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23. 負の遺産

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 気恥ずかしい思いで言葉少なに廊下を歩く。
 ノックスから漂う空気はとても甘くて、ちらりと視線を向けるたび幸せそうに微笑むものだから、私の心臓はずっと大忙しだった。
 結局、国王の執務室に着いても、ふわふわと雲の上に居るような心地で気持ちは落ち着かないまま。

 そのとき、私たちとは反対側の廊下からルーカスが歩いてくるのが見えた。
 彼は私たちに気づくと、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「エレアノールちゃん! 君も来たんだね。体は大丈夫? ここまで歩くの大変だったでしょ。もしつらかったら……って、エレアノールちゃん、君、泣いたの……?」


 突然のエレアノールちゃん呼びにパチパチと目を瞬いていると、ルーカスは熱を持った私の目元に目を向け、それからギロリとノックスを睨んだ。
 一方、睨まれたノックスは、なぜか両手を上げて説明しづらそうに口の中でもごもごと喋っている。


「……いや、泣かせたのは俺だが、でも、涙にもいろいろあるだろ」
「へえ……」


 ルーカスは「覚悟決めたんだぁ、ふーん、でもほんとかなぁ」と言いながら、ノックスのまわりをぐるぐると歩きまわった。
 ノックスはまるで動いたら負けだと思っているかのように微動だにしなかったけれど、ルーカスが目の前に戻ってくると、挑むような顔で彼を見つめた。


「渡す気はないが、エレアノールがヴァルケルにいる間は誓いを守れよ」
「へえ? 俺としては、やぶさかではないけど……まさか自信がないとか言うつもりじゃないよね?」
「ぬかせ。でも、絶対なんかないだろ。保険だ保険」


 ルーカスは驚いたように目を見開き「いいねえ! 使えるもんは使おうってわけだ」と嬉しそうに言った。
 二人が何の話をしているのか、私にはさっぱりわからない。
 自分にもかかわりがある話のようなのに、仲間に入れてもらえず頬を膨らませていると、それに気づいたルーカスがにこりと微笑んだ。


「ふふ、ノックスは君を守るナイトに俺を指名してくれたんだ。一人より二人で守った方がいいからさ」
「まあ……でもルーカスはエドゥアルド殿下の手伝いで忙しいのだから、そんなのダメよ。それに、もう危険なことはそうないでしょう?」
「人生何があるかわからないよ? 備えあれば憂いなし! 大丈夫、義兄さんの手伝いもちゃんとするからさ……たぶん」


 最後にぼそりと言った言葉はよく聞こえなかったけれど、エドゥアルド殿下の手伝いもちゃんとするというなら私に否やはない。
 ルーカスはノックスのことを弟のように大切に思っているようだから、その縁で私まで保護しようとしてくれるのだろう。


 「さあ、義兄さんが待ってる。俺にもエスコートさせて?」


 すでにノックスにエスコートしてもらっているため、ルーカスが差し出した腕を困った気持ちで見つめていると、ノックスは「エスコートさせてやってくれ」と呆れたように言った。
 それならばと、ノックスの左腕に右手を添えたままルーカスが差し出す右腕にも左手を添える。すると、ノックスとルーカスが同時に私の手をするりと撫でた。


「まあ、今まったく同じ行動をしたわよ? さすが義兄弟ね!」
「義兄弟ではない」
「エレアノールちゃんはよくわかってるね! いやぁ、世話の焼ける弟なんだよねぇ。お兄ちゃん、ほんと大変で」
「お兄ちゃんではない! 百歩譲って叔父だろ!」


 頭上で軽口が飛び交うなか「両手に華ね!」と楽しい気持ちで執務室へと足を踏み入れる。
 すると本来マントルピースがあったであろう場所に、ぽっかりと穴が開いているのが見えた。


「また隠し通路なの!?」


 もう隠し通路は懲り懲りで思わず一歩後退ると、うんざりした顔でお父様がその穴から顔を出した。


「正確には隠し部屋。しかし、エレアノールには刺激が強いんじゃないかなあ。私も正直、今夜は悪夢を見そうだよ」


 お父様のうんざり顔に好奇心がむくむくと湧き、ノックスとルーカスを急かすようにして隠し扉に近づく。
 先に穴を潜ったノックスが「これは絶対に見ない方がいいな!」と大声を出したけれど、無視して進むと、ノックスは渋々手を出して手伝ってくれた。


「ひっ!」


 顔を上げた瞬間、この部屋に足を踏み入れたことを心の底から後悔した。
 好奇心は猫をも殺すとはいうけれど、こんな光景が広がっているなど誰が予測できただろう。
 
 壁一面に飾られた無数の肖像画。
 そのどれもが、ノックスの母であるイザベル・イシルディア前王妃陛下を写し取ったものだった。
 幼い頃から亡くなる直前までのあらゆる姿絵が天井まで隙間なく埋め尽くされた光景は、まるで彼女のすべてを封じ込めようとするかのような狂気に満ちている。
 
 さらに、中央に置かれた巨大なベッドの周囲には、恐らくイザベル前王妃陛下のものであろうドレスを着たトルソーが所狭しと並んでいた。
 その脇に置かれた棚にあるのはアクセサリーや手袋、額に入っているのはハンカチだろうか。
 彼女が触れたものをすべて手元に置いておきたいという、歪んだ執着がひしひしと伝わってくる。
 
 しかし、それはまだマシな方だった。
 視線を部屋の奥に向けると家族の肖像画が飾られていたのだけれど、それはレオパルド前国王とイザベル前王妃陛下が夫婦として描かれ、二人の間には母親そっくりの娘と、父親そっくりの息子が笑っていたのだ。
 実現し得ない妄想が、まるで真実かのように絵の中に存在していて肌が粟立つ。

 そういえば、レオパルド前国王の妻もたしか栗色の髪に青い目――イザベル前王妃陛下と同じ色合いだったはずだ。病弱だということで人前に姿を現したことはほとんどないけれど、こうなると本当に病弱だから公の場に出ないのか疑わしく思えてくる。
 妻ですら、イザベル前王妃陛下の身代わりに過ぎなかったというのだろうか。
 そう考えると胸が悪くなり、お腹の奥底から湧き上がる不快感に耐え切れず隠し部屋を飛び出した。

 ふと、隠し通路であの男が言っていた言葉が思い出される。
 
 
『ハインリヒに……あの盗人に、一泡吹かせてやったはずなのに!』
 

 イシルディアに神威を盗まれたと騒いでいたから、そういう意味で盗人と言っているのだと思っていた。でも本当は、自分からイザベル前王妃陛下を盗んだという意味だったのだろう。
 神威への異様なこだわりも、多くの神威保持者を抱えるハインリヒ陛下への劣等感と憎しみが原因だと考えれば納得できる。


 私がこみ上げる吐き気を抑えている間に、他のみんなも隠し部屋から出てきたようだった。
 みんな顔色が悪く、喋る気力もないようだ。
 そんななか、ノックスが眩暈を堪えるようにしながら口を開いた。


「ヴァルケル人の気質が、一番ダメなかたちで出たな……」
「どういうこと?」
「ヴァルケルの人間は総じて愛情深く、執念深い。これだと決めると、他のものが目に入らなくなってしまうんだ」


 ノックスはそう言うと、ちらりとルーカスに目を向けた。
 たしかに、ルーカスは十八年間ずっと姉や両親を思って復讐のときを待っていたのだから、愛情深くて執念深いのかもしれない。
 すると、ノックスはまるで私の頭の中を覗いたように「俺が言いたいこととは違うが、まあそういうことだ」と適当なことを言った。
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