブローチ!!」
シャンベル男爵令嬢の胸元からちぎれたブローチが空へと浮かんでいく。
エドゥアルド殿下が服の下に着けていたらしい霞霧の宝珠を外して差し出すと、それもふわりと空に浮かび上がった。
二つの宝珠はしゅわっと溶けるように粉になり、キラキラと風に巻き上げられ消えていく。
「ぐぅっ……離して!!」
はっとして振り返ると、ノックスがシャンベル男爵令嬢を取り押さえていた。
「こいつはイシルディアの国王および王太子を操っていた大罪人だ。捕らえておいてくれ」
「いやっ! ノックスどうして!?」
「俺の名を二度と口にするな!! 悍ましい……」
「え……お、おぞましい……? 私が……?」
人を好き勝手に操っておいて「どうして」という言葉が出てくるのが驚きだ。
ノックスはもう返事もしたくないようで、近衛騎士に引き渡すと無言で背を向けた。
駆け寄ってぎゅっと抱きつく。
「ノックス! もう大丈夫なのね?」
「ああ……もう大丈夫だ。エレアノール、すまない……」
ノックスは真っ青な顔色で縋り付くように私を抱き締めた。
操られてやりたくもないことをやらされるというのは、とてつもない苦痛だろう。ましてや暴力まで振るわされて……私も怖かったけれど、ノックスはそれ以上だったはずだ。
彼はルーカスを振り返ると、いつもの軽口とは違う真摯な態度で感謝を口にした。
「ルーカス、本当に助かった。礼を言う」
「ふふ、どういたしまして。保険かけておいて正解だったね?」
ルーカスはいつもと同じ調子でおどけたような言い方をしたけれど、あれだけの力で殴られたのだから今も痛いはずだ。
「私からもお礼を言わせて。守ってくれて本当にありがとう。体調におかしなところはない?」
「体調は大丈夫! エレアノールちゃんの役に立てて嬉しいよ。でも今回ばかりはさすがに肝が冷えたなぁ」
「俺もだよ……」
たしかにあの力で顔を殴られたら鼻や頬を骨折して、元通りの顔にはなれなかったかもしれない。
マルセルの剣を受け止めたアンナやエドゥアルド殿下だって、一歩間違えれば斬られていただろう。
そうなれば傷つけられた人だけでなく、ノックスやマルセルの心も無事では済まない。
改めて操演の残酷さを思い知らされた気分だ。もちろん、使う人の心根が一番の問題だったとは思うけれど。
操演の神威を授けた当の女神を見上げる。
愛する民を笑顔にしたくて力を授けたのに逆に苦しめることになって、きっとやるせなかっただろうと思うのと同時に、反省してくれと思う気持ちもある。
不敬にも『さすがに懲りたわよね?』という疑いの視線を向けていると、彼女は私を見てわかっていると言いたげな顔で頷き、手のひらの上に紋のようなものを出した。
(あ、あら? それをどうする気? 先ほどの心得顔はなんだったの……!?)
手のひらの紋をふうと吹いて飛ばした女神は、どこか誇らしげだ。
黄緑色に輝く神威の光は、一直線にエドゥアルド殿下のもとへ飛んでいき、彼の首筋にふわりと着地した。
取り敢えず人選は良さそうだけれど……現れたのは見たことのない紋だ。
エドゥアルド殿下は驚きで目を丸くしつつも、感激したように声を震わせた。
「私は、神威を授かったのか……どんなものでも作れる『創造の神威』を」
どんなものでも作れる創造の神威。
どんなものでも……
「いや、どんなものでも作れたら宝珠も作れちまうだろ!!」
ノックスが何してるんだと言わんばかりに叫ぶと、フィディア神ははっとした顔をしてからオロオロと慌てふためく様子を見せた。
同時にフィディア神のうえにぴしゃんと雷が落ちる。
「え、いま感電してなかった? 神様って感電するの? ねえ?」
ルーカスが戸惑うのも無理はない。私も戸惑っている。だって一瞬とはいえ、神様が痙攣していたんだもの。
フィディア神はとくに何のダメージも受けていないようで、目に涙を浮かべ、許しを乞うように手を組んでイシルディアの方角を見つめている。
ヴァルケルの民は守護神が雷に打たれる姿を見て唖然としていたけれど、どこか憎めないその様子にやがて笑顔を浮かべ、負けるな、頑張れと声援を送った。
「なあ……あの女神、イシルディアのほうを見ているが、今のってアストリウス神がやったのか? もしかして、他の神も降臨してるんじゃないか?」
「ええ、そんなはずは……」
少なくとも、私はフィディア神だけを呼んだつもりだったけれど?
おかしいわねと首を捻っていると、お父様が熊さんの笑顔を浮かべて私の肩に手を置き、面白がっていることを隠しもせずに問いかけた。
「エレアノール。ちなみに、なんて祈ったんだい?」
「ええと……」
あ、うーん。考えてみればフィディア神には限定しなかったわね……?
「……聖神の降臨を祈ったわ」
「じゃあ、もしかしたら十の神が降りてる状態ってこと? エレアノールちゃんすごいねえ!」
ルーカスの言葉にアンナがうんうんと満足そうに頷いている。
なぜアンナがそんなに満足げなのかはわからないけれど、他国の神はなぜ降ろされたのかと戸惑ったのではないかしら。
なんだか申し訳ないわねと考えていると、背後から私を呼ぶとてもか細い声が聞こえてきた。
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