願いを叶える公爵令嬢 〜婚約破棄された私が隣国で出会ったのは、夢の中の王子様でした〜

鹿倉みこと

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36. あの女を殺して

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 先ほどまでノックスのことを私との間を隔てる障害物としか見做していない様子だったシャンベル男爵令嬢は、彼に焦点を合わせた瞬間から、もう彼のことしか目に入らない様子だ。

 彼女がこの国に来ると聞いたときから、変な胸騒ぎがしていた。
 今になって理解する。私は、ずっとこうなる予感がしていたのだ。

 非常にまずい。なんせ彼女は人を操ることができる。
 冷や汗が吹き出して、背中がじっとり濡れているのが自分でもわかった。
 そんな私を尻目に、シャンベル男爵令嬢は胸の前で手を組み、上目遣いでノックスを見つめる。そして、口を尖らせながら甘えたような声を出した。
 

「その黒髪、イシルディア王族でしょ? 王太子になるってことは、もしかして第一王子? それならあなたの妃になるのは私だよ。王命で私が王太子妃に指名されてるから、王太子が変わるなら当然私が……」


 すぐに操ろうとしないのが、本気である証拠のように思える。彼女はノックスの心も手に入れたいのだ。
 ノックスをそんな目で見ないでと叫びたいのに、喉の奥に貼りついたように言葉が出てこない。
 このまま彼と手を取り合って、どこかへ逃げ出してしまいたい。彼女の前からノックスを隠せるなら、義務も権利も世界の平和も、すべて捨て去っても構わないとすら思えた。
 
 ノックスは焦燥感に苛まれてふらつく私を後ろ手に支えながら、警戒したようにじりっと一歩下がる。
 挑発すべきではない場面だろうけれど、彼は腹に据えかねた様子で棘のある声を出した。

 
「頭沸いてんのか? 俺が選ぶのはエレアノールだけだ。そもそも礼儀も教養もない女が王妃になれるわけないだろ」
「は…………ああ、もしかして、エレアノールさんに何か聞いた? それは誤解だよ。その女、私に嫉妬して酷い嘘ばっかり……」
「男爵令嬢ごときが公爵令嬢に『その女』? お前、無知で愚かで性格悪いのが顔に滲み出てるんだよ。斬られたくなければ今すぐ消えろ」
 

 ノックスが剣を鞘から少し引き出し、喉の奥で威嚇するように唸る。
 そんな彼の様子を見たシャンベル男爵令嬢は、思ってもみなかった反応だと言いたげに真っ青な顔で肩を揺らし、それから幽鬼のような顔で私を睨みつけた。


「……たまたま公爵家に生まれたってだけでチヤホヤされて、王子たちに愛されて当たり前って? ふざけんな……私のものを次々奪いやがって……」


 そのとき、シャンベル男爵令嬢の後ろで侍従長の体が傾ぐのが見えた。
 彼は膝をつくと、自分の体を抱き締めるようにしながら顔を上げ、悲痛な声で叫んだ。


「エドゥアルド様、申し訳ありません!! 体が……体が勝手に……!」


 その声を聞いた瞬間、反射的にルーカスがアンナと、お父様がエドゥアルド殿下と触れ合うようにくっつく。
 シャンベル男爵令嬢が両手をかざすのを見て、私も反射的にノックスを庇うように抱きついた。

 ノックスと私の体をまとめるように無数の糸が巻きついてくるのがわかる。ぞろぞろと肌を撫でられる感覚に鳥肌が止まらない。
 しかし次の瞬間にはふわりと糸が解けるような感覚がして、すぐに動けるようになった。
 シャンベル男爵令嬢は操演の失敗に気づくと、歯を剥き出しにして破落戸のような口調で叫んだ。


「何だそれ……ベタベタベタベタしやがって…………邪魔なんだよお前ぇ!! 死ね! 死ね死ね死ね!!」


 シャンベル男爵令嬢は振り向いて近衛騎士団長に駆け寄ると、彼の腕を掴んで「お前は私の忠実なしもべ。今すぐあの女を殺して!」と私を指さしながら叫んだ。

 近衛騎士団長は、逡巡する様子を微塵も見せずにスラリと剣を抜いて駆け出す。


「クソッ、ランフォード騎士団長が操られたか」


 素早く剣を抜いたノックスが、近衛騎士団長の剣を受け止めながら忌々し気に呟く。


「まあでも負ける気はしない。安心しろ、エレアノール。団長とは回帰前に散々打ち合ったから手の内は大体わかってる」


 ノックスは余裕たっぷりに近衛騎士団長の剣をはじき返すと、押し返すように一歩踏み出し、鋭い動きで団長の懐に斬り込んだ。
 しかし団長もさすがに手練れであり、器用に体を捻ってノックスの攻撃をかわす。
 今度は団長がノックスの右わき腹を狙って剣を振り下ろすと、ノックスはその動きを読んでいたように剣を返して受け流した。


「お前が操られてることはわかってる。第一王子に剣を向けたことは不問にしてやる、よ!」

 
 団長の体勢が崩れた瞬間、ノックスが団長の剣を勢いよく弾き上げ、間髪入れずに剣の柄を肩に叩き込む。
 よろける騎士団長をノックスが引き倒し素早く首を絞めると、十数秒たらずで彼はぴくりとも動かなくなった。


「ちょっと、マルセル! ぼーっと見てないで早くあの女を殺してよ!!」
「ああ、わかったよネリー。総員、エレアノール・ラヴェルを排除せよ!」
 
 
 うろたえる騎士たちに向かってマルセルが厳しい声で命令すると、彼らは迷いを見せながらも剣を抜いた。
 まずいことに、戦力はこちらのほうが圧倒的に劣る。エドゥアルド殿下、お父様、私の三人は丸腰だし、暗部の人間とはいえ非戦闘員のアンナが短剣で近衛騎士とやり合えるはずがない。ノックスとルーカスも、操られないように体を触れ合わせて戦わなければならないことで、かなり動きを制限されていた。
 消極的ながらも斬りかかってくる騎士を相手取るにはつらい状況のなか、じりじりとバルコニーまで追い詰められていく。
 
 そのとき、ぞくりと背筋が凍るような感覚がして、とっさに振り返った。
 いつの間に近づいていたのか、目の前でマルセルが剣を振りかぶっている。


「お嬢様っ!!」


 素早くアンナが短剣で受け止めるけれど、耐えきれずに体勢を崩し、蹴りを入れられて吹き飛んでいく。
 マルセルはそんなアンナを無感動に眺め、興味を失ったようにこちらを向くと、もう一度剣を振り上げた。
 

 みんなが一斉に悲痛な声で私の名を呼ぶ。
 悲鳴にも似たその声音で、ノックスもルーカスも私を助ける余力などないのだろうということがわかってしまった。

 私はまたノックスの前で死んでしまうのか。そうしたらノックスはどうなってしまうんだろう。
 
 しかし、私が身を固くして刃を覚悟した瞬間、温かい何かが庇うように覆い被さってきた。嗅ぎ慣れたシダーウッドの香りが鼻を掠める。


「お父様!? ダメ……やめて! お父様っ!!」


 お父様を振り払おうとして暴れるけれど、男の人の力に敵うはずもなくびくともしない。
 操られているマルセルがそんなやり取りを待ってくれるはずもなく、彼は無情にも剣を振り下ろした。
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