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29. 迷惑な来客の知らせ
しおりを挟むそれからというもの、鎮護の儀を執りおこなうことが周知され、急ピッチで準備が進められた。
儀式の当日までに私の紋が完成するかはわからないけれど、私も巫女として儀式に参加する。
もし裂け目を塞ぐことに成功した場合、ヴァルケルの民には自分たちの祈りが届いた結果だと思ってもらう必要があるため、私はイシルディア人だと知られないようベールをつけて参加する予定だ。
お父様はというと、儀式の前に仕込みをすると言って「エドゥアルド殿下が祈ったところ、裂け目の広がりが少し和らいだらしい」とか「儀式に参加する予定の巫女が『祈るべし』という神の声を聞いたらしい」といった噂をせっせと流している。
おかげで「もしかして、神はまだ我々をお見捨てにはなっていないのでは」という声が少しずつ聞かれるようになり、裂け目が広がる速度も最初より遅くなったように見える。
そして、民の心の在りようがあの裂け目に影響を及ぼすことが証明されたことで、エドゥアルド殿下はみるみる元気を取り戻した。
まだ楽観視できる状況ではないけれど、噂程度でも影響を与えられるのだから、儀式を執りおこなえば目に見えて裂け目に変化が起き、民が希望を取り戻せる可能性はじゅうぶんある。
ちなみに、イシルディアの令嬢たちはレオパルド前国王の所業に怒り狂い、さらに空の裂け目を目撃したことで酷く怯え、もうこんな国には居られないと言って逃げるように帰国していった。
しかし、本当に大変なのはここからだった。
令嬢たちが嵐のように去っていったのと入れ替わりに、さらにとんでもない嵐がやってきたのだから。
それは儀式を二日後に控え、最終確認をおこなっているときのことだった。
私たちのもとに、侍従長が駆け込んできたのだ。
「エドゥアルド様、国境から使者が……!」
「どうした、そんなに慌てて」
「それが……その……」
侍従長はなぜか私をチラチラ見つめると、言い難そうにしてエドゥアルド殿下の耳元に囁いた。
来たときと同様に慌しく立ち去る侍従長の後ろ姿を、どうしたのかしらと思いつつ眺めていると、エドゥアルド殿下は「最悪だ……」と言って頭を抱えてしまった。
「エドゥアルド殿下、どうされたのですか? なんだか随分と慌てたご様子でしたけれど」
「それが……じつは、マルセル・イシルディア王太子殿下がヴァルケルへ入国し、もう近くまで来ているようなのだ」
「え……ええっ? マルセルが、なぜ急に?」
「それが、個人的な旅行なのだそうだ。明日には王宮に到着するらしく……新しい婚約者も一緒とのことだ」
「なんですって!?」
世界の命運すらかかっているこの忙しいときに、操演の宝珠を持った危険人物が飛び込んでくるなんて、あまりにも間が悪すぎる。
事前の連絡もなく――しかも個人的な旅行で――押しかけてきて王宮に泊めろというのも失礼な話だし、シャンベル男爵令嬢の傍若無人ぶりには開いた口が塞がらない。
当然、エドゥアルド殿下は頭が痛いと言いたげにため息をついている。
「あの、エドゥアルド殿下……我が国の者が本当に申し訳ありません」
「いや、エレアノール嬢に謝ってもらうことでは……マルセル王太子殿下も操られているのだから、むしろ被害者だろう」
そうは言っても、マルセルが同行している以上、追い返すことはできない。つまりエドゥアルド殿下は、操演の宝珠を警戒しながら儀式を成功させなければならないのだ。
ただ、見方を変えれば宝珠を奪い返す絶好のチャンスともいえる。
ノックスはどう考えているのかしらと伺い見ると、彼は訝しげな表情を浮かべていた。
「レオパルドのやらかしを聞いて来たわけじゃないよな? 到着が早すぎる。エレアノールのあとを追うようにやってきたとしか思えないんだが……」
「事実、私を追ってきたのだと思うわ。マルセルとの仲を見せつけたいのよ」
せっかく婚約者を奪ったのに笑いものにする前に逃げられてつまらない、ヴァルケルへ行って見せつけるついでに悪い噂でもばら撒いてやろう、といったところだろう。
彼女には、最初からずいぶん嫌われていたようだから。
シャンベル男爵令嬢は娼婦の子であることに加え、男爵とは似ても似つかなかったため、社交界デビューしても誰からも相手にされなかった。明らかに托卵だということで、男爵家の庶子とすら見なされていなかったのだ。
しかし当時の私は、男爵が引き取った以上は男爵令嬢として遇するべきだし、人格に問題がなければ私が他の令嬢との仲を取り持ってもよいと思っていた。これは、シャンベル男爵の素晴らしい人柄を知っていたから、何か事情があるのだろうと考えたためでもある。
しかし、とある夜会で私が話しかけた途端、シャンベル男爵令嬢は目を血走らせ、唾を飛ばしながら喚き散らした。初対面にもかかわらずその顔は憎悪に濡れていて、心底驚いたものだ。
言われた言葉は正直ほとんど聞き取れなかったし、聞き取れた部分も意味が理解できなかったけれど、私がどれだけ憎いかは伝わってきた。
そしてその日の夜会を境に、マルセルの態度が急変した。
シャンベル男爵令嬢がマルセルを操ったのは、王妃になりたいという気持ちもあったかもしれないけれど、一番の動機はやはり私のことが嫌いだったからだろう。
マルセルを奪えば私の面子を潰し、今までの努力を踏み躙り、惨めな思いをさせることができるから。
だから彼女は今回も、私を嗤うためだけにここまでやってくる。裂けた空を見ようとも必ず。
――そして、私がノックスと恋仲だと知れば、きっとノックスを操ろうとするだろう。
胸騒ぎがして落ち着かない。
ノックスが彼女を抱き締め、愛を囁き、キスをする……そんな想像が膨らんで気が滅入る。
もしノックスが操られたら、私はきっと平静ではいられない。
お父様に呼ばれて私のもとを離れていったノックスをじっと見つめながら、冷たくなった指先を握り締める。
すると、いつの間にか隣にルーカスが立っていた。
「きゃっ! び、びっくりしたわ。ごめんなさい、考え事をしていたの。何か用だった?」
「ううん、ただ、エレアノールちゃんが元気ないからさ」
「あ……そうね、シャンベル男爵令嬢が来ると聞いて緊張しているのかしら。あの、ルーカスも操られないようじゅうぶん注意してね」
「うん、ありがとう」
ルーカスは笑顔でお礼を言ったけれど、その表情はどこか寂しそうだった。
「ルーカス、何かあったの? 元気がないみたい」
「ふふ、心配してくれるの? ありがとう。でも大丈夫だよ。それよりエレアノールちゃん、ノックスが操られたらどうしようって心配なんでしょう?」
「……ルーカスは何でもお見通しなのね。私、不安なの。なんだか嫌な予感がして……」
「そっかぁ。その気持ち、きちんとノックスに伝えた?」
「……いいえ、伝えていないわ」
本当は「シャンベル男爵令嬢の前に姿を現さないで」と言いたい。けれど、それは伝えていない。ノックスにそう言ったところで「そんなことできるわけがない」と返ってくるのがわかりきっているからだ。
それにみんながヴァルケルを、ひいては世界を救うために奔走しているのに、そんな個人的な我が儘でノックスを煩わせるのも嫌だった。
私が俯いていると、ルーカスは私の手をとって手の甲をポンポンと軽く叩いた。
「ノックスは子どもっぽいところもあるけど、エレアノールちゃんの気持ちを受け止める度量ぐらいはあるよ。だから、ね?」
ルーカスはそう言うと、握っていた私の手を引っ張って耳元に唇を寄せコソコソと囁いた。
「え、ええっ!? それは、少々はしたないのではないかしら!?」
彼が囁いたあんまりな作戦に、目を見開いてつい大声を出してしまう。
そんな私を見て、ルーカスはおかしそうに笑った。
「ふふ、大丈夫だよ。ちょーっとお話するだけ、でしょ?」
「う、うーん。それはそうだけど……」
「よし、じゃあ決まり! がんばってね!」
ルーカスはそれだけ言うと、私の返事も聞かずに手を振りながら去っていった。
彼の言ったとおりにしたところでノックスがお願いを聞いてくれる保障はないけれど、たしかに不安な気持ちを正直に伝えてみても良いのかもしれない。
そして、マルセルたちは明日にはヴァルケルに着いてしまうのだから、お願いするとしたら今日しかないのだ。
でもそんなことをして本当に許されるのかしら、とソワソワしながらノックスを見つめていると、私の視線に気づいた彼が微笑んだ。
やましい気持ちを隠すように、微笑み返して手を振る。すると、ノックスも小さく手を振り替えしてくれて、胸がきゅっと締めつけられるような心地がした。
だから、ルーカスが立ち去り際に「あーあ、損な役回りだよ」と切なそうに呟いたことに、私はまったく気づいていなかった。
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